Sidi Larbi Cherkaoui, 生长 GENESIS  © KOEN BROOS
Sidi Larbi Cherkaoui, 生长 GENESIS © KOEN BROOS

 地中海をはさんでアフリカ大陸を望み、スペイン国境にも程近い南仏の大学街モンペリエ。サンテャゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼路の途上に位置し、ヨーロッパ最古の医科大学を擁するアカデミックな雰囲気の美しい街だ。モンペリエ・ダンス・フェスティバルはフランス初のダンス専門の国際フェスティバルとして1981年にモンペリエ市とこの地域(ラングドック=ルシヨン地域)の支援の下に誕生した。以来34年、台頭するフランスのコンテンポラリー・ダンス[ヌーヴェル・ダンス]の受け皿としてまさに“新しいダンス”を育み、牽引し、発展させるという大きな役割を果たしてきた。
 バニョレ国際振付コンクールで受賞しヌーヴェル・ダンスの旗手として注目されたドミニク・バグエが1980年にモンペリエにドミニク・バグエ・カンパニーを設立、新たなダンスの創造とフェスティバルの開催を両輪にしてフランスのダンスの最前線に立っていたが、1992年の暮れにエイズで亡くなり、フェスティバルそのものは1984年からバグエの盟友、ジャン=ポール・モンタナリがディレクターを務めてきた。ダンスに対する鋭い感性と先見性を持つ彼ならではのプログラミングで、モンペリエ・フェスティバルに言わばコンテンポラリー・ダンスの“聖地”としての特別な地位を与え、毎年6月中旬より7月にかけて開催されるフェスティバルには、ダンスの最新の潮流を読み取るべく、世界各国から舞踊関係者やジャーナリストが集まることで知られている。

 初回開催から34年に及ぶ歴代のプログラムは、まさにフランスのコンテンポラリー・ダンスの軌跡を鮮やかに描き出していると思われるが、そこにモンペリエの地理的な位置に由来する地政学的な視点と、アルジェリア出身のフランス人というモンタナリ個人の出自とも関わる芸術社会学的な問題意識が覗いているのも見逃せない。ポストモダンダンスからフランスのダンス・コンタンポレーヌへの現代舞踊の流れをよく知るプロデューサーとして、具体的なダンス作品や振付家とのつながりを駆使したシンポジウムや講演を意欲的に開催して、舞台と観客をつなぐ絆を育ててきた。バグエの死後は、マティルド・モニエが率いてきたモンペリエ国立振付センターを抱えており、新作を創り上演するフェスティバルとしての姿勢には、他とは一線を画しているという自負がある。「すべての身体は政治的である」とモンタナリは語り、多彩なプログラムには広いパースペクティブから舞踊を捉える方針が貫かれており、多文化主義と人種や社会的差別を超える平等主義など世界の現状への批評性のあるテーマが選ばれ、地域的にはアフリカ、イスラエルあるいは地中海沿岸地域の振付家に焦点をあてた演目や振付家の選択も光る。移民をはじめとした社会的弱者へのシンパシーも強く、イラン出身でノルウェーに移住した異色の振付家フーマン・シャリフィなどもモンペリエに活躍の場を得て成長した一人であり、先日、Dance New Air 2014で来日したアルジェリア系フランス人のナセラ・ベラザも2003年より何度もモンペリエに招聘されて、新作発表の機会を与えられている。

 6月22日から7月9日まで17日間にわたって開催された第34回モンペリエ・ダンス・フェスティバルでは、全体で16組の振付家や団体が招待され、多彩なプログラムが組まれた。筆者は6月24日から30日まで中盤の演目を観てきたが、本Webマガジンで9月に藤井慎太郎氏が報告しているように、今年のモンペリエ・ダンス・フェスティバルもアンテルミタン(フリーで働く照明や舞台機構の技術者、舞台関係者*9月の藤井慎太郎氏の記事を参照)のストライキの影響を受けて、予定されていたプログラムが何本か公演中止となった。キャンセルを余儀なくされた公演のなかにはイスラエルの気鋭振付家シャロン・エアール&ガイ・ベハールの作品もあり、筆者も含め海外からはるばる出かけた観客達が情けない思いをしたのは事実だ。ただ、フェスティバルを象徴する“ダンスの国際都市”と呼ばれるAGORAスタジオを所有し強い上演権限を持つ主催者側(モンタナリ)は、公演中止を極力避け、一日目はキャンセルとしても、2日目からは遅い時間での公演を可能とするなどストライキの影響を最小限に抑えて、観客を納得させた。上演会場ではストライキの代表者が観客に挨拶、観客も上演中止には反対するものの、多くが抗議運動への理解を示して運動家の依頼通り「支持する」旨のチラシを頭上に掲げていたのが印象的だった。

 全プログラム正式公演16本のうち12本がフェスティバルとの共同制作作品の新作でモンペリエ・フェスティバルの創作への強い意欲が窺えた。また、イスラエル出身の振付家エマニュエル・ガットが、昨年からモンペリエ・ダンス・フェスティバルのアソシエイト・アーティストに就任、精力的に新作を発表しており、今回のフェスティバルでも新作を初演し、好評を得ていた。ほかにも、舞台芸術の最前線を走るベルギーの作家シディ・ラルビ・シェルカウイと、揺るがぬ前衛として敬愛される鬼才ヤン・ファーブルの新作の共同制作にも関わり話題となっていた。

