ベルリン演劇祭(テアタートレッフェン) と ドイツ語圏演劇の現在 /谷川チーム報告
ベルリン演劇祭(テアタートレッフェン)TT2015
と ドイツ語圏演劇の現在
〜演劇の可能性を拓く〜
谷川チーム報告
井上百子 川崎陽子 關 智子 谷川道子 庭山由佳 丸山達也 山口侑紀
(50音順)
目次
まえがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷川道子
ベルリン演劇祭のベルリン・ドイツ語圏での現在の位置づけ・意味合い ・・庭山由佳
採りあげられる作品のリスト
執筆者一覧
(Ⅰ) 演劇を通して難民問題を考える
『庇護にゆだねられた者たち』 イェリネク、シュテーマン/ハンブルク・タリア劇場
1)執筆背景とテクスト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・井上百子
2)上演背景と受容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・庭山由佳
(Ⅱ) 共有することの不/可能
『コモン・グラウンド』 ローネン/ベルリン・マキシム・ゴーリキー劇場・・關 智子
(Ⅲ) テクスト/原作 と パフォーマンス/舞台化の拮抗関係
1)ウィーン・ブルク劇場の新作戯曲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸山達也
『未婚の女』 パルメツホーファー、ボルクマン/ウィーン・ブルク劇場
『バカバカしい闇』 ロッツ、パリシェク/ウィーン・ブルク劇場
2) 1895年から「大還暦」を迎えて、2つの上演が見せた分岐点・・・・・山口侑紀
『何故R氏は発作的に人を殺したか?』
ファスビンダー、フェングラー、ケネディ/ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場
『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』 イプセン、ヘンケル/ハンブルク・シャウシュピールハウス
(Ⅳ) もうひとつの演劇の模索――HAUとフリーシーンの演劇
1)開かれた思考の実践の場のために――HAUの試み・・・・・・・・・・・川崎陽子
『ヨーロッパ:お宅訪問』 リミニ・プロトコル/ヘッベル・アム・ウーファ、 他
2)演劇/劇場を解剖する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・井上百子
『わたしたちのうちの何人かは──教育劇』 She She Pop/シャウシュピール・シュトゥットガルト
(Ⅴ) 原点DNAあるいはゼロ地点への回帰?――『バール』と『ゴドー』・・谷川道子
『バール』 ブレヒト、カストルフ/ミュンヘン・レジデンツ劇場
『ゴドーを待ちながら』 ベケット、パンテレーエフ/ルール演劇祭レクリングハウゼン、ベルリン・ドイツ座
あとがきに代えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷川道子
まえがき
谷川道子
演劇は観なければ始まらない、語れない。だからドイツ演劇研究者としては3年毎くらいにテーマを決めて、観劇旅の努力は重ねてきた。
ドイツ演劇年間ベスト10のエッセンスをまとめて観られるのが「テアタートレッフェン(Theatertreffen)」(通称「ベルリン演劇祭」、以下TT)。ベルリンの壁建設を受けて、演劇でその壁を乗り越えようと1964年に始まって、今年が52回目だ(2013年50周年には大部の記念記録誌が刊行された)。200近い公共劇場を中心とする1000近い新演出の中から審査員がその年度のベスト10作を選んでベルリンに招聘し、上演する。終演後には受賞式やアフタートーク。いまや切符は発売開始後3時間で売り切れると言われ、作品によって観客の世代差はあるが、いつも超満員。5月はマロニエなど花盛りのドイツ美わしの季節とはいえ、勤めの身ではなかなか出られず、やっと自由の身になって、6年ぶりのTTだった。
2002年:世代交代の時代 ポストドラマへ
1993-95年のウィーン滞在以降でいうと、98年のブレヒト生誕百年祭、2002年のTTとテアター・デア・ヴェルトとラオコーン演劇祭、2006年のブレヒト没後50年祭+ロンドン+エジンバラ演劇祭、そして2009年はヒルデスハイム大学との共同学位のための渡独で、その相手のシュナイダー教授がドイツ青少年演劇協会ASSITEJの会長だったので、4年に1度の青少年演劇祭「ちょっと待って!(Augenblick Mal!)」( http://augenblickmal.de/)を、大人のTTと交互に観て回った。青少年演劇とはいえかなりの水準と取り組み方で、これも中々に面白かった。
なかでも2002年は、ハンス=ティース・レーマンの『ポストドラマ演劇』の翻訳最終作業もあって、解説を書くためにも、出来得る限り演劇の最前線を確かめたいとまとめての観劇。ドイツ演劇の大きな転換の年で、2001年NY9・11の直後でもあった。
まずはTT2002のベスト10だが、これは一大事件となった。ずっと大御所(クラウス・パイマン、ペーター・ツァデク、ペーター・シュタイン、リュック・ボンディ等々)ばかりの授賞の連続に対し、前年2001年に若手演出家10名(ニコラス・シュテーマン、ルーク・ペルセヴァル、シュテファン・バッハマン、セバスティアン・ニュープリング、トーマス・オスターマイアー、ルネ・ポレシュなど)がフランクフルトTAT劇場で「エクスペリメンタ7」として、自分たちの対抗演劇祭を開催。その影響もあったか、2002年には受賞者メンバーががらりと入れ替わったために、ベルリーナー・アンサンブルで劇場監督のパイマンが対抗して大御所たちによる「本当のTT」を挙行してみせた。そうか、ドイツ演劇界はこんな風に壮絶な本気の「階級闘争」を経て「世代交代」していくのかと、両方の演劇祭を見比べながら、感心感嘆した。
6月末にはライン沿岸4都市で開催された「テアター・デア・ヴェルト(通称:世界演劇祭)」。何せボン、デュッセルドルフ、デュースブルク、ケルンの4都市のあちこちでほぼ同時並行で、40余の作品が上演される。さながら観客は地図を片手にまずは上演場所を探す「演劇オリエンテーリング」だ。上演されるものも、え、これが演劇? と驚かされる。プログラム・ディレクターはベルリン・フォルクスビューネでフランク・カストルフの右腕として活躍していた名プロデューサー、マティアス・リリエンタール。この演劇祭でリミニ・プロトコルやペルセヴァル、ヤン・ローワースといった「ポストドラマ演劇」の現在の一端にも触れて、何とか「解説」が書けた。
そして8月にはハンブルクのカンプナーゲルでの夏の演劇祭「ラオコーン」──これが画期的だったのは、日本の演劇批評家の鴻英良がプログラム・ディレクターを務めたことだろう。3週間にわたってハンブルクの一角に「世界演劇」が集まってくる、「ラオコーン」がもうひとつの世界になる、という感じだった。ピナ・バウシュの老年版『コンタクトホーフ』もサシャ・ヴァルツの『noBody』もチャウドリーの『キッチン・カタ』も、この時に初めて観た。シンポジウムにはレーマンと多和田葉子さんにも参加して貰っていた。
「演劇王国ドイツ」と言われるとはいえ、こんなに数多いのかと思ったほどのこれらの演劇祭や他のオルタナティブ・シーンなどに関しては、拙著『ドイツ現代演劇の構図』(論創社、2005年)でも詳述しているので参照されたい。この時に、壁崩壊/ドイツ再統一後に世界に拓かれたドイツ演劇の現在形の構図の変容は何とか基本的に見て取れたかなと思ったものだ。あの時の世代交代も(たとえばシュテーマンは今年2015年のTT受賞で7度目だという)、「演出演劇」や「ポストドラマ演劇」へのパラダイム転換の流れも(こちらは日本のフェスティバル/トーキョーや京都国際舞台芸術祭でリミニ・プロトコルやShe She Popなどもかなり紹介・受容された)、演劇のパフォーマンス化も、ダンスの変容も……基本的には底流として現在にもつながっているように思える。
ベルリン演劇祭 TT2015
それから13年、今回が最後かと思いつつ、ベルリン演劇祭を中心にベルリン演劇を6年ぶりに覗いたのだが、さて何がどう変わったのか。その間にドイツ演劇最前線から遠ざかって老兵となった私の観劇記だけでは不足だろうし、さて、どうしようと思って考えたのが、たまたまそのときにベルリンやドイツに居合わせた若い世代のまなざしをクロスさせたら面白いのではないか、ということだった。それぞれに演劇批評・研究や日本の演劇界に貢献してくれる未来形の可能性を秘めた若人たちで、私が退職後に始めた演劇私塾の谷川塾のメンバーだったり、演劇学会や演劇研究の若い友人でもある。即、有言実行!
