劇団潮流『手紙の掏摸』 作=長谷川伸、演出=藤本栄治 2014年12月、潮流スタジオ 撮影=林慎吾
劇団潮流『手紙の掏摸』
作=長谷川伸、演出=藤本栄治
2014年12月、潮流スタジオ 撮影=林慎吾

 劇場の閉鎖が相次いでから小空間やアトリエでの公演が目立つ関西だが、小劇場でしか出来ない芝居はある。それは実験であると同時に観客の想像力を刺激するという点で「開かれた娯楽」でもあるべきだが。

 劇団潮流『手紙の掏摸/第一の春』(作:長谷川伸 演出:藤本栄治 12月7日11時 潮流スタジオ)は、老舗プロ劇団が「近代古典シリーズ III」と銘打ってのアトリエ公演。駐車場の2階、数十名も入れば一杯になる空間に定式幕を張り、若手俳優が大劇場風の演技で「芝居らしい芝居」をする。それがかえって新鮮で、二作とも初めての出会いだったこともあり、正味1時間ながら充実したひと時を味わえた。

 明治末期が舞台の前半『手紙の掏摸』は一般的な「長谷川伸」のイメージに近い。手紙の束を憑かれたように探す若い夫婦。夫・庄吉が元スリであること、原因は出奔した彼の妹にあること等が、芝居が進むにつれて少しずつ明かされて来るのだが・・・。「お芝居のクライマックス」のみを抽出したような展開、夫婦や弟分の世話物口調と乱入してくる男の書生言葉の対照が興味深い。そして家族の過去のために差別されるという背景が、現代でまた表面化した切実なものとして迫って来た。庄吉役の大石智弥が終始力強く、歌舞伎役者風の骨太な大きさを感じさせた。

劇団潮流『第一の春』 作=長谷川伸、演出=藤本栄治 2014年12月、潮流スタジオ 撮影=林慎吾
劇団潮流『第一の春』
作=長谷川伸、演出=藤本栄治
2014年12月、潮流スタジオ 撮影=林慎吾

 殺風景な長屋を「モダン」な一室に作り替えて演じられる後半『第一の春』が楽しい。初めて2人きりになった新婚の若夫婦。しかしそこに夫の同僚がたっぷりの酒と食料持参で現れ……。こちらは昭和初期にふさわしい「僕、君」言葉。さらに二言目には翻訳調や「神」「運命」を持ち出す夫の台詞が、当時の文化一般、特に「新劇」をからかっているようでおかしい。そしてあくまで同僚が善意で行動しているが故の悲喜劇であり、だからこそようやく全てを悟った彼が粋な計らいを見せるラストは、人と人との距離が近かった時代のよさを感じさせた。夫婦役の藤本直樹(少年風の容姿がいい)とよこがわくみこ、同僚の松田ジョニーがはまり役で、終始緊張感があった。

缶の階 舞台編『ヒーローに見えない男/缶コーヒーを持つ男』  作=久野那美  2014年12月、船場サザンシアター/ウイングフィールド
缶の階 舞台編『ヒーローに見えない男/缶コーヒーを持つ男』
作=久野那美 
2014年12月、船場サザンシアター/ウイングフィールド

 缶の階(作:久野那美 おそらく演出も。12月13日11時 船場サザンシアター)は、久野と太田宏(青年団)による1回限りのプロデュース公演。舞台編『ヒーローに見えない男/缶コーヒーを持つ男』と客席編『椅子に座る女/椅子を並べる男』という、各1時間の「劇場を舞台にした二つの二人芝居」で構成されている。2本は別々にも上演され、また後半日程では劇場はウィングフィールドに替わったが、通しで上演された初回を観た。こちらも定員数十名の地下にある小劇場。

 照明機材のチェックをしている男(諸江翔大朗)の前に、くたびれたコートの男(太田)が現れる「舞台編」。唯一の観客である女(片桐慎和子=突劇金魚)が、不安からスタッフらしき男(七井悠)を客と思い話しかける「客席編」。やがて「舞台編」のコートの男は「これから上演される芝居の、台本を書き直したため削除された登場人物」、「客席編」のスタッフらしき男は「以前この劇場で上演された芝居は演出家が改作したものだったため、不満に思っていた登場人物」であることが分かって来る。

 いささか突飛な設定。しかし「舞台編」では太田のとぼけた佇まいと力の抜けた台詞回しが、生真面目な諸江との対照が際立ちおかしい。また「客席編」では久野作品の常連である片桐が端正な風貌と透明感で「あのときと同じのを見たい」と意固地になるのが面白く、また消息を絶った恋人(かつてここで上演された劇の作者)に対する思いを語るのが切ない。そういったやりとりの中に「(登場人物にとっては)かけがえのないたったひとつの世界が、劇の数だけある」・「彼ら(=演出家)は、台本に書かれていないことならなんでもする」といった、耳に残る「演劇論」があるのだが……。

缶の階 客席編『椅子に座る女/椅子を並べる男』 作=久野那美  2014年12月、船場サザンシアター/ウイングフィールド
缶の階 客席編『椅子に座る女/椅子を並べる男』
作=久野那美 
2014年12月、船場サザンシアター/ウイングフィールド

 やがて浮かび上がって来るのは、「舞台編」のコートの男が演じる筈だった、「あったらいいものをあったのかもしれないと思うために」「荒唐無稽な物語を延々といつまでも語り続け」ることで、結果として災害で閉じ込められた人々の意識を保たせ救ったという「ヒーロー」。また「客席編」の男が聞いたと思う「誰もいない森の奥で木が倒れた音」。それを演出家は理解せず「音が鳴るのかどうかを知るために彼自身が耳を澄ますことを思いつか」ず、「たくさんの観客に受け入れられた」「別の森」の話にして上演したという。

 丁寧で緊迫感のあるやりとりから、台詞の背後にあるものが伝わって来た。それは言葉が苦しんでいる人々を守る力を持っていること。だからこそ少数の存在の思いを表現した言葉を、排除してはならないということだった。そういった小さな声に耳を傾けるためには、この空間が必要だったと思えた。