楽曲の構成と趣向が巧みな堂々たる娯楽作「デスノート The Musical」/小山内伸
漫画やアニメを原作とする「2.5次元ミュージカル」が近年、盛んに作られているが、その中でも「デスノート The Musical」(ポリプロ企画制作)の初演は特筆すべきものだろう。原作漫画が発行部数3千部(累計)を超え、映画版も興行的に大成功したメガヒット作である上に、音楽を手掛けたのが『ジキル&ハイド』『スカーレット・ピンパーネル』で知られる国際的な作曲家フランク・ワイルドホーンだからだ。主催者は「世界初演」と謳い、韓国での公演も予定されている。
オリジナルの『DEATH NOTE』(集英社ジャンプ・コミックス)は大場つぐみ・原作、小畑健・漫画。これに対して、ミュージカルのクレジットは、ワイルドホーン音楽のほか、ジャック・マーフィー歌詞、アイヴァン・メンチェル脚本、徐賀世子・翻訳、高橋亜子・訳詞、そして栗山民也・演出、二村周平・美術などとなっている。すなわち、欧米のミュージカルを翻訳上演するのと同じ体制だ。確かによく練られた構成、快調な音楽、水準の高い歌唱と演技を備えた、スケールの大きな舞台に仕上がった。
「デスノート」とは、名前を書きつけられた人間が40秒で死ぬという魔力を持つノート。死神リューク(吉田鋼太郎)が退屈しのぎに人間界に落としたデスノートを拾った秀才高校生の夜神月(やがみ・ライト=浦井健治と柿澤勇人のダブルキャスト、柿澤で観劇)は、正義の実現のために世界中の凶悪犯の名前を書き込み、次々と殺害する。
その裁きの主はいつしか「キラ」と呼ばれ、人々は「キラ」を救世主とあがめる一方で、日本警察やインターポール、FBIが謎の大量殺人犯として捜査に乗り出す。日本における捜査本部のトップは、奇しくもライトの父・総一郎(鹿賀丈史)であった。総一郎は、天才的な探偵L(エル=小池徹平)に捜査協力を求め、かくしてライトとLとの頭脳戦が繰り広げられる。その傍ら、2冊目のデスノートを拾ったモデル兼歌手・海砂(ミサ=唯月ふうか)の「キラ」=ライトへの一途な愛が物語に転機をもたらす。
この非現実的な物語は、人間が神に成り代わって人間を裁くことの是非を問うと共に、魔力を得てしまった人間の末路をスリリングに描いている。その意味で、ワイルドホーンが作曲した、二重人格者の怪物ぶりと悲哀を描いた『ジキル&ハイド』と似通う点が多い。だが、現代的な「神」に成り上がったライトにジキルの切実さはなく、共感を得るのは難しい。
しかしながら、この作品の面白さはライトとLとの鋭い知恵比べと、死神も含めた個性的な登場人物の活躍にある。従って、コミックスで全12巻もある長大なストーリーをどうダイジェストするかに成否がかかっている。
その点、すでに映画版などの参考ヴァージョンがあるせいかもしれないが、ダイジェストは的確と言ってよい。さらにミュージカルの場合、ストーリーのどこをどう歌に凝縮して誰に歌わせるかといった構成が肝要だが、そこはかなりうまく出来ている。
1幕冒頭、高校の教室で「正義はどこに」というナンバーを、法の万能性に疑念を抱くライトと高校生らが歌い、正義とは何かを問う。物語のテーマとなる歌で、1幕ラスト、2幕冒頭、ライトとミサが出会う2幕半ばの要所で、街の群衆らが歌詞を変えてリプリーズする。ただし〈キラこそ正義〉の歌詞は反語的にも響く。これは、『ジキル&ハイド』における「ファサード」に相当する歌で、状況の深刻化と主題のアイロニー性を群衆に語らせている。ただし、できれば「ファサード」のように耳に粘りつくような執拗なメロディラインが欲しい。
2曲目に死神ふたりのデュエット曲「哀れな人間」を持ってきたのは、超常的な世界を舞台に導入する上で効果的だ。ライトに憑いたリュークと、いずれミサに憑くレム(濱田めぐみ)の対称性もここで明らかになり、リュークは人間を喜劇の目で眺め、レムは悲劇としてとらえる。このことは結末への伏線となる。
