第1回座談会演劇時評(2019年8月) 徹底討論DULL-COLORED POP第20回公演福島三部作一挙上演
座談会出席者(発言順)
嶋田直哉(司会)/野田学/柴田隆子/藤原央登/鳩羽風子=シアターアーツ編集部
小田幸子=国際演劇評論家協会(AICT)日本センター事務局長
DULL-COLORED POP第20回公演福島三部作一挙上演
作・演出=谷賢一
東京公演:2019年8月8日~28日@東京芸術劇場シアターイースト
大阪公演:2019年8月31日~9月2日@in→dependent theatre 2nd
福島公演:2019年7月6日~7日(第二部)、9月7日~8日(第三部)@いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場
▼宙吊りの二項対立――第一部『1961年:夜に昇る太陽』
嶋田(司会):それでは2019年8月の座談会演劇時評を始めていきます。今回はDULL-COLORED POP第20回公演福島三部作一挙上演について考えます。DULL-COLORED POPは2016年5月に『演劇』を上演し、いったん活動を休止しました。その後、2018年7月にいわきアリオス小劇場と、こまばアゴラ劇場で、今回上演した福島三部作の第一部『1961年:夜に昇る太陽』を先行上演するかたちで発表されたのが、今回の三部作の始まりです。そして、今年、2019年8月に、第二部『1986年:メビウスの輪』、第三部『2011年:語られたがる言葉たち』を新作というかたちで、先ほどの第一部とあわせて三部作を一挙上演しました。
バックボーンには作演出の谷賢一さんの経歴がありますね。谷賢一さんのお母様が福島県浪江町のご出身で、谷さんご自身も、幼児期に福島で過ごされました。またこの作品は東日本大震災後8年を経た今年2019年という非常に微妙な時間的距離感の中で作られました。このことは谷さんご自身がパンフレットの中で説明していらっしゃいます。
まずは、この第一部から、皆さんのお話を、聞いていきたいと思います。この第一部の主なるストーリーは、東京大学で物理学を学ぶ22歳の穂積孝(内田倭史)が故郷である双葉町に帰郷する、という場面から始まっています。最終的には、福島へもう帰らないということを言って、それで故郷を捨てて、東京へ出てくるというのがメインのプロットです。
このなかで一番大きな話題は、東京電力が双葉町の実家の裏山や家の土地を買いに来るという場面でしょう。そこで起こる家族のいろいろな思惑や、子どもたちの世界、当主である祖父穂積正(塚越健一)の考え方などが、描かれていきます。
第一部は、昨年(2018年)の夏に上演されたこともあって、今回、再演というかたちをとっていますが、改めて三部を通して観ると出発点として非常に大きな問題が提示されていたことがわかります。まずはこの第一部から話を進めていきましょう。それでは皆さん、よろしくお願いします。
野田:第一部のタイトルは『1961年:夜に昇る太陽』。1961年は震災があった2011年のちょうど50年前です。オープニングで防護服を着た人が、おそらく一時帰還で何かを探しているという光景。これが2011年ないしは現在から振り返る視点を明確にしています。演技は劇画風で、つかこうへい風のスタイルでした。
劇中では《田舎と東京》の間の格差という、「フクシマ」の問題を考えるにあたって重要なコントラストが通底しています。「田舎は何一つ決めらんね」っていうせりふが、印象に残りました。
この第一部では、第二部、第三部と比べて非常に字幕の解説が多い。上演台本にも、その後の出版を意識しているのでしょう、かなり詳細な注が付いていますが、実際に上演中でも字幕を多用していました。それから人形劇のパートもがあって、これはDULL-COLORED POPがわりとよく使う手法らしいのですが、それがかつて吉幾三がうたった「俺ら東京さ行ぐだ」(1983年)にみられるような、福島の東京に対する気分をよくあらわしていました。こういう雰囲気の中で、先祖から受け継いできた土地を、原子力発電所に対して売却をするという一家の決断の物語が語られていくわけです。
もう一つ、この芝居の中では、1960年代の曲が多用されていました。中でも、ジャズが多いんです。これは、実は第二部、第三部にも効いてきまして、この1961年においてジャズというのが、おそらく都会のしゃれた、おしゃれな文化の特徴であったんだろうということが察せられます。他にも当時の流行歌、歌謡曲とか流れます。ジャズ好きとして言わせていただくと、その中でも、セロニアス・モンクの曲が非常に多かった。「ビバップの高僧」とも称せられ、数々の名曲と、極めて独特なタッチで有名なジャズ・ピアニストです。モンクのちょっと外れた感じ――有名なジャズ・プレイヤーでありながら、みんな扱い方にどこかとまどってしまうような、アンチ・メインストリーム感――が、この舞台のテーマにふさわしかったように思います。
