©Thea Villasenor-Coleman
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 「起きよ影かの広島の石段の」。戦時下に少女時代を送った俳人の柿本多映が、2013年刊行の第七句集『仮生』に収めた一句である。広島と長崎に原子爆弾が投下されてから70年になる今年、この非人道的な大量破壊兵器がもたらした災禍にあらためて向き合おうとする真摯な試みが目についた。8月6日から8日にかけて、広島のアステールプラザで上演された『ヒロシマの孫たち』も、そのひとつだ。イギリスの劇団ロンドン・バブルと、日本のシアター&パペットアンサンブル・グラシオブルオ、および子どもコミュニティネットひろしまの主催による公演である。

 『ヒロシマの孫たち』というタイトルが示唆するように、広島在住の子どもたちが重要な役割を担う作品だ。1945年8月6日当時はまだ子どもだった被爆者に、いまの子どもがインタヴューをして聞きだしてきた言葉をもとに台詞が書かれ、舞台で70年前の子どもを演じるのもまた子どもである。同様の手法を用いて、ロンドン・バブルは、1941年のロンドン空襲を主題にした『ロンドン空襲の孫たち』という作品をすでに制作しており、本作はそのヒロシマ版と言えるだろう。『ロンドン空襲の孫たち』を演出したジョナサン・ペサブリッジが、グラシオブルオの芸術監督の秋葉よりえと共同で演出にあたり、上演台本の構成は劇団ミナモザの瀬戸山美咲が担当している。

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 作品の上演を観ていて驚かされたのは、被爆者の言葉が、いまなお生々しさを少しも失っていないことだ。ある女性は、爆風に吹き飛ばされて、口の中が砂でじゃりじゃりになったのを覚えていると言うし、別の女性は、いわゆる「黒い雨」の雨粒は粘るような感じがしたと口にする。ふたりにとって、いくら年月が経とうと、けっして身体から消え去ろうとしない感触なのであろう。このような語りに接すると、70年という長い時間の経過によって、記憶は磨滅させられるどころか、逆に磨きがかけられ、細部がいっそう鮮明になっているような印象さえ受ける。

 なかでも深く考えさせられたのは、行方不明の兄を探して、母と焼け野原を歩き回ったことを回想する女性の語りだ。兄がいるかもしれないと思い、焼け落ちた自宅のそばの防空壕の中を覗こうとしたところ、鉄の蓋にはまだ火災の熱が残っていて、彼女は火傷をしてしまった。しかし、兄のことで頭がいっぱいになっている母は、そそくさと応急手当をしてくれただけで、彼女が火傷の痛みを訴えても振り向いてくれない。半狂乱のようになって兄の名前を叫んで歩く母を見て、彼女は、母にとっては自分より長男の方が大切なのだと感じたという。
 この女性の言葉に異を唱えるわけではないが、原子爆弾が引き起こした未曾有の惨状に直面して、彼女の母が平静を保っていられなかったであろうことは容易に想像がつく。長男であるか否かには関係なく、無事を確認できた子どもより、まだ安否が定かでない子どものことの方が気に懸かるのも無理はないだろう。だが、娘の目には母の振舞いは兄への偏愛として映り、その思いは70年経ったいまも彼女の胸に残っている。これはむしろ、それまでの暮らしの中で長男が特別扱いされるのを、彼女が何度となく見てきたためではないだろうか。被爆者の語りの中のちょっとした言葉遣いに、戦前の日本の家族のありようまでが垣間見えてくる瞬間であった。

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 また、この『ヒロシマの孫たち』の上演台本が早い段階から各国語に翻訳されて、今夏、イギリスやアメリカ、ベルギー、フィリピンなど世界のあちこちの舞台にかけられたことは特筆しておくべきだろう。パレスチナの劇場でも上演され、その様子は日本の毎日新聞にも報じられている。記事によれば、パレスチナの子どもたちは、無差別爆撃の犠牲者に共感を寄せたほか、戦後、アメリカ兵が日本の子どもにチョコレートを投げ与える場面に関心を示したという。パレスチナ人の間から情報提供者を得ようとするイスラエル軍の行為と、そっくりだからだそうだ。その意味で、本作の冒頭に、戦時中、他の子どもたちの羨望の的になるほど、たくさんお菓子を持っていた子どものエピソードが置かれているのは興味深い。この子の家は日本軍が常宿としていた旅館で、彼女は将校から余ったお菓子をもらっては、遊び仲間に分けてやっていたのである。作者の瀬戸山美咲が観客に注意を促そうとしているのは、このように軍隊が甘い顔を見せて子どもに近寄ってくる国家の恐ろしさであろう。

 要所で人形や小道具を巧みに用いるジョナサン・ペサブリッジと秋葉よりえの演出も的確だったし、何よりも、余計なひねりを入れずに被爆者の重みのある言葉をまっすぐ客席に届けた子どもたちの演技が素晴らしかった。公演終了後、作品に出演していた子どもたちは、劇場のロビーで待っている親のもとへ、まだ興奮の覚めやらぬ顔をして駆け寄ってゆく。わが子をにこやかに迎える親の姿を見ていると、爆風で埃まみれになって家に帰ってきたわが子を親がきつく抱き締めてやる劇中の一場面がまた脳裏に浮かび、平時のいまと戦時の70年前との間のあまりにくっきりとしたコントラストに目頭が熱くなるのを覚えた。本稿の冒頭に紹介した柿本多映より7歳年長の俳人、小原硺葉の近詠を引用して筆を擱くこととしよう。「いくさなき世に存へよ裸の子」。