アヴィニョン演劇祭の再誕生と復活——新ディレクター、ティアゴ・ロドリゲスのもとでの最初の演劇祭/藤井慎太郎
今年の作品から
ここからは、今年のアヴィニョン演劇祭で印象に残った作品を、筆者が観劇した順にいくつか取り上げたい。
まずは教皇庁は栄誉の中庭(Cour d’honneur du Palais des papes)で演劇祭開幕を飾ったジュリー・ドゥリケ『ウェルフェア(福祉)1)フランス・テレヴィジオンのウェブサイトで視聴可能(2024年4月15日まで。日本からはVPN接続が必要)。』(Julie Deliquet, Welfare、筆者は7月14日観劇)であるが、これはフレデリック・ワイズマン(Frederick Wiseman)が監督した同名のドキュメンタリー映画(1973、公開1975)をもとに翻案、舞台化した作品である。同映画は演劇祭に合わせて再びパリでも上映され、その剥き出しの現実が持つ力、当事者の苦しみと絶望(だが、同時にカメラがとらえた個性と魅力)を再確認できた。社会保障手当(日本でいえば生活保護にあたろう)の受給を扱う臨時の事務所を舞台としているが、体育館のように舞台床面には白いラインが引かれ、バスケット・ゴールが設置されてもいる(このずらしは、映画からの時間的・地理的・文化的距離を象徴するかのようである)。アメリカ合衆国の困窮者たちを描いているようでいて、彼らが直面する過酷な貧困の現実は、ドゥリケが2020年からディレクターを務めるジェラール・フィリップ劇場(Théâtre Gérard Philipe)が位置するセーヌ=サン=ドゥニ県——フランスで最も平均所得が高いパリに隣接しながら、海外県を除けば最も平均所得が低い——の市民の現実にも重ね合わせられる。
アリアーヌ・ムヌーシュキン(Ariane Mnouchkine)についで——第77回にして——2人目の女性演出家による開幕作品であるというばかりか(いずれもジャック・ルコック演劇学校の出身であるのは興味深い)、これほどの規模と重要性を持つ舞台において、非白人の俳優が多数を占めたことは、これまでのフランス演劇では前例がなかったのではないか。だがその一方で、原作のドキュメンタリー映画には当事者がそのまま登場するのに対して、プロの俳優が起用された本作では、俳優がうまく演じるほどに——実際にうまいのだが——現実性が演劇性の背後に隠れてしまうという「俳優の逆説」、ドラマトゥルギーにおける不調和もまた浮き彫りになった。
スザンネ・ケネディ&マルクス・ゼルク『アンジェラ(奇妙なループ)』(Susanne Kennedy et Markus Selg, ANGELA (a strange loop)、7月15日観劇、ドイツ語読みすれば「ズザンネ」と「アンゲラ」か)は、相馬千秋がディレクションを手がけた世界演劇祭(Theater der Welt)に続いて、アヴィニョンでも上演された作品である2)柴田隆子の劇評にも詳しい。(同じく相馬が手がけるシアター・コモンズにおいて、VR作品が2021年に日本でも紹介されているが、フランスでの本格的な上演はこれが初めてだという)。本作品によってケネディは、ヴァーチャル化、脱現実化、ポストヒューマン化が進んだ、近未来の人間のディストピア的現実を観客に突きつける。その変容した現実からは人間味と現実味が失われ、不気味さ、よそよそしさ、落ち着きの悪さを観客に感じさせる。登場人物が生きる空間はコンピュータのプログラムの中のヴァーチャル空間のように見え、彼らが口にする台詞は合成音声のように加工されて聞こえる(実はその声はライヴでさえなく、あらかじめ録音されたものだという)。視覚的にも聴覚的にも「不気味の谷」が感じられるように、作品の諸要素は計算され、配置されており、観客は現実から疎外された人間の戸惑いと狼狽を感じるばかりである。劇場を離れた後にも違和感と後味の悪さがずっと心にひっかかり続ける、トラウマ的ともいえる経験を生じさせることに見事に成功した作品である。
ミチカズ・マツネ&マルティーヌ・ピザニ『このあたりのどこか』(Michikazu Matsune et Martine Pisani, Kono atari no dokoka、7月15日観劇)についてもふれておきたい。マツネは現在、ウィーンを拠点として活動するパフォーマンス・アーティストであり、今年の演劇祭で唯一、アジア/日本に出自を持つアーティストであった。1980〜90年代にフランス現代ダンスの中心的担い手であったものの、1996年に多発性硬化症を患って以来、一線から忽然と姿を消した女性振付家・ダンサー、マルティーヌ・ピザニに焦点を当てる。車椅子姿の彼女を舞台に登場させ、ドキュメンタリー演劇的に彼女の半生をたどる。そこに、ときに俳句の引用を挟みつつ、神戸に生まれ育ったマツネの半生も重ねられる。マツネはときにピザニ作品の復元・再演を試みるが、ピザニによって否定され、いずれも不発に終わる。