柴田:今、お話にあった最初と最後に2011年の原発事故の後の場面があることで、それに挟まれる1961年が括弧に入れられているように見えました。1961年の場面は明るくて自由な都会と電灯のつかない暗い田舎の対比を、ある種戯画的に人形なども用いながら楽しく描かれるのですが、前後に別な時間があることで、場面全体が全部括弧に入れられて、劇中で語られる「自由」や「明るい未来」や「未来を担う若者」にも全て括弧が付いているような見方ができたのは面白いなと思いました。
藤原:穂積家に東電社員の佐伯正治(阿岐之将一)と三上昭子(大内彩加)、双葉町町長・田中清太郎(大原研二)、福島県庁職員・酒井信夫(東谷英人)が訪問します。そして彼らは、原発建設のために土地を売却するよう、穂積正に依頼する。第一部のハイライトはここにあります。
現在の価格で約3億円の金額を提示された正が、穂積孝にどう思うか尋ねます。そこで孝は、「僕には、関係のないことだから」と言います。地元を捨てて東京で生きることを選択した孝にすれば、自分にはその決定権がないと思ったのでしょう。念を押すように正が尋ねても、孝は明確な答えをしません。そして正は「忘れんでねえぞ。おめは、反対しねがった。いいな」と忠告する。このやりとりは、本作のみならず三部作全体を貫く重要なものだと考えます。原発誘致のために自分たちの土地を売る。そういう意味で当事者になることについて、孝は賛成か反対かを明らかにしなかった。態度を保留して深く考えなかったことのツケが、50年後の福島第一原発事故となって顕れたと思えるのです。
第一部の中で言われていたように1960年代当時、原発は夢と希望を与える科学技術の象徴でした。ですから、町の発展と暮らしを良くするためと説得されれば、割と素直に信じられたのかもしれません。三部作全体を通して東京と地方、科学と農業、発展と衰退といった二項対立が描かれます。これらの対立のどちらかに軍配を上げることなく、両義性を保ったまま並置させることに、三部作の奥深さと複雑さがあります。それでも第一部が描かれた時代では、おおむね科学による発展に身を任せやすかった。土地を売るか売らないかという、個人の問題として受け取られていたために、東京に目を向けている孝は割とあっけらかんと「関係ないよ」で済ませることができたのではないか。そして深く考えないで済ませて逃げてしまう態度は、現在に至る多くの日本人の心性なんじゃないか。だからこそ孝は、日本人の無意識の集合体のように感じました。孝は第二部で消息が少し語られただけでその後一切、登場しません。日本人の無意識の集合体であるためには、消える必要があったのです。
そして孝に代表される、答えを宙吊りにしたことのツケを一心に背負うのが、穂積家の次男である忠(宮地洸成)です。忠は第一部の中で唯一、感情的ながらも原発の安全性について明確に反対した人物です。第一部から25年後、チェルノブイリ原子力発電所事故が起こった1986年は、原発の負の側面が世間的にも明らかになった時代です。そのため原発に賛成か反対かについて、どちらかの立場に素直に立つことができず問題がより深刻になります。忠は原発について、賛成と反対という二項対立を解消させないまま身体に抱え込み、ダブルバインドの状態に置かれます。そのような状況へと忠を追いやったのは、第一部での孝の曖昧な態度、すなわち無関心でいた多くの日本人だったのです。
鳩羽:三部作を通じて、原発という題材を扱いながらも、奥行きのある人間ドラマに仕立てて普遍性を生み出しているところに感じ入りました。象徴的だったのが、福島へ帰郷する孝が、列車で乗り合わせた「先生」と呼ばれる人物。彼の名は佐伯といって、東電社員であり、原爆が落とされた広島出身という設定です。穏やかに振る舞っていた佐伯が、激情をあらわにするのが、原発と原爆の違いを強調するシーンです。「日本人こそ、原子力の平和利用を語る責務がある」。佐伯という人物を通じて、表裏一体である原子力の平和利用と軍事利用を描いています。台本の注によると、佐伯のような人物は実在したと書いてあって驚きました。
小田:第二部と第三部しか観られませんでした。それで、第一部は台本だけ読みました。その第一部を中心に台本を読んだ感想から申し上げます。原発、または震災の事故を語るときに、そもそもの最初にさかのぼる、つまり、どんなふうにして福島に原子力発電所が誘致されて、建てられることになったのかという出発点にさかのぼって、実態を見ていく姿勢が、いいなと思いました。
