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2.『うけいれる身体、うけいれられない身体』

 もう1本の公演は、60歳を超えた重度脳性麻痺4名へのインタビューをもとに制作された1時間ほどの『うけいれる身体、うけいれられない身体』である(進行・構成=柏木陽(NPO法人演劇百貨店)、出演=石田廸子、柏木陽、窪田道聡、佐藤幸子、山本雅幸、協力:実方裕二、辻安光、南雲君江、南雲耕治)。この公演は、障害と老いについて観客に考えさせるすぐれた側面があるとともに、健常者が当事者を演じてよいのかという倫理的な問題もテーマになっていた。

世田谷パブリックシアター「地域の物語2024」『劇場と地域コミュニティの冒険~みんなイロイロ生きてるぜ!』演劇上演会『うけいれる身体・うけいれられない身体』」
進行・構成=柏木陽(演出家/NPO法人演劇百貨店)
2024年3月16日(土)・17日(日)
撮影=鈴木真貴

 冒頭、5名の俳優たちがステージに現れ、スクリーンに映った当事者4人を紹介する。その後、俳優たちは当事者にインタビューした際の様子を劇中劇仕立てで再現しながら、一人ひとりのこれまでの歩みを短いエピソードにまとめて演じていく。5人の俳優がインタビュアーと当事者に分かれたり、劇中劇を演じたりするので、1人で何役も演じたり、1人の役を2人で演じたりもする。そのことはステージを複雑にするのではなく、逆に演劇的な楽しみを増やしていた。

 この作品の当事者4名は、自立生活を送っている。言語障害もあるため、インタビューのとき、俳優たちは当事者に何度も聞き返し、何度も話してもらったという。一人で生きていこうと決意し、他人の手を借りることを学んで自立した君江さん。家族から独立した裕二さん。一人暮らしをするために両親の反対を押し切って東京に出てきた辻さん。自立生活を始めたときの決意と、その際に直面した困難が演じられていく。

 この公演の大きな特徴は、インタビューを行った俳優たち自身が感じたことを語る場面があったことだった。他人の手を借りてもよいと言われた君江さんの悔しさを自分の経験から想像する俳優。健常者である自分が障害者の言葉を代わりに伝えてもよいのだろうかと悩んだ経験を語る俳優。助けを求めるのは弱者であるという思い込みから、他人に助けを求められなかった経験を語りだす俳優。

 こうした俳優たちの自分語りは、観客と当事者をつなぐ効果があるとともに、演じ手の側からの当事者への応答にもなっており、興味深かった。通常、演劇には作家が書いた台本があり、俳優は台本の言葉を観客に届ける媒体になる。観客の想像力に訴えかける演技力が自分にあるかどうか悩むことはあっても、台本の言葉を観客に伝える倫理的な資格が自分にあるだろうかと悩む必要はかならずしもない。自分の考えたことを作家に投げ返す必要もない。しかし、この作品では、俳優はまず当事者にインタビューを行い、聞き書きを作り、それを構成して台本ができあがる。俳優たちは、当事者ととともに言葉を紡ぎだす表現者であり、当事者の人生の、いわば代弁者となる。そのため、インタビューされた人々の人生を背負う倫理的な感覚が生まれる。

 健常者が当事者を演じてよいのか。こうした悩みを抱えた俳優たちの背中を押したのは、当事者4人の共生社会に向けての強い思いではなかったろうか。劇の後半、裕二さんを演じる俳優はほぼ次のような言葉を語っていた:

健常者の人も、子どもの頃から自分たちの聞きにくい声を聞いたり、見慣れない姿を見たりしていれば、驚かないと思う。だから俺は自分の姿を見せようとしてきた。街に出てそれが日常の風景になるようにしてきた。

 現在の社会では、施設で一生を終えるのが当事者のためになると多くの人々は考えていると思う。しかし健常者とそれ以外の人々が棲み分けているかぎり、聞きにくい声と見慣れない姿への違和感は、いつまでも残り続ける。それでは、この社会が共生へむけて歩み出すことにはならない。共生社会とは、裕二さんの言葉にあるように、当事者が街に出て、日常の風景となる社会である。本作品が描く4人の当事者は、みな勇気を持ち、街に出て、自立を実現した人々だった。4人の強い思いが、悩む俳優たちの背中を押したにちがいない。

 この公演では、老いの問題も強調されていた。4人の当事者は皆60歳を超え、思い通りに体が動かなくなる不安を抱えている。この不安は健常者にも共通する。むしろ健常者の方が、できないことを認めたくないという気持ちが強いだろう。障害者を見たくないという気持ちは、老いた自分を見たくないという拒絶の現れではないか。このように問いかける当事者の言葉にはっとさせられた。

 最後に俳優たちはそれぞれ手にテープの端を持ち、一方の端を客席の観客に手渡して、ステージ奥に向かって歩みだす。そしてテープを床に貼り、ステージ奥に退出した。演じ手がいなくなっても、さまざまな色のテープは残る。観客の心のなかにも、それぞれの観劇体験が残るだろう。わたしたちの社会が共生にむけて歩みだす希望を象徴して、ステージは終わった。