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ダム・タイプ『S/N』photo: Kazuo Fukunaga
ダム・タイプ『S/N』photo: Kazuo Fukunaga

「プロローグ」

 「テクノロジー(技術)が変化することでパフォーミングアーツにどのような変化が起きたのか? 今回、テクノロジーの特集なので、そんな感じでヨロシク!」と柾木編集長から頼まれたものの、途方にくれた。
 テクノロジーって単なる道具であって、こんな道具があるからこれを使った表現を考えてみましたというだけで、それ以上でもないし、それ以下でもない。テクノロジーってそういうものだろう。最初、直感的にそう思った。
 シェイクスピアや近松門左衛門が現役だったころの舞台は、太陽の光がなくては上演自体が成り立たなかったので朝から夕方までの日中の公演に限られていた。それが、白熱電球などの灯りが発明され、進化することによって夜間の上演が可能となった。さらには、回り舞台やせり上がりの舞台の仕掛けなども機械化される。そして、音声の増幅装置や映像技術が導入されるようになった。いまやコンピューターを使わない上演の方が少ないのでは?というような現状である。
しかし、予算や人員の削減だけの目的からテクノロジーを使い始めたものは、たいていは、うまくいかない。では、テクノロジーをいかに効果的に使いこなすのか? ということが問われてくるのだが、その鍵を握るのは演出家と技術スタッフである。彼らの創造性がある高みに達すると、テクノロジーはテクノロジーとして意識されることなく観客をひきつけ心を動かすものになる。そして現在、新たなテクノロジーの進化によって、新たな方法が拡がっているというのも事実である。
では、具体的にテクノロジーがパフォーミングアーツにどのように使われているの? という検証をしたいと思う。特に私の専門でもある映像技術についてのことを中心に語っていきたいと思うのだが、それを検証する前に、映像の歴史を通して、どのように映像世界が進化していったのか? ということを振り返ってみたい。

映像テクノロジーの進化の歴史

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 映画の教科書には必ず書かれていることだが、映画(シネマトグラフ)は、フランスのリュミエール兄弟によって発明されたとある。草創期の映画はただ工場の入口を映していたり、汽車が手前にやってきてカメラ前を通過するというシンプルなものだった。当時、この汽車の映像が流れるとスクリーンの近くにいた人が逃げ出したという逸話は有名である。こうして、まず、映画のシステムが出来た。もともと映像とは動く写真である。写真を撮るためのネガフィルムをロール状にして一枚一枚感光させていき、その連続した写真が、映写機で投影されると、それが動く画となり、映画となる。当初はモノクロームのサイレントフィルムだった。当時は手回しカメラでの撮影だったので、一秒間に映されたフレーム数があいまいだった、その後、精確な一秒十八コマや二十コマの撮影と上映が可能となり、現在の標準は一秒二四コマとなっている。その後、それに音声トラックが付け加えられ、トーキー映画が完成する。制作者は映像と音声の両方を使いこなす必要が出てきた。この時代の変化についていけなかったサイレントフィルムの俳優を描いた映画が昨年アカデミー賞を受賞した『アーティスト』(二〇一一年・仏映画)である。さらに、モノクロからカラーへと進化し、現在のカラー映画が完成する。それ以降はフィルム自体のテクノロジーは大きくは進化していない。一九五〇年代は、映画という技術がひとつのピークを迎えた時期である。その後、家庭でテレビを見る人が増え、映画の制作本数が減少した。そして七〇年代に入るとビデオカメラが導入される。これはテレビジョンの普及によって出て来た技術である。テクノロジーの進化によって生まれるものもあれば、消滅していくものもある。ビデオカメラが進化しビデオの映像編集が普及する。その後、画期的な変化が起きる。映像のデジタル化である。ビデオテープで録画・編集されていた映像技術が、八〇年代後半から、コンピューター上で作業出来るようになった。映像のデータがデジタル化されたのである。コンピューター上で動画を扱うアプリケーションが開発され映像編集が行われる。撮影素材が画質の劣化なくデュプリケート(複製=コピー)出来るようになり、タイムラインを気にすることなくノンリニア編集をすることが出来るようになった。そして、ここ数年デジタルスチルカメラの技術が映像の技術にも応用され、デジタルで撮影する動画のシステムがどんどんと進化してきた。この辺りからビデオより進化したデジタル技術が映画の世界で使用されるようになった。そして、撮影後の画像加工や音声の加工、編集などもコンピューターテクノロジーの進化でとても簡単になってきている。十数年前までは、それらの動画を扱う、機材やソフトウェアは高価で貴重なものだった。特別な技術者がそれらの技術を使いこなし、ハイエンドと呼ばれる、費用がかけられる動画コンテンツの制作で使われてきた。しかし、この数年で事情はまったく変わってきた。デジタルの動画カメラの性能が進化し、映像編集もパーソナルコンピューターで出来るようになった。いまでは、軽自動車を購入するよりも安く、高度な映像制作の機器一式が手に入る。これが映像技術のいままでの簡単な歴史である。