私はserial number公演『アトムが来た日』(作・演出=詩森ろば、2018年)を思い出しました。この作品は原子力が「希望のエネルギー」として日本に導入されるときの喜びを描いたものです。当時は、やはり、原子力の安全神話は、まだ神話にはなっていないのかもしれませんが、今から見ると、それはやばい話だったということが分かります。しかし、この当時ではそうではなかったということが、この第一部にはありありと描かれていました。
先ほど柴田さんがおっしゃいましたように、1961年から現代に時間が移るにつれ、1961年という時代が相対化されていく。距離が生まれるので、第一部から第三部を通じて、距離ということがとても重要になってきています。その距離をもちつつ、当時の常識を振り返っていく視点というのが、一番、重要な方法なんじゃないかなと感じました。
嶋田:今、皆さんに伺っていますと、二項対立という問題が見えてきます。例えば東京と福島、つまり都会と田舎という対立とか、そこから生まれる文化の差異の中で、東京大学で物理学を専攻している孝が、いわゆるエリートの存在としてここでは描かれています。そして彼自身の中での東京と福島の二項対立が大きな柱になっていきます。この作品は歌曲の使い方がとても上手です。
例えば、この孝が抱え持ってしまった都会と田舎っていう二項対立と、それから先ほど藤原さんが指摘された「何も選択しない」という、宙ぶらりんな状況は作品の冒頭、で引用される室生犀星『抒情小曲集』(1918年)に収められた「小景異情 その二」の一部「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」という詩の一節にうまく象徴されていると思います。
孝が帰郷する電車の中で佐伯がこの「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」の解釈が、実は二通りあるということを説明します。望郷への思いと、故郷への恨み節という正反対の二つの解釈です。この二項対立的な解釈、どちらが正しいのかは今もって結論が出ていません。この詩の解釈の二項対立のあいだを宙ぶらりんになっていく過程が、この作品の都会と田舎など、いろんなものの二項対立を、ある意味、宙ぶらりんにさせてく解釈の揺れと、孝の決断の保留という姿勢が重なります。敢えてどこにも属さないという一つの軸が出来上がっていく。この室生犀星の詩を引用することによってこのような作品の重要な柱が出来上がっていきます。また作品中に流れる『この道』『ふるさと』などが抒情性を非常に上手に醸し出している。この音楽の使い方はかなり成功していると思います。
そして、この二項対立の構造が作品中でクライマックスを迎えるのが、佐伯、三上といった東電の社員、県庁の職員酒井、双葉町長田中たちが当主である穂積正に、穂積家の土地を売るのか、売らないのか、という決断を迫る場面です当時の価格で2,150万円、「現在の3億円」という字幕が現れて、果たしてこれが、選択であったのかっていうのが大きな問題として突き付けられてきます。この場面は考えることも多いと思いますので、皆さん、どうぞ。
野田:この舞台、父親が不在なんですね。長男の孝は、作家の谷賢一の父親をモデルとしているらしいのですが、彼の父親がいない中で、祖父である正が、土地の売却に関して「おめが家を継ぐなら、ここの土地はいずれおめのもんになる」という理由で同意を求めます。しかし孝はすでに東京に戻る決心をしているので、「俺には決められない」「僕には、関係のないことだから」「僕には何も言えない」と言う。
この作品で原発推進派が夢見ていたのは、双葉町が東京もしくは京浜工業地帯のようになることなんですね。雇用もあり、華やかな商業地域もある。いわば田舎の都市化が彼らの夢です。東京に戻る決心をしている孝だって、「俺は東京さ出て、科学の発展に尽力し、世のため人のため、お国のため、巡り巡ってこの、福島のためになるような、でつけぇ仕事さ、しでかしてやります!」とまで言うんです。
第一部において明確になるのは、福島三部作がギリシャ神話のプロメテウスの物語をなぞっているということです。天から火を盗み出して人間に与えたプロメテウスは、ゼウスにより三万年ともいわれる刑罰に処せられます。この「火」を「原子力」と読み替えれば良いだけです。そして人類が「火」を歓迎したように、1961年の段階では日本人の多くが核の平和利用を歓迎しました。大澤真幸が、『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』(2012年)の中で、同じことを言っていますが、2011年の半世紀前というのは、原子力の平和利用が、唯一の被爆国である日本だからこそ、非常に大きな希望をもたらしたということだろうと思います。ちょっと余談になりますけれども、1954年では第五福竜丸の事件を受けて核爆弾のメタファーとなっていたゴジラが、1964年の『三大怪獣 地球最大の決戦』では初めて人間の味方になっています。
