【追悼】ジョルジュ・バニュ氏(演劇評論家、元国際演劇評論家協会会長)
2023年1月に、国際演劇評論家協会の会長を務められたジョルジュ・バニュ氏が、79歳でお亡くなりになられました。
バニュ氏は1943年ルーマニア生まれ。
フランスで長年、演劇評論家として活躍され、その業績は世界中の演劇人から尊敬を集められた方でした。
バニュ氏のご逝去を悼み、日本センターでも、氏を知る3人の方から追悼の文章をお寄せいただきました。
AICT本部現会長のジェフリー・ジェンキンス氏による追悼のメッセージは、以下のサイトでお読みいただけます。
バニュ氏の思い出/穴澤 万里子 |
批評の原理――ジョルジュ・バニュ氏との対話より/西堂行人 |
ジョルジュ・バニュ氏への感謝/岡本章 |
私がパリ第3大学に留学していた90年代、ジョルジュ・バニュ氏はスーパー・スターであった。当時、バニュ氏はパリ第3大学I.E.T.(Institut d’Études Théâtrales、演劇学科)で教鞭をとる傍らAICTのフランス支部会長・本部会長(1994-2000)を務めて世界中の演劇祭に参加し、出版社Act Sudの演劇部門Le Temps du théâtre「演劇時間」を統率されていた。現代演劇シリーズはI.E.T.の学生のみならず多くの演劇愛好家、または演劇人が必ずと言っていい程手に取る。また彼が共同編集をしていた演劇雑誌Alternatives théâtralesは写真も豊富で美しく、毎回テーマに沿った原稿はどれも読みごたえがあり、旬の演劇に関する分析も刺激的であった。
小柄で太目、ひげを蓄えたまん丸なお顔は、よく見ると博物館で見る古代ギリシャの哲学者の彫像の様でもある。眼鏡の向こうから悪戯っぽく笑う姿はどこか愛嬌があって、人を和ませる。そしてあの独特の訛り。ルーマニア人のバニュ氏はフランス語を話す時はひどく訛るのだが、ご自分では結構気に入っていて、あえてそれを通していたのではないかと思う。元々役者を志していたバニュ氏らしい自己演出である。一度その姿を見たら忘れないだけでなく、一度その声を聞いても忘れない、存在感のある人であった。そしてその存在感を上手く利用した人でもあった。どの劇場、どのフェスティヴァルに行っても必ず見かけた(というか、目に入ってしまった)バニュ氏は、そのユニークな外見とは裏腹に、実に繊細、かつ鋭い視点で演劇を見つめ、さらにそれを詩的で哲学的な言葉に変換することが出来る稀有な劇評家・演劇研究者であり、近寄りがたい存在であった。
大学では、バニュ氏の授業は人気があり、教室は超満員であった。私が学生だった90年代、彼の授業では一人の演出家を取り挙げて、実際に観劇もして半年かけてその人物の演出を検証していた。この授業がバニュ氏の功績の一つに数えられる現代演出家シリーズの基だと気付いたのは、ずっと後になってからである。学生たちの興味をそそったペットボトルに入った謎の飲み物を片手に教壇に立ち、訛りの強いフランス語で一気に話し、私たちを煙に巻いて教室を後にする。そして学期が終了する頃には学生のレポートから大いにインスピレーションを受けたと言いながら、皆のレポートを少しずつ引用したりして(!)新しい書籍を出版されるのであった。バニュ氏の周りには常に取り巻きがいて、授業も彼らを中心に進んでいく。当時のバニュ氏は幾つもの仕事を精力的にこなし、大学では本当に優秀な学生にしか興味がなかったと思う。私は当時、地味だが学生の指導と研究に勤しむ教授についていたので、華やかなバニュ氏の界隈には縁遠かった。そんな関係性が変化したのは、20年程前からである。
私がAICTの本部理事時代に理事会やシビウ演劇祭でご一緒する機会が増え、話す機会が多くなった。パリを訪れる度に連絡するようになり、マレ地区のご自宅に伺い、散歩やカフェにご一緒して、多くの時間を共有させていただいた。今、振り返ってみるとそれはなんと豊かで幸福な時間であったことだろう。何気ない会話の中にバニュ氏の鋭い感性と教育者らしい説諭をみた。私にとってのバニュ氏はやはり先生なのである。2020年4月、コロナ禍でルーマニアで刊行された雑誌Secolul 21の特別号「ジョルジュ・バニュ」には氏の依頼で書いた私の拙文「師からの贈り物」が載っている。バニュ氏のお宅を訪れた際に頂いたもみの木のオブジェについて触れ、師とは何か、弟子が師の背中を見て学ぶことについて述べている。この文章を読んだバニュ氏は、自身の背中についてのエッセイ集L’homme de dos : peinture, théâtre 『背中の人~絵画、演劇』(2001)1)この本の中でバニュ氏は絵画や舞台に登場する<背中の人>を紹介し、想像を拡げている。を思い出す、と喜んでくれた。
