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神奈川芸術劇場主催公演『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』
作・演出=岡田利規 2021年6月5日~26日@神奈川芸術劇場大スタジオ
出席者=嶋田直哉(司会・シアターアーツ編集長)、柴田隆子(シアターアーツ編集部)、鳩羽風子(シアターアーツ編集部)、今井克佳(国際演劇評論家協会日本センター会員)/発言順(所属は座談会収録当時のもの)
『敦賀』撮影=高野ユリカ/ Yurika Kono

 

能の形式を借りた物語

嶋田 『未練の幽霊と怪物』は、岡田利規が夢幻能をモチーフに創作した作品です。2本の作品から構成されており、「挫波」(ざは)と「敦賀」(つるが)です。タイトルのクレジットは「挫波」「敦賀」の順番ですが、実際の公演は「敦賀」「挫波」の順番の二本立てで上演されました。「敦賀」は福井県敦賀市に建設され、ほとんど本格的に稼働しなかった原子炉のもんじゅがテーマとなっています。「挫波」は新国立競技場を最初にデザインし、そして後デザイン案そのものが白紙撤回されてしまった建築家ザハ・ハディドを主題としています。ザハ・ハディドのデザイン案は、2015年7月に撤回され、その後2016年3月に彼女は亡くなっています。なので正確には彼女の怨念が主題と言えるでしょう。

柴田 『未練の幽霊と怪物』は、2020年6月3~24日で上演の予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、一度中止になった作品です。公演中止発表後、リモートでの稽古を行い、その成果の一部が『未練の幽霊と怪物の上演の幽霊』(2020年6月27、28日)としてオンライン配信されました。このことはコロナ禍の演劇として、印象深かったですね。そして、本年(2021年)6月に晴れて初日を迎えました。私にとっては、語られる言葉に意識が強く向かったオンライン版と異なり、今回はダンスが作品の内容を左右したように感じました。
 『未練の幽霊と怪物』は、嶋田さんが指摘したように、能の形式を借りた2つの物語からできています。「敦賀」は福井の敦賀市を指しています。日本原子力研究開発機構の高速増殖炉もんじゅなど、敦賀市に多くの原子力施設があって、原発銀座の異名でも知られています。この町を背景に、モデル出身の栗原類がドライブ中の旅行者として登場します。パンフレットには「ワキ(旅行者)」とクレジットされています。この旅行者が、海辺の風景に、もんじゅを重ねて眺めているところへ、ダンサーの石橋静河演じる女が現れます。「白い装いでたたずむあの子」ともんじゅを女の子に見立てて、期待を掛けられ強いられた夢の犠牲者であると語りながら舞い、自分がそのもんじゅの化身だと名乗って消えていきます。これは「シテ(波打ち際の女)」とクレジットされています。
 その後、片桐はいりが登場します。彼女は、世間では「ばかな夢を見た」と冷ややかな反応ですが、これは敦賀半島が見た夢のこと。そして、夢というのは守られる必要があり、ただ夢という言葉が変節していったにすぎないという言い方で、地元の声を代表します。これは「アイ(近所の人)」ですね。
 後半は、再び石橋静河が「後シテ」として、もんじゅの化身ではなく「核燃料サイクル政策の亡霊」として登場します。白水社から刊行されたテキスト(岡田利規『未練の幽霊と怪物』、白水社、2020年8月)と当日パンフレットにおいて、ともにこの印象深い役名の記載があります。
 シンガー・ソングライターの七尾旅人さんは「歌手」として、維新派の音楽監督として知られる内橋和久、そして彼を中心とするアンサンブル(筒井響子、吉本裕美子)は「演奏」として舞台上に登場しています。能の上演形式に当てはめてみた場合、「歌手」は「地謡」、「演奏」は「囃子方」になります。このグループが演奏する音楽とともに、夢はついえ、生まれ出ずることなく、ゾンビとなったわが身を憂える舞を「後シテ」である「核燃料サイクル政策の亡霊」は舞って消えていきます。これが「敦賀」のあらましですね。
 その後休憩を挟んで、「挫波」では建築家のザハ・ハディドが取り上げられます。「挫波」では「ワキ(観光客)」が、岡田さんのチェルフィッチュの舞台でもみた、ゆらゆら揺れるような演技で観光客を演じます。彼は建設中の新国立競技場を訪れ、その工事現場を見ています。そこに「シテ(日本の建築家)」としてダンサーの森山未來が登場します。男は非常に悔やんでいるそぶりを見せます。私には、未練があるのはザハではなく、この日本人建築家であるように感じました。「彼女は、悪意あるキャンペーンの犠牲者で、世論に逆らえずスケープゴートになってしまった。そのことへの後悔や未練がある」と、この日本の建築家が語る点が面白い。こちらも片桐はいりさんが「アイ(近所の人)」という設定で登場し、この日本の建築家の言葉をもう少し、客観的かつ補強するような形で解説を加えます。
 私にとって印象深かったのは、「後シテ(ザハ・ハディド)」として森山未來が登場した場面ですね。未練たらたら、後悔たらたらのような日本の建築家としての中年男性から、女性に変身するさまは、大きな見どころだったと思います。後シテのザハになった途端、どこか突き抜けた感がありました。ザハ・スタジアムが建てられた、実現しなかった未来にザハは舞っていきます。未練にとらわれない未来志向が垣間見える。ひょっとしたらこれは作・演出の岡田利規が意図したこととは違うものを、この森山未來が見せてしまっていたのかもしれません。作・演出家の意図を裏切っているのではないかとも思えて、とてもスリリングでした。