助けを求める人に、耳目を凝らそう――NODA・MAP『兎、波を走る』/桂 真菜
無垢なものを傷つける、独善的で硬直した「どや顔」
アリスが送られたのは、行動規範を強いられる〈もう、そうするしかない国/妄想するしかない国〉だ。白いツナギ服で個性を隠す〈兎〉たちは、同化政策のために元来の生活圏から遠ざけられた〈異教徒〉や先住民とも考えられる。野田秀樹は人間をロボットのように均質化する〈穴倉〉の同調圧力を、戯画的に活写して批判する。国策に沿った〈再教育〉の抑圧を跳ね返すアリスの聡明さを、多部未華子は痛快に演じた。序盤では前世を語る脱兎に、矛盾点を指摘。中盤では文字を書き変えるアナグラムを使って、「兎」の正体を見破った。健やかな感受性が閃く笑顔とともに、「おかあさん」「助けてください」といった悲鳴が、観劇後も胸に残る。
アリスのように無垢なものを傷つける、〈兎〉を育む温床はどこか。脱兎は「強がり思い上がり独りよがりのどや顔たち」の「戦いのゲームの中」と説く。思想の種類を問わず、大義を押しつける輩(やから)は、支配力を競いたがる。冷戦下で対立した大国のため、二政権ができて分裂国家となったドイツやベトナムでは、統一後も戦禍の爪痕は消えない。
舞台に『イムジン河』(作曲=高宗漢)の旋律が流れると、二分された祖国を憂(うれ)う歌詞が脳裏に蘇る。今年(2023年)は朝鮮戦争休戦70周年だが、南北間の平和条約は未締結だ。
アリスを救いに〈現実の国〉と〈妄想の国〉の境に戻った脱兎は、国境警備兵に撃たれる。赤いロープを繋いだ鉄条網は、血痕の集積にも見えた。が、脱兎が他界したのか、外枠で初音アイ(AI)が挑発する射撃ゲームの標的として倒れたのか、判然としない。曖昧模糊の演出は、インターネットの普及にともない、死のリアリティが薄れる風潮を突きつける。
巨大な振り子が増殖する、〈時〉の迷宮
〈時〉を表す美術(堀尾幸男)が、芝居の緊張を高める。舞台奥で揺れる巨大な振り子は、数字が並ぶ時計の文字盤に似るが、数字は抜け、針がない。その欠陥は脱兎の懐中時計に揃う。往復のテンポは催眠術や、メトロノームによる拷問の雰囲気も運ぶ。壁面を覆う合わせ鏡(ハーフミラーと鏡)で無限に増殖する振り子は、一日24時間の制度に沿う不断の〈時〉や、アリスの母が子と別れてから凍りついた〈時〉など、幾種類もの〈時〉がせめぎあう妄想の迷宮を築く。
振り子は鼓動や寿命も表す。脈打ちが共通の母子にもつながる、ハートの女王の兵隊が掛けるトランプのハート(心臓)柄のコスチュームなど、衣裳(ひびのこづえ)は機知に富む。白いツナギ服のフードから伸びる兎耳の骨格は、シャープかつ生きものめく。衣裳とヘアメイク(赤松絵利)は調和がとれ、ヤネフスマヤのハート型に結った髪と、肩がきゅっと尖ったドレスは抜群のバランス。
想念と現実が反応しあう、本作の流動性を象徴する装置にも惹かれた。素材は淡い虹色がおぼろに煙る、プリズム・シートだ。丸い半透明のシートを、アンサンブルが捧げ持つ階段が宙に散る演出は、平和な日常の儚さを告げる。
アンサンブルの俳優たちは、息を合わせて美術のフォルムを生成し、空間の変容にも貢献。とりわけ溌剌と弾む役者は、柳に風と受け長ズボン副教官などを演じたアンサンブルキャストの森田真和。東京演劇道場公演『赤鬼』(作・演出=野田秀樹)のタイトルロール、木ノ下歌舞伎公演『東海道四谷怪談~通し上演』(作=鶴屋南北、監修・補綴=木ノ下裕一、演出=杉原邦生)の小仏小平役でも異彩を放った演技に、奥行きが出た。
映像と人形が、洗練された舞台のスリルと美を高める
物語に層をなす虚実を一段と錯綜させるのは、映像(上田大樹)だ。ステージを滑るたびに俳優たちが現れては消える紙は、眼前の俳優が人か幻か、時空は如何に、と観る側を攪乱。仕掛けは分かっても、立体感のある等身大の映像と、紙の運び方と速度に不意を突かれる。
華やかで奇怪な祝祭をもたらす人形(沢則行)の、精緻な造形にも圧倒された。『不思議の国のアリス』の人物や幻獣が、闊歩する際のボリュームが凄い。いかれたお茶会のメンバーは三月兎(秋山菜津子)、帽子屋(大倉孝二)、ヤマネ(野田秀樹)。三者は遊園地の所有者と作家の、アバターにも見える。大倉孝二はぬらりくらりと立場に応じて変貌し、ふらつく歩行に寄る辺ない心模様が浮かぶ。俳優の個性をお茶会メンバーに生かす、沢の作った帽子は、どの角度から眺めても面白い。神出鬼没のチュチェ猫(キャロルの小説ではチェシャ猫)は、両眼と開閉する口を役者3人で遣う。笑いだけ残して姿を消す、というチェシャ猫の特徴を具現した人形劇師の技量に驚嘆。プログラムに収録されたデザイン画の、精妙な色調と質感と筆致も素晴らしい。
複雑な視聴覚効果は、人間と映像が〈共演〉する場面でも駆使される。『アリスの話』を仮想現実に書き変える作家は初音アイ。そのバーチャルな声は、東急半ズボン教官がマイクを通して加工したものだった。可愛らしい初音アイの台詞を発話する教官役の山崎一の、謹厳と滑稽が交じる佇まいが、不気味な迫力を放つ。AIの創造的分野への進出と、人間の価値観がフェイクに影響される経緯は、現況を射る風刺だ。アバターの増加と劇場の破壊を結ぶ構成は、文化の推移が加速する世相に斬り込む。
いっぽう、シャイロック・ホームズがAR(拡張現実)で、歴史を遡(さかのぼ)る場面では、舞台に現れた紙にドキュメンタリー映像が流れる。60年代からの体制変革運動を含む画像のコラージュが、半世紀近く前に続いた連れ去り事件を喚起した。罪なき人が拘束されてさらわれる事件は、最近も洋の東西で起きている。人の自由を奪い尊厳を傷つける所業に対して、国際連合で人権侵害の非難決議が採択されても、囚われた者の解放は滞りがちだ。大切な人との再会がかなわぬ悲憤は、アリスと母を苛(さいな)む憔悴に重なる。
舞台の進行につれて、ヤネフスマヤら外枠の人物はメタバースを彷徨(さまよ)い、劇中劇の『アリスの話』が此岸の切羽詰まった課題を照らす。集団間対立が生んだ被害者の救済は急務、と痛感させる表現に安易な楽観はない。ただ、改悛した脱兎とアリスの母が互いの思いを理解しあう過程に、かすかな希望が灯る。虐げられた者に手を差し伸べる姿勢が共鳴して、立場の違う二人は分断を埋め始めたのだ。両者の対話は、世界を破滅に導く敵意を、鎮める可能性を示唆する。『兎、波を走る』はデジタル技術の進歩に揺れる観客に、環境の変化を受容しつつ、理不尽な事件の解決に向き合う必要性を訴えた。〈母〉が赤子を保護する際に筆者が感知した〈助けを求める人に耳目を凝らそう〉というメッセージは、複合的な敵対関係が地球に拡がるにつれて、切実さを深めていく。