モントリオールのフェスティヴァル・トランスアメリーク(FTA) 刺激と興奮にあふれた2週間/藤井慎太郎
アン・ファン・デン・ブルック『ザ・ブラック・ピース』ユジーヌC
Ann Van den Broek, The Black Piece, Usine C
アン・ファン・デン・ブルックは、1970年にアントワープに生まれ、ロッテルダムのダンスアカデミーに学び、2000年に自らのカンパニーWArd/waRDを立ち上げた振付家である。「ブラック・ピース」というだけあって、舞台上に光はごくわずかであり、ブラックボックスとしての劇場の暗闇、黒が作品の基調をなしている。あるときはトーチライトによって、あるときはヴィデオカメラ(とその照明)によって、ごくわずかに闇が明るみに出される(寺山修司の暗闇演劇『盲人書簡』の実験を思わせる)。それほどまぶしくもないのだが、はっきりと影をつくり出す小さなトーチライトにせよ、ヴィデオカメラと一体になったドーナツ状の円形の照明にせよ、さらにレントゲン写真や写真のネガなどを乗せて見るためのライトテーブルにせよ、よく考えられた光源ばかりである。
作品は観客の知覚をゆさぶる。観客は暗闇に目をこらす必要に迫られるが、それでも見えるものより見えないものの方が圧倒的に多い。ヴィデオカメラが捉え、舞台奥のスクリーンに投影される映像の方が、人間の目では知覚できない細部まで、はるかに鮮明に捉えることができる。視覚から得られる情報が限られている分、聴覚/音が重要な役割を果たすのだが、ライヴでつくられた音なのか(そして、何を使ってつくられた音なのか)、録音されていた音なのか、判然とせずに観客は戸惑うことになる。ノン・ダンス的に単調・退屈を感じさせる場面も多い中で、ときに5人のダンサーが横一列に並び、激しく踊る場面が挿入され、ドラマトゥルギー上の緊張を生み出している。(5月27日20時)
ダリア・デフロリアン&アントニオ・タリアリーニ『リアリティ』『心配をかけないよう先に行きます』エスパス・ゴー
Daria Deflorian et Antonio Tagliarini, Reality; Ce ne andiamo per non darvi altre preoccupazioni, Espace Go
ダリア・デフロリアン(1959年生まれ)とアントニオ・タリアリーニ(1965年生まれ)は、イタリア現代演劇の新しい世代(ポストドラマ世代といってもよい)の演出家・俳優であり、ローマを拠点として2008年から共同で活動している。『リアリティ』と『心配をかけないよう先に行きます』はいずれも1時間ほどの小品であるが、現代における「持たざる演劇」の成功例として、強い印象を残した。
『リアリティ』は、1943年にゲシュタポに夫を連れ去られて以来、すべてを客観的に記録しようとした、ユダヤ系ポーランド人女性の「物語」である。死んだふりで始める冒頭部分の笑いと対照的に、作品は重くて暗い。『心配をかけないように先に行きます』は、ギリシャにおける金融危機の後、集団自殺を決意する4人の女性(とはいえ、登場する4人の俳優のうち2人は男性である)の物語であり、タイトルは彼女たちの遺書から採られている。
いずれの作品も舞台装置もほとんどなく、映像も用いていない。俳優は登場人物を演じるわけではなく、ドラマ的な再現性はほとんど見られない。三人称の語りによる実験的作品であるが、その形式は主題と内容に合致したものであり、(政府による公的支援に乏しいイタリア現代演劇自体、「持たざる者」の側にあるといえるのかもしれないが)「持たざる者」への共感と連帯に支えられた「持たざる演劇」の今日における可能性を指し示している。(『リアリティ』5月28日16時、『心配をかけないよう先に行きます』5月29日19時)
トラジャル・ハレル『ジャドソン・チャーチはハーレムで鳴っている』モニュマン=ナシオナル稽古場
Trajal Harrell, Judson Church Is Ringing in Harlem, Salle de répétitions (Monument-National)
1973年生まれのトラジャル・ハレルは、ニューヨークを拠点とする振付家・ダンサーである。この作品は『20の外見』(Twenty Looks)のシリーズの一部である。『20の外見』には規模、内容、初演時期の異なる7作品があり、フランスを拠点として活動する振付家・ダンサーであるフランソワ・シェニョー、セシリア・ベンゴレアらとコラボレートした『ミモザ (M)imosa』の成功がとりわけ知られている。本作品にはフランス出身のチボー・ラック、チェコ出身のオンジェイ・ヴィドラルという、ブリュッセルのP.A.R.T.S.出身のダンサー2人とトラジャル・ハレル本人が、3人とも黒のチュニックを身にまといながら、出演している。ときに体を震わせながら踊り、声を振り絞って歌うハレルによる、一種のトランス状態にあるパフォーマンスは圧巻ではあるが、作品としての完成度にはやや疑問が残った。『ミモザ』をはじめとする他の作品と合わせて、連作で評価すべきなのかもしれない。(5月29日21時)