『ザ・空気ver.3 そして彼は去った…』(二兎社第44回公演、東京芸術劇場シアターイースト)第7回座談会演劇時評1(2021年1・2月上演分)
■「桜木正彦」の存在感
鳩羽 シリーズ全作品を通じての影の主役は、テレビ局9階の会議室で命を絶った桜木正彦だったと思います。姿を見せぬ、この世にいない桜木が、陰影を与えていました。
確か『ver.1』 の幕開けも、今回の『ver.3』と同じ9階の会議室でした。田中哲司が演じている今森というニュースライブの編集長が、無言のまま舞台の真ん中で、ただならぬ雰囲気で上を見上げていたのを覚えています。その不穏な空気が桜木そのものだった。それが折に触れて登場することで、シリーズ全体の統一性が保たれていた。実に巧みな構成でした。
嶋田 物語が始まる前に既に死んでしまった「桜木正彦」が『ver.1』から『ver.3』の本作までずっと話題に上っています。しかし、故人なので、配役もなく、舞台上に一切登場しない、という設定ですよね。この構造はとても上手だと思います。空白を原動力に観客の想像をかきたてて物語を紡いでいく点はシリーズを通じて一貫していて、上手だったと思います。
野田 『ザ・空気』シリーズにおける本当の敵役は、劇中姿を現すことがないテレビ局や新聞社の経営陣なんでしょうね。この人たちが牛耳っている組織に働いても、まともなジャーナリズムなどできやしないという作者・永井愛の諦念さえ感じます。
それに比べて作者がベビーフェイスとして好意的に描いているのが、組織のフリンジに位置する人たちです。『ver. 1』で言えば番組ディレクター丹下百代(江口のりこ)。『ver. 2』ではビデオ・ジャーナリスト井原まひる。『ver. 3』でそれにあたるのが、「報道ナイン」の雇われチーフ・ディレクターである新島利明(和田正人)で、演技が心に響きました。アウトソーシングの一環としてチーフ・ディレクターを請け負っている立場の彼は、局の正社員ではない。その上に今後の生活への不安もあり、次の仕事が回ってくるかいつもひやひやしている。だから危ない賭けをして経営陣と衝突したくない。それにもかかわらず、最終的には同じ制作会社の後輩である袋川昇平(金子大地)の凡ミスを自分でひっかぶろうとするんですね。非常にうまい書き方だなと思います。
そういえば『ver. 1』の丹下は、事件後に局を辞めて配達の仕事をしていました。このように組織からのドロップアウトを辞さない人が増えているんでしょうね。そしてこういった人々のほうが、観客の目には正常に映ってしまう。実際現実をみても多くの優秀なジャーナリストたちが大組織をやめて自分で会社を立ち上げたり、ラジオに行ったりしています。
かつて「マスコミ」と呼ばれたテレビ局や新聞局が公器として恐れられていた時代は、もうはるか昔です。新聞劇評家の影響力も、今とは比べものにならなかったと聞きます。それに比べると『ザ・空気』三部作におけるマス・メディアは、テレビといい新聞といい、スケールダウンしてしまった。いかに彼らを相手に「マスコミの陰謀」を唱えてみても、陰謀論者が唱える茶番にしか聞こえなくなっている。もちろんQアノンのような陰謀論者に対する唯一の正しい対処法は、無視しかないのですよ。それでもくだらない陰謀論者に対するもどかしさは無視するだけでは晴らせないというのであれば、徹底的に笑い飛ばすしかない。そのためには諷刺です。
『ver. 2』ではそういう戦略が見て取れた。ところが『ver. 3』ではまた真面目路線に戻ってしまったような気がするんです。もちろん本質的には真面目にならなければいけない問題だというのは分かっているのですが、そこがちょっと残念でした。
鳩羽 現在進行形の政治状況や時の政権にまつわるトピックスを作品に取り入れ、風刺を効かせたシリアス・コメディに仕上げる手腕は、今回も光っていたと思います。日本の演劇では時事ニュースや政治を正面切って取り上げた作品は少ないので、果敢な挑戦でした。私を含めメディア関係者に大きなインパクトを残し、演劇の力を見せつけました。
ネット時代を迎え、メディアは今過渡期にあります。特に若者の新聞離れが進む新聞業界は軒並み厳しい経営状況に立たされ、マンパワー不足が深刻化しています。「夜討ち朝駆け」のような旧来の取材手法や、1日早いだけのスクープを良しとする風潮にも、若手からは疑問を投げ掛けられています。地盤沈下するマスコミに、新たな在り方を模索する新興のネットメディア、フェイクニュースや炎上があふれるSNS。メディアをめぐるネタはあちこちに転がっています。『ザ・空気』シリーズは今回で完結しましたが、これからもメディアを描いた演劇の新作を期待したいですね。
嶋田 演劇作品について語りながら、今回の座談会のようにメディアとイデオロギーにまで話題がふくらむのは、やはり永井愛の作品の魅力ゆえだと思います。今後も永井愛、そして二兎社の新作を大いに期待しましょう。ありがとうございました。
(2021年3月7日 Zoomにて収録)
※人物関係の説明について、一部訂正致しました(2021年5月7日)