映像テクノロジーとパフォーミングアーツの融合

 映像をパフォーミングアーツで最初に使い始めたのが音楽ライブ。なぜ、音楽ライブで映像が使われ始めたのか? それは観客数が圧倒的に多いから(※もちろん、観客が多いという意味ではスポーツもそうだろう。そして、スポーツ中継でも様々な映像の技術が使われ てきている)。舞台芸術系の劇場だとたくさん収容できるところで も二〇〇〇人が上限ではないだろうか? しかし、音楽ライブだと東京ドームクラスの会場での公演も動員可能となるので数万人 の観客を一気に集めることが出来る。動くお金も数十倍。その豊 富な予算を使って、当初は高価だった映像をライブに取り入れることができた。
 その後、機材などが安価になり演劇公演でも、効果的に映像を 使う舞台が登場してくる。
 余談だが、演劇と映画の両方を創作したアーティストも少なくない。芸術表現ジャンルの境界はあいまいである。そして革新 的なアーティストたちは新たなテクノロジーを使った芸術表現に チャレンジするものだ。ジャン・コクトーは、演劇と映画の両方 を作ったという意味では、初期の代表的なアーティストではない だろうか?
 演劇をやりながら映画を作ったアーティストとして日本で有名 なのは寺山修司だろう。寺山修司は、演劇も映画も詩も小説も独 特の世界観を表現できる作家だった。寺山は簡単に映像を作るこ とのできるビデオカメラにも興味を持つ。生前、詩人の谷川俊太 郎と交わしたビデオレターはあの時代先進的な試みで話題になっ た。しかし、あの頃はまだ映像技術のテクノロジーが舞台芸術と 融合するというところまでは至らなかった。
 では実際のパフォーミングアーツで映像などのテクノロジーは どのように使われてきたのだろうか?
 海外では、ナム・ジュン・パイクやヨーゼフ・ボイスなどがこ うした映像を使ったパフォーミングアーツの初期の第一人者と言われていた。その後、八〇年代から、テクノロジーを活かしたパ フォーミングアーツの表現が増えてきている。
国内のパフォーミングアーツとして、映像を効果的に使用し創 造性豊かなものとして特筆されるのは、ダムタイプの試みではな かっただろうか? ダムタイプの公演を実際に見ることはできなかったが、ビデオ上映会で『S/N』の記録映像を見た。舞台がまるで映画のスクリーンのようになっている。上半分が実際の出演者たちがパフォーマンスをするスペースで、下半分に映像が映写される。音と完璧にシンクロした動きと映像。時々、心臓のパルス音が重なる。その音がリズムを刻む。サウンドデザインとグラフィックデザインされた舞台に生身の身体が加わる。舞台下には意味のある言葉が映写される。現在のモーションタイポグラフィーの原型のようである。
 その言葉は「LOVE」「SEX」「LIFE」「DEATH」「MONEY」などの言葉。時々「a conspiracy ofsilence」(自己不利益になることについての黙殺の申し合わせ)という意味深な言葉などが映写される。
まさに古橋悌二の天才的な才能である! そして、同時に映像担当の高谷史郎をはじめとする音響、照明などの技術が奇蹟的に結集した公演だった。本作は今もYou Tubeで見る事が出来る。