日本とのかかわりに関して言うならば、渡邊守章氏という優秀な指南者を得て日本演劇に触れたバニュ氏にとって、日本演劇、そして日本は特別な国になったに違いない。その時の日本での思い出が彼の代表作L’Acteur qui ne revient pas (1986)『戻らない役者』に結実している。だからこそ2016年12月17日(土)に明治学院大学で開催された国際シンポジウム「アングラ・小劇場の成果と課題」に招聘した際は非常に喜んでおられた。
2020年3月には同じ明治学院大学で「メーテルリンク・ルネッサンス」と題して国際シンポジウムを開催する予定であった。その際の登壇者のお一人がバニュ氏の奥方、Monique Borieモニック・ボリ氏であった。アルトーを中心とする現代フランス演劇を専門とされる彼女も私の学生時代の先生であった。新型コロナウィルスの感染拡大でシンポジウムは3年延期となり、その間世界は一変した。願わくば2024年3月、4年の時を経てシンポジウムを実現させ、それを我が師、ジョルジュ・バニュ氏の追悼としたい。
ジョルジュ・バニュさんが亡くなった。フランスのみならず、「世界の演劇批評家の父」だっただけに、その死は大きな悲しみをもって受け止められた。わたしにとっても氏との関わりは格別のものがあった。初めてお会いしたモントリオールでの世界会議で、氏はわたしの発表を高く評価してくれ、その後の批評人生の大きな励みになった。その時のことを思い出しつつ、バニュさんと交わした批評の根幹になる原理について記してみたい。
1、モントリオール世界会議より
2001年5月29日より6月2日まで、カナダのケベック州モントリオール市で国際演劇評論家協会(AICT)の世界会議が開催された。わたしはこの会議に初めて参加し、改めて世界の多様さとその動向の一端に触れた。
AICT世界会議には、世界の四〇ヵ国から九十名前後が参加したが、それぞれ大陸や地域でクリティックの役割が大きく異なることに気づかされた。例えば、会議に参加した批評家は概ね次の三つの立場、三つの世界に対応すると思われた。
Ⅰ、ヨーロッパの文化先進国(英仏独など)
この第一セクションは劇場文化が成立している国で、制度としての公共劇場と豊かな助成金をもとに、「演劇は芸術である」ことが不動のものになっている。会長のジョルジュ・バニュ氏はこのセクションを代表するが、彼の立場はやや特殊である。これは後述する。
Ⅱ、都市型演劇(米国、日本、韓国など)
第二セクションは、演劇が文化として存在するより、商業主義が勝り、「娯楽としての演劇」を不可避としている立場である。批評は商品価値の鑑定人になる場合が多い。
Ⅲ、第三世界(旧東欧、中南米、極東を除くアジア、アフリカ)
三つ目の立場は一番明確で、「生きる道具としての演劇(=文化)」が実践されている地域を指す。経済的な困窮さ、政治権力との対立など、演劇以前に解決すべき問題が山積して、「運動としての演劇」が必須となる。
この三つの立場は、出席者の態度、発表への意欲、議論の緊要度などあらゆる局面で表われた。第一の立場は概してサロン的であり、ヨーロッパの貴族社会の伝統が今なお残っていることをうかがわせる。第三のグループからはいかにもアグレッシブな活動家が揃っていた。彼らは行動的であり、情報交換も熱心で発言も活発だった。一番あいまいな立場が第二の「都市型演劇」派である。わたしは一応第二セクションに日本の立場を措定したが、同時にわれわれはⅠを志向しつつも、Ⅲにも近いのではないかとも思われた。
日本の演劇史を振り返ってみると、アングラ・小劇場運動の「勃興期」は、確実にⅢの立場にあった。ところが八〇年代以降、相対的富裕期を迎えると、次第に立場が不分明になっていった。実験的な試みさえも「娯楽作品」であることを求められるようになった。これは「小劇場の熟成期」に対応している。その頃から、われわれのポジションはⅠでもⅢでもない、あいまいな立場に移行したように思われる。
ところでⅠのグループである先進ヨーロッパの中にもⅢを志向する者も少なからず存在した。それがジョルジュ・バニュ氏である。ルーマニア生まれの彼は、前衛・実験劇を志向しつつも、ヨーロッパの正統的な演劇史に依拠しながらマイナーな運動を擁護した。言い換えれば、ヨーロッパの「内部」から「外部」の道をつくり出し、第三世界の演劇を支持するのが彼の立場なのである。
この会議の全体を貫くテーマは「言語の障害を壊す」(Breaking The Language Barrier)だった。わたしは「テクストの解体/解体するテクスト」Deconstructing “Text”を発表した。六〇年代以後の演劇をテクストの変容に即して分析し、その消失点はどこにあるのかに言及したものだ。だがテクストがなくなっても、演劇の言語は必要ではないか――こう問いかけたのが、他ならぬバニュ氏だった。これを機に、会議中、彼との対話を二度持つことができた。
2、批評の原理について
