『タイタニック』より 「諍い」を三重唱する(左から)鈴木綜馬の船主イスメイ、加藤和樹の設計士アンドリュース、光枝明彦のスミス船長。宮川舞子氏撮影。
『タイタニック』より 「諍い」を三重唱する(左から)鈴木綜馬の船主イスメイ、加藤和樹の設計士アンドリュース、光枝明彦のスミス船長。宮川舞子氏撮影。

 初航海で沈没し、1500人余の犠牲者を出した豪華客船「タイタニック号」の悲劇をつづるミュージカル『タイタニック』(モーリー・イェストン作詞・作曲、ピーター・ストーン脚本)が新演出で上演された。1997年に米ブロードウェイで初演され、トニー賞最優秀作品賞に輝いた作品。そのオリジナル版に基づいて2007年には日本初演が行われている。今回の上演は、2013年にロンドンで上演されたトム・サザーランド演出版で、粒よりの歌唱により極限状況における人間ドラマを鮮烈に描き上げた。

 英国からニューヨークへ航行する「タイタニック号」には、さまざまな人々が乗り合わせている。上流階級が贅沢な時間を過ごす一等客室。富裕層へのあこがれなど、階級の狭間で揺れる二等客室。アメリカに渡って夢をかなえたい移民がひしめく三等客室。それぞれの階級ならではの多彩な人物の生き方や価値観が具体的につづられる。

 序列は客室ばかりではない。船主をトップに、船長、一等航海士、二等航海士、三等航海士、見張り係、通信士、客室係、機関士らが立ち働き、規則は厳格だ。これに船の設計士も加わり、事故に至る経緯を彩る。

 豪華客船の沈没を描く枠組みの中で、さまざまな階層や職業、人生観や夢を浮き彫りにする、すぐれて多様性に富んだ群像劇なのだ。豪華客船は社会の縮図であるとのコンセプトはオリジナル版からあるが、トム・サザーランドの演出は、階級と職務、主な乗客一人ひとりの個性をくっきりと明快にテンポよく描いている。

 新演出の端的な例は、未曽有の沈没事故を審議する裁判の場面を冒頭に置いたことで、責任を問われた船主イスメイ(鈴木綜馬)は人々の糾弾にさらされている。「世界最大の可動物」を製造した技術を誇る1曲目「いつの世も」は、オリジナル版では船の設計士アンドリュースが歌ったが、これを船主に歌わせた。それによって人災の観点を導入するとともに、新技術の矜持と無残な結末との落差が際立った。

 当時の大西洋横断船はスピード競争に明け暮れており、傲慢な船主はスミス船長(光枝明彦)に対してスピード・アップを再三要求する。船長はこれを苦々しく思いながら、速度を上げてゆく。さらに船長は、通信士が伝えた氷山の情報を軽視した。こうした事情が相まって、船は氷山に接触し、大惨事を招く。後半、船主と船長と設計士(加藤和樹)が互いに責任をなすりつけ合う三重唱「諍い」に迫力がある。

 また、下働きの現場も描かれる。機関士(ボイラー係)のバレット(藤岡正明)は、「バレットの歌」で劣悪な労働環境を歌い上げる。日本初演版でバレットを演じた岡幸二郎の歌も力強さがあったが、藤岡の歌には怒りがみなぎり、歌唱に長足の進歩がみられた。のちにバレットが無線室を訪れ、恋人に宛てた手紙の打電をシャイな通信士(上口耕平)に頼むシーンも微笑ましい。ここでバレットが歌う「プロポーズ」は、無線の電文のかたちでラブソングを表現する趣向が面白い。

 一方、客室にもドラマがある。例えば二等客室のビーン夫妻。金物商の夫エドガー(栗原英雄)が分相応の暮らしに満足をしているのに対して、妻のアリス(シルビア・グラブ)は上流社会へのあこがれを募らせ、一等船室のダンス・パーティーに紛れ込む。それを見咎めた夫は「人間に上下はない」と諭す。夫婦の二重唱「踊ったのよ」が両義的。

 また、婚約中のチャールズ(佐藤隆紀)とキャロライン(未来優希)。上流階級のキャロラインは、八百屋の息子であるチャールズとの結婚を父親に反対されたため、駆け落ちの旅に出たのだ。キャロラインは「やっと二等客になれたわ」と皮肉まじりに言い、チャールズはアメリカでジャーナリストになる野望を抱いている。ここに階級移動がある。二人がデュエットする「この手をあなたに」はオリジナル版にはなく、新演出で加えられたナンバーで、階級を超えた二人の愛が伝わる。

