『赤鬼』(東京芸術劇場) 第6回座談会演劇時評3(2020年7・8月上演分)
▼東京芸術劇場主催公演『赤鬼』
作・演出=野田秀樹
出演=東京演劇道場
2020年07月24日~8月16日@東京芸術劇場シアターイースト
出席者=嶋田直哉(司会 シアターアーツ編集長)/鳩羽風子(シアターアーツ編集部)/野田学(シアターアーツ編集部)/小田幸子(国際演劇評論家協会日本センター事務局長)
■『赤鬼』の寓話性
嶋田(司会) 東京芸術劇場主催公演『赤鬼』について皆さんからお話を聞いていきます。この作品はNODA・MAP番外公演(1996年10~11月@PARCO PART3)で初演されました。当初はバージョン名がない、単なる『赤鬼』というタイトルでしたが、これが後年日本バージョンと呼ばれることになります。野田秀樹、富田靖子、段田安則、アンガス・バーネットの4人の芝居でした。1997年タイ・バージョン、2003年ロンドン・バージョン、2004年にはここまでの3つのバージョンの連続公演がありました。今回はそれ以来の『赤鬼』上演なので、実に16年ぶりということになります。正確に言うと、2005年ソウルで韓国バージョンの上演があります。ともかくバージョン数も多く、様々な国で上演されてきた経緯があります。このような経緯そのものに『赤鬼』の中心的な異文化理解というテーマが重なってくるように思います。『赤鬼』上演の経緯については、野田秀樹+鴻英良『野田秀樹 赤鬼の挑戦』(青土社、2006年8月)に詳しいです。私は1996年の初演を観て、スピーディーな展開はもちろん、作品が突きつけてくる重いテーマに撃ち抜かれて、終演後しばらく座席から立てなかったことを覚えています。
今回は、野田秀樹の指揮の下に選抜された、東京演劇道場のメンバーによる上演です。東京演劇道場は2018年末にオーディションが行われ、その後ワークショップなど研鑽を重ねてきました。今回はその成果が問われる公演でもありました。そのメンバーが、A~Dの4チームに分れて、それぞれのバージョンの公演です。また、久々の『赤鬼』の上演ということもあり、非常に注目度が高かったですね。
舞台の4方向を客席が囲んでいました。1996年の初演時も同じく4方向を客席が囲んでいました。ただ、今回の公演が、これまでの公演と大きく違うのは、客席と舞台との間にビニールシールドが存在していた点でしょう。舞台4方向に、上からビニールシールドが吊されていて、観客席と舞台の境界が明確になっていました。これはもちろん新型コロナウイルス感染予防の対策、俳優の飛沫を防止するのが大きなねらいだったと思います。とはいえ、客席に座ったときはビニールシールド越しに舞台を観ることになるわけで、最初はしっかりと舞台が見えるのかどうか、不安にもなりました。また、それと同時に、ビニールの反射が幻想的な雰囲気を醸し出してもいるように思えました。
1996年の初演以降、『赤鬼』はバージョンを様々に変えながら上演され続けていて、野田秀樹の90年代最良の仕事ともいわれている作品です。
鳩羽 実は、私は高校演劇の大会で『赤鬼』が上演されているのを見ただけです。それとの比較で言いますと、高校生たちの上演した『赤鬼』は、船や魚の魚網などの小道具がリアルに作られていました。今回の公演はちゃぶ台をひっくり返すと船になるといった具合で、簡素な舞台美術が特長的でした。アンサンブルの人たちが動くことで、波を表現しており、非常にシンプルな表現で想像力をくすぐられて、非常に刺激的でした。
野田 私はこれを96年のPARCO SPACE PART3でやった初演を見ています。野田秀樹が文化庁の研修から戻ってきて間もない頃ですね。彼はロンドンでコンプリシテのワークショップに出ていましたから、舞台の使い方にもその経験が反映されていたと思います。狭い空間の中、4人の演者のタイミング、リズム、そして道具の使い方など、よくこれだけのことができるなと感心しました。身体と物体が同じ緊張感で動いていくので、互いの邪魔にならない。結果として、なにもない演技空間の中で、ストーリーという《旅路》の緩急があますところなく伝わってくる。日本でもこれが自分の流儀でできるようになったと、誇らしくさえ思いました。
今回はオーディションで残った若い人たちがメインで、それを扇田拓也のような手練れの演劇人がさりげなくリードしている感じでした。大人数でやっているということもあり、全体的にはタイ・バージョンに近かったと思います。私は横の方から最前列でビニールシールドを目の前にしての観劇でしたが、若い人たちが一生懸命やっているのが、ひしひしと感じられました。それでも若干の段取り感は否めませんでしたが、これはさらなる練習あるのみでしょう。
『赤鬼』は、初演の時からロンドン・ツアーに堪える内容だと思っていましたが、ロンドンで現地の俳優たちといっしょに英語版を作ったときには、評判は残念ながらあまり芳しいものではなかったように記憶しています。「何故日本から来た観光客風の赤鬼にロンドンで人種差別の話をされなければならないのだ」という感じですね。物語自体は、明らかに《よそ者》に対する差別の話ですから。マーティン・ルーサー・キングの “I have a dream” の演説が劇中に引用されるのですが、これも手あかの付いたテキストなので、政治的なアイロニーをことさらに好む英国の劇評家には受けが悪かったのかもしれません。
しかし今回 “Black Lives Matter” の運動があって、このキング牧師の台詞があらためて切実に響いてきましたね。作っているときには必ずしも念頭になかったはずの自体が、上演するときにはタイムリーになってしまうというところが、野田秀樹作品には時々起きます。1995年の『贋作 罪と罰』では、「大義」のために殺人は許されるかという物語に、地下鉄サリン事件が追いついた形になりました。記憶に新しいところでは、火山の噴火が物語中に出てくる2011年の『南へ』など、上演時期が東日本大震災とちょうど重なってしまいました。作家としては、オウム真理教の狂信にせよ、シベリア抑留にせよ、あるいは特攻にせよ、忘れてはいけないと思っていることを作品で取り上げているにも過ぎないはずなのですけれど。今回の『赤鬼』にも上演にも、タイムリー性