築地小劇場が開場して今年(2014年)で90年。「日本の演劇は、まだまだ若い。」(189頁)

平田オリザ『演劇のことば』(岩波現代文庫)
平田オリザ『演劇のことば』(岩波現代文庫)
 平田オリザが本書(『演劇のことば』岩波書店 2004・11 → 岩波現代文庫 2014・6)で目指そうとしているのは日本近代演劇史をたどりながら、なぜ「演劇」というジャンルがわが国の〈正史〉として記述され得なかったのか、ということである。本書の冒頭で平田は「どうして演劇は暑苦しいのだろう。」(8頁)という非常に素朴な疑問を投げかけている。その回答の一つとして演劇が公教育に「演劇」の占める位置がないことを挙げている。わかりやすく言えば国立の芸術大学の筆頭である東京芸術大学に演劇科が存在しないこと、つまりは国家を基盤とする公教育の中で「演劇」なるものが周縁に追いやられるどころか存在すらしないことに大きな原因があるとする。平田はその過程を明治維新以後の官費留学生の中に一人も演劇人が含まれなかったことを挙げ、そもそも日本の近代化の中で「演劇」なるものが抹殺されていった過程を明らかにする。だから現在の公教育において「演劇」の受け皿はなく、音楽や美術を志すものがプロフェッショナルになれなくても教師という道が残されているのに対して「演劇」には何も存在しない。それゆえに「演劇を志し、それを続けることは、一種の大きな冒険であり、冒険であるからには、必ずそこにヒロイズム、自己陶酔がつきまとう。だから演劇は熱くなる。そして、その部外の者からは、「暑苦しく」なる。」(81頁)というのである。

 このような理論的な「暑苦しさ」の帰結を導き出す平田の演劇史観は本書を読む限り極めて平明だ。川上音二郎・貞奴の「書生芝居」(21頁)に始まり坪内逍遙の文芸協会設立(1906年)、二代目市川左団次と小山内薫の自由劇場設立(1908年)。そののちの築地小劇場の設立(1924年)に日本近代演劇の確立を認める。それとほぼ同時期に登場した岸田國士の台詞(科白)=「劇的文体」(89頁)に演劇のことばの革命を指摘する。以後、プロレタリア演劇の展開(1930年代)、戦後の新劇界の復興(1945〜)、アングラ演劇と小劇場運動(1970〜80年代)、そして1990年代の演劇へといささか駆け足ではあるが当時のトピックを織り交ぜながら要領よくまとめ上げていく。
 ここでユニークなのはそのようなスタンダードとも言える日本近代演劇史に平田オリザの家の歴史が絡んでくることだ。祖父平田内蔵吉、大叔父の平田晋策が中心的な人物となるが彼らが日本近代演劇史とほんの少しだけ関わり合いながら展開していく様は一市井人が大きな歴史と交差していくようで大変スリリングである。特に平田晋策は1930年代に流行作家となり日本近代文学史にもその名を残している。平田オリザ一家の歴史と大文字の歴史が重なり合いながら紡ぎ出される本書の歴史観はミクロとマクロが交錯するダイナミックな視点である。
 また本書のタイトルともなっている「演劇のことば」という側面から日本近代演劇史を考えていったときに、平田はその到達点を三島由紀夫と井上ひさしに確認している(この見解は本書でも述べられているように1994年の『シアターアーツ』創刊号のアンケート「演劇評論家が選ぶ〈ベスト20〉 戦後戯曲の50年1945〜1994」が基になっている)。三島は西洋近代演劇の翻訳言語を突き詰めた点において。井上ひさしはそれまでの創作戯曲と明らかに異なる音楽劇の要素を持ち込んだ点において。さらに近年では野田秀樹の新作歌舞伎の発表なども新たな「国民演劇」の成果として平田は考えている。

 このような日本演劇史観の中に平田オリザその人の演劇史を重ねてみたくなるのは本書の読者の当然の欲望だろう。1990年代に静かな演劇の旗手として登場した平田は1995年『東京ノート』で岸田國士戯曲賞を受賞し以後の演劇シーンを牽引していったことは周知の事実である。平田オリザ『現代口語演劇のために』(晩聲社 1995・3)はこの時期の平田の演劇理論を丁寧かつ簡潔にまとめた作品である。『演劇のことば』が日本近代演劇史から平田自身の方法論を歴史的に位置づけようとしたのに対して、『現代口語演劇のために』は実作者・演出家という立場からそれが書かれた理論書である。この二つの作品には約10年の隔たりがあるが、二つを読み比べると平田の今後のねらいが読み取れるようで面白い。例えば平田の作品で近年話題となったアンドロイド版の演劇などは平田自身が展開するどのような理論で裏付けされ、そして日本近代演劇史の中に位置づけられていくのだろうか。今後の平田オリザの展開を検証しながら本書を読み返すのもよいだろう。