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■販売部数大躍進は果たせても

 ここまでは、新事業に情熱を傾ける面々の達成物語として楽しめて、痛快でもある。しかし2幕になって、舞台のトーンは苦渋や逡巡に満ちてくる。副会長夫人誘拐事件が起こるのだ。志村・ラムは、自問しながらも、目撃情報を得るために必要だと主張し、他の編集部員の戸惑いを押し切って、連日、独占的に誘拐事件の特集を組み続ける。やがて、TV番組で話すマードックに反感をもった犯人が、副会長宅をマードック宅と取り違え、誤って副会長夫人が誘拐され殺害されていたことが明るみになる。今でこそ、捜査中の誘拐事件は報道統制が敷かれるのが通例だろうが、当時は、そんな前例はなかったのだろう。新聞報道がなければ、事件はもっと早くに解決したのではないかというラジオ報道が、ラムの焦燥を深める。葬儀後の教会で、ラムと、その元上司、デイリー・ミラーの編集長のヒュー・カドリップ(加藤佳男)とが二人きりになったところで、大衆に向くということがどういうことか、二人が主張し合うシーンが、このドラマの核心部分だ。
 おぞましく悲劇的な事件の結末という代償はあったものの、誘拐事件報道のおかげで、サン紙はデイリー・ミラーの販売部数にあと少しと迫っている。ラムは、ヒューの制止を振り切り、売れる新聞への邁進を止めない。それは、「大衆のために」という彼の信念というだけではなく、デイリー・ミラーへの徹底した対抗心や、後戻りはできないという意地などが綯交ぜになってのこと。志村・ラムは、その複雑な心情を滲み出させつつ、誰も彼を止められないという迫力を維持している。
 販売部数を抜くのに1年というマードックとの約束の期限を目前にして、部数は、あと一歩、デイリー・ミラーに届かない。ヒューに勝つために、ラムは、最後の手段をとる。新聞の3ページ目は、グラビア・ページとして既に新生サン紙の目玉になっていたのだが、そこに新聞界のタブーを打ち破って、1周年記念としてトップレスの写真を載せようとするのだ。ラムは、新聞に女性のハダカを載せる、いわゆるページ・スリー・ガールを導入した人物として後世に名を残しているのだが、本作のラムは、ストリングカーテン越しの舞台奥で、モデルに、遠まわしに、歯切れの悪い言葉で、おずおずと撮影の“提案”をしていた。モデルのステファニー(椎名慧都)は、あなたの娘にも、こういう“提案”をするのかと問う。ラムが返答に困り諦めかけた時に、「いいわ」という彼女の決意を込めた返事に、ラムは救われた格好となっている。3ページ目は歴史的な新ページとなる。そして、ついにデイリー・ミラーの売り上げを抜く。

劇団俳優座『インク』2
撮影=小林万里

 売れさえすればいいのか? 目標は達成されたけれども、終幕は、変革者ラムの成功物語としては描かれていない。冒頭と同じレストランで、マードックと会食するラム。ラムは、トップレスの掲載は、当初はすぐにやめるつもりだったが止められなくなったと吐露する。一方、マードックは、アメリカのTVネットワークを買収するという。「大衆のために」と言い続けてきて、大衆の欲望に抗えなくなって自嘲気味のラムと、それをビジネスとして利用し、新天地でさらに拡張させようというマードック。二人の分岐点だ。