 彼らの表現は「メディアアート」と呼ばれる。このメディアアートという言葉は、現在においてテクノロジーと舞台芸術(あるいはパフォーミングアーツ)が融合した言葉と言えるだろう。メディアアートの一部は、初台のICC(インターコミュニケーション・センター)に行くと無料で見ることができる。NTTが創立百周年記念事業として作った施設である。また、八〇年代の日本でこうした活動を紹介し支えていたのが、西武のセゾングループ。堤清二率いるセゾングループが七〇年〜九〇年にかけてアバンギャルドなアートを都市が受け容れていく土壌を作っていった。六本木の音楽と最先端のアートの展示場とも言われた「WAVE」(※六本木に八三年に出来たセゾングループのレコード店。地下には映画館があり、上階には「アールビバン」というアート系の書店があった。当時の若者たちは最新の文化に触れるためにここに通った。ちなみに同じビルに「SEDIC」というCGプロダクションがあり藤幡正樹などが在籍していた。六本木WAVEは九九年閉店)は当時、若者の聖地だった。その場所に今は、六本木ヒルズがそびえ立つ。時代の変化を象徴しているようである。日本はその時代を経て、最新のテクノロジーを使用したメディアアートを広く受け容れ理解する国に変容していったのではないだろうか? 〝pop culture〞という表現が日本で確立し、クールジャパンとして、アニメやコスプレ、そしてハローキティなどのカワイイキャラクター、さらには「AKB 48」やきゃりーぱみゅぱみゅ、Perfume、初音ミクなどの表現が海外に輸出されようとしている。これらの〝pop culture〞が大きく拡がるまでには、醸成期間というものがあった。それが、七〇年代から九〇年代にかけてのサブカルチャームーブメントである。オタクと呼ばれる人々が、主流となる文化の周縁に注目し、それがある瞬間に拡がっていく。そうして、現在、テクノロジーを駆使した日本の〝pop culture〞は日本文化のある種の主流となった。

「映像テクノロジーと舞台芸術の関係」

 九〇年代の日本の演劇で映像の使い方に関して印象に残っているのがナイロン100℃の舞台。ケラリーノ・サンドロヴィッチが作・演出する劇団。初めて見て衝撃を受けたのが『フローズン・ビーチ』(九五年紀伊國屋ホール)だった。劇中で映像がまるで映画のタイトルバックのように使用されていた。物語が進行していく暗転や幕間で映像が上映され、影絵のようなイラストを使ってナレーションあるいは字幕とともに舞台を補強する。それは、映画の大好きなKERAらしい演出だったとも言える。そして、こうした映像の使い方は、とても観客の想像力を刺激し豊かな気持ちになるということを感じた。それから二〇年近くナイロン100℃の公演を見続けることになる。映像作家として、ナイロン100℃の公演を支えているのが上田大樹である。彼の創作するアニメーションを使用したタイトルバックはそれだけですぐれた映像作品となっておりKERAの創造する世界とうまくマッチしていた。KERAの映画に対する愛情は彼の演出する作品にも色濃く現れている。『SLAPSTICKS』(二〇〇三年パルコ劇場)ではまさにバスター・キートンやハロルド・ロイドのスラップスティック映画を命懸けで作り続けて来た喜劇人を描いたものだった。またKERAの演出作品には、映画そのものが原作のものもある。『しとやかな獣』(〇九年紀伊国屋ホール)と『黒い十人の女』(一一年青山円形劇場)。KERAの昭和の映画好きな面がとてもよく出ている舞台だった。上田大樹はこうした作品にも劇中での映像を提供している。

