Print Friendly, PDF & Email

翻訳者による前書き

 以下に訳出するのは、ハーバード大学演劇学専攻のマグダ・ロマンスカ(Magda Romanska)氏から、AICT日本センター会員の平田栄一朗氏へと届けられた文書「未来の演劇のためのマニフェスト」の拙訳です。このマニフェストは、ハーヴァード大学の「未来演劇研究集団超域実験室(futureStage Research Group MetaLAB)」が執筆したもので、感染症で苦境に置かれた演劇活動の打開を目指して、演劇の社会的意義とその革新を訴えることを主眼としています。すでに、ロシア語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、中国語版でも公表され、ルーマニア語とハンガリー語版がそれに続くとのことです。興味深い提言がなされているので、この機会に平田氏からの相談を受けた本橋が日本語でも紹介することにいたしました。ロマンスカ氏は俳優、批評家、教員として幅広く活躍され、演劇ウェブサイト「The Theatre Times」の中心メンバーでもあります。「The Theatre Times」では、随時演劇評論や舞台評を募集しているとのことですので、ご意思のある方はぜひロマンスカ氏にご連絡ください。

 マニフェストの原文は、以下で読むことができます――
A Manifesto for the Future Stage: Performance Is a Human Right

 このマニフェストの主張はかなりラディカルなもので、とくに「守旧的な」演劇形態に見切りをつけて電子的メディアへの移行を推進しようとするその姿勢は、そのような環境の整ったアメリカ合州国ならではの主張と言うことができるかもしれません。しかしながら、感染症の世界的流行で演劇活動が休止に追い込まれた事態を経験した私たちにとって、こうした革新への勧めに全く耳を貸さないことも許されないことでしょう。異なる文化的背景や歴史的文脈をかかえた日本語圏の舞台芸術においても、このような提言との意義ある対話が成立することを願ってやみません。


未来の演劇のためのマニフェスト――舞台芸術は人権である
我々はいかにして、人間の活動と技術と進歩の可能性を最大限に生かすことができるか

ハーヴァード大学 未来演劇研究集団超域実験室 著         本橋哲也 訳

 

注記

 「未来の演劇のためのマニフェスト」は、ハーヴァード大学の超域実験室・未来演劇研究集団が共同で2020年に執筆したもので、インターネットによって緊密に結合された世界でのメディアや文化、あるいは存在そのものが新たな様態を示している現在において、舞台芸術の社会的意義が変容しているとの関心から書かれている。未来の演劇を考えるグローバルな研究プロジェクトは、何回か研究集会を開き、オペラハウスや劇場、舞台芸術における現在の問題と未来の展望について意見を交わした。演劇の変化を見定めるためにそこに集まったのは、国境や専門領域を横断した学者や専門家たちであり、舞台や都市や公衆が変化するにつれて生まれてくる問題や機会について議論した。この集団の目的は、様々な領域における最善の実践や鍵となる概念を比較検討することによって、年次報告としてこうしたマニフェストを毎年発行し、世界中の政府機関や文化組織、芸術団体のために参照点や啓示を提供することである。

 以下は、その最初の報告となる。

 舞台芸術は商品ではない。贅沢品でもない。それは私たちが生きるうえで、なにか付加されるものではない。それは天にも国家にも私企業にも従属しない。それは演じられる場所にも属さない。

 舞台芸術は路上での即興であることもあれば、ここ何世紀も引き継がれてきた正式な劇場上演であることもあるが、それが現在という時間に属するものであることに変わりはない。

 舞台芸術とは間隙に生成し、接続を旨とする。それは演じられることによって、つねに新たに生まれかわる。それは聴覚、視覚、嗅覚、身体、空間、時間、触覚に関わる実践である。それは他の芸術形態と分離しているわけではなく、空間面でも視覚的にも幸福な結びつきを保っている。舞台芸術は俳優と制作チームと観客、そして自然と文化、人間と機械、建造物と生命体との相互交流によって成り立つ流動的な体系である。

 舞台芸術は人間にとって必要なものである。それは、表現の自由、幻想や騙り、個人や共同体の帰属感覚の深まり、社会や公共財の基礎となる経験の共有にとって必要だ。人間の本質的な必要として、舞台芸術は自己実現や自己評価、共同体内部における親愛や共同体相互のつながりの手段を提供する。

 舞台芸術は人間の権利である――先住民文化や植民化され権利を奪われた人びとを犠牲にして、現実を普遍主義の理想で誤魔化してきた言い古された啓蒙主義的な意味合いではなく。その「権利」は、普遍と批判的問いに基づく。

 その問いとは――

 舞台芸術への権利は、大戦後の人権に関する言説をどのように洗練し、批判し、修正するのか?

 この権利は、他の芸術様式、ダンスやオペラ、音楽や演劇、ヴィデオやインターネットメディアとどのように関わり、下からの文化と上からの文化というモデルにどう関係するのか?

 この権利は、舞台芸術の世界を形成している地域の人びとや実践とどう関わっているのか、また、異なる人びとや文化、社会階級や世代をつなぐ橋としてどのように機能しているのか?

 この権利は、演技者や作家たちの平等な所有権にどのようにして翻訳することが可能なのか?

 舞台芸術が人間の権利であるからには、演じる権利や舞台芸術を経験する権利が政治政策や経済生活の一部とならねばならない。そのような権利は公共空間や市民の言説空間のなかに組み込まれているべきであって、そのことは特に現在、世界が感染症の流行の後遺症に悩み、ローカルな場でもグローバルな文脈でも新たに共同体を構想し、この地球の運命に責任を分有する必要があることからますます重要度を増している。そのことは教育政策においても同様で、子どもたちの教育は文化の中核をなす舞台芸術の経験なしでは十分なものと言えない。