デスノートの力を知ったライトが歌う「デスノート」は表題曲らしい溌剌とした勢いと力感に富む。のちに二度、短くリプリーズするが、その際にもフルで聴きたいと思わせる好ナンバーだ。
一方、死神リュークは、「キラ」を救世主とあがめる人間に呆れるナンバー「キラ」を歌い、状況を揶揄する視点を導き入れる。次いで、コンサートでのミサの歌「恋する覚悟」が披露され、冷酷な物語にポップな感覚を持ち込むと共に、ミサのアイドル性と意思の強さを紹介している。
出色なのがライトの妹・粧裕(サユ=前島亜美)が歌う「私のヒーロー」で、清涼感あふれるメロディアスなナンバーだ。サユは、優しくて強い兄ライトこそが〈理想のヒーロー〉だと敬慕を込め、連続殺人に手を染めるライトには耳が痛いことを歌い上げる。サユは原作では端役だが、彼女をうまく活用してシニカルな構図を提示した。
1幕ではストーリーを立ち上げながら登場人物のキャラクターを手際よく紹介し、総一郎が歌う「一線を越えるな」など歌詞にも二重の意味を帯びさせていて、場面と歌の作り方が巧みだと感じた。
2幕では、「第二のキラ」となったミサと彼女に憑いた死神レムの比重が高くなる。レムは、ご法度と知りながらミサを本気で愛してしまう。やがてレムとミサが無償の愛に走る行方を二人の最初のデュエット「残酷な夢」が予見する。
ミサが歌の新曲のレコーディングで歌う「秘密のメッセージ」もメロディアス。歌詞に、キラ=ライトに宛てたメッセージを込めて、物語を動かす趣向が面白い(この場面は原作にはない)。
一方、ライトとエルが直接対決するのは、共に入学した大学構内でのテニスの試合。二人は勝負をしながら「ヤツの中へ」で駆け引きのデュエットをする。テニスをしながらの対決デュエットも面白い趣向だが、これは残念ながら『テニスの王子様』の先例がある。
この後、ミサは「第二のキラ」容疑で逮捕され、板に縛り付けられて尋問される。しかしミサは証言を拒み、「命の価値」を歌う。〈命の価値はどれだけ愛したかで決まるのよ〉と唯月が熱唱した。一方、レムも「愚かな恋」でミサを悲しく思いやる。このあたりが深い情感を醸し出す。
手際のよい1幕から、深みを帯びた2幕へと、歌の作り方に感心して見ていたが、結末があっけない。原作で描かれた錯綜した展開、逆転に次ぐ逆転劇は舞台化が困難であるにしても、どんでん返しの一つもあったら、なおよかった。
主人公ライトに扮する柿澤は、ミュージカル『スリル・ミー』(2011年日本初演、栗山演出)でニーチェの超人思想にかぶれた若き殺人者を演じており、その経験を生かして悪魔的な確信犯を勇壮に演じてみせた。高音が多い楽曲も歌いこなし、歌に勢いがある。
対するエルは立膝で椅子に座り、いつもスイーツを食べている風変わりな若者だが、小池がこの役によく似合っていた。鋭さと脱力が共存する演技で、甘い声もそれらしかった。
ミサは原作漫画では天然ボケと熱烈さをまとっているが、唯月のミサはコミカル色が薄く、けなげなキャラクターを造形した。その代わりに、吉田鋼太郎の扮する死神リュークが皮肉な突っ込みと自在な演技で喜劇性をもたらし、会場を沸かせた。これが舞台と客席をつなぐ作用を果たし、吉田の功績は大きい。濱田は相変わらず高い歌唱力を示し、とりわけ思いやりの深さを込めた「愚かな恋」に聴き応えがあった。
舞台運びはスピーディーで、多彩なプロットと人物を織り込みながら上演時間は2時間25分。栗山の演出は、「死までの40秒」を利用して秒読みの音を刻ませ、緊迫したシーンを作り上げた。退屈な日常の中でゲーム感覚が横行する現代の様相をも投影しているようだが、あまり深刻ぶらずに堂々たる娯楽作に徹したのが好ましい。
(2015年4月6日〜29日、東京・日生劇場。5月15〜17日、大阪・梅田芸術劇場メインホール。5月23〜24日、愛知芸術劇場大ホール。4月8日観劇)