一応その前に、TT 2015全体の構成や報告の構想を。
TT2015は世代が若返っていろんな意味で政治的姿勢が目立つとも言われたが、「ディ・ドイッチェ・ビューネ」誌の区分けによれば、ベスト10は、古典戯曲が3つ、『ゴドーを待ちながら』(ベケット)と『バール』(ブレヒト)に『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』(イプセン)──最後のイプセンは近代古典だろうが、前者2作はもう現代古典か。新作戯曲が、このTT2015直後に開催のミュルハイム劇作家フェスティバルにもノミネートされ、結果的に両方で選ばれた4作品――作家名で、エルフリーデ・イェリネク、ヤエル・ローネン、エーヴァルト・パルメツホーファー、ヴァルフラム・ロッツ。映画に依るもの2作、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『何故R氏は発作的に人を殺したか?』と、デンマーク映画『セレブレーション』。残る一作、ユーデイット・シャランスキイのベストセラー小説に依る『離島の地図』は、トム・ルッツの演出で「多声の放送劇」と銘打った、ベルリン郊外のギムナジウムの3階建ての螺旋階段での音楽会のような舞台化が、ポスト・マルターラー的と評された。
公共劇場主体なので都市で言うと、ハンブルクとウィーンとベルリンとミュンヘンが各2作品で、ハノーファーとシュトゥットガルトが各1作品。大都市中心ではないかとも問題提起されたが、むしろこのところ毎年のように選ばれていたShe She Popやリミニ・プロトコルのような民間劇団(フリーシーン)が選ばれなかったことが、逆に話題になった。なぜ、She She Popの『春の祭典』が落ちたのかとか──。
ベスト10上演以外にもTT にはたくさんの枠プログラムがあるのだが、たとえば、戯曲マーケットという新作戯曲の紹介と審査に、世界中の若い演劇人を招いての合宿国際フォーラム。特記すべきは今回のライナー・ヴェルナー・ファスビンダーへのフォーカス特集か。それにも展覧会、映画の舞台化、映画上映会、シンポ、ワークショップなど、たくさんの随伴行事があって、なるほどファスビンダーの生誕70年は戦後70年とも重なるかとも納得。もうひとつが、TT からの2つの問題提起。それぞれイェリネクとローネンの新作とも関連しつつ、一つは難民問題、もうひとつが広義のポストコロニアリズムの通奏テーマ。いずれももっか焦眉のテーマだ。他にも多くの関連フォーラムや討論会などが並行。終演後には毎回「My Right Is Your Right」という、難民の人権擁護運動(https://myrightisyourright.de)に賛同する意を示すマニフェストが読み上げられた。また、TT 審査員に作家,演出家、俳優スタッフが集っての公演後のアフタートークも、TT ファイナルの審査員討論なども、いつも満員で面白い。若い頃はそういうものもすべて追いかけていたが、今回は全体の俯瞰はとても無理。若手の力を借りてのチーム報告にした理由でもある。
そういったことを受けて、全体として5部構成にしてみた。
(Ⅰ) 緊急の難民問題を扱ってオープニングを飾ったイェリネク作『庇護にゆだねられた者たち』のシュテーマン演出の問題提起性。
(Ⅱ) ユーゴスラビア内戦をテーマとして俳優たち自身の体験から舞台作品へと完成させる手法と視点で広義のポストコロニアル状況に向かい合うローネン作・演出『コモン・グラウンド』。
(Ⅲ) 原作テクストと上演パフォーマンスの拮抗と関わり方への考察。若手2人の新作戯曲のブルク劇場での演出。ファスビンダー映画の演劇化と『ボルクマン』の現代化。
(Ⅳ) TT 批判でもあり日本でも参考になりそうなHAUなどのフリーシーンでの、もうひとつの演劇の模索。She She Popやリミニ・プロトコルの最近の活動も。
(Ⅴ) 最後に年長の私が『ゴドー』と『バール』の現代古典の位相と、あとがきで締める。
後は、まずは若い各論にお任せしつつ、さあ、ご期待!うまくいったらご喝采を!!
ベルリン演劇祭のベルリン・ドイツ語圏での
現在の位置づけ・意味合い
庭山由佳
TTことベルリン演劇祭は、ベルリン芸術祭という、映画・音楽・美術等あらゆる分野のアートを紹介するフェスティバルの一環で、よく知られるベルリン国際映画祭(ベルリナーレ)も同じ枠内のイベントである。TTでは、1年間のシーズンで初演されたドイツ語圏の舞台の中から、演劇評論家からなる7人の審査員が選んだ10作品が招聘・上演され、トロフィーが授与される。また、個人に対しての賞も以下3つ用意されている:Theatre Award Berlin(通年の活躍に対しての顕彰)、Alfred Kerr Acting Prize(TT 最優秀新人俳優/女優賞)、3sat Prize(TT 最優秀アーティスト賞)。
ドイツ語圏には様々な舞台芸術フェスティバルが存在するが、大きく分けて、新作制作機能を持つ演劇祭と、既成作品招聘に集中する演劇祭の2種類がある。この後者の代表格が、TTとミュルハイム劇作家フェスティバルである。これらは共に、1年間のシーズンの内で初演された舞台から招聘作品が選定されるが、TTは新演出を、ミュルハイム劇作家フェスティバルは新作戯曲を顕彰して選ぶもので、視点が大きく異なっている。2015年はこの2つの演劇祭にダブル招聘された作品が4作品にも上がり、これらは、戯曲と演出が共に優れていると認められたことを意味している。
TT2015のラインナップに挙がったベルリンの劇場はマキシム・ゴーリキー劇場『コモン・グラウンド』とドイツ座『ゴドーを待ちながら』であったが、ドイツ座『ゴドーを待ちながら』はルール演劇祭(ドイツ・レクリングハウゼン)との共同制作である。TT2012に招聘され、静岡へ来日したシュテーマン演出『ファウスト第一部』も、タリア劇場(ドイツ・ハンブルク)とザルツブルク演劇祭(オーストリア)との共同制作であった。ルール演劇祭やザルツブルク演劇祭といった新作制作機能を持つフェスティバルは、ドイツ語圏の公共劇場とタイアップして新作を生み出し、その後は公共劇場にてレパートリー作品として上演が続けられ、優れていればTTやミュルハイム劇作家フェスティバルにて大々的に紹介される、こういったサイクルがドイツ語圏では繰り広げられているのである。
採りあげられる作品のリスト
『庇護にゆだねられた者たち』 Die Schutzbefohlenen
作:エルフリーデ・イェリネク Elfriede Jelinek
演出・美術:ニコラス・シュテーマン Nicolas Stemann
ハンブルク・タリア劇場 Thalia Theater, Hamburg
『コモン・グラウンド』 Common Ground
作:ヤエル・ローネンとそのアンサンブル Yael Ronen und Ensemble
演出:ヤエル・ローネン Yael Ronen
ベルリン・マキシム・ゴーリキー劇場 Maxim Gorki Theater, Berlin
『未婚の女』 die unverheiratete
作:エーヴァルト・パルメツホーファー Ewald Palmetshofer
演出・美術:ロベルト・ボルクマン Robert Borgmann
ウィーン・ブルク劇場 Burgtheater, Wien
『バカバカしい闇』 Die lächerliche Finsternis
作:ヴォルフラム・ロッツ Wolfram Lotz
演出・美術:ドゥシャン・ダヴィッド・パリシェク Dušan David Pařízek
ウィーン・ブルク劇場 Burgtheater, Wien
『何故R氏は発作的に人を殺したか?』 Warum läuft Herr R. Amok?
原作(映画)ファスビンダー/フェングラー Rainer Werner Fassbinder, Michael Fengler
演出:スザンネ・ケネディ Susanne Kennedy
ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場 Münchner Kammerspiele, München
『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』 John Gabriel Borkman
作・イプセン Henrik Ibsen
演出:カリン・ヘンケル Karin Henkel
ハンブルク・ドイチェス・シャウシュピールハウス Deutsches Schauspielhaus, Hamburg
『ヨーロッパ:お宅訪問』 Hausbesuch Europa
コンセプト・脚本・演出:リミニ・プロトコル Rimini Protokoll
リミニ・アパラット Rimini Apparat
『わたしたちのうちの何人かは──教育劇』 Einige von uns. Ein Lehrstück
コンセプト:She She Pop
シャウシュピール・シュトゥットガルト Schauspiel Stuttgart
『バール』 Baal
作:ブレヒト Bertolt Brecht
演出:フランク・カストルフ Frank Castorf
ミュンヘン・レジデンツ劇場 Residenztheater, München
『ゴドーを待ちながら』 Warten auf Godot
作:ベケット Samuel Beckett
演出:イヴァン・パンテレーエフ Ivan Panteleev
ルール演劇祭レクリングハウゼン、ベルリン・ドイツ座 Ruhrfestspiele Recklinghausen/ Deutsches Theater, Berlin
執筆者一覧
谷川道子
(たにがわ・みちこ)1946年鹿児島生まれ。東京大学文学部卒。東京外国語大学名誉教授。ブレヒトやミュラー、イェリネク、ピナ・バウシュを中心としたドイツ語圏現代演劇・表象文化が専門。著書に『娼婦と聖母を越えて──ブレヒトと女たちの共生』『ハイナー・ミュラー・マシーン』『ドイツ現代演劇の構図』『演劇の未来形』。
庭山由佳
(にわやま・ゆか)日本大学芸術学部演劇学科演出コース卒。ドイツ演劇・ドイツオペラにおける、ドラマトゥルク・翻訳・字幕、制作・ツアーコーディネート。日独交流150周年日独友好賞受賞。ベルリンドイツ座ドラマトゥルク部に2007/08・08/09シーズン(文化庁新進芸術家海外研修制度)、2014/15シーズン、所属。シアターアーツ51号にベルリンドイツ座震災一周年プログラム「立入禁止区域 日本――福島原発事故から一年」を寄稿。
井上百子
(いのうえ・ももこ)筑波大学大学院人文社会科学研究科文芸・言語専攻一貫博士課程修了。博士(文学)。専門は、ドイツ語圏文学・演劇テクスト。Im Tummelfeld der Sprache(『ドイツ文学』143号)で第52回ドイツ語学文学振興会奨励賞、および、第9回日本オーストリア文学会賞を受賞。
關 智子
(せき・ともこ)シアターアーツ編集部員。日本学術振興会特別研究員。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在籍。専門は現代西洋演劇、イギリス演劇、演劇テクスト等。『ポストドラマ時代の創造力』(白水社、2014年)の編集補佐を務める。
丸山達也
(まるやま・たつや)獨協大学大学院外国語学研究科ドイツ語学専攻博士後期課程在籍。2014年4月よりドイツ学術交流会(DAAD)の研究奨学金を取得し、ベルリン自由大学に留学中。専門はドイツ文学、現代ドイツ演劇。