Sidi Larbi Cherkaoui, 生长 GENESIS ©  ARNOUT ANDRE DE LA PORTE
Sidi Larbi Cherkaoui, 生长 GENESIS © ARNOUT ANDRE DE LA PORTE

 中盤のハイライトは、巨大なオペラハウス、オペラ・ベルリオーズ/ル・コーラムで6月末にフランス初演された、シディ・ラルビ・シェルカウイと中国人舞踊家ヤビン・ワン[王亚彬]の共同制作による『ジェネシス(生長)』(初演は2013年北京)だろう。ヒップホップ、アクロバットなどのパフォーマーとして舞踊のアカデミズムの外から登場してきたシェルカウイは、アラン・プラテルとの出会いを機に les ballets C de la B に入団、またたく間にベルギーを代表する振付家の一人に成長し、2010年からは自身のカンパニー、イーストマンを創設して活躍中だ。他領域からの出身者がダンスに新風を吹き込んでいるベルギーの振付家の例にもれず、シェルカウイの創作には脱領域的な自在さがあり、多様な要素が混じり合う異種混交の舞台を魅力としている。身体を通して実践的に舞踊語彙の探求を行うことを重視しており、なかでも異文化との出会いが創作の刺激となっているようだ。その意味で、シェルカウイは国際的な共同制作に意欲的に取り組んでおり、異文化との出会いを通して精神と身体の未知の領域へと踏み込む探究心には子供のような純粋さがある。
 今回の作品は、東京で出会い、作品への思いを共有したという北京在住のワンからの委嘱に応える形で成立した。振付のためにシェルカウイが北京に滞在、ワンとの共同制作においては舞台美術、音楽などに中国人アーティストが意欲的に関わっており、中国文化に浸ることでシェルカウイの創作性が決定された。中国の伝統舞踊を修得した後、バレエやコンテンポラリー・ダンスを学んで現代舞踊の振付家となったワンは、中国では広く活躍中の舞踊家で、日本でも公開されたチャン・イーモウ(張芸謀)監督の映画、『Lovers』(十面埋伏)にも出演、テレビでは女優業もこなして人気がある。
 『ジェネシス(生長)』は、題名が示すように、生命の根源に注目し、民族、世代、家族と受け継がれていく遺伝子レベルのつながりに焦点をあてて、生と死の問題を掘り下げている。
 透明なアクリル板を使用した装置が、時に回廊に、時に空間を仕切る扉へと自在に変化し、白衣にマスク姿の数人の男女が回廊を抜けて空間を巡っていく。表裏が反転し、変容する装置は、生と死の境界を無化して視覚的に彼岸と此方をつなぐような錯覚を与え効果的だ。振付には中国の伝統舞踊、武術の鋭い動きなどが取り入れられており、ヒップホップと中国武術の敏捷な動きが多様なフォルムを生みだし絡み合う。薄物のドレスを纏ったヤビン・ワンが長い袖を宙に泳がせ、しなやかに身体を後方に反転させつつ中国の伝統舞踊の技法で踊る繊細なソロは、伸縮自在なイメージが増殖して見応えがあった。長い髪や弓なりのポーズ、スパイラルな回転などの動きが随所で反復され、DNAの二重螺旋の形状を思い起こさせるのにも工夫が光る。中国の弦楽器、インドのシタール、ピアノやギターなどの洋楽器が奏でる音も互いに際立ち、コンゴのキンシャサ出身の歌手のよく通る声が耳に残る。日本人パフォーマー、上月一臣も『とうりゃんせ』を素朴な歌声で歌っている。
 エントロピーの法則やDNAの話、あるいはアダムとイヴについてのキリスト教の聖書の一節も引用される本作は、東洋思想のなかでの命の姿を現代的に捉えようとしており、新旧の多様な舞踊技法を融合させて新鮮な舞台を生みだしてはいる。しかし、ちりばめられたコンセプトの断片が表層にとどまり、観る側の思索を主題の本質へとつなぐ回路が開かれていないのが惜しまれる。水晶玉をモチーフとした表現などオリエンタリズムに足をとられた箇所も散見され、作品としてはさらに主題を深く掘り下げて、芸術的に昇華することが求められよう。もっとも、モンペリエのオペラ・ベルリオーズを埋めた観客は総立ちのスタンディング・オベーションで作品を称えていたことは、報告しておきたい。

 今回の滞在中には、ほかにもジョン・ケージの素材を用いたアンジュラン・プレルジョカージュによる『エンプティ・ムーヴズ(Parts I, Ⅱ & Ⅲ)』の一挙上演(PartⅢが初演)、エマニュエル・ガットの『ロマンティックな浜辺』などの作品が完成度の高い上質の舞台として好評を博していた。とりわけドミニク・バグエのカンパニーにダンサーとして参加していたことのあるプレルジョカージュは、モンペリエとは縁が深い振付家であり、観客から熱く迎えられていた。プレルジョカージュは、現在、バレエ・プレルジョカージュを主宰するとともに、エクサンプロヴァンスの国立振付センターの芸術監督としてフランンスのダンス界をリードしている。

