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 ■イギリスの大衆紙誕生の舞台裏を描く

 歴史の転換点には、きっかけの出来事がある。たいていの場合、意図した誰かがいる。変化を起こすこと、新しいことを始めるには決意がいる。それが、慣習が大事というイギリスで起こったことならば、変革者はなおさらに強烈な推進力を必要としたろう。
 劇団俳優座によるジェイムズ・グレアム作『インク』を観た。2017年にロンドンのアルメイダ劇場で初演され、ウエストエンド、ブロードウェイにもトランスファーされ好評を博した作品の日本初演だ(訳=小田島恒志、演出=眞鍋卓嗣)。英国の大衆紙The SUN(以下、サン紙)は、今でこそ発行部数最大のタブロイド紙だが、かつては“おつにすました”売れない大型新聞だった。この作品は、実際にサン紙を大衆受けする新聞へと大変身させた二人の人物が出会うところから始まる。
 舞台は、1969年のロンドン、フリート街。一人は、オーストラリアからやってきた、現在はメディア王として知られるルパート・マードック。まだ40歳手前にしてサン紙を買収するところだ。もうひとりは、その編集長にマードックがスカウトしようとしているラリー・ラム。ラムは、マードックより少し年上だが、ほぼ同世代。デイリー・ミラー紙の元副編集長で、学歴が高くないことから第一線で活躍させてもらえないと、マンチェスターでくすぶっていたところ、マードックからの誘いがあった。
 この二人の出会いのシーンが巧みだ。「ストーリー」を始めるにあたって、マードック(千賀功嗣)がラム(志村史人)に声をかける。Who=誰が話したがっているのか。What=何をするのか。Where=どこで会うのがよいか。When=いつ会うか。ラムの問いかけに、マードックが即座に応じる。人々が関心をもつような「ストーリー」に仕立て上げるには、こうした方がいいなどと言いながら、二人がどういう人物で、今どういう状況にあるか、何をしようとしているかが、観客に簡潔に明かにされていく。文章を書く際に5W1Hを捉えるのは基本中の基本であり、新聞の編集長のラムが5Wを確認していくのは、この物語のオープニングに相応しい。しかし、「Why=なぜそうするか?」という段になって、ラムは「理由なんてどうでもいい」という意味深長なセリフを吐く。新聞報道において、理由づけこそは取材と分析の深さと的確さを競う肝心なポイントであるはずなのに。マードックも理由こそ大事なのではと問い返すが、大事なのは理由ではなく、次に何が起こるかの方だというのだ。「理由なんてどうでもいい」というセリフは、この後、何度か繰り返されることになる。

劇団俳優座『インク』1
劇団俳優座『インク』
脚本=ジェイムズ・グレアム、翻訳=小田島恒志、演出=眞鍋卓嗣
2021年6月11日(金)~27日(日)/劇団俳優座5階稽古場
撮影=小林万里

 俳優座の稽古場の2辺に客席を設え、空間の対角線上に、ストリングカーテンで仕切りをつくり、その奥と両脇のパネルに映像を映し出し、カーテンの奥と手前を使い分けつつ、場面転換がスピーディに行われる舞台設営だ。冒頭のWho、What、Where、When・・・、の場面では、アルファベットのWの文字をかたどった箱を動かしながら、レストランの椅子にし、会食のシーンが始まった。(舞台美術=杉山至、映像=新保瑛加)。
 一幕は、「大衆が読みたいと思う新聞」「これまでになかったような全く新しい新聞」を作ろうというマードックの誘いに、編集長を引き受けることにしたラムが、デイリー・ミラーを凌ぐ大衆紙をめざすプロセスが描かれる。マードックが編集部として用意したのはフリート街の建物の地下の部屋。サン紙買収契約の条項に、休刊時期をつくってはいけないという条件が含まれていることが判明し、準備期間が数週間と限られていることにラムは慌てるが、ぎりぎり感が一層高まる中で、ラムは躊躇のいとまなく打倒デイリー・ミラーに燃えていくことになる。ラムが編集部員に誘ったのは、婦人面のデスクにジョイス・ホプカープ(山下裕子)や、副編集長にバーナード・シュリムズリー(宮川崇)など、これまでデイリー・ミラー編集部で不満を溜めていたような連中ばかり。リクルートの過程は半ば戯画化されながら、ステファニー役の椎名慧都による歌にのってテンポよく展開される。
 目立てばいい、売れればいい、手段を選ばないというのは、当初はマードックがけしかけたことだったが、ラムの、デイリー・ミラーを見返してやりたいという対抗心が拍車をかける。デイリー・ミラーの企画の“パクリ”であろうとなんであろうと、ラムは大衆に受けそうな紙面企画を次々に打ち出して新生サン紙の準備を進める。ラム役の志村史人の目は、狙った獲物を逃さない獣のごとく、終始、強い執念を漲らせている。フリート街の伝統を壊して新風を持ち込もうとしたのはマードックの方なのだが、千賀功嗣のマードックは、無茶なよそ者感をそれほど印象づけていない。恐らく、イギリスでの上演であれば、オーストラリア訛りなどの特徴を出していたのだろうが、本作ではスピーチの苦手なシャイな人物という造形でもある。そこに、志村の“眼力”もあってか、変革の軸はラリー・ラムに移っていく。EメールはもちろんFaxも日常的に使われていなかった時代の話だ。紙面を印刷するには、金属の活字を組み、いくつかの工程を経なければならない。順調に新聞が発刊されるには、印刷工らの組合と対立してはいられない。恐らく、史実では組合を無力化していったのはマードックの方だったろうが、本作では、それは前景には出てこない。旧態依然とした新聞界のしきたり、イギリスの労働慣行が立ちはだかるエピソードは、こまかく織り込まれたりするが、ラムの率いるSUN編集部はなんとか船出を果たす。