山口侑紀
(やまぐち・ゆうき)1987年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了後、出版社に勤務。論文に「逃避、死への憧れ、影の側で――アンネマリー・シュヴァルツェバッハという方法」(2013年修士論文)、「文学カバレット 『胡椒挽き』」(『世界文学』121号)。ふじのくに⇄せかい演劇祭2014劇評塾入選。
川崎陽子
(かわさき・ようこ)東京外国語大学外国語学部ドイツ語学科卒業後、ベルリン自由大学にて学ぶ。帰国後、株式会社CANを経て京都芸術センターにてアートコーディネーターとして勤務。平成26年度文化庁新進芸術家海外研修制度にて、2014年10月より1年間、ベルリンのHAU Hebbel am Uferにて研修。
目次へ
(Ⅰ)演劇を通して難民問題を考える
TT2015オープニング上演作品『庇護にゆだねられた者たち』
TT2015オープニングに選ばれた作品はエルフリーデ・イェリネク『庇護にゆだねられた者たち』。この新作戯曲は2014/15シーズンの1年の間に、ドイツ語圏5つの劇場で平行して新制作され、その中からTT2015に招聘されたのがハンブルク・タリア劇場制作ニコラス・シュテーマン演出であり、戯曲そのものの世界初演舞台上演もこの版であった。演出家シュテーマンとタリア劇場の組み合わせは、ふじのくに⇄せかい演劇祭2014(静岡芸術劇場)で来日した『ファウスト第一部』により記憶に新しいかもしれない。この版の他にも、ブレーメン、フライブルク、オーバーハウゼン、ウィーン(ブルク劇場)にてそれぞれ別の演出家により制作され、戯曲そのものに注目が集まっていることは明らかである。この論考は二部に分け、1) 執筆背景とテクスト、2) 上演背景と受容、と、別の筆者が書き進めることとする。
1)執筆背景とテクスト
井上百子
演劇は観なければ始まらないかもしれない。だが、文字テクストを手放さないのであれば、読まなければ始まらないのもまた事実。分析対象がイェリネクの作品となれば、テクスト分析は避けられない。本稿では、今年のベルリン演劇祭でオープニングを飾ったイェリネクの『庇護にゆだねられた者たち』(Die Schutzbefohlenen, 2013)のテクストを紹介する。
『庇護にゆだねられた者たち』は、近年のイェリネク作品の2つの特徴を兼ね備えている。その特徴とは、時事問題への迅速な応答と古代ギリシア演劇との取り組みである。本作はイェリネク作品を最も多く演出してきたシュテーマンの依頼を受けて執筆された。執筆の契機となったのは、2012年11月にウィーンで起きた亡命申請者による抗議活動だ。申請者らは、主に、アフガニスタン国境近郊出身のパキスタン人だったといわれる。彼らは生活環境の改善を求めて、ウィーンの中心に位置するヴォティーフ教会に約6週間滞在し、ハンガーストライキを実施した。その後、滞在許可を得られたのは一部の参加者に過ぎず、多くは強制送還されたり、出入国幇助の疑いで裁判に掛けられたりしている。その一方で、エリツィン元ロシア大統領の娘タチアナ・ユマシェワやソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコのように、電光石火の如くオーストリア国籍を取得した著名人らがいる。イェリネクは両者を対置させることで、受入国に経済的利益をもたらすか否かで対応が180度変わる不平等な難民政策を問題にしていく。海路でEUを目指す難民が増加の一途をたどるなか、本作は2013年9月にリーディング公演、翌月に起きたランペドゥーザ島沖難民船沈没事故を経て更新され、2014年2月にラジオドラマ化、シーズン2014/15は5つの劇場で並行して上演された。
難民を主題化する演劇が増えるなかで、多くの劇場がこの作品に注目したのは、イェリネクの厳しい社会批判だけでなく、極めて高度な文学性による。本作では、難民問題を取り上げた西洋文学最古の作品、アイスキュロスのギリシア悲劇『嘆願する女たち』(Die Schutzflehenden)が取り上げられた。古代の悲劇作家は同作で、従弟との結婚を拒否しアルゴスに庇護を求めて嘆願するダナオスの50人の娘を描き、当時実現に至っていなかった庇護のあり方を構想した。これを引き継ぐ現代の嘆願劇は「俺たちは生きている、生きている」と命の危険にさらされた者たちが、救いを求める嘆願者のしるしであるオリーブの枝を持って現れる。だが彼らを待ち受けるのは、危険を覚悟で救いの手を差し伸べるペラスゴスではない。申請手続きの不備を突きつける行政、芝生を枯らせたと怒る市民、保護の名の下で最低限の生活を強い難民を隠していく教会と修道院。作品の最終行で彼らは「俺たちは来てはみたけど、ここには存在できないんだ」と吐露する。イェリネクは庇護の歴史を振り返りつつ、切迫したトーンで現代の庇護のあり方を倫理的ともいえる態度で検討している。
『嘆願する女たち』との関連で重要なのは、次の2点だ。一つは難民政策を受入側の問題として再確認することにある。これは題名の書き換えにも表れている。この悲劇のドイツ語訳の題名に潜む動詞はflehen(嘆願する)から、同じ語幹を持つbefehlenの過去分詞befohlen(ゆだねられた)に改変された。能動態から受動態への書き換えは、庇護を求める能動性が結果に結びつかぬよう否定されている現状を映しだすとともに、動作主であるはずの庇護を求められた者の側に光をあてる。動作主は名指されないままに可視化され、同時に主題化されている。もう一つは、この悲劇の顔ともいえる合唱隊(コロス)だ。アイスキュロスでは、通常通り12人(あるいは15人)の合唱隊が50人の娘たちの役を担ったと考えられている。したがって、『嘆願する女たち』の台詞を援用した文章から始まる『庇護にゆだねられた者たち』の受容者は自ずと、舞台に現れる人数よりもはるかに多い嘆願者の存在を想像せざるをえないのである。さらにイェリネクは、今回もハイデガーの著作を批判的に取り込んでいる。たとえば、彼女が引くのは、ハイデガーが『カントと形而上学の問題』で「超越論的対象X」とは知りえない何かであり、ゆえに無であると論じる一節だ。イェリネクはXを亡命申請者に結びつけると、隠される(ハイデガーではversteckt)を言い換えて、彼らの生は絞殺され(erstickt)、知の対象から外されたと批判を展開する。さらに、オーストリア内務省発行の冊子など複数のテクストを断片化し繋ぎながら、グローバル化が進む世界のなかで命を無碍に扱い、認識の埒外に置く、経済的により豊かな人々の対応を厳しく追及していく。
庭山由佳氏のシュテーマンによる話題の演出評に移る前に、ミヒャエル・ジモンによるフライブルクでの演出に触れておこう。ジモンは舞台の解体を通じて、こうした世界的な不平等という胸に突き刺さる問題を見事に演出した。上演の終盤に舞台の床が次々と剥がされ、中央に重ねられていく。板の裏には氏名、誕生日、死亡日が記されており、今まで役者が動き回っていた床が墓石だったことが分かるという仕掛けになっている。こうして誰かの命を犠牲にして成り立っているかもしれない生が可視化される。ジモンは、観客に否定しがたい事実を突きつけ、居心地の悪さをもたらすイェリネクの手法を、演劇という形に見事に置き換えたのである。
2)上演背景と受容
庭山由佳
井上百子氏による戯曲成立経緯を受け、後半部ではシュテーマン演出版の上演背景と受容について述べる。TT2015に招聘されたシュテーマン演出『庇護にゆだねられた者たち』は3つの劇場による共同制作であり、世界初演は2014年5月世界演劇祭(ドイツ・マンハイム)、次いで6月オランダフェスティバル(オランダ・アムステルダム)、9月タリア劇場(ドイツ・ハンブルク)と続き、タリア劇場にてレパートリー作品として上演が続いている。これら3都市は、急増する難民と如何に共存するかが喫緊の問題となっている点で共通する。各上演地では実際にその地に暮らす難民たちがキャスティングされ「難民役」として登場、今回のベルリンでの上演にあたってもベルリンに暮らす難民が出演した。
シュテーマンの表現は殊に多義的である。クレジットに演出シュテーマン、美術シュテーマン、音楽シュテーマンとあるように、視覚も聴覚も支配する。と言っても観客が支配されることはなくむしろその逆で、各々にとって説得力の持てる表現を、多様に提示される中から掬い取ることができる。俳優によるモノローグ、難民の実体験を本人がそのまま語るモノローグ、黒や白のフェイスペイントを施して試みられる群読、俳優の生演奏によるロック音楽、ライブカメラにより映し出される水面や切り取られたモチーフ、降り注ぐドイツ政府発行亡命申請マニュアル本…、様々なイメージがカラフルに展開してゆく。
TT2015では、一部を除く公演のほとんどで終演後、カーテンコール中に出演者が拍手を遮って、難民救済を共に考えること・救済団体に協力し寄付すること・デモに参加することを訴える演説をした。特に、演劇祭オープニングを飾った当作品の初日終演後は、舞台上にすぐテーブルが配置され、各テーブルにシュテーマンはじめ出演者や救済団体担当者がつき、観客たちはそのテーブルを自由に廻って議論する形でアフタートークが展開された。これは観客同士が互いに誰しも「舞台上の当事者」であることを認識させられる巧みな仕掛けであった。
現在欧州が直面している難民問題は深刻である。溺死者366名を出したイタリア領ランペドゥーザ島沖難民船沈没事故は2013年10月3日。当作品の初演は2014年5月23日であるが、執筆中・稽古中も状況は刻一刻動き、イタリア海軍、欧州対外国境管理協力機関、欧州議会へと事は発展していった。旧東独地域では外国人排斥デモや亡命申請者施設放火事件が多発。そのような緊迫した情勢の只中、パリでシャルリー・エブド襲撃事件が発生した。ドイツ政府の発表した2015年の亡命申請想定数は80万人に上る(9月現在)。壁崩壊後の90年代も年間亡命申請者は44万人を数えていたがしかし、それは主に東欧からの流入であり、「アラブの春」以降の難民とは本質的に異なっていたのである。
TT2015以降、ベルリンでは難民受容の声の高まりを感じる機会が増えた。ドイツ座やシャウビューネで組まれるフェスティバルのマニフェストに掲げられたこと、ベルリンフィルのコンサート開演前に芸術監督とユニセフ担当者が登壇し難民の子供たちの救済を呼び掛けたこと等、文化面での拡がりもあるが、市民の生活の中でも実感できる。まず、バスが時間通りに運行しない。これは市内メインストリートでデモが行われていることを意味し、バスの待ち時間を示す電光掲示板を見ると遅延理由が記され、たいていその想定が正しかったことが証明される。最近最も大規模だったデモは、メインストリートで集合して空っぽの柩を幾つも担いで運び、首相官邸前の芝生にフェンスを倒して侵入、芝生を掘り返し柩を埋めて、墓地にしてしまうというものだ。このデモには5000人以上が参加、さすがに警察が出動し、逮捕者も出た。
シュテーマンは、アフタートークやシンポジウムで述べている。「芸術は政治に対し直接働き掛けられるものではない、しかし芸術が思考の場を設えることは可能である」と。デモでは一方向的主張となりがちなところを、劇場でならば双方向的交感も可能となる。新聞はその演劇の劇評を書き、人はそれを読みながら、バスの来ないバス停で実感する、それが自分と遠くない問題であることを。シュテーマンによるイェリネクはそのことをベルリンに示し、また次の、そしてまた次の上演地に伝えてゆくのである。