「音響テクノロジーと舞台芸術の関係」

 音も、テクノロジーによってその表現の仕方が変化してきている。
 印象的だった舞台が燐光群が、翻訳上演した『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』(〇二年ザ・スズナリ)。これはブロードウェイの小劇場で行われていたものを坂手洋二が日本語版として上演したもの。ザ・スズナリの舞台は飛行機のコックピットのみ。CVRとは「cockpit voice recorder」の頭文字であり、航空機の「操縦室音声記録装置」のこと。航空機事故があったときこれを回収し事故の原因を探っていく。航空機の音声伝達で文字を伝えるときに「C」は「チャーリー」、「V」は「ビクター」、「R」は「ロミオ」と呼ばれているそうだ。本作はいくつかの飛行機事故の再現をこの「CVR」を基に再現したものである。ものすごい大きなスピーカーがスズナリに置かれており、実際の飛行機事故を再現するために大音量で効果音がスピーカーから飛び出してくる。衝突の場面や、緊急着陸のときの音量はまさに衝撃的な体験だった。本作では御巣鷹山に墜落したJAL一二三便の事故についても上演された。サウンドデザイナーのジェイミー・メレネスはインタビューで、大きな出力のスピーカーを特別に配置し、さらには舞台の座席の下にも仕込んだと語っている。日本では、そうしたことをほとんど音響監督の島猛が行ったらしい。日本の技術者の職人魂を感じるエピソードだった。
 吉祥寺にバウスシアターという映画館があり時々「爆音上映」という試みが行われている。これを企画プロデュースした樋口泰人は「爆音の上映の中から普段見えてないものが、見えてくる」と語る。ジャン・リュック・ゴダール監督の作品で、フランソワ・ミュジーという音響監督が手掛けた仕事は実験的な試みで溢れていた。『ゴダールの新ドイツ零年』(一九九一年・仏映画)という作品を「爆音上映」で見たのだが、小さい音では聞こえてこない通奏低音のようなノイズが聞こえてきて、独特の世界観を感じることができた。
 具体的に言うと、採掘現場の作業音みたいな音が全編を通じて聞こえてくる。産業文明に対する痛烈な批判のようにも感じた。同じような例で、デビッド・リンチ監督の映画『イレイザーヘッド』(一九七七年米国)がある。この映画では全編に工場の中の作業音がノイズのように聞こえてくる。これは爆音でなくてもきちんと演出的な狙いで音がはっきりと聞こえるのだが、見ていてとても無機質で非人間的な印象を受けた。音が作品のコンセプトに密接に関わっていた舞台で、近年印象的だったもののひとつに柴幸男が作・演出した『わが星』(ままごと)がある。三鷹市芸術文化センター星のホールで行われたこの公演は大きな話題となり、後に岸田國士戯曲賞を受賞した。日本語版ラップミュージックと言ってしまっていいのだろうか? □□□(クチロロ)のサウンドが繰り返される中、そのリズムに合わせて言葉が発せられる。その言葉はマクロからミクロへと変幻自在で留まることをしらず、俳優の身体がそれにシンクロする。町の中での挨拶の言葉の繰り返しから、それが宇宙の創生につながっていく。視点を変えれば、わたしたちの日常と宇宙は、実は同じようなものなんだよ! ということを柴幸男は音をデザインすることで観客に感覚的に訴えかけてくる。

「朝起きて、歯を磨いて出社して働いて働いて!」

 こうした意味の言葉が繰り返され、その繰り返しのサウンドが一体になったものから新たな感情が沸き出して来る。反復によって人間を描くというのは映画監督の小津安二郎の得意とするところでもあった。
 コンピューターミュージックの普及により音楽が簡単に作れるようになり、音のループは無限に可能になった。リズムも変幻自在で、実際「ガレージバンド」などのMacのバンドルソフトなどを使ってそのような音楽を作る人も増えている。
柴幸男のままごとと並んで語られる演劇パフォーマンス集団にマームとジプシーがある。藤田貴大率いるこの集団も、台詞を繰り返すことによって詩的な抒情を生みだす。もちろん台詞のバックに音楽が流れるのであるが、その音楽と生身の人間の肉声と身体がストレートに観客に投げ出されることによって強い効果を生みだす。音声は生身の観客に届き、身体の動きとシンクロしたものを観客は受け取る。柴幸男は青年団演出部そして藤田貴大は桜美林大学で平田オリザの薫陶を受けている。こうして「静かな演劇」という新しい方法を始めた平田オリザの背中を見て育ったものたちが、さらに「新しいエンゲキ」のスタイルを創作している。

「映像テクノロジーと舞台芸術の関係の現在」

 さて映像は近年、どのような形で舞台芸術に取り入れられているのだろうか? サイモン・マクバーニー演出の『エレファント・バニッシュ』(〇三年シアタートラム)(原作=村上春樹「象の消滅」より)はやはり特筆すべき作品。
 そのなかでも一番、印象に残っているのが大きな象の表現だった。マクバーニーは空中数メートルの場所にモニターを設置し、そこに象の目だけを映しだす。象の足許と思える場所に小道具が並べて置かれている。モニターに映し出された象の目の大きさと足許の距離から観客はそこにいる象の大きさを想像する。
マクバーニーは観客の想像力を信頼している、そうしてその信頼に応えようと懸命の努力をしてアウトプットの手法をひねりだす。