バニュ氏はわたしの批評の立場の共通点として、「劇現場の活動を近くからフォローしている」と述べた上で、以下のように批評について語ってくれた。
ある時代を覆う現象を一つのパースペクティヴでまとめあげようとするところに批評のダイナミズムがあるのですが、現在のメディア状況はどんどん批評にとって悪くなっています。新聞がさく演劇欄のスペースも小さくなっています。
そこからバニュ氏はわたしの論考に言及しながら、批評の問題点を次のように摘出した。
1.批評は思索(思考)の運動である。
2.批評は創造現場にプロブレマティック(問題)を突きつけることである。
3.批評は具体的な作品からセオリー(理論)を抽出することにあるのだが、一つの作品や作家だけを論じるのではなく、時代の根底にある潮流を摑み出すことが必要である。
この三つの指摘は実に明解だった。わたし自身、これまで「演劇思想」や「問題演劇」という言葉で自身の思考を展開し、劇評家というより「時評家」を自認してきたことを、バニュ氏は的確に摑み出してくれた。とくに劇現場へ「プロブレマティックを突き付ける」という批評の根幹に関わる原理は、これまで日本ではなかった指摘でもあり、大いに勇気づけられた。
日本の中での批評活動は、ある種の孤立感を強いられる。実験が実験として評価されるのではなく、「娯楽」という回路を経ないと見向きもされない現今の演劇状況――それ自体が演劇文化が未成熟な証左だ――では、批評家はアクティヴィスト(活動家、運動家)にならざるをえない。個別の舞台批評や評論を書くだけでなく、言論の場を組織し、前衛的な演劇の紹介とそこから生まれてきた理論の言説化、後続の批評家の育成や組織化のための雑誌の発行など、すべて自前でやらざるをえない。ジャーナリストや新聞記者、研究者など立場が確保されたものと違って、批評家は立場なきことを立場にするより他ないのである。
バニュ氏は、「世界(外国)に興味のある者はあくまで少数者です。自分もあなたもそうであるように、多くの者は国内にしか興味が向かわないのです。」
現実に接点をもちながら、具体的な劇の創造現場に近いところで批評活動を志向すること。これがアクティヴィストの立場だ。バニュ氏はフランスにいながら、アクティヴィストとして活動し、第三世界の演劇を支援し、マイナーな演劇を擁護した。それがジョルジュ・バニュ氏の立場であり、思想だった。
わたしはバニュ氏を悼むとともに、新たな批評の闘いを始めねばならないと思った。(『シアターアーツ』15号[2001年]より抜粋・加筆)
二〇一六年十二月に明治学院大学で、国際シンポジウム『アングラ・小劇場の成果と課題――現代演劇の未来に向けて』が開催された。その際にジョルジュ・バニュ氏に特別講演をお願いし、大きなお力添えをいただいた。そのシンポジウムでは、日本のアングラ・小劇場演劇が達成した成果、核心を浮き彫りにするとともに、また、その限界や問題点についても捉え直された。そのため多様な視座からの対象化の作業が必要となり、世界の現代演劇についての理論と実践の研究の第一人者であるバニュ氏にお越しいただき、その特別講演を軸にして、活発な議論が交わされた。
バニュ氏の「西洋のアンダーグラウンド演劇の系譜」と題された講演は、数々の学問的業績と様々な舞台現場の作業についての、深く鋭敏な感覚に裏付けられていて、説得力を持って参加者を魅了した。アントナン・アルトーのテクストの発見を基盤に、身体性を重視し、制度への徹底した反抗を行った多彩な演劇的実験の試み。リビング・シアター、パンと人形劇団、グロトフスキーの実験劇場、ピーター・ブルック、バルバのオーディーン劇場などの作業の核の部分が的確に問い直された。そして、そこから分岐する試みとしてタデウシュ・カントール、ロバート・ウィルソン、リチャード・フォアマンなども取り上げられ、さらには、境界の超越としてピナ・バウシュの舞踊も論じられ、西洋のアンダーグラウンド演劇の系譜、水脈が明瞭に浮かび上ってきた。また、それとともに有難かったのは、バニュ氏が持参されたグロトフスキーの『アクロポリス』をはじめとする、貴重な六十年代、七十年代初頭の舞台映像記録の上映で、ほとんどが未見であり、強い衝撃を受けた。
このシンポジウムでは、バニュ氏の特別講演を中心として、多様な発表、パネルディスカッションが行われ、日本のアングラ・小劇場演劇と、西洋のアンダーグラウンド演劇の作業の共通性と差異が浮き彫りになり、日本の現代演劇が抱えるアクチュアルな課題、困難を超えて行く重要な手掛りをそこで得ることが出来た。
この度のバニュ氏の突然の訃報に接し、深い感謝の念を申し上げるとともに、心よりご冥福をお祈りしたい。
(演出家、俳優。元明治学院大学教授)
註
1. | ↑ | この本の中でバニュ氏は絵画や舞台に登場する<背中の人>を紹介し、想像を拡げている。 |