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(Ⅱ)共有することの不/可能
ヤエル・ローネンとそのアンサンブル『コモン・グラウンド』
關 智子
規模の巨大なフェスティバルであるテアタートレッフェン(TT)には、様々な土地から様々な背景を持つ人々が集まる。奇妙なことだ、と改めて思った。これだけ異なる背景、文化、思想を持つ人々が、一カ所に集まり、作品を観る。果たして我々が観ているのは同じものだろうか。仮に同じものを観ているとして、我々は感想や考えを共有できるのだろうか。いや、たとえ人種、言語、国が一緒だったとしても、誰かと何かを共有することは時にあまりにも難しく、不可能であるかのように思われてしまう。
近しい人間からも相互理解の困難を突きつけられるのだから、それが加害者と被害者、当事者と部外者の間のことであれば、なおさら困難というものだろう。だが、ヤエル・ローネンとそのアンサンブルはその問題に、本作『コモン・グラウンド』(Common Ground, 2014)において挑戦した。
マキシム・ゴーリキー劇場とヤエル・ローネン
イスラエル出身ベルリン在住の劇作家・演出家であるローネンは、日本でも2012年に上演された前作『第三世代』(Dritte Generation, 2008)で、イスラエル人、パレスチナ人(註1)、ドイツ人の俳優を起用し、第二次世界大戦下におけるユダヤ人の虐殺およびナクバから数えて第三世代にあたる彼らの、歴史やアイデンティティに対する向き合い方をコミカルかつアイロニカルに炙り出した。
前作で自らが抱えている問題を取り上げた彼女は、今回はユーゴスラビア紛争という、彼女自身が「部外者」となる問題に焦点を当てた。制作は、トルコ人演出家であるシェルミン・ラングホフが率いるマキシム・ゴーリキー劇場である。この劇場は2013年からレパートリーを刷新し、ポストコロニアルを意識したプログラムや体制を組み、話題となった。当然、劇場スタッフや俳優も東欧やロシアからの移民が多く、移民・難民の受入に比較的寛容であるベルリンの状況を反映していると言える。ローネンはそのような現実を描くべく、前作と同じ手法をとった。すなわち、現在はベルリンに移住してきているユーゴスラビア紛争経験者(あるいはその近親者)である俳優と共に、話し合いを重ねながら彼らの故郷であるボスニアを訪ね、その体験を、俳優たちが本人役として登場する演劇作品に構成したのである。
『コモン・グラウンド』のドラマトゥルギー
舞台装置はプラグマティックなもので、重ねられた沢山の木箱が、乗り合いバスの座席になったり、ホテルのバーになったりする。装置がシンプルなだけに、90年代の映像や、彼らのボスニアへの旅の記録がスクリーニングされた際の華やかさが際立った。
彩り豊かなのは映像だけではない。ローネンは自分たちのワークショップを再構成する際に、多くの要素を取り入れている。例えば、作品の前半ではユーゴスラビア紛争の経緯と世界の大きな出来事、俳優たち自身の経験などが、年号順に語られていくのだが、その際に俳優たちは歌ったり踊ったりしながら、非常にリズミカルに約30年を15分ほどでまとめていく。また、その多様性が「7つの国境、6つの民主国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と言われた旧ユーゴスラビアにおいて、俳優たちが自らのアイデンティティを説明する際には、おもちゃのような人形とかぶり物で、両親、祖父母、親戚の構成やら国籍やらを演じてみせる(だが、あまりに複雑すぎて観客にはむしろ混乱を招くのだが)。
このようなコミカルな要素は、作品のドラマトゥルギーに欠かせないものであり、ローネンは意識的に笑いを入れ込んでいる。その理由として、「既に俳優たちは沢山泣いているから」と、ドラマトゥルクのイリーナ・ソドルックは語る。「ひょっとしたら、それはヤエルがイスラエル人であるからかもしれない。ドイツの演劇は時に、真面目すぎるから」(註2)。テーマが救いようもないほど重いだけに、時にアイロニカルで時に温かい笑いが提供されることは、作品を厳格なお説教話や単なる感動体験談にしない助けとなる。
本作の笑いの大部分は、魅力ある俳優たちの力によっている。前作にも出演していたイスラエル人のオーリットとドイツ人のニールスは、本作ではお笑い担当となり、劇場の空気を温かいものにしていた。彼ら以外の俳優たちは、クロアチア人、セルビア人、ボスニア人(註3)であり、自らの実体験が、その演技に重みを付していた。特に、紛争時に父を殺されたヤスミナと、父親がその殺した側の陣営にいたマテヤによって演じられる、彼女たち自身のエピソードは印象的である。彼女たちは本作のオーディションで初めて出会い、そして互いが被害者/加害者の娘であることを知った。恨むべき対象に、しかしそうすることができないヤスミナの葛藤と、マテヤがまるで自らのことのように感じている深い罪悪感は、(その演技力の高さももちろんあるだろうが)当人だからこそ滲み出てくる真実味があった。
「共有」することの不/可能性
思い出したくない過去を蘇らせ、気持ちをかき乱された上に何の解決方法も出せないままである彼らはしかし、旅の終わりである空港で、ひとつの穏やかな地点を見出しているように見える。ヤスミナとマテヤは親友となり、アレクサンダーと同じセルビア出身であるヴェルネーザは親子のような関係を築く。それは、互いの苦しみを理解することはできないが、確かに苦しんでおり、それを互いに理解したいと願っている、という確信によるものだろう。その確信こそが「共有地」であり、すべての出発点である。
『コモン・グラウンド』が単に当事者の苦悩を描くだけの作品となっていないのは、作品を加害者と被害者の関係性だけで終わらせず、そこに部外者という第三項を取り入れている点による。ユーゴスラビア勢の当事者たちが戸惑い、苦しんでいる間、常に側には紛争に対する部外者であるオーリットとニールスがいた。彼らの存在によって、(恐らく同じように部外者である)観客は作品に寄り添うことができたのである。オーリットは他の俳優たちにいつも質問を浴びせかけてうんざりされ、ニールスはユーゴスラビア紛争の複雑さについていけず、人類とエイリアンの紛争を心配し始める。その「ズレ」っぷりがまた笑いを誘うのだが、部外者が当事者を前にして感じる、紛争に対する距離の取り方の難しさを表現しており、また彼ら、そして観客も当事者との「共有地」を探しているのだということを観客に再認識させた。
本作の制作過程では、第三者が紛争などの問題について語る権利があるのかどうか、ということが問題となったらしい(註4)。それは、前作では自らが抱えている問題を扱ったが、本作では自らが直接関わっていない戦争を取り上げたローネン自身にとっても、重要な問いだろう。同時にそれは、ベルリンに住む観客の多くと筆者にとっても切実な問題である。ローネンとアンサンブルの答えは簡潔だった。「でも、語りたいから語る」。黙して目をつぶることで排するのではなく、衝突を生み出してでも問題について語り、先へ進もうとするその態度は、作品に深く刻み込まれている。
ローネンとそのアンサンブルは、決定的な他者と何かを共有したいという想いを共生と共在の「共有地」として提示した。これは、ベルリンを含むヨーロッパ(ひょっとしたら世界と言えるかもしれない)全体において高まりつつある難民問題に対する姿勢の提示とも言えるだろう(註5)。他国の紛争から逃れて来た人々を他者の問題として退けるのではなく、たとえ和解の見通しが立たずとも共に解決できる手段を探そうと試み続ける、その挑戦こそが最初の「共有地」であり、彼らが観客へ向けた希いであった。
* * *
註1:イスラエル政府が呼ぶところの「イスラエル・アラブ人」を指す。本稿では作品に倣って「パレスチナ人」と呼ぶものとする。
註2:以下、ソドルックおよびローネンのコメントは、筆者が行ったインタビューによる(2015年5月9日)。インタビューは英語でなされ、本稿では拙訳を用いた。なお本インタビューを行うにあたり、両氏に(別の本番直前であったにもかかわらず!)時間を割いていただいたこと、また庭山由佳氏に両氏へのご紹介を賜ったことを、ここに記して謝辞とする。
註3:彼らのアイデンティティは極めて複雑であり、また彼らは全員ベルリン在住であるため、厳密にはこの呼称は正しくない。だが、本稿では作品に倣ってこのように呼ぶものとする。俳優たちの出身等についてはマキシム・ゴーリキー劇場のサイトhttp://www.gorki.de/spielplan/common-ground/に掲載されているので、そちらを参照されたい。
註4:上記のインタビューによる。
註5:ソドルックは、俳優たちが「紛争を逃れてベルリンへやってきた難民であり、今は隣人として生活している。つまり、『コモン・グラウンド』はベルリンの現実の反映である」と述べている。
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(Ⅲ)テクスト/原作とパフォーマンス/舞台化の拮抗関係
1)ウィーン・ブルク劇場の新作戯曲
『未婚の女』と『バカバカしい闇』
丸山達也
TT2015でイェリネクやローネンと並んで新作戯曲での受賞となった『未婚の女』(die unverheiratete)と『バカバカしい闇』(Die lächerliche Finsternis)。いずれもウィーン・ブルク劇場からの招聘、出演者が女性のみということで同劇場の女性アンサンブルの活躍ぶりを見せつけたと話題になった。『未婚の女』は、今年で戦後70年ということを考えれば、戦争と今とを結び付ける本作は時事的にも見合った選出と言えよう(ドイツでは5月8日が終戦の日であり、ベルリンではTT2015とタイミングをほぼ同じくして戦後70年のイベントが開催されていた)。従来の意味での戯曲に近い両作ではあるが、演出との関係は微妙だ。本稿ではその戯曲と上演の関係について見ていきたい(両作とも上演プログラムに全テクストが収録されている)。
『未婚の女』
エーヴァルト・パルメツホーファーの戯曲に登場するのは、「祖母」、「母」、「娘」の3人と「四姉妹」という4人の女性コロス。終戦目前の1945年4月に、ある若い兵士が恋人の密告によって射殺された事件をめぐり、密告の当事者で自身も一時的に囚われの身となった、現在90歳の1人の女の克服されざる「過去」が追及される。この「過去」は、祖母、母、娘を互いに血縁以上に強く、分かち難く結びつけており、戦後70年を経てもなお「加害者(共犯者)」と「犠牲者」との狭間で揺れるドイツ人の過去との対決が映し出される。68年世代に象徴される戦後ドイツの責任問題をめぐる親子関係も見え隠れするが、そこにもう一つ下の世代が加わり、戦後というテーマに、より広い視点が与えられる。
テクストには、まず句読点(コンマとピリオド)が存在しない。ト書きもなく、一見台詞の無秩序な羅列のようだが、実は2種類の文体によって構成されている。会話がなされる場面では、台詞は短い文、あるいはもっと短い文節や単語単位で切られ、次々に改行される。他方で、誰に向けられたわけでもない独白は改行されず、ひたすら後に続けられる。コンマもピリオドも打たれずにただページを埋め尽くす、文章として成立していない言葉の群れ。前者の台詞が誰かに伝える意図をもって発話されるのに対し、後者では内的独白と葛藤の様子が目に見える形で示されていると言えよう。例外的なのが、テクスト第7場と第13場における母の独白。後者の特徴を持ちながらも短く区切られ、さらにページの中央揃えに配置されており、明らかにテクストの中で際立っている。祖母と血を分けた娘という断ち切り得ない関係に対する葛藤が述べられ、彼女の立ち位置が浮き彫りとなる仕掛けだ。「未婚」なのは誰なのか。
