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被害の当事者と彼らを演じる非当事者-『Prisoners of the Occupation』(東京版)

 舞台の特徴に話を戻そう。すでに述べたように『Prisoners of the Occupation』(東京版)は公演全体の前半にあたるが、特筆すべき点が2つあった。一つは、パレスチナ人俳優カーメル・バーシャーが俳優として舞台に立ったこと。もう一つは、日本側の俳優たちが劇を中断して寸劇やコメント、レクチャー・パフォーマンスを行い、公演前に滞在したイスラエルで体験した事柄を観客に伝えたことである。

 まず、バーシャーの存在について述べよう。開演すると、劇場内にパトカーのサイレンや騒音が響き、イスラエル警察がパレスチナ人を逮捕する写真が何枚も舞台に投影される。続いて場面は取調室になり、いかにも粗暴な取調官2名(鍛治直人と松田祐司)が、逮捕された若いパレスチナ人ウィサーム(西山聖了)を怒鳴りあげ、痛めつける。警察は別のパレスチナ人の名前を言わせるためにウィサームを逮捕したのだ。筋書き通りに自白するまで、ウィサームに苛酷な暴力が振るわれる。演劇であるとはいえ、拷問を目にするのはつらい、いつまで続くのだろうと思い始めたとき、この場は制止される。

 制止したのは、レバノン映画『判決、ふたつの希望』でパレスチナ難民を演じ、第74回ベネチア映画祭最優秀男優賞を受賞したパレスチナ人俳優カーメル・バーシャーである(映画は2018年に日本公開された)。舞台右手の椅子に座って拷問シーンを見ていた彼は突然立ちあがり、俳優たちに声をかけて場面を止め、取調官を演じる鍛治と松田の演技を生ぬるいと叱りつける。そして、ウィサームを演じる西山を壁にたたきつけ、イスラエルでパレスチナ人が囚人として受ける非人間的な扱いを観客の目の前で実演するのだ。

カーメル・バーシャー、西山聖了
撮影=坂内 太

 バーシャーの迫力に驚く鍛治があわてて止めに入るが、もちろんこれらすべては演技である。とはいえ、実際にイスラエル警察に暴力を振るわれた経験を持つバーシャーが、当事者ではない日本側の俳優によるイスラエル警察の拷問の場面を演技指導し、過酷な尋問に耐える心構えをアドバイスしたりする姿には、はっとせざるをえない。

 バーシャーは劇の最後で言う、ウィサームの物語はバーシャー自身と彼の同胞が刑務所で体験した事実をもとに作家が再構成したものであると。彼は、彼と彼の同胞が体験し、今も体験し続けている屈辱を演技指導しているのだ。彼の心の奥底にある怒りと哀しみが客席に伝わる。非人道的な状況を知った観客一人ひとりが声を上げ、国内外から非難の声がイスラエル当局を動かし、パレスチナ人の人権状況が改善されるまで、怒りはなくならないだろう。

 

日本側の俳優たち:中断という手法の面白さ

 もう一つの特徴は、演出上の工夫に関連している。俳優たちは翻訳された原作をそのまま上演しているのではない。公演前の2023年1月、演出家と俳優たちはイスラエルに1週間滞在し、現地でワークショップを行うとともに、作家が聞き取りを行った当事者にも会い、収監時の体験を聞いた。そして原作に手を入れ、自分たちがイスラエルで見聞きした体験などを語る場面を付け加えたという1)同上。。こうして原作は要所要所で中断され、俳優たちの寸劇やコメントが挿入されることになった。ブレヒトの叙事演劇で有名な寸劇やコメントによる舞台の中断と客観化である。

 たとえば日本側の俳優三人(鍛治、松田、西山)はパスポートチェックの際の係官とのやり取りや分離壁の印象、イスラエル軍が占拠しているヘブロンの閑散とした町並みなどを現地の画像を示しつつ寸劇として演じる。パレスチナ闘争を歴史的に振り返るレクチャー・パフォーマンスもある。拷問シーンを演じたすぐ後では、当事者に実際に会ったときの印象が語られる。暴力を振るわれた彼らの身体や精神には、今でも後遺症が残っているという。取調中の暴力は法律により禁止されているが、緊急事態という例外が認められており、現場の取調官が緊急事態かどうかを判断するため、公然と拷問が行われる。こうしたコメントや寸劇、レクチャーを通して、イスラエルにおけるパレスチナ人の状況が観客に伝わり客観化される。

左から松田祐司、鍛治直人、西山聖了、カーメル・バーシャー
撮影=坂内 太

 イスラエルで体験したエピソードを寸劇で再現する鍛治、松田、西山の三人は、自分たちが当事者でないことを明確に示しつつ、当事者と非当事者をつなぐメディア(媒介)として振る舞う。日本側の俳優たちが原作を中断して行う寸劇やコメント、レクチャーには、イスラエルの支配的なナラティヴ(語り)に対抗してパレスチナのナラティヴが立ちあがる様を日本語で見せる効果もあった。ここにバーシャーの当事者としてのコメントも加わり、語りは幾重にも交差した。

 「パレスチナ人ならだれでもウィサームになりうる」と語るバーシャー。パレスチナの民謡を歌い、「ここで皆さんが見たのは、演劇以外の方法では不可能なこと」と語った後、彼は「私たちは劇場にいる。彼らは刑務所にいる」と述べて『Prisoners of the Occupation』(東京版)を締めくくった。

カーメル・バーシャー
撮影=坂内 太

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1. 同上。