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 マルグリット・デュラス原作『廊下で座っているおとこ』の公演があった(訳=小沼純一、演出=伊藤全記、出演=山口真由、会場=サブテレニアン、2023年7月2日)。製作した劇団 7度は、伊藤全記(演出)と山口真由(俳優)のユニットである。劇団のホームページによると、2014年に結成されたという。

 7度は2021年に兵庫県豊岡で開催された演劇人コンクールに参加して、三好十郎作『胎内』を上演し、優秀演出家賞(伊藤)と優秀演劇人賞(山口)を受賞した。これをきっかけに活動が広く知られるようになり、2022年には文化庁などの「日本博」の主催・共催型プロジェクト「自然と共生する舞台芸術-世界の未来に向けて」の一環として「桃太郎の会」(発起人:鈴木忠志、平田オリザ、宮城聰、中島諒人)の推薦を受け、「鳥の演劇祭15」(@鳥の劇場)と「SCOTサマー・シーズン2022」(@富山県利賀芸術公園)に参加して『胎内』を上演した。ほかにも一人芝居『しをめぐるえんげき』(@亀城プラザ)を行ったり、山口真由の短編戯曲『たちのぼる』が「かながわ短篇演劇アワード2022 戯曲コンペティション部門」の最終候補作品に選出されたりしており、コロナ禍の制約を振り払うように積極的に活動している。今年(2023年)も「鳥の演劇祭16」と「SCOTサマー・シーズン2023」での公演が予定されている。

 私が7度の舞台を見るのは、2018年4月の「現代劇作家シリーズ8」『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー原作、d-倉庫)と2020年2月の『大西洋のおとこ』(マルグリット・デュラス原作、TPAM フリンジ2020、七針)以来、3度目である。2022年は見る機会を作れなかったので、『廊下で座っているおとこ』を楽しみにしていた。

 公演会場は、東京都板橋区の東上線大山駅から歩いて5分ほどの住宅地にあるサブテレニアンである。「地下の、隠された、秘密の」を表す英語subterraneanの言葉通り、マンションの地階に作られた小さなスペースで、2006年の開館以来、サイマル演劇団を主宰する気骨の演劇人赤井康弘氏が私財を投じて運営している。1995年に仙台で結成され、現在はサブテレニアンを拠点にするサイマル演劇団の活動は長く、最近では2022年8月にコニエレニ(赤松由美)と共同でゴンブロヴィッチの『コスモス』を上演した(訳:工藤幸雄、演出:赤井康弘、会場:シアター・バビロンの流れのほとりにて)。この作品は同年10月にポーランドの国際ゴンブロヴィッチ・フェスティバルに招聘され、準グランプリを獲得したという。赤井氏はサイマル演劇団の活動以外にも、サブテレニアンを会場に毎年演劇祭「板橋ビューネ」を開催したり、韓国の演劇祭への参加や参加劇団のキュレーションや、韓国からの劇団招聘を行ったりするなど、小劇場で活動する演劇人のハブ的な役割も担っている。私が7度の舞台を見る機会を持てたのも、彼の配慮に負うところが大きい。

劇団 7度『DIM VOICES4』
原作=マルグリット・デュラス『廊下で座っているおとこ』、訳=小沼純一
演出=伊藤全記
2023年7月2日(日)/サブテレニアン
撮影=伊藤全記

 

1.「不可能性のテクスト」

 『廊下で座っているおとこ』の話に入ろう。原作は戯曲ではない。1980年にフランスで出版されたマルグリット・デュラスの短篇小説である(邦訳=小沼純一、書肆山田、1994年)。公演は、山口真由が邦訳を語りながら、舞台上に置かれた椅子などを使って行う、1時間半強のソロ・パフォーマンスだった。

そこで原作を簡単に紹介しようと思うが、これがなかなか難しい。あえてあらすじ風に言うと ―― 平屋根の家の暗い廊下に肘掛け椅子が置いてあり、そこに男が座っている。屋外に向かって開かれた扉からは、遠く平原や河が見渡せる。男から数メートル先の砂利道には、脚を開き、性器を男の目の前にさらす女が横たわっている。男は女に近づき、女の体躯を足で転がし、踏みつける。男が廊下の肘掛け椅子に戻ると、女は男に近づき、男の性器を愛撫する。そして二人は性行為に及び、達した後、男は女の全身を平手打ちにする。最後に男は、動かなくなった女の上に横たわり、泣く ―― 。「短く、しかも極度に凝縮され、一種のハードなポルノグラフィともみえる」と訳者が記す通り(「不可能性のテクスト ― 解説に代えて」、『廊下で座っているおとこ』所収)、性的描写を中心とする難しい短篇である。

しかしこの小説には魅力がある。それはテクストの語り方にあるように思える。「わたし」という語り手がいて、二人のからみ合いを語るのだが、語りの時間は非常にゆっくり進む。会話はほとんどない。物語らしきものもない。そればかりか、男と女は何者か、「わたし」を含めて三人はどういう関係にあるのか、ここはどこなのか、時はいつなのか、等々の基本的な情報もない。「物語の進行は非常に遅く、捉え難い作品ではあるが、随所に他のデュラス作品との共通点を見出せる」(河野美奈子「マルグリット・デュラス著作解題」、『マルグリット・デュラス-生誕100年 愛と狂気の作家』、河出書房新社、2014年、216頁)という。

「非常に遅く、捉え難い」が、「他のデュラス作品との共通点を見出せる」。こうした特徴を敷衍するなら、この短篇小説は、デュラスを離れて、読み手の一人ひとりに即した受容を可能にしていよう。デュラスの専門家以外の読者でも、手ごたえを得られる小説だからである。では、7度の舞台はどうだったか。

撮影=伊藤全記