一方上演(演出:ロベルト・ボルクマン)では、テクストとは異なる形で過去との対決が提示された。度々変わる女性コロスの衣装からは祖母の体験した過去がイメージされ、蛍光灯に埋め尽くされた壁と天井に仕切られて通常の半分以下に狭められた舞台は檻の中のような空間を作り出す。床に4×3列に配置された複数の土の山は墓を連想させ、必然的に「ある若い兵士の死」と結びつく。舞台は祖母の過去を暗示する空間と化し、その中で母と娘も祖母の過去に捕らわれている様子が可視化されるのだ。
女優たちは舞台上で、斧で机に大穴を空けたり、コロスの女性たちと一緒に踊り狂っては土塊の上を転げ回って全身泥だらけになったり、頭から大量の血のりをかぶったり。本筋からの逸脱ともとれるこのパフォーマンスは、劇中で語られる台詞やそれに伴う身体表現以上に、劇中の女性たちの煮え切らない感情や、やり場のない怒りといった心的葛藤を如実に映し出す。作用の程は俳優の力量に委ねられるが、今回はとりわけ娘役を演じた女優シュテファニー・ラインスペルガーの抜群の存在感が際立った。新人とは思えない多才で堂々とした彼女の演技に、すっかり虜にされてしまった。
『バカバカしい闇』
一方ヴォルフラム・ロッツの『バカバカしい闇』では、叙事的な語りや対話、劇中劇というふうに台詞の役割が明確に規定され、ト書きによって俳優の動き等も指示されている。冒頭には、本来「ラジオ劇」(Hörspiel)として書いたものを作家自身が上演用に改訂したという注意書きが添えられている。またプログラムには「不可能演劇について」というロッツ自身による論考も掲載され、至るところで作家の存在が暗示されている。
戯曲は、あるソマリア人がハンブルク州裁判所で、ドイツ貨物船を襲撃した弁明を述べる第1部「ソマリア人海賊のプロローグ」と、ドイツ国防軍の上級曹長が秘密任務の途中で同胞を殺害し逃亡した中尉の居場所を突き止めるため、部下と2人でアフガニスタンの熱帯雨林をボートで遡行する第2部「川の遡行」という構成(冒頭に「ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』に基づく」とある通り、第2部は明らかにこの小説に基づいている)。現地住人らとの交流を通じて新植民地主義的な世界観も垣間見せながら、捜索は密林の奥地まで続く。終盤に上級曹長は暗闇の中で、第1部に登場する男が話題に上げた海賊仲間のソマリア人に遭遇する。最後に第1部の要素が挿入されるも、彼は射殺される。虚実は定かではない。
演出を担当したドゥシャン・ダヴィッド・パリシェクは戯曲における規定を逆手に取るかのように、大胆なパフォーマンスで舞台上にテクストとの大きなギャップを生み出してみせた(その差異は『未婚の女』におけるそれをはるかに凌ぐものだった)。戯曲の登場人物はほとんど男性であるが、舞台ではこれを全て4人の女性が演じ、まず視覚的にギャップを生み出す――その内の1人が『未婚の女』にも出演するラインスペルガーで、その演技力と圧倒的な存在感はここでも大いに発揮された。こうしたギャップは、彼女がソマリア人を演じる際に話すウィーン訛りのドイツ語にも見られるし、また舞台端・奥で声や道具を使ってト書きの効果音を作ったり、耳をつんざくような大きな音で台詞をかき消したりと、舞台上で起こる出来事とテクストとの差異・対比は際立っていた。その最たるものが、斬新な休憩――突如舞台奥の壁にOHPで投影される「20分の休憩、お望みなら」という文字。客席は本当に休憩なのかとざわつく。やがて普段のように退席する客もいたが、幕も下りず俳優たちの休憩前からのパフォーマンス(歌いながら、舞台の床と壁を形成していた細い板状の木を粉砕機にかける)も続けられるため、半数は結局席に残っているか、すぐに戻ってくるのだった(私もずっと残っていた1人である)。
現代のドイツ演劇、特に古典の上演では、演出の意向に即してテクストをカットすることはもはや定番で、カストルフのように大幅に切り刻んだ上に他からも大量にコラージュする方法もある。そんな中、今回の新作上演ではどちらもテクストが余すことなく使われつつも様々なパフォーマンスを通じて、上演がテクストとしての戯曲とは別次元にあることが十分に示された。「戯曲」を上演する以上、両者は不可分な関係にあると言えるが、この両者の拮抗関係が今後どう展開していくのか目が離せない。
2)1895年から「大還暦」を迎えて、2つの上演が見せた分岐点
『何故R氏は発作的に人を殺したか?』と
『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』
山口侑紀
『何故R氏は発作的に人を殺したか?』
リュミエール兄弟が映画を生み出したのは1895年。それから120年、「大還暦」を迎えた映画は、もはや終焉のときを迎えつつあるのかもしれない。同時に「演劇」の終焉の方は、いまに言われ出されたことではない。ポストドラマ時代を超えて、メディアリミックスされるようになった旧カテゴリーの「演劇」は、観客を限定し、あるいは己を投げ売りしながら、自らが何であるのかを見失いつつあったのではないか。今回、ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場が『何故R氏は発作的に人を殺したか?』(Warum läuft Herr R. Amok?)で成し遂げた「偉業」は、映画と演劇、両方の終焉の、その先を見せてくれた。
上演の「原作」となったファスビンダーによる同名の映像作品が作られたのは1969年。88分のこのフィルムは、様々な場所・人物による即興演技によって紡がれている。今回のスザンネ・ケネディ演出による舞台上演では、小間切れになった各シーンの前に、毎回スクリーンが下がり、「車の中」「レコード屋」などと場所の説明がなされるものの、セットは箱状に組まれ、カウンターと上からぶら下がったテレビなど、家具もほぼ変わらない。俳優たちは、シリコンでできたマスクを着けているが、音声は全く別の人物が発している(事前に録音されたものなのか、その場で別人が吹きかえているのかは観客席からは判別がつかない)。こうして完全にフィクショナルな形のつぎはぎの存在は、しかし私たちが通常スクリーンで眺めているものと同等である。フィルムに映る俳優たちは、セットの中で、与えられた役割をこなしているに過ぎない。音声は画面から発されたのではなく、録音されたものである。しかし映画の観客は、その中の一部として同情を抱き、疑問を投げかけられる対等な相手として自らを認識する。「なぜR氏が狂行に?」と問われたところで、その疑問に直接答えたり、結末に影響を与えることはできないのだが――。
こうした映画への皮肉(というよりも、その本質を明らかにした暴露的行為)と同時に、何度もスクリーンが上下をするうちに、観客は次第に「フランケンシュタイン」たちの舞台へと引き込まれていく。特に、主人公のR氏が曲名を知ろうと「レコード屋」と題された空間で必死にメロディーを口ずさむとき、そしてその不確定な旋律(とも言えない何か)が、レコード屋の店員が流すレコードから曲として立ち上がるとき、観客席の一体感は頂点を迎える。想像力による補完が次第に満ちていく。
終盤、いよいよR氏が家族を殺す「狂」行に走るその時となって、スクリーンとセットは一体化する。セットの前に垂らされたスクリーンに大写しになったR氏の顔。二次元の映像となって初めて、マスク越しの顔の質感を知る。呼吸が見える。つまり、目の前で繰り広げられてきた三次元空間のフィクション的存在は、スクリーンの中に入ることで現実感を取り戻し、完全に独立した人物として「像を結んだ」のである。
演劇は生身の人間が目の前で実存していることが分かるが、そこで繰り広げられている場所や時間は、観客にとって自分のそれと異なっていることが自明なために、限定付きで見つめざるを得ない。一方で映画はスクリーンで観客と切り離されているが故に、よりフィクション性が保たれているように見えるが、観客の視線は制限されており、今回の上演が明らかにしたように、本来映画の中の登場人物もつぎはぎの存在でしかない。
映画のフィクション性を舞台上で再現し、その不自然性をあばきながら、最後には舞台をスクリーン上の二次元空間、つまり映画世界と同じ次元に移動させたことで、映画と演劇両方の欺瞞性を明らかにしながらも、観客の想像力はむしろ隙間をかいくぐり、片方だけでは見えなかった全体的なR像が立ちあがっていった。
ここに「解体」を続けてきた「映画の演劇化」は、統合を見る。単に映画を解体するのではない。舞台がスクリーン上に移動して初めて肉感を取り戻したR氏の前では、演劇の限界も示されており、またそれが同時に突破されている。映画と演劇、2つの限界をそれぞれ示し、その上で「R氏」を浮かび上がらせた今回の上演は、映画の発明から120年でこそなされた新たなアプローチであると言えよう。
『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』
映画の生まれた1895年、もう一つの大発見があった。フロイトによる、精神分析の始まりである。イプセンが『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』(John Gabriel Borkman)を発表したのは、フロイトが精神分析の着想を得た「イルマの夢」の翌年、1896年のことであった。
初めてイプセンのこのテクストを読んだとき、ボルクマンによって運命を狂わされた姉妹が、なぜ彼の死後にしか和解を成し得なかったのか、という点が不思議でならなかった。むしろ自らを不幸といさかいに落とし込んだこの男を、徹底的に痛めつけねばならなかったのに――!(とスプラッター映画の構想まで妄想した)。もちろんイプセンは先進的な作家であったとはいえ、21世紀に『ボルクマン』を読む際に当然湧き上がるであろう疑問に、原作を壊さない範囲できちんと答えを見せたのが、今回のハンブルク・シャウシュピールハウスのカリン・ヘンケル演出の舞台上演の素晴らしさであった。
ボルクマンを物理的に背景に後退させ(台詞を減らされ、地下室を模した階段状のセットにずっと座らさせられ、揚句は死体となって最後部の穴より「転落」する)、第2幕と第4幕を大幅に削り、エルハルトを取り巻く2人の「母」のエゴイズムの物語に集中させることで、主には2人の喧嘩を観客は笑いながら眺めることになる(エルラ役のリナ・ベックマンはその体当たりの演技で、俳優演出家問わず革新的な業績を挙げた芸術家に贈られるTT最高賞、3sat賞を獲得した)。原作ではエルラと逃亡する途中に心臓発作に見舞われることでボルクマンの死が訪れるが、上演では部屋で睡眠中に息を引き取ったボルクマンの巨体を姉妹が懸命に階段の上部へ引きずっていく。
