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■1970年当時のメディアを現代の視座から

 英国初演の2017年は、EUからの離脱を問う国民投票で、大方の予想に反して離脱派が僅差で勝利した後の混乱期。かたやアメリカでも大方の予想を裏切ってトランプが大統領選に勝利し、ポピュリズムが注目されていた時だった。従来の支配者層と「大衆」との分断が、政治の先行きを不透明にしている現在に、1970年当時の史実をもとにしながら、メディアを動かす人々にスポットライトをあて、「大衆」と共にあることとは何かを問う作品だ。
 本作のあちこちにちりばめられている階級社会を皮肉ったセリフは、日本の観客にはあまりピンとはこないだろうが、階級社会を、格差社会の問題と重ね合わせてみると、2021年の日本も、1970年のロンドン新聞界を他人事として見てはいられない。コロナ禍で格差社会の問題がさらに深刻化していても、政治は「大衆」ではなく経済界の方を向いているとしか思えない。マスメディアは強力な世論をつくるどころか、政府批判も有効に成しえなくなってしまっている。現在は、インターネットが普及し、メディアの状況が激変したとはいえ、マスメディアの役割は依然として大きくあるはずだ。いや、本作の舞台となっていた時代以降、マードックは英米豪の主要メディアを次々と買収し、映画、テレビ、インターネットにも手を広げメディア支配を拡大してきたことを想起するなら、資本の力を得たメディアがより複雑に巧妙に、私たちの生活を左右するようになっていることを思わずにはいられない。そして今日、ネット上には情報が溢れていて、人によって見ているものもバラバラの世となった。「大衆」の総体が掴みにくくなり、SNSは分断を加速させている。「Why」を考える暇もなく、次から次へとSNS上に流れてくる「ストーリー」や画像を、個々人もマスメディアも手あたり次第に消費する一方なのではないか。次に面白いものは何か、とばかりに。

劇団俳優座『インク』3
撮影=小林万里

 折しも、私が観劇した前日の新聞一面は、立花隆氏の死と香港のリンゴ日報の廃刊を報じていた。「知の巨人」と言われた立花隆の執拗な追究と、それを拡声したメディアが、一国の首相を起訴に至らしめた時代が日本にもあった。「Why」を深く突っ込んでいく報道が消えていく現実の前で、本作は辛辣な問いを放っていると感じた。
 『インク』は、13人の俳優が二十数人の役を演じ、スピーディーな場面転換をもってしても、2度の休憩を入れて約3時間の大作だ。俳優たちのアンサンブルはよく、志村のラムを中心に緊張の糸が切れない。2021年の東京という視座から見ても刺激的な舞台だったが、MeToo運動の盛り上がりを経た今となっては、婦人面デスクのジョイスやページ・スリー・ガールのステファニーらの描かれ方にやや心残りを感じる。終盤で、新創刊1周年のトップレス写真掲載の当日、販売部数の売り上げ報告を聞いたラムが、ステファニーの手をとってグラフの棒を伸ばさせたシーンで、残念ながら私の座席からは彼女の表情が見えなかった。惜しむらくは、稽古場という制約の多い空間ではなく、客席からの視界に死角の少ない劇場で観たかった。狭い空間を効果的に用いた演出ではあったけれども、視界に入らない映像などもあった。終演後、演技空間を通って退出する際に、Wの字の形をした箱が積み上げられている横を通った。5Wは、やはり揃っていた方がいい。(2021年6月25日観劇)