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 国内の演出家の例も少し紹介する。宮沢章夫のいくつかのプロジェクトはまさに映像がとても活かされた演出だった。シアタートラムで行われた若手俳優が中心となった『トーキョー・ボディ』(〇三年遊園地再生事業団シアタートラム)という舞台は、布で仕切りがされていて中がよく見えない部屋の内部の様子を、ビデオカメラで映すというもの。観客は空気を共有しているが薄いカーテン状の幕に隔てられており中までは見えない。観客は奥の部屋の様子を想像しながらテレビモニターを見る。しかし、モニターではフレームで切り取られた一部の映像しか見ることが出来ない。そのことで、実際以上にセクシュアルな感情をもったり、不安な感情をもったりする。見えないことによって感情が増幅する。その感じ方は観客のそれぞれの想像力に委ねられる。
 同じような話法としてポツドールの三浦大輔の演出にも触れたい。『騎士(ナイト)クラブ』(〇二年王子小劇場)では、AV(アダルトビデオ)の撮影が舞台設定になっていたのでビデオカメラが普通に小道具として登場する。三浦大輔作品の共通の特徴としてテレビモニターが必ず舞台のどこかに置かれている。「非日常の世界」をのぞき見せるポツドールの手法は、テレビモニターを通して「日常」の私たちと「非日常の世界」が紙一重でつながっている! というメッセージとして聞こえてくる。『騎士クラブ』では、向かいのアパートに住んでいる女を拉致して裸にし、男たちがその女を犯す様子をビデオカメラで撮影する。女は最初ものすごく抵抗するが途中から諦める。その後、女はシャワーを浴びるためにバスルームに入るのだが出てこない。ビデオカメラを持ってカメラマンが見に行く。カメラは居間のTVモニターにつながれており、バスルームの床を映しだす。と、バスルームの床に大量の血がシャワーの湯とともに流れている映像が映し出される。観客はそれを見て凍りつく! あの女はどうなったのか? 最初、この舞台を見たとき余りのインパクトに言葉を失った。それ以降、三浦大輔率いるポツドールは目覚ましい活躍をする。観客はどんどんと増え続けチケットの入手が困難になっていった。三浦の舞台では、ほかにTVゲームや携帯電話なども新たなテクノロジーの小道具として使われている。特に、携帯電話を効果的に使用しているいくつかの舞台が印象に残っている。

「フェスティバル/トーキョーの試み」

さて、テクノロジーと舞パフォーミングアーツ台芸術の現在を語るのにどうしても外せないのがフェスティバル/トーキョー(以下、F/T)の毎年の公演。その中でも、テクノロジーの現在とシンクロした象徴的な公演が『デッド・キャット・バウンス』(〇九年クリス・コンデック構成・演出)。
本作は、公演時間の二時間の間、実際にロンドンのストックマーケットの株を買ってみようというもの。ネット経由で株価を調べ、その推移を見ていく。株式の購入は劇場内の有志のカンパで行われる。小額ではあるが、自らが投資して俳優の説明などを聴きながら株価の推移について観察しながら実体験するという趣向はまさにテクノロジーの現在とつながったパフォーマンスとなった。終演後、投資した観客には配当金が渡された。

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 また、F/Tでの高山明の活動も注目すべき試みである。高山明の主宰するPort B は、『個室都市 東京』(〇九年)、『完全避難マニュアル 東京版』(一〇年)、『Referendum―国民投票プロジェクト』(一一年)『光のないⅡ』(一二年)と毎年F/Tでの公演を行っている。近年のPort B の特徴として、プロジェクトの特設WEBサイトを構築し、そのサイトを見た観客が、主体的にこのプロジェクトに参加し交流していくという仕組みを毎回作る。WEBの世界とリアル世界をこのプロジェクトがつなぐ。WEBで構築された情報世界を、観客は実際にそこにいくことによって体験する。体験することによって一期一会の経験になる。その日、その場所に居合わせたという感覚はとても演劇的なもの。この手法の斬新さが新たなテクノロジーを使ったパフォーミングアーツの新しいプラットフォームを作った。例えば東日本大震災のあった二〇一一年秋に上演された『Referendum―国民投票プロジェクト』では、会場には東京や福島などの中学生達へのインタビューが収録されたDVDディスクがたくさん置かれており、参加者はアトランダムにそれらのDVDの映像を見る。すべての解釈は参加者に委ねられ、高山はその環境を作っていくことに注力する。