あくまでグンヒルとエルラ2人を中心としたボルクマン不在の『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』によって、エディプス・コンプレックスに代表されるような<女性の不在>が解消されたように感じた。何より象徴的であったのは、ボルクマンの死後、カーテンコールの前に主役の2人の女優が喧嘩のそぶりをしながら互いに放つ一言「彼(ボルクマン)は私のものだった!(Er war meiner!)」であった。この上演の結末を通し、彼女たちは、ボルクマンのせいだけでなく、自らの意志で生き方を(可能な中から)選択したことがはっきりする。それ故にイプセン原作通りの「互いに手を握り合う」ラストにはたどりつかなかったのである(もちろん2人の女優はカーテンコールの最中には手をつないだけれども)。その叫びは、フロイトを引き継いだラカンが、常にファルス(象徴的男根)がある側が基準に物語られるという限界を示したテーゼ「女は存在しない」へも抗う、女の側からの発話であったと言えるかもしれない。原作の中でグンヒルとエルラは、ボルクマンというファルスを囲む単なる女たち、ボルクマンによって語られ規定される存在であったかもしれないが、舞台の上で、彼女たちの側から発話し、行動し、自らの欲望を白日にさらしたことで、ストーリーは一気に彼女たちを中心に回転し始めた。
ドイツ社会では、性的少数者の権利への意識も高く、その前段階として、女性の「解放」が日本よりもはるかに進んでいる。ポストドラマ演劇はじめ、ここ数十年来の演劇は、その流れを牽引しつつ、新しいジェンダー意識を舞台上で展開してきた。その意識は、もはや当然のものとしか思われないのかもしれない。古典的作品においても、男性側の一方的な語りから、女性の欲望の自白を軸とする「コペルニクス的転回」が起ったことで、作品は今日性を取り戻し、テクストに内在していた抑圧が明らかになった。と同時に、現在の観客が無意識に前提としているジェンダー感覚の客観視も可能になった。さらには、全てが「解体」されたように思われたドイツ演劇界にとって、2015年の今日も、古典作品をはじめ、ジェンダーをとりまくマインドセット解体の余地が残されていることが明らかになったともいえよう。
この2作品を筆頭に、原作が分からなければうまく呑み込むことができないという今回のTT選出作品の性質に、批判的な声は上がってしかるべきであろう。とはいえ、この2作品が、意味・意義を先行させるのではなく、観客の笑い声と共に成し遂げた「偉業」は、1895年から「大還暦」を迎える2015年の世界において、潮目の変化を語る大事な証拠であり、分岐点となるものであった。
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(Ⅳ)もうひとつの演劇の模索 ── HAUとフリーシーンの演劇
1)開かれた思考の実践の場のために ── HAUの試み
『ヨーロッパ:お宅訪問』リミニ・プロトコル/HAU 他
川崎陽子
5月のベルリンがベルリン演劇祭(以下TTと表記)で沸く中、トルコ系移民が多く居住することで知られるクロイツベルク地区に位置する劇場、ヘッベル・アム・ウーファ(HAU Hebbel am Ufer、以下HAUと表記)では、4月21日から5月3日まで開催したフェスティバル「白人でヘテロセクシャルの男性」(Männlich Weiß Hetero)、リミニ・プロトコルによるプロジェクト『ヨーロッパ:お宅訪問』(Hausbesuch Europa)初演、ベルリンを拠点にHAUとのパートナー関係も深い振付家、イザベル・シャートと美術家のローラン・ゴルドランによるレトロスペクティブ・シリーズ、集団的な制作スタイルで知られるパフォーマンス・グループ、ゴブ・スクワッドによる劇場近くのホテルを舞台としたパフォーマンス『ルーム・サービス』(Room Service)など、多種多様な内容かつ形態による上演が行われた。
筆者は平成26年度文化庁新進芸術家海外研修制度により、2015年10月末よりHAUにてアート・マネジャーとして本劇場の活動に関わる機会を得ている。本論考では、ドイツ各州で長い伝統を持つ公共劇場の創作スタイルとは異なり、劇場所属の演出家やアンサンブルを持たず、主にプロジェクトごとにテーマを設け上演するスタイルを取るHAUの活動を取り上げる。
本年のTTで受賞した作品は全て、ドイツ語圏の公共劇場の作品が選出されたが、ドイツの演劇雑誌、テアター・ホイテ誌(Theater heute)では「何が足りないのか?」(Was fehlt?)と題したコラムが掲載され、10作品のうち1〜2作品はフリーシーンから選出されることが近年では珍しくなくなっていたTTで、2015年はなぜ選出がなかったのか、ということが、長年ベルリンでの作品発表の拠点をHAUとしているShe She Popの『春の祭典』を例に論じられるなど、話題のひとつにもなった。いわゆる「フリーシーン」とは、劇場などに属さず創作活動するアーティストが形作るシーンを意味し、HAUがプログラムとして取り上げる作品及びプロジェクトのほとんどはこうしたアーティストによる。HAUはもともとは別々の劇場であった500人を収容するヘッベル劇場(Hebbel Theater、現在のHAU1)、200人収容のハレーシェン・ウーファ劇場(Theater am Halleschen Ufer、現在のHAU2)、100人収容のウーファ劇場(Theater am Ufer、現在のHAU3)を統合し2003年に誕生、フォルクスビューネのドラマトゥルク、世界演劇祭のディレクターを経てきたマティアス・リリエンタールが初代の芸術監督を務めた。2012年からはベルギー出身のアネミー・ファンアッケレが芸術監督と経営責任者を務め、ちょうど3シーズン目が終わろうとしている。
筆者自身は2015年6月現在までのほぼ7ヶ月間、HAUのプログラムを体験してきたが、まず外観も収容人数も全く異なる3つの劇場を擁していること、それにより作品の多様な提示方法が可能になり、かつ個々の上演をつなぐコンテクストもまた多様な提示方法が可能となること、それらのコンテクストから新たな視点が開かれることを期待して足を運ぶ観客が多く存在することが最も印象的だった。ファンアッケレによると、就任当初は前任者であり大きな成功を収めたリリエンタールの後に何を見せてくれるのかという重圧が自身とチームに大きくのしかかっていたという。3シーズンを経た現在ではファンアッケレのほかに演劇・ダンス・音楽それぞれ1名ずつのキュレーターを含むチーム内の信頼関係や共通意識も強固なものとなり、HAUが社会に対して答えを提示するのではなく、問いを投げかける場所としての劇場として機能しているという、確かな手応えを感じているという。
特に今シーズン(2014/15)開催した3つのフェスティバル、「送り主に返送(Return to Sender)」(2015年3月開催)、「白人でヘテロセクシャルの男性」(前出)、「非力の力(Power of Powerlessness)」(2015年6月開催)では、劇場での作品上演のほか、地元の学校生徒とのワークショップ作品、レクチャー、ディスカッション、インスタレーションなど、さまざまなフォーマットでの上演を多様に交差させることでテーマに対する観客の思考を深め、HAUが共に思考するための開かれた場所となることを実践、そうした役割がベルリンの劇場シーンにおいて、HAUに求められているものであるという確信を深くしたという。
偶然ではあるがベルリン演劇祭TTに先立つ形で開催された「白人でヘテロセクシャルの男性」は「特権階級についてのフェスティバル」という副題が設定され、白人・男性・ヘテロセクシャルであるという、これまでの社会においては最も標準とされ、かつ特権を持つ側に属していた者は本当に現在でも特権を持ち得るのか、という問いを提示した。オープニング作品のひとつとなったアメリカ人女性演出家、ヤング・ジーン・リーによる『STRAIGHT WHITE MEN』は本フェスティバルのインスピレーションともなった作品だが、「社会の理不尽に対し特権階級であるヘテロセクシャルの白人男性は何ができるのか?」という問いをユーモアたっぷり、かつ鋭く描き、リアルな舞台セットの中で決まった脚本をもとに演じるといういわば「普通」の演劇の形態を取っていること自体、タイトルに掲げられたストレートな白人男性への揶揄とも受け取れた。性的にストレートかどうかはともかく、芸術監督や演出家という権力階層においては白人男性が多くを占めるドイツの公共劇場のシステムを思い浮かべ(また、「演出助手」という演出家の手となり足となるポジションは女性が多い)、かつそうした劇場で創作された作品がTTでの選出作品の多くを占めていることを連想したのは穿ちすぎだろうが、社会のあらゆる側面の「普通」とは何か、「普通」の持っている特権とは何か、について考えさせられる機会となったのは間違いない。
HAUでの上演が2回目であったヤング・ジーン・リー然り、HAUではフリーシーンのアーティストとの継続的な関係性もそのキュレーションに重要な役割を果たしているが、HAUで初演された『遺言/誓約』(Testament)で2010年にTTに選出された前出のShe She Popは、今回のTTただ中の5月中旬、シャウシュピール・シュトゥットガルトでまさに「公共劇場」をテーマにした『わたしたちのうちの何人かは』(Einige von uns)を初演した。本作への論考は次の井上百子氏にお譲りするが、従来の演劇の受容の在り方に対して問いを投げかけたブレヒトの教育劇をベースに、公共劇場の在り方と演劇と観客の関係性を掛け合わせて提示してみせた本作がこの時期に発表されたことには、不思議な巡り合わせを感じた。
TTにこれまで3回選出されているリミニ・プロトコルは、『シチュエーション・ルームス』(Situation Rooms)が2014年に選出されながらも、選出された時点ですでにTT時期のツアー予定が決まっていたため、上演は実現せず。結局、本作は2014年12月にHAUで開催されたフェスティバル「武器ラウンジ」(Waffenlounge)での上演がベルリン初演となった。これは、セットの輸送が通常のスケジュール組みでは不可能なほど大掛かりなため、かなり前からツアーの予定を組み手配をする必要があったためだという。前述の今年のTT期間中に上演された『ヨーロッパ:お宅訪問』では、ベルリン各地の個人宅を舞台とし、各回限定15名の参加者で上演を行うという手法が初演前から大きな注目を集めた。地図を片手に購入したチケットに記された住所にたどりつくと、そこはすでに上演の場。「ヨーロッパとは何か?」という抽象的とも言える問いを、個人宅の居間という、これ以上プラクティカルな場所はないと思える空間に対比させ、参加者はプライベートな質問に答えることから、ヨーロッパの起源について、あるいはEUの政治メカニズムについて思考を巡らせることまでを、順番に回ってくる小さな機械から吐き出される紙の指示に従いながら、ひとつのテーブルを囲み体験する。さらに2人1組のチーム戦で順位を競うクイズ形式ゲームでは、参加者の総数のうち何名が同じ答えかで獲得ポイントが決まるなど、民主主義についても考えさせ、参加者それぞれの意識にも変化があったかもしれない。その日、その時間を共有した参加者の間にしか現れない「場」を立ち上げる演出方法は、さすがにリミニ・プロトコルと唸らされるものがあり、演劇の「場」について考える機会ともなったであろう。
