富山市民文化事業団『ショウ・ボート』 © 検見崎誠
富山市民文化事業団『ショウ・ボート』© 検見崎誠

 ミュージカルの歴史で、最初のモニュメンタルな作品として知られる、オスカー・ハンマーシュタイン脚本・作詞、ジェローム・カーン作曲の「ショウ・ボート」の本格的な日本初演が3月12日から15日まで、富山市の富山駅前にある、最大収容数2200名のオーバード・ホール(富山市民文化事業団の企画制作、芸術監督 奈木隆)で行われた。

 この作品は1927年の11月5日のワシントンから始まったトライアウトは4時間を超えるものだったが、12月27日、ニューヨークの新ジークフェルト劇場の初日では3時間に短縮され、577回上演のロングランを達成した。今回の上演はその後のリヴァイヴァルや映画化作品などを検討して作られた、1994年のハロルド・プリンス演出のブロードウェイ上演版によるものである(因みに私はこのヴァージョンによるロンドン公演を見ていて、かの有名な「オール・マン・リバー」が、ドラマの展開と緊密な通奏低音として、舞台の上で歌われるのを初めて聞いた時の感銘は忘れられない)。

 ミシシッピ川の沿岸で公演するショウ・ボート「コットン・ブロッサム」号とシカゴとを舞台に1887年から1927年までの40年の物語が展開する。ジュリー(剣幸)とスティーブ(川井康弘)の夫婦は一座の花形カップルだったが、ジュリーに横恋慕する機関士の密告で、ジュリーに一部黒人の血が流れているために、当時ミシシッピでは禁じられていた異人種通婚の罪に問われて船を去らねばならなくなる。この人種差別という社会問題を持ち込んだのがこの作品の最も画期的な点の一つであった。この騒動の前に、「愛さずにはいられない」というナンバーが、ジュリーを中心にして、黒人の料理人クィーニー(田中利花)や夫の港湾労働者ジョー(長谷川大祐)らも一体になって歌い踊るが、この歌が、実は黒人の間でしか歌われないものであったということが判る。ジュリーの出自と社会相とが見事に溶け合ったナンバーで、出演者たちの弾けるような舞台が、物語の急変をクッキリと描いて、この作品の構造をまず印象付けた。

 看板のカップルを失って窮地に陥った船長(浜畑賢吉)は、脇役の喜劇女優エリー(北村岳子)と恋人の悪役フランク(本間憲一)を差し置いて、妻のパーシー(末次美紗緒)の反対を押し切って、かねて才能を見込んでいた娘のマグノリア(土居裕子)と、彼女がたまたま知り合ったばかりのハンサムなギャンブラーのゲイロード(岡幸二郎)とを、即席の後釜に仕立てて急場をしのぐ。見事本物の看板俳優に成長した二人は結婚してキムという娘まで出来る。この二人が、開幕早々、船上と埠頭とに別れて歌い始めるデュエット「メイク・ビリーブ」はそれとなく芽生え始めた愛の感情を表現したものだが、先ずその歌唱力の質の高さに驚いた。岡の伸びやかなテノールの確かさと土居の繊細なソプラノの表現とで、この舞台の期待を一気に高めた。ステファン・ソンドハイムは、「オスカーがしたことは、ヨーロッパのオペレッタとアメリカのミュージカル・コメディの伝統とを結婚させたことだ」と語っているが、この二人の歌唱は、まさにその試みの効果を最も発揮させるものと言ってよいだろう。

 自分の才覚で生活したいという夫の夢から、二人は船を離れキムを連れてシカゴに移る。豪華な生活を楽しみ、高額な修道院の寄宿舎学校にキムを入れるが、やがてゲイロードは運に見放されマグノリアを捨てる。そんな折、シカゴの有名ナイトクラブのトロカデロで働くことになったエリーとフランクの斡旋で職を得る。しかし、それには、ここで働いていたジュリーが、それとなく身を引いて、彼女の地位を譲るという人知れぬ犠牲があった。彼女は今では、酒と煙草に身を持ち崩しているが、ここで、明日の舞台の稽古として、ジュリーがしぶしぶ歌う「ビル」は、その名の何のとりえもない男を愛する感情を、自堕落なかにどこか純情を潜ませたもので、剣の何気ない歌いぶりに情感が満ち溢れていた。

富山市民文化事業団『ショウ・ボート』 © 検見崎誠
富山市民文化事業団『ショウ・ボート』 © 検見崎誠

 マグノリアのオーディションの歌「愛さずにはいられない」を聴いて、彼女はトロカデロを去る決心をするのだが、ここでも一つの歌が見事にプロットと結びついている。先にも引いたソンドハイムは、作曲者のカーンが、オスカーの試みを知って興味を持ったこととして、もう一点、「登場人物ついてのちょっとした物語を語る」ということがあった、とも述べている。「ちょっとした(some kind of)」は言葉の彩でかなり力を入れての試みだったのであろう。このあと剣の演ずるジュリーは、舞台下手の階段を上り最後に観客に背中を見せて去るのだが、この背中にまさに「ちょっとした物語」が滲み出ていて、いうところのショー・ストッパーの感があった。マグノリアが恐る恐る歌いはじめ、結局、トロカデロの客全員が一体になって歌う「舞踏会のあとで」は、その題名が示す如く、また大晦日という設定もあって、ノスタルジックなオペレッタの風情の横溢したものだった。(ノスタルジックと言えば、この作品の原作の同名の小説を書いた、エドナ・ファーバーが25年に実際に取材した時にはすでにショウ・ボートは数隻になっていて消えゆく運命にあったという。とすれば、全てが流れて行くという「オール・マン・リバー」は、個人の人生を歌ったものだけではないということになる)。  マグノリアは成功の階段を上り詰め、娘も成長してブロードウェイの花形になる。終幕、キム(麻尋えりか)のショウ・ボートへの凱旋を迎える騒ぎの中で、船長が呼び寄せたゲイロードとマグノリアは長い年月を経て再会する。このシーンには一人の老女が現れて、二人が結婚した時のことを覚えていると語りかけるが、この老女を剣が演じている。もとよりこれは別の人物であるが、他ならぬジュリーの運命を思い起こさせる機能を発揮して、思わぬ効果を挙げている。

 思い切った意訳でわかりやすい歌詞になっている翻訳・訳詞の高橋知伽江の功績をまず挙げたい。舞台での何よりの見ものは、縦横に動く立体的なショウ・ボートであり、20に及ぶ場面を一つ一つ雰囲気のあるシーンに作り上げた美術の丁寧さで、それによって過ぎ去ってゆく40年の年月が浮かび上がる。舞台美術は土屋茂昭。プロ俳優に混じって地元富山のアマチュアも加わった50人に及ぶアンサンブルをまとめ上げた演出・振付のロジャー・カステヤーノの手腕は手堅い職人技である。同様と思われる30人ほどのオーケストラはシンフォニックな響きを利かせよく歌についてオペレッタ風の音色を生み出していた。指揮は若林裕治。音楽監督は八幡茂。

 要するに、音楽的には現在望みうる最高のキャストでの上演と言って良く、十分にその点では効果を挙げた立派な舞台であった。その上で言えば、一人一人の登場人物に、もう少し年月の経過の醸し出す陰影が加われば、舞台の感銘はさらに深まったと思われる。より広くこの優れた舞台が届けられるように、ぜひ再演を期待したい。

付記:初演の経緯やステファン・ソンドハイムの言説は、参考にした「ショウ・ボート」の初演台本が収録されている
American Musicals 1927—1949 : the complete books and lyrics of eight Broadway Classics ; Laurence Maslon editor Library of America 2014
に拠った。