プロジェクションマッピングの登場

最新の映像テクノロジーの動向についても触れておきたい。プロジェクションマッピングという手法が拡がっている。東京駅が新しく改築された記念として東京駅舎に映像が投影されたプロジェクト「TOKYO STATION VISION」(東京駅プロジェクションマッピング)が行われた。あまりにも見学者が集まりすぎて交通渋滞が起き、安全上から後半の上映が中止になった。この手法が、高精細プロジェクターとコンピューターなどの進化で簡単に出来るようになって、舞台でのプロジェクションマッピングの活用も拡がっている。舞台とこのプロジェクションマッピングの手法は相性がいい。実際の舞台の美術に合わせた形に映像が投影される。解像度も高くなってきておりリアルな感じがさらに強くなっている。単にフラットなスクリーンに上映するのではないリアリティがあり、いまここにいるという感覚を強く持てる。そのことはとても重要で、舞台芸術の持つ「一期一会性」を際立たせる。近年、際立ったプロジェクションマッピングはナイロン100℃の公演で多く見られる。その中でも『百年の秘密』(一二年本多劇場)は特筆すべき作品。先述した上田大樹の手になるそれは、百年続くお屋敷全体に映像が投影されるというもの。事前に撮影した俳優たちが出たり入ったりしたりするシーンなどでは、建物に独特な有機的な印象を残す効果を与えた。
 さらに進んだ手法が「au」の広告キャンペーンで行われた「FULL CONTROL TOKYO」。この事例では、最新テクノロジーを舞台芸術に利用し、新たな表現が生まれる可能性を示唆した。きゃりーぱみゅぱみゅが増上寺で行ったライブイベント。きゃりーの唄に合わせて増上寺に投影されている映像が変化し色が変わったり、東京タワーのライティングが変わったりする。そして、それを変えていくのがそこに参加している人たち。彼らは専用アプリ「ODOROKI」をダウンロードしたスマホを上下に動かしたり、画面をスワイプやスクロールすることによって変化を起こす。どういうプログラムが組まれているのか定かではないが、参加者の行動によってその効果が目に見えるカタチで現れる!

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インタラクティブに変容する仕組みによって「一回性」を獲得するというのは、実はとても重要なのではないか? 人間は感覚的にその「一回性」を感知し、その瞬間を全身で受け取ろうとする。
これからテクノロジーがさらに進化することによってGPSやAR(拡張現実)、またグーグルグラスの利用なども行われるようになるかも知れない。そして投影する動画も現在のHD(2K)と呼ばれるものから4倍の高精細解像度の4Kになっていくことによってさらに違った表現が出てくるに違いない。人間は、あるテクノロジーを使って何か新しいことが出来ないか? 面白いことが出来ないか?を常に考え続けている。

「エピローグ」

現在、大阪大学の石黒浩教授と「ロボット演劇」という最新テクノロジーを使った演劇に挑戦している劇作家・演出家平田オリザ。彼の作品『北限の猿』の中の一節に、「類人猿は、なぜ人類になったのか?」ということについて霊長類の研究者たちが語るシーンがある。その昔、ジャングルに住んでいた類人猿たちは木の上に立って広大なサバンナを見て、あの向こうには何があるのだろうと考え、森を離れ旅立っていった。そうした好奇心を持つものが人類になったという会話のシーンである。これこそ、私たちがいつまでも新しいものを探して新たな表現を探し続けている本当の理由なのかも知れない。

(1) モーションタイポグラフィーとは文字要素を映像として動かす技法。カイル・クーパーは映画『セブン』でのモーションタイポグラフィーを使ったオープニング・ムービーで一世を風靡した。(九五年米国)

※本稿はシアターアーツ55号「特集:テクノロジーと舞台芸術」より再掲載したものです。