多くの演出家やキュレーターがその観劇体験の原点とも位置づけている通り、TTがドイツ語圏演劇において最重要の演劇祭であることは間違いがなく、また演劇そのものを問う作品ももちろん上演されているが、一方で演劇にも留まらず、舞台芸術の枠や型をぶち破り観客を瞠目させる作品の多くがフリーシーンから輩出されていることも確かである。こうした作品をさらに枠にはまらないキュレーションで社会に提示し、劇場と観客との新たな関係性を築いているHAUの活動は、ドイツ語圏演劇のこれからと併せて、ますます目が離せない。
2)演劇/劇場を解剖する
She She Pop『わたしたちのうちの何人かは』
井上百子
川崎陽子氏の報告にもあるように、今年のベルリン演劇祭には、公共劇場一辺倒の演劇界に揺さぶりをかける異色の存在が招聘されなかった。これは保守回帰か、はたまた「公共劇場対演劇界の異端児」という構図自体の破綻なのか。
She She Popとシャウシュピール・シュトゥットガルトは、TT演劇祭会期中に初演を迎えた『わたしたちのうちの何人かは――教育劇』(Einige von uns. Ein Lehrstück、シャウシュピール・シュトゥットガルト、初演:2015年5月14日)で、ドイツ語圏演劇/劇場のあり方を正面から主題化した。しかも、これまで劇場に所属せずに活動を続けてきた女性アーティスト集団が、男性優位の公共劇場の一つとの共同制作という形を通じてである。
近年、She She Popは『リア王』(『遺言/誓約』)や『春の祭典』など、既存の作品に関連づける形で制作を行っている。今回、彼女たちが下敷きにしたのは、〈ブレヒトの教育劇〉。教育劇には明確な定義はないが、ブレヒトは教育劇として従来の演劇制度を超える演劇を構想した。必要なのはあらゆるものの改変だ。教育劇は観劇ではなく、演技を通じて学ばれる。したがって観客は不要。教育劇の役者には児童生徒や労働者も想定される。教育劇に取り組むことで、議論の俎上に載せられたのは、劇場/演劇という共同作業と新しい劇場/演劇の可能性である。
『わたしたちのうちの何人かは』には教育劇のエッセンスが詰まっている。客席と劇場の裏側、そして舞台を映し出す映像が終わると、観客は舞台へと誘導される。この通過儀礼を通じて観客は文字通り観客ではなくなり、演者となる。6作あるブレヒトの教育劇からいくつかの形式も借用された。『処置』の統制合唱隊の起用、『了解についてのバーデン教育劇』を模した〈試験〉の実施、音楽の挿入、最後には誰かが死ぬという宿命的な結末。
舞台にはShe She Popのメンバー3名とシャウシュピール・シュトゥットガルトの職員23名。俳優、クローク係、技術者、衣裳染色家など、全員が劇場の従業員である。讃歌が始まる。She She Popは初演までの約2年間、シュトゥットガルトに足しげく通い、1350人以上の職員を抱える劇場のあらゆる工房を訪ね歩いた。ここで集められた従業員との会話から、〈讃歌〉や〈嫌悪のモノローグ〉の台本が構成された。労働者の合唱隊は1人、2人、あるいは全員で朗誦し、劇場/演劇の複層性を出現させる。姿を見せない大多数の声を通して、巨大な組織が開示されていく。〈試験〉と名付けられた場面では、シャウシュピール対She She Popや、(観客から普段は)見えない者対見える者の二手に分かれて、口頭試問が行われる。同じ劇場で働きながら、交流のない同僚の間に飛び交う質問を通じて、職業/職場としての演劇/劇場が現れる。She She Popは集団制作で知られるが、今回、集団の規模は劇場全体に拡張されたことになる。
She She Popは、結成以来、支配的な制度に対する「個人的な」違和感を他者と分かち合いつつ、発展してきたフェミニズムと取り組んでいる。そうした彼女たちがパフォーマンスを通じて話題にするのは、個人ではなく、複数人によってパフォーマティヴに生み出され、集団を成立させる支配的な権力であり、それを成り立たせているルールだ。演劇/劇場という組織の暗黙の了解は、各人の発言から立ち現れる。「わたしたちのうちの何人かは毎年解雇されうる」あるいは「わたしたちのうちの何人かは、19世紀に息絶えたような女性像を延々演じている」と1人が言えば、賛同者が前に出て一列に並ぶ。即興的に編みだされた単純な文章に、劇場/演劇への問題提起と批判が込められている。この新作の題名は、ジュリー・オーツカの小説『屋根裏部屋のブッダ』(The Buddha in the Attic)で使われ、She She Popのメンバーを夢中にさせたという、「わたしたちのうちの何人かは(some of us)」という主語から拝借された。「わたしたち」とは違い、「わたしたちのうちの何人かは」が可能にするのは、例外にも余地を残しつつ、多くに共通する経験を語ることだ。集団を生みだすと同時に、集団を問い返す主語を題名にして、演劇/劇場という集団のありようが再考される。
『わたしたちのうちの何人かは』は、公共劇場にざわめく多声を舞台にのせることで、ドイツ語圏の演劇/劇場という体制そのものを問うた。通し稽古での即興場面で、She She Popのメンバーの1人が、公共劇場における規則がこうも崩せないとは想像していなかったとつぶやいた。それでも彼女たちは公共劇場に入りこみ、上演を通じて、一枚岩でなく、複数の仕事がうごめく総体としての劇場/演劇を露わにした。『わたしたちのうちの何人かは』が劇場/演劇を解剖する作業であるならば、そのメスは劇場/演劇制度の一部をなす華やかな演劇祭にも向けられていたのだ。
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(Ⅴ)原点DNAあるいはゼロ地点への回帰?
TTの『バール』と『ゴドー』あるいはカストルフとゴッチェフ
谷川道子
『バール』
さて、TT 2015のどんじりに控えていたのが、ミュンヘン・レジデンツ劇場でフランク・カストルフが客演出した話題の『バール』(Baal)。今回TTの最後を飾るだけでなく、これはブレヒト作の『バール』ではないとブレヒト遺族と出版社が上演反対の訴訟を起こし、長い裁判後にこのTTで最後の公演ということで決着。だから切符入手困難はなおさらに話題となった。
カストルフは東ドイツ出身で、ドイツ統一後の1992年以降ずっとフォルクスビューネ(以下VB)の劇場監督として、舞台美術家ベルト・ノイマンや演出家クリストフ・シュリンゲンジーフ(演劇の概念を根底から変えたこの2人は近年に無念にも50歳前後で相次いで逝去)、ドラマトゥルグのリリエンタールなどを擁して果敢な舞台と演劇活動でVBを四半世紀率いてきたが、2016/17年シーズンで任期が切れる。去就が注目されている中で、任命権をもつベルリン市長は、カストルフの後任にすでにサッサとロンドンのテート・モダン美術館長のクリス・デルコンの内定と多額予算を発表し、VBをアートセンターにするのかという大論争が持ち上がって、いまなお続いている。そういう大騒動の最中での4時間半の『バール』の舞台。カーテンコールと後の授賞式とトークにカストルフ本人が登場し、ヤンヤの大喝采を受けて夜中になっても観客は去らず、不夜城となったとか。これまでのVBの四半世紀の、いやVB創立以来の20世紀来の歴史的経緯を思えば、やはりドイツ演劇界の大きな転換点ではある。
だがまずは『バール』。大きな回り舞台には、ベトナムの妓楼とおぼしき中が丸見えの2階建ての赤い大きな館。上には可口可楽(コカコーラの中国語)のネオン広告。隣にはアメリカ軍のヘリコプター、周りに兵舎。そう、ベトナム戦争の真ただ中、1968-69年頃だろうか。屯する兵士たちに女たち。ほとんど半裸で、暴力やセックスシーンの表現も半端ではない。際限のない欲動エネルギーの爆発。しかもそれらが2人のカメラマンによって、さまざまな角度から撮影され、天井から吊られた大きな2つのスクリーンに同時に映される。そしてさらにそのスクリーン奥には、コンラッドの小説『闇の奥』(1902)に基づくコッポラの映画『地獄の黙示録』(1979)が映写され、ベトナム戦争時に置き換えられて先住民を支配・略奪するマーロン・ブランド演じる主人公カーツ大佐もバールに重ねられる? その中に難民の子供たちの映像や、俳優たちが映画に重ねて二重に演じているような映像、といった手の込み方。カストルフの舞台での映像の使い方には定評があるのだが、今回はさらにやりたい放題で、舞台全体の過剰さも途方もない。
ブレヒトの原作に基づくと思しき場面もときおりあるのだが、たとえばバールの屋根裏部屋にやって来る姉妹の妹は中国人のオペラ歌手で、『蝶々夫人』のアリアを朗々と歌ったり…。ランボーやユンガー、アルジェリア解放戦線の指導者となった有名なファノンの著書へのサルトルの序言、等々からの引用もあるらしい。そんなこんなは上演パンフの記載で知るのだが。ご丁寧に全体は、道化役者たちによるプロローグとエピローグにはさまれて、「クラウスはどうするのだろう」、「もういい歳だから年金生活でしょ」というような、カストルフと同時期にベルリーナー・アンサンブル劇場監督の任期が切れるパイマンをあてこすっているらしい台詞や、「もうフランス語の歌なんか唄えないよ」、といったポストコロニアルを思わせる台詞が入ったり。さしずめ大人の玩具箱の風情だ。たしかにこれは、作者はブレヒト/カストルフだろう。ブレヒトの後継者だったハイナー・ミュラーも、たとえばシェイクスピアとの対話のごとき『解剖タイタス、ローマの没落』や『ハムレット/マシーン』のような舞台作品を創っている。自在なテクストの脱構築だが、『バール』の版権がまだあるからと言って、テクスト改変が裁判沙汰になるような段階ではすでにないのだ。
そう、『バール』はバイエルン革命の1918年、20歳のブレヒトの原点で、それを抜きにしてはブレヒトは語れないし、ここを源流にして、メッキースやファッツァーにも、ガリレオにもつながる。「流行や尺度やモラルの彼方のアナーキーで自己中心的な快楽への告白の、遺伝学的なコード」というキャッチコピーがチラシにあった。バールのDNAか。
そう言えば、ファスビンダーがフォルカー・シュレーンドルフ監督の映画で『バール』を主演したのは、1969年。凶行に至る『何故R氏は発作的に人を殺したか?』や外国人労働者問題を扱った『出稼ぎ野郎』も同じ年だった。彼は45本の映画と18本の戯曲を遺して、82年に37歳で急死。コカイン中毒だという。1945年生まれで戦後70年の今年が生誕70年。イェリネクや不肖私は46年生まれだから、ほぼ同じ時代を生きてきたという実感がある。ベトナム反戦デモに行った、あの〈68年世代〉だ。人間の欲動と世界の欲動が連動して、ある種の狂気とエネルギーが爆発し、〈民族解放〉や〈革命〉、〈パラダイム・チェンジ〉という言葉が生きていた時代。戦後史の大きな転換点だっただろう。今年のTT のフォーカスとして、ファスビンダー作品の多くがさまざまな形で取り上げられた。印象的だったのは、国際フォーラムの若いワークショップで、ファスビンダーの魂の歴史をテクスト化しようというのと、彼の映画『第三世代』を自分たちで映像化しようというのがあって、たまたま覗いたプレゼンテーションがけっこう面白かった。現代は、欲動が外への爆発に至らず、内爆、内発、自滅か自爆テロに向かっているのではないかとも考えた。
この過激な『バール』の舞台は、カストルフのベルリン市長への挑戦状か、挽歌、戯れ歌だろうか? 去就先はミュンヘン? 今リリエンタールもミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場に居るし、公共劇場は監督次第だから、これから楽しみなのはミュンヘンということか?