二部、三部を見ていくと、双葉町における原発建設が、結局東京に資するだけであったことがわかります。しかし、第一部はあくまで東京と地方との間の格差を埋めるための地域振興政策の一環として原発建設が歓迎されていたことがわかります。その分、第二部において《福島県の仙台超え》という彼らの期待が裏切られ、1980年代の段階で双葉町の補助金依存を生みだしてしまったというアイロニーが際立つように思います。
柴田:今の、土地を売るという一番クライマックスの場面について、もちろん各自がお金や、経済的な発展、明るい未来などを考えていたとは思うのですが、家長としての正が孝の判断を聞く時、その正の頭にあったのは穂積家のことだったのだと思います。たいした歴史はないと注釈ははいりますが、やはり土地があって家族がいて長男が家を継ぐという伝統的な家族の在り方が、土地を売ることによって崩壊することを彼は予感していたのではないでしょうか。わざわざ次世代の家長である長男が反対しなかったと言質をとるところに、伝統的な家父長制が立ち行かなくなく様が見えるようで印象的な場面でした。
嶋田:私がこの話し合いで面白いなと思ったのは、県庁の職員で測量を担当している酒井が、戊辰戦争のことを言い出す点です。「福島は戊辰戦争以来、どんだけ冷や飯を食わされていたか」ということを言い出して、それを、今こそ見返すのがこの原子力の誘致であるっていうこと主張します。ここが、この作品の時代性が、1961年を起点に置いているのはもちろんですが、精神的には、実は日本の近代っていうものを射程に入れて語っている点に作品の壮大さを感じます。
この戊辰戦争以来の福島が抱える「モヤモヤ」を、この原子力を使って払拭するというのは、その時間的な射程の長さもあって、ものすごく説得力をもって迫ってきます。でも、それと同時に、孝の弟である忠、彼は第二部で主人公となりますが、この忠が「なんか違う」という疑問をずっと抱いているわけです。土地を売ることが決まっても、何かにだまされているだろうと。でも東京大学に行った兄・孝ほどに文化的素養を持ち合わせていないので、なかなか自身の「モヤモヤ」を言語化できない。最後の最後まで腕組みをしながら、苛立ちは隠せないでいる。この忠の「モヤモヤ」が最後の場面にはよく描けていたと思います。
小田:今、嶋田さんがおっしゃった、戊辰戦争以来っていう視点は、私もとても面白いと思いました。福島っていう場所が、土地が、歴史的にどういう位置付けにあり、それを代々の人たちが、実際に先祖から聞いた、おじいさんから聞いたりしながら、そこを内在化していっているところだと思いました。そういうところに原発の誘致が来るっていうのがおもしろいですね。
それから、いろんな土地を探して、ここが一番いい場所だった、さまざまな要因が重なっていったっていうところもまた興味深い。福島に限らず、近代、国家と地方の対立っていうか、国家と地方の関係っていうか、そういうものを、われわれはずっと持っているはずだし、江戸時代の藩同士の対立を実はずっと引きずっているんですよね。そのへんを掘り起こしている点が面白かったです。
野田:先祖代々って言っても、せいぜい2代か3代なんですよね。「維新の時に郡山から落ちてきた家が多い」という言い方を当時の町長である田中がしますが、ずっと昔から続いているっていうわけでもないっていうこの中途半端な加減も、双葉町が置かれた立場とどこか付合している。
この中途半端さは、主人公の孝にも当てはまるように思います。「俺は『自由』って言葉が嫌いだ」という祖父の正から、「おめは、反対、しねがったんだ」と釘を押される孝ですが、この話が終わって恋人と別れる場面で、東京についてきてくれない恋人の美弥に対して「自分のことは、自分で決めねば駄目だ!」と言う。これが、作家の父親をモデルとしている孝の立場なんです。そういう意味で、この第一部は、谷賢一という作家のルーツに関わっています。田舎より東京を選んだ人間が、どういうふうに福島を振り返るのか。孝の中途半端さは、谷自身が置かれている立場でもあるんです。「地方」という言葉で括ってしまうことができないグラデーションに谷が注意を払っているのもこのためでしょう。「ここいら浜通りと会津とは別の国です」と孝は冒頭の場面で言いますしね。
小田:確かにこの区別は作品中でもはっきりと描かれていますね。