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■『Madama Butterfly』(2021年)

【鈴木】その後の展開ということで『Madama Butterfly』の話に移りたいと思います。これはプッチーニのオペラ『蝶々夫人』の物語を現代日本版としてアップデートしたお芝居を、国際共同してヨーロッパの劇場で上演した作品です。二重構造になっていて、人種だったりジェンダーだったり偏見というものの深層というか複雑さが前面に出てきます。いわゆる外国人と付き合いたい女性と、アジア人女性と遊びたい男性との関係から始まる物語ですが、『蝶々夫人』で言うところの、結婚初夜のシーンをお見せしたいと思います。

『Madama Butterfly』。初夜のシーン
©igaki photo studio/提供:豊岡演劇祭実行委員会

【鈴木】この後、これを演じていた人たち自身が話し合いをする場面があります。

『Madama Butterfly』。話し合いのシーン
©igaki photo studio/提供:豊岡演劇祭実行委員会

【鈴木】ご覧いただいているように相手の男性は女性が演じていて、しかもいわゆる白人ではなく、トルコ系の方です。あとで「ハーフ・チャイルド」としても登場する彼が神父の格好をしています。彼は日本語しか話せないという設定の役を英語で演じている。

【市原】日本で育った、見た目がいわゆる日本人じゃない、ハーフの子どもの役を演じています。

【鈴木】そういう設定についてどう思うかみたいなことを話し合い、かつ、これから市原さん的な、これを書いた「冬子」に連絡しようということになる。冬子という女性もいわゆる日本人女性のイメージする人ではありません。この作品はスイスのノイマルクト劇場との共同制作ですが、どういう経緯でこのような構成の作品になったのでしょうか?

【市原】スイスの劇場からオファーが来る前から『蝶々夫人』をやりたいと思っていて、それでタイミングが合ったので、一緒にやりましょうということになりました。劇の中で言われているように、ヨーロッパの劇場って専属俳優を持っているところが多くて、それでこの俳優を使って欲しいということを言われて、自分が台本で書いた通りのキャスティングが出来ないということが分かったんですね。竹中さんはその前から声を掛けていて、蝶々夫人の役で固定していました。でも私が台本上で書いていたのは、白人の男性がピンカートン、子どもは、原作では大きく取り上げられていませんが、日本にいてハーフの人が抱えているいろいろな問題が『蝶々夫人』で描かれたら面白いだろうと思って、ハーフの子どもを出したいと思っていたんです。その白人男性と竹中さんとのハーフなので、そういうハーフの人がよかったんですけど、いなくて、男の人になったんですね。でも彼は彼でヨーロッパにおいてはハーフではある。ベトナムとイスラエルのハーフでしたね。ピンカートンの方はトルコ系の女性。そういう座組みでやることになって、メタ的なリハーサルのシーンを作ったりとかという感じです。

【鈴木】この場面があることで、白人男性と日本人女性の間にある不均衡だけに囚われない、さまざまなレベルでのバイアスが浮かび上がってくるのだと思いますが、これは後で現地で書いたところなんですか?

【市原】コロナのこともあって、ずっとオンラインで会議をしていて、オンラインでキャスティングしたんですね。オンラインでちょっと話して、日本で書きました。日本で書いたものをスイスに持って行って一か月くらい稽古してという感じです。

【鈴木】稽古の状況はどうでしたか? それこそプロセスを大事にする稽古場であったのかなと思うんですけど、実際にこの作品のような話し合いもあったりしたんですか?

【市原】まさにこの通りの稽古場って感じです。「これドキュメンタリー撮った方が良いね」って言ってました(笑)。

【竹中】プロセスを大事にし過ぎるのも大変だなっていうことが分かったような創作過程でした。市原さんは最初からすごく俳優の方にも開いていて、特に二場というのがメタ的な構造になっていて、当事者を演じるという要素も入っていたんですね。そうなった時に俳優がすごく自分の意見を言い出す。それを書いて欲しいとか、ここは言いたくないとか、そういうことがすごく出てきてしまって、時間を取られました。私の感覚としては、俳優が創作の中で何か意見を言うというのは、自分もそうしたいし、そう思っていたけれど、書いた人がいるのに、カットするとか、ここは変えた方が良いとか、そこまで言ってくるのはかなりの衝撃を受けました。

【市原】それと戦うことでほとんどのエネルギーを奪われたというか……。「これはこういう意図だから」「これはあなたのようであなたじゃないから」などと伝えなくてはいけなくて、自分が言いやすいように変えるというのが普通だと思っているからそういう風に言ってくるんですね。

【鈴木】アジア系の女性といわゆる白人男性との物語で、『蝶々夫人』の構造、ベースが批判されやすいというのはいわば既知のことで、この作品の肝は、それだけではなく、それを問題にしている私たち自身もその軛(くびき)から逃れていないということだと思うんです。このことをヨーロッパで俳優と共同作業したり、観客に見せたりした際に、日本とは違う感覚、反応に出会ったりしましたか?

【市原】ほとんど伝わってないんじゃないかと思う時もたくさんありました。初演はチューリッヒのシアター・スペクタクルで、白人だらけの町で、歩いていてアジア系の人とぜんぜんすれ違わないし、ヨーロッパの中でも白人がかなりメジャーな場所だったんです。ここでどういう風な反応があるんだろうと思っていたんですが、そのフェスティバルに助成している銀行の人たちの集団などが観に来て、それも背中をさすり合いながら観ているみたいな……。「こんな、汚らわしい!」という感じで見られて、そういうショックを受けているくらいだったら良いんですけど、分かったような口ぶりで簡単な言葉で一言「多文化系交流ってことだね」って言わたり。ほとんどその時は通じていないんじゃないかと思いましたけど、どんどんいろいろなところから声が掛かってきて、どういう風に思っているんだろうというのはすごく思います。日本でやった時はかなり自分の意図していることが届いている感じはあったんですけど。

【竹中】稽古中もメタのリハーサルみたいなシーンがすごく問題になって、スイスの劇場のドラマトゥルクの人と組んで創作していたんですけれど、「何でもかんでも情報を入れすぎると強い作品にならないから、もっと情報を削ぎ落して、佐都子が言いたいことは何なの?」ということをすごく言われていて、市原さんが稽古場のシーンで見せたいのは複雑性――人間関係って複雑で、一言ではこういうシーンだって言えないっていう、その複雑さそのものを見せたかったんですけど、かなりやっぱりカットすることになったりしました。でも最終的に公演で回り始めると、終わった後にお客さんたちはこのシーンに関して何かを言いたがるんですよ。市原さんは日本にいることもあったので、私が市原さんと間違われることもあったんですけど、「二場についてちょっと思ったことがあるんだけど」って、お客さんが熱意をもって話しかけてくれたのは、だいたいさっきのシーンでしたね。

【鈴木】ヨーロッパの芸術祭などでは多文化交流や多様性を前提にしたプログラミングが多い一方で、それ自体がエクスキューズになっていくような状況もあると聞いています。そういう場所で、あの場面をやってしまおうということが、他のシーンにも増してグロテスクというか強烈に映ったんではないかと思ったりします。

【市原】まさにこの俳優のリハーサルシーンでやっていることで、その次に呼ばれたのがシュピラート演劇祭(ミュンヘン)だったんです。その演劇祭には前年行っていて、そこで有色人種の、アフリカ系の人たちのパフォーマンスをほとんど白人のお客さんが――ミュンヘンも白人のお客さんが多くて――取り囲んでいるという図があって、その時、自分もどういう立場で観て良いか分からなかったんですね、アジア人として。私がこのフェスティバルに呼ばれるのも、物珍しいものを見たいから、白人に取り囲まれるというような状況なんじゃないかと、すごく思ったりもしました。それを一年後、まさに同じことをやっていたフェスティバルで言うということは、自分としては意味があることだと思っていたんですが、ドラマトゥルクの人から「ここカット」とか言われちゃうんですね。ぜんぜん立場が違うから、言われたくないこと、言いたいことっていうのがぜんぜん違う。私としては言いたいことが、彼女にとっては言われたくないことだったりするし、「キレイな流れを持った作品にするにはここはいらない」という言われ方をされたりとか。私はそもそもキレイな作品を創ろうなんて思っていなくて、ここで言わなければいけないことを言いたいというモチベーションがあるので、かなり戦うことになりました。

【鈴木】竹中さんは、フランスと日本の両方で俳優をされていますけれど、市原さんの感じたギャップなどを感じることがありますか?

【竹中】アジア人だからアジア人の役とか、肌の色でキャスティングされる現状はありますね。特に、舞台芸術や映像の世界でも、移民の問題がここ数年はピックアップされているので、逆に白人の俳優たちが「最近アラブ系の俳優にばっかり仕事がきて、オレらにはないな」とか。アジア人を専門に扱うオフィスや芸能事務所ももちろん存在するんですけど、私がたまたま一緒に仕事をしていた人がそういうことをあまり気にしないというか、取っ払っていくようなタイプの人で、私は見た目はアジア人ですが、名前キャロラインで、息子役は白人の男の子で「ママ~」って言っているという配役をされたりしていたので、気にしてなかったですね。むしろ、フランスにずっと住んでいたのに感じていなかったことを、この現場で感じたということが印象的でした。