『ゴドーを待ちながら』
さて、対極の『ゴドーを待ちながら』(Warten auf Godot)にも触れなくてはならない。1953年にパリのバビロン座で初演されて大成功をおさめた、47歳での劇作家ベケット誕生の原点。54年にパリの国際演劇祭でブレヒトが『母アンナの子連れ従軍記』(Mutter Courage und ihre Kinder)でグランプリを得て、奇しくも両者はともに近接して現代演劇の起点となった。これは偶然ではないのではないか。ベケットとブレヒトが、人間存在の演劇的表象という同じメダルの対照・相補的な両面だからではないのだろうか。
TTの折り返しの中日の頃の上演。旧東ベルリンのドイツ座の名優2人が、2013年に逝った演出家ゴッチェフに捧げる弟子イヴァン・パンテレーエフ渾身の演出。ディミター・ゴッチェフについては日本ではあまり知られていないので補足すると、43年にブルガリアで生まれ62年に東ベルリンにやってきて、ミュラー作品の舞台化で脚光をあび、ミュラー亡き後はその化身と言われ、最期のミュンヘン・レジデンツ劇場で2013年5月に演出したミュラー作の『セメント』の舞台は大評判で昨14年のTTにも招聘されたが、『ゴドー』演出準備中の2013年10月に逝去。『テアター・デア・ツァイト』誌は逝去後すぐさま200頁に近い豊富な写真とDVD付きの大部の特集号を組んだ。このDVD『ホモ・ルーデンス』という題の「ゴッチェフ・ポートレート」を創ったのが弟子パンテレーエフだ。TT 2014では、演劇祭のフォーカスとしてゴッチェフ特集が組まれた。私自身は、人間存在と演劇の根源に迫ると言われたゴッチェフの舞台を何故か観そびれていて、だから日本に紹介するのも怠ってしまったと後悔。芝居は観なければ語れないと、しみじみ痛感したものだ。
その『ゴドー』の舞台は、こんなにすっきり分かりやすく面白い芝居だったかと再認識。ベケットは台詞を変えるなと遺言しているから、台詞は変わっていないのだろうが、あの例の、一本の木の田舎道で出会う浮浪者が待ち続け、行ったり来たりする舞台ではない。けっこうな傾斜の、滑り落ちるぎりぎりの開帳場。最初はピンクの大きな布で覆われているのだが、それが内部から引っ張りこまれて、真中が丸い穴になった銀色のメタリックな四角い舞台が現われ、その穴からウラジミールとエストラゴンが出て来る。人間? 宇宙人? ET? 地球も人間も一挙に相対化される。
ここはどこ? 地球? 月面? エイリアンが惑星に着陸したか、地球も無数の惑星のひとつだ。その穴は地球のへそ? これは宇宙ゲーム? のっけから視界・視線が引っ繰り返される。ミュラー作品の舞台でお馴染みだった舞台美術家マルク・ランメルトのこの装置がいい。他には何にもない削減。あ、電柱が1本あった。そこで2人は、ただ喋ったり、遊んだり、じゃれ合ったり、待ったり、するだけ。ポッツォとラッキィも登場するが、それも同様。ゴドーさんは来ませんよと言う少年は登場せず、ラッキィが代わりにそう言う。
生きるとはそういうことか。遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ。穴の中から出てきて、また入ったり、出てきたり。水平が垂直に代わっただけに見えるが、本質的に違う。存在の根源のへその穴から出たり、消えたり。存在し続ける、いや不在し続ける? けっこう笑える言葉と動きのナンセンス・ギャグ。幸せかい?幸せだよ。そんな台詞があったか。生きるとは喜劇か、悲劇か?「不条理」とはabsurd、人間存在は滑稽で可笑しく、哀しい。待つ? 待てない現代。誰も何も来なくてもいいじゃない、待ちましょ、遊びましょうよ――そんな存在の原点に戻してくれる演劇性。このシンプルさは美しくて、切なく、いいなと。サミュエル・フィンツィとヴァルフラム・コッホの名優芝居だからそう思えたのか。エゴではない存在のゼロ地点に戻ること。誰も来なくても、お遊びしながら待ちましょ。こういう軽い乗りの理解では、ベケット研究者に怒られるだろうか? それでも私には敢えて、存在の根源からのゼロ地点への回帰/リセットだと、シンプルに受けとめたい舞台に思えた。
ブレヒトも『ゴドー』を1953年には読んでいて、いつか自分の『ゴドー』を書きたがっていたという。人間存在には、こういう同じメダルの対照的な両面への眼差しが必要なのではないか。バールDNAの自己中心性(Egomanie)をどう制御するかが、たとえばブレヒトの『教育劇ファッツァー』へのテーマでもあった。今回のTT の『バール』と『ゴドー』の舞台化は、演劇表象の可能性の限界への挑戦として考えても、いろいろ対極的につながり、拡がるのだが、とりあえずは、ここはこれでおしまい。
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あとがきに代えて
谷川道子
『バール』と『ゴドー』を最後に置いて締めくくったのは、この超有名な2つの戯曲作品そのものの成立と受容の経緯を対比させることで、またカストルフとゴッチェフというスケールの大きな演出家の対極的な舞台とともに、20-21世紀演劇の大局が俯瞰できるのではないかと思ったからだ。あるいはまた、ひとつの演劇の時代の終焉かとも感じた。
演劇の問題発信力を考えさせられたオープニングのイェリネク+シュテーマンと、人間存在と共生の可能性を問いかける中仕切りのローネンやパンテレーエフ、ヘンケルの舞台が今の中堅・基調で、他の作家や演出家は殆ど名前を知らない未知数の若手──世代交代の過渡期なのだろうか。
TTベスト10は(いま観るべき)ベスト10であって、ベスト3などを選ぶ必要はなく、そのそれぞれの特徴の組み合わせが、なるほどこれが今年のTTの配置かと納得したり、あれ、おかしいな、何がどう変わったのだろう、ドラマの位置は?と考えたり。今回はフリーシーンが抜けているので、最後にその立ち位置と最近の試みを敢えて1章、加えてみた。She She Popの最新作はもろに公共劇場問題がテーマだし……憎まれっ子を買って出る、というより、自分たちのいる位置をあらたに再確認して、これからの演劇の可能性を問い拓こうという試み・心意気なのだろう。それが今後のTTや演劇シーンとどういう関係を保っていくだろうか。演劇王国ドイツを下支えしているのは、こういう反発力や推進力の拮抗し合う、演劇表象の真剣勝負なのだ。
今回も、ドイツ演劇の可能性をさまざまな方向へ拓こうという強い思いと意志が感じられたが、ここからどこに向かうのかはいまひとつ見えない過渡期の観が残った。演劇は時代の中で自助・自浄力で変容・変貌していく。だから面白く頼もしく、楽しみでもある。
せっかくなら戦後生まれ70年の我が年代史をバックグラウンドにしつつ、こういうチーム報告の形で、ドイツ演劇批評の若い世代(いわゆるアラサーの孫世代)へのバトンタッチができればいいと考えた。無理を承知の試みに、無謀な申し出を認めてくださったシアターアーツ編集委員会と、そしてそれを何とか受けとめてそれぞれ精一杯の論考を書いてくれた若いチームメイトに、心からのエールと感謝を贈りたい。各論はいずれも頼もしい力作揃いで、老兵は安んじて消えることができる。それぞれ文体も主張もまなざしも異なるが、それがチーム報告の妙味でもあろうから、ご堪能ください! 日・独・世界の演劇の未来形を願って……。