Hooman Sharifi, Every order eventually looses its terror © IMPURE COMPANY: HOOMAN SHARIFI
Hooman Sharifi, Every order eventually looses its terror © IMPURE COMPANY: HOOMAN SHARIFI

 本稿では最後に、モンペリエに場を与えられ振付家として成長してきたノルウェーのフーマン・シャリフィの作品を紹介しておこう。シャリフィは14歳の時に単身イランからノルウェーへと移住し、ヒップホップやストリート・ダンスを始め、後にバレエやモダンダンスを修得した。オスロの国立舞踊カレッジの卒業と同時に、2000年にImpure Companyを設立して活動を続けている。一貫して、『社会的良心と社会との関わり』にこだわり、どのような形であれ芸術は政治性を有するという理念を活動の原点に置いている。モンペリエでは、2006年、2012年と作品を発表している。
 今回の新作『Every order eventually looses its terror』 は、ここ数年カンパニーとして追究してきた「自己犠牲」をテーマとしている。シャリフィは言う。「ペルシャの多くの詩に書かれているように、自己犠牲は何かの名のために行われるものではなく、愛のためだけに許されるものである。」と。作品は、イランの回教(シーア派)におけるイマム・フセインの死を悼む儀式、”アーシューラ“についての考察である。我が身を打ち、国中が集団として喪に服するアーシューラの業は幼児期のシャリフィに強烈な印象を与え、深く刻まれたその記憶が作品のインスピレーションとなっている。宗教的儀式として考えるのではなく、むしろ集団と個人の問題としてとらえているようだ。
 床には金色の布が敷かれ、その上に幾つかの石が置かれている。闇の中で金属製の打撃音が鋭く響き、見るというより体感する感じを強調する。薄闇を通して動きの気配が感じられ、フーマン・シャリフィを含むダンサーたち(男性5人、女性1人)がゆっくりと移動していく。音が止み、ライトがつくとダンサー達が身をこごめて進んでいく。上半身裸の男性が裸の胸に黒い塗料を塗り、中近東の弦楽器による哀切な旋律が演奏される。金色の敷物の上でダンサー達は手を伸ばし、身体をひねる動きを反復する。巨漢のシャリフィが男性を、次いで女性を抱いては下ろす動作を繰り返す。金色の仮面をつけた女性の脇で、シャリフィは遺体のように男性を担ぐ。
 突然、静から動へ。半身に黒い塗料を塗りたくった男性、次いでシャリフィが走りはじめ、加速していく。加速したダンサー達は交錯し、ぶつかり合い、黒い塗料は女性の身体を染めていく。シャリフィが頭部を黒い布で覆うと深い屈伸が繰り返される。シャリフィが不自然な形で女性をリフトし、バランスの限界で転ぶ。黒布で頭部を覆ったまま倒れたシャリフィは、石を顔に押し当て、転がる石が乾いた音を立てる。石を積んでは頭を押し付け、石を頭上に乗せると落ちる。反復される無為・徒労の行為を観客は見続ける。剣を振りかざす男性が塗る赤い塗料は血の赤か。床を激しく踏みならし、肩を組み弾けたように前屈を繰り返すダンサー達。高まる音楽のなかオフ・バランスの限界で踊り続けるダンサー達の上に、激しく揺れる照明が陰影を刻む。
 簡素なオブジェを用いたシンプルなパフォーマンスだが、痛々しい緊張感が持続し観客を巻き込んだ。集団の不可視から個人の可視へ。抽象的な作品で表現としてのテーマの明示はないものの、題名が暗示するように、自己犠牲とはヒューマニズムの究極の姿であり、プラトンの『饗宴』をひいて「至高の愛」であろうとシャリフィはプログラムで言及しており、周到な構成と多国籍なダンサー(金髪の白人女性、白人の男性、シャリフィ自身など)の起用で、自己犠牲というテーマから宗教性を取り去り普遍化させることに成功している。舞踊作品としての構成力、オリジナルな動きの語彙など振付家としての成長が窺える。
 フーマン・シャリフィはノルウェーでも活動が評価されて、この夏、ノルウェーを代表するダンス・カンパニー、ベルゲンに拠点を置くカルテ・ブランシュの芸術監督に就任した。もっともこの人事に異論もあり、今後の活動が試されていると自ら語っていた。

 10月末に、モンペリエ国立振付センターでは、昨年退任したマティルド・モニエの後を受けて新しい芸術監督が決定されることになっている。新しい芸術監督とともに振付センターがどのように変わるかが注目されている。モンタナリが芸術監督としてモンペリエ・ダンス・フェスティバルを率いて30年余。モンタナリの采配とダンスへの情熱は衰えを知らない。新たな創作への支援と才能ある若手の育成などフェスティバルの役割を確認しつつ、将来のダンスの方向性を見定めた興味深いプログラムが今後も期待される。