いびつさと構成力──桑原裕子『痕跡』の方法 ── 嶋田直哉
円形のがらんとした舞台。その周囲には白いベンチのようなオブジェが配置され、さらに外側には様々な漂着物が流れ着いたガラクタが置かれている。そのためか何も存在しない黒一面の舞台からは混沌とした雰囲気が流れている。そう、桑原裕子『痕跡(あとあと)』(8月10日〜17日@青山円形劇場/20日〜21日@北九州芸術劇場小劇場)はそのタイトルが示すように登場人物たちの絡み合う記憶の〈跡〉とそれが結果的にではあれ他人に残していく〈痕〉が混沌の中に交差していく様を描いた舞台なのだ。
10年前の嵐の夜──交通事故に巻き込まれ、それ以降ずっと行方不明になってしまった息子を捜してきた母親(斉藤とも子)。ガンに冒され余命半年であることを知るとフリーカメラマン(成清正紀)と義妹(高山奈央子)とともに息子の捜索を再開する。
しかしこの作品の魅力は息子の居場所を突き止める謎解きにあるのではない。多くのエピソードが絡み合うように構成され、それらがパズルのように当てはまりながら、大きな物語へと収斂していく作劇法にこそ本作の魅力がある。この方法は『往転―オウテン』(2011年11月7日〜20日@シアタートラム)でも試みられ、さらに前作『彼の地』(2014年2月18日〜23日@北九州芸術劇場小劇場/3月7日〜9日@あうるすぽっと)でも桑原裕子が試みた方法だが、本作は時間軸を取り入れたためにより一層複雑な構造となっている。が、それをさばく手つきが何とも印象的だ。
パズルのピースを形成するエピソードの語り方も、例えば冒頭で物語の発端となる交通事故を目撃者(若狭勝也)の証言という回想体で提示し、時間の経過、人の記憶という〈跡〉を明確に徴づける。その他複数の人物の証言によって記憶=〈跡〉は回想され、物語の大きな流れを作っていく。
この流れに様々な人物が絡んでくる。どことなくユーモラスな感じが印象的なクリーニング屋の社長(辰巳智秋)、そこで働く妹メイ(桑原裕子)には内縁の夫竹夫(松村武)がおり、二人の間には戸籍を届け出ていない息子瞬(小田直輝)がいる。一見どこにでもある普通の家庭ながら、内実はぎくしゃくした関係であることがわかる。
このようなクリーニング屋の場面に対置するように韓国料理屋の場面がほどよいアクセントを放っている。クリーニング屋の社長はこの店に出入りし、そこのマスター(大神拓哉)と軽妙な会話を交わしながら山田花子(多田香織)とラーラ(ヨウラマキ)の二人のホステスたちと陽気に過ごす。しかしラーラの偽装結婚や彼女の悲惨な結末など、ここでもまた人間関係は不安定だ。
二つの場面で不安定な人間関係を重ね合わせ、そのアンバランスさを強調しながら、しかし物語はともに欠落した人間関係を抱える若い二人――瞬と山田花子が心を寄せあうことで不思議なバランス感覚を取り戻し始める。ちょうどその頃、メイと竹夫の会話から瞬が「事実上の息子」であったこともわかってくる。つまり作品の冒頭、余命短い母親が捜していた息子がこの瞬に他ならないことが次第に明らかになっていく。作品の謎解きはあっけなく終わってしまうのだが、この作品のみどころは最後に竹夫が全てを回想して語り始める場面だろう。瞬がどのように自分の「事実上の息子」になっていったのか。かなりの長台詞を決める松村武の熱演はこれまでの記憶=〈跡〉とそれによって竹夫自身が心に引き受けた〈痕〉を表現する場面であるがゆえに観る者の胸を打つ。
行方不明の息子を捜す母親、うわべだけの家族関係、偽装結婚……。この作品がこのような関係性の欠落を強調しながらも物語に破綻が出ないのはそれぞれのエピソードがその欠落部分を補填していく構造になっているからに他ならない。むしろその構成力にこそこの作品の眼目がある。息子を捜す母親という設定だけでファミリー・ロマンスを軸に展開しようと思えばいかようにも泣かせるドラマは作れるはずだ。しかし桑原裕子がとった方法はあくまで構成力にこだわる方法であった。だから10年ぶりに感動の再会を果たすはずの母親と息子は舞台上でほんの少しすれ違うだけだし、結局は息子との再会がかなわなかった母親はその後、諦めの気持ちもあってか舞台上でひたすら自転車をこぎ続ける。欠落した人間関係ばかりが提示される舞台上は実際何も解決されはしないのだが、見終った後には不思議な充足感がある。
舞台装置はクリーニング屋の作業場が見事。絶えず作業をする場面が死角なく見渡すことができる。また数多い場面転換もスムーズでクリーニング屋の作業台がそのまま韓国料理屋のテーブルに早変わりするなどむだがない。青山円形劇場の舞台を意識しながら、北九州芸術劇場の舞台機構を上手に使った桑原裕子の手腕が冴える場面だ。
役者は母親役の斉藤とも子が切々とした役作りで印象的。ホステス山田花子役の多田香織、瞬役の小田直輝は若さがあふれており瑞々しい。まさに台詞にもあったように「ボニーとクライド」だ。このような魅力的な俳優に囲まれて桑原裕子の作品はひときわ輝く。人間関係のいびつさを構成力を持って描き出すこと。『痕跡』で試みられたこのような方法が今後どのように展開していくのか見守っていきたいと思う。
(2014年8月21日マチネ公演 北九州芸術劇場小劇場)