 三等客室では、偶然にも「ケイト」の名を持つアイルランド人の娘3人が知り合い、新天地での夢の生活を語る。ケイト・マクゴーワン(則松亜海)らが他の乗客を交えて歌う合唱曲「なりたい メイドに」がメロディアスな佳曲。日本初演版ではメロディーのよさが十分に引き出されていなかったが、今回の歌唱はコーラスを含め充実している。アメリカへのナイーブなあこがれではなく、たくましい野心をはつらつと歌い上げた。ここでは子を身ごもっているケイトとジム(古川雄大)の間に恋も芽生える。

『タイタニック』より 「なりたい メイドに」が歌われる三等客室。右端が則松亜海のケイト、左端が古川雄大のジム。宮川舞子氏撮影。
『タイタニック』より 「なりたい メイドに」が歌われる三等客室。右端が則松亜海のケイト、左端が古川雄大のジム。宮川舞子氏撮影。

 悲劇はさりげなく訪れる。見張り係のフリート(入野自由)は「月無夜」で視界の悪さを静かに歌い、優雅なナイトタイムの会場では歌手が叙情的なナンバー「秋」を披露している。唐突に氷山が現れ、一等航海士マードック(津田英佑)は「面舵いっぱい」の指示を出すが、船は氷山に接触する。その衝撃の迫力は背筋をゾクリとさせる。

 浸水で沈没が確実になるものの、救命ボートの数が圧倒的に足りない。およそ半数が助からないとわかってからは、ぬけぬけとボートに乗り込んだ船主を別にすれば、人々は立派な行動を取る。女性と子供が優先的に救命ボートに誘導されるが、一等客室のアイダ(安寿ミラ)は夫のイシドール(佐山陽規)を置いて避難するのを拒み、共に船室に残る。夫妻が長年の愛を噛みしめるように歌う「今でも」がしみじみとした情感を醸し出す。

『タイタニック』より 沈没を前に「今でも」をデュエットする安寿ミラのアイダと佐山陽規のイシドール。宮川舞子氏撮影。
『タイタニック』より 沈没を前に「今でも」をデュエットする安寿ミラのアイダと佐山陽規のイシドール。宮川舞子氏撮影。

 バレットは漕ぎ手としてボートに乗るよう促されるが、三等客ジムにその座を譲り(よってジムとケイトのカップル、そしてお腹の子は生き残る)、「プロポーズ」を反復して陸で待つ恋人に別れを告げる。正義感の強い一等航海士マードックは、とっさの判断はミスだったと自らを責める。客室係エッチス(戸井勝海)が給仕の手を休めなかったほか、乗務員は最後まで職務をまっとうした。一方、設計士アンドリュースは設計のミスに気付いて狂気の再設計を始め、危機が迫る切迫感を象徴する。

 救命ボートが船を離れる際の別れの合唱「また明日、きっと」が感銘深い。この時に、ボートの乗客は劇場の客席に退出し、舞台=船に残った人々に後光が差すようなライトが当たる。終盤では人間の気高さを感じさせる場面と歌が輝きを放った。

 フィナーレでは、生存者たちが悲劇を悼み、出航前に歌われた「いつの世も」と主題歌「征(い)け、タイタニック」を勇壮にリプリーズする。この2曲をつなぐ間奏が美しい。深い悲しみを経た先に灯る希望を感じさせる幕切れだった。

 イェストンの音楽は流麗で、かつ交響曲のように重厚。今回は小編成の楽器で演奏したが、編曲(イアン・ワインバーガー)の工夫で不足を感じさせなかった。これだけ多くの人物に持ち歌を与えた構成に、集合体としての被災者ではなく、一人ひとりのドラマを刻もうとした思いが反映されている。

 船主を演じた鈴木を始め、歌はみなうまいが、とりわけ合唱にメリハリが効いていて群像劇をドラマティックにしている。また、歌詞が明瞭に聴こえ、6拍子における二連符を丁寧に歌うなど、歌唱が行き届いているのが優れた点の一つだ。(市川洋二郎・翻訳・訳詞・ヴォーカルスーパーバイザー、金子浩介・音楽監督)

 カーテンコールで、多数の死者の名を刻んだ巨大なパネルが降りてきたのも感動的だった。

(2015年3月14〜29日、東京・シアターコクーン。4月1〜5日、大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)