『ザ・空気ver.3 そして彼は去った…』(二兎社第44回公演、東京芸術劇場シアターイースト)第7回座談会演劇時評1(2021年1・2月上演分)
■佐藤B作の演技力
鳩羽 私も佐藤B作が体現していた横松の人間像に引き込まれました。反骨心あふれる新聞社の政治記者から政権べったりの政治評論家へ「転身」し、終盤では、再び昔の姿を思い出し、政権が倒れるような資料を、番組で暴露しようとする。その揺れ幅が鮮やかでした。
取材で、稽古に入る前に佐藤B作さんからお話を伺う機会がありました。『ザ・空気』シリーズについて「永井愛さんの劇作家としての一つの完成形」と高く評価し、「喜劇性があって社会性もある永井さんの芝居は、井上ひさしさんの作風に通じるところがある」と話していたのが印象的でした。まだ台本が仕上がっていない段階だったので、詳しい役作りについては聞けなかったのですが、横松役にかける熱い思いを感じました。主宰する劇団東京ヴォードヴィルショーでも、永井愛さんの作品『パパのデモクラシー』(演出=鈴木裕美、2013年4月@座・高円寺)を上演しています。今回の出演は、満を持してという思いだったのでしょう。横松の持つイヤらしさも皮相さも、若い頃の過剰なほどの熱血漢ぶりも、ハマっていました。
出色だったのは、嶋田さんが指摘した通り、紗幕の向こうでの熱演です。登場した時は、VTRで流れていると錯覚してしまったほどです。Twitterでも「映像を流すなんて」という書き込みがあり、二兎社が抗議をする一幕もありました。それほど真に迫っていました。
野田 佐藤B作は自分の演技をきびしく追い込める人なんだろうと思います。新国立劇場主催公演『ヘンリー四世』(演出=鵜山仁、2016年11月@新国立劇場中劇場)で彼が演じたフォールスタッフも見応えがありました。しかし欲を言えば、私が何度か他の舞台で観た老いぼれ騎士像に比べると、彼のフォールスタッフは小市民よりなんですね。バフチンが言うような、ガルガンチュア的欲望は感じられなかったように思います。
同じことが『ver. 3』の横松にも言えます。これはむしろ脚本における役の描き方によるものですが、横松は先行作のヒールに比べても小モノなんです。『ver. 1』における大雲要人(木場勝己)は、経営部からの圧力に絶望して自死を遂げたジャーナリスト桜木と同様に報道番組のアンカーです。「ここはもっと戦略的に……」と言いながら、圧力に対して後退をし続ける彼のシニカルな態度は、恐怖を呼びました。『ver. 2』の御用ジャーナリスト・飯塚には、政権側の記者会見カンペの作者であることがばれてもまったく悪びれないどころか、むしろ開き直るしたたかさがありました。これに対して『ver. 3』の横松の立場は、あくまでテレビ局における「政治ジャーナリスト」枠のゲスト・コメンテーターであり、テレビ局にその都度仕事をもらっている存在です。そういう人が桜木の亡霊に怯えてジャーナリストとしての矜恃を取り戻そうとしても、やはりスケールが小さいんですね。佐藤B作はこのスケールの小ささを好演していましたが、物語の迫力という点ではどうしてもスケールダウンしてしまう。
チーフ・プロデューサー星野の役も、やはり小モノ感があります。あそこまで頑張っておきながら、最後の最後にどうしてびびるのか。これもまた桜木の亡霊がなせる技だったと思わせる脚本にはなっているのですが、些か唐突でした。どうせあり得ない改心を描いているのだったらば、いっそあり得ない成功話を作ってくれても良かったのにという気さえしてしまうんですね。つまりアイロニーが足りない。絶対的な怒りにアイロニーを持たせるのが諷刺なんです。そうでないと、この手の芝居はどうしてもうまくいかないところが出てくるのかもしれません。