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劇団唐組『ビニールの城』
作=唐十郎、演出=久保井研+唐十郎
2021年5月14日(金)~6月20日(日)/新宿 花園神社ほか
©唐組/平早勉

 唐組・第67回公演『ビニールの城』は、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が発令される中、東京、神戸、長野3都市での公演が無事に終了した。花園神社では一部公演の中止もあり、「大阪公演なら、土曜、日曜は無観客開催を要請されていて、出来なかったはず。神戸公演を選択した関係者の英断に拍手!」(南河内万歳一座@banzai1za)とツイートされているように、厳しい状況下での2ヶ月にわたる公演となった。
 神戸公演は16年ぶりだったが、会場の湊川公園へ向かう途中にはソープランドなどが密集する福原地区がある。元々福原遊郭があった一帯は兵庫県最大の歓楽街であり、「「夜の街」神戸・福原も苦境「エイズ騒動以上」 売上半減、廃業も」と、コロナウィルスの影響も報じられた(2020/10/3 15:30 神戸新聞NEXT)「ビニ本」のモデル・モモをヒロインとして、苦しむ女たちの声なき声を掬い上げる本作が、この地で上演されたことは偶然ではなかっただろう。最後の屋体崩しで彼方に去って行く藤井由紀の姿は、ひときわ輝きを増して見えた。

◆「ビニ本のあんた」と「生のあなた」

 唐組による『ビニールの城』上演は、2019年に続いて2回目となる。初演は1985年10月浅草常盤座。戯曲は劇団第七病棟へ書き下された。ヒロインを演じた緑魔子は、翌年紀伊國屋演劇賞・主演女優賞を、劇団はゴールデンアロー賞・演劇部門団体賞を受賞した。「80年代の演劇No.1」ともいわれる作品である。
 1985年といえばバブル景気前夜。「政治の季節」が終わりを告げ「シラケ世代」が登場してもなお、敗北感を抱えたまま過去の残像から逃れられない人々がいた。ヒーローである元腹話術師の朝顔もそのひとりである。「忘れてないぞ、どんなまばゆい思想だって」「言ってくれ、どんなキラメキを僕がなくしたというのか?!」と、人形の「民衆」に向かって「諸君っ」と演説する彼は、「僕が僕に話しているなら、夕ちゃんはなんなんだ!」と自分を見失った錯乱から、大切な相棒の人形・夕顔(夕ちゃん)を手放してしまう。8ヶ月後、それを取り戻そうと必死に探し回る中、立ち寄った浅草・神谷バーで朝顔は、かつてのアパートの隣人・モモと再会する。
 部屋に料理を差し入れ、彼のきらめきを信じて応援していたモモが、ビニ本のモデルであることを朝顔は知らない。一方のモモは、酔っ払って苦しむ朝顔の喉に手を入れて介抱した時の、「もしも、また僕が苦しんだならば、僕は、その手の来るのを待つだろう」という言葉が忘れられない。そして朝顔が「愛してる」「ずっといよう」と部屋にあったビニ本の自分に話しかけるのを、モモは壁の隙間から聞いていた。
 「助けて」「ビニールの中で苦しいあたしを」と朝顔にすがろうとするモモだが、「僕は、たしかにアパートの部屋にころがっていたビニ本のあんたに、心をうちあけました。しかし、ナマのあなたに心情を吐露したつもりはないんです」と朝顔は冷たい。二人のこの温度差は最後まで解消されることなく、「ビニール越しに語られる悲恋」というにはちぐはぐなやりとりばかりが続いていく。

◆「あなたの言っていることがわかりません」

 神屋バーのセットに登場したモモは、ネンネコ姿で子ども代わりの木を背負い、赤い長靴にムスリムの女性のヴェールに見立てた新聞紙をかざすといった奇妙な格好をしている。体が弱く休みがちな夫の代わりに彼女は店に出てきたのである。モモは朝顔への思いから遠ざかるために「夕一(ゆういち)」という名の男と結婚した。夕方に「夕ちゃん」と呼ぶその状態しか愛していないモモが、手をからませたこともないまま結婚生活を続けているのは、「いつまでも、あなたの体の半分と暮らしていたかったから」である。「あなた」とは朝顔、「体の半分」とは人形の夕ちゃんのことである。

©唐組/平早勉

 夕一はまた、「朝顔さん、僕はもう半分、夕ちゃんなんです」「夕ちゃんにならなければ、モモという妻に喰い込んでゆくことができないんですから」といって、まるで夕顔が憑依したかのように、朝顔と夕顔しか知らないはずの二人の会話を再現してみせる。体半分人形になるほどに男たちは夕ちゃんを必要としている。

©唐組/平早勉

 もしもこの『ビニールの城』が、断ち切れない思いをそれぞれに抱えた男女三人の愛憎劇なら話は簡単である。しかし腹話術の人形一体が加わって話はかなり錯綜する。そして他の登場人物も含めた「分かりません、あなたの言っていることがわかりません」「この人の言ってることわかんない」というディスコミュニケーションこそがこの劇を進行させていく。

©唐組/平早勉

 

◆自己催眠と「恐怖の水中脱出」

 「ビニ本」発祥の地は神田神保町。爆発的なブームが起きたのは、昭和59年(1979年)といわれる。「新宿・歌舞伎町ではインベーダーゲーム店がこぞってビニ本の販売業に転じた。学生運動やアングラ芝居を続けてきた若者が、「性」を文化と考え、ビニ本作りの現場に積極的に関わる動きもあった」「拝金主義の風潮が日本中に蔓延していたのだろう。股間を見せるだけでお金になるというので、モデルになる女性を探すのに苦労はあまりなかったそうである」(「スケパンの大股開きが・・・「ビニ本」がウケた時代」 2017.10.16 週刊朝日)といった記事もある。
 当時の世相を色濃く映す「ビニ本」を題材に、唐がここで描いたのは、時代の趨勢に取り残されていく男女である。朝顔は過去の夢を捨てきれず、「遠くから来た人」と呼ぶ腹話術の人形に、「来るべき革命」の幻想を託さずにはいられない。モモは自分のやっていることが「オナニスト相手」の「商売」だとは割り切れず、薄情な男への思いを断ち切れない。夕一は叔父の引田にいわせれば、「自己催眠にかかった女」の催眠術から逃れられない。そうした状況を見かねた引田は、腹話術の人形を水槽に沈め「もう使ってくれるなと、自ら手錠をかけたように」捨てられた人形は、「呪縛にかかったお前たちの今日の姿」。手錠は「生活上の手かせ、足かせ」だと言って朝顔たちを扇動する。引田天功ばりの「恐怖の水中脱出」で夕一を目覚めさせようとやって来た引田だったが、彼が本当に助け出したかったのは朝顔である。自ら両手を差し出し手錠をかけられ潜っていった朝顔に、「この引田に助けを求めりゃ、いつでも外してやる!」と救いの手は差し伸べられたのだが、自力で外そうとした朝顔の脱出は失敗に終わる。

©唐組/平早勉
©唐組/平早勉
©唐組/平早勉
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