一見するとドキュメンタリー演劇としても踏み込みが不十分であるようにも感じられるのだが、それはピザニが自らの活動をほとんど記録しなかったために、アーカイヴ資料がほとんど存在しないことによるのだと、上演の後で人づてに知った。これがダンスの記録/記憶と継承の(不)可能性をめぐる作品だと考えると、作品の射程は最初の印象よりもずっと深いものであることが理解される。それが観劇の瞬間において理解されるものであれば、もっと深い感動を観客に与えていたにちがいない。
カロリーヌ・バルノー&シュテファン・ケーギ『共有される風景』(Caroline Barneaud et Stefan Kaegi, Paysages partagés、7月16日観劇)は、リミニ・プロトコルの中心メンバーであるケーギが、スイスのヴィディ=ローザンヌ劇場(Théâtre Vidy-Lausanne、アヴィニョンを離れたヴァンサン・ボードリエがディレクターを務める)のカロリーヌ・バルノーとともにキュレーションを手がけ、同劇場が制作し、ローザンヌ郊外で5月に初演されたばかりの作品である。リミニ・プロトコルもまたかつての常連であり、企画の意外性によっても事前の期待を集めていた(とはいえ、新型コロナウイルスが猛威を振るう最中の2020年7月に、スイス国境に近いアネシー近郊のアルプス山脈を臨む野外空間において開催された『大いなる散歩』(La Grande Balade)のような前例がすでにある)。ようやく日差しが和らぎ、気温が下がり始める16時に開演し(とはいえ、アヴィニョンの北郊ピュジョーPujautの村までは貸切バスで移動するために、最も暑い時間帯に移動を強いられる)、日没後の23時頃に終演する。7時間ほどの間に、観客は里山の林の中を歩いて移動し、30〜40分の短い7作品が場所を変えて繰り広げられる趣向である(うち3作品は、300人弱の観客が3グループに分かれて、移動しながら体験する)。
多くの作品は、今日のテクノロジーの助けを借りて、ワイヤレス・ヘッドフォン(あるいはスピーカー)から聞こえる声や音楽を通して体験するものであって、生身のパフォーマーなしに演じられる「ポストヒューマン」・パフォーマンスである。それによって、出演者の移動を伴わずに作品のツアーが可能となるように構想されてもいるのだろう(音楽演奏者および1作品に登場する身体障碍者は、ローザンヌとは別に現地でキャスティングされたそうだ)。ケーギに加えて、近年注目されているエル・コンデ・ドゥ・トレフィエル(El Conde de Torrefiel)も参加していたのだが、小品を集めて並べただけの印象が強く、期待を裏切るほどではなかったとしても、それを超えるほどの出来でもなかった(ローザンヌ郊外での初演も見た関係者の話では、そちらの方が成功していたようである)。
クララ・エドワン演出、ジャン・ジオノ原作『喜びは永遠に残る』(Clara Hédouin, Que ma joie demeure, d’après le texte de Jean Giono、7月17日観劇)は、『共有された風景』が終わった翌日から、それも早朝6時(!)に、アヴィニョンの南の郊外にあるバルバンターヌ(Barbentane)の自然の中で開演し、さらに上演時間が6時間半に及んだ作品である。プロヴァンスとも縁の深いジオノによる、フランスではきわめてよく知られた同名小説(1935)にもとづいている。自然の山野の中で、観客は俳優やスタッフに導かれて場面ごとに場所を移動していく、一種のシュタツィオーネンドラマ(Stationendrama)仕立てになっている。朝の柔らかい光と爽やかな空気の中で開演し、朝食をとることも可能な長い休憩を間に挟んで、終演する頃には日差しがぐんぐん強まっていく、そんな一日の変化を観客は同時に身体を通じて感じとる。
場面ごとに俳優が演技する領域、観客が陣取る領域と、その背景をなすセノグラフィとしての自然が巧みかつ厳密に計算されており、ローザンヌからやや力業でアヴィニョンに移植した感が否めない『共有された風景』よりも作品としての完成度は上回って感じられる。最小限の音響機器を除いては、電力を消費する照明も映像の投影もIT技術も用いられていなかったことも印象に残る。電力の発明以前の時代に、あるいは屋外で留(stations)を用いて行われた中世演劇に(または「十字架の道行き」の祈りのように)、さらには大自然を借景として上演されたギリシア演劇に回帰しようとすることが演劇のひとつの未来を指し示しているのだとすると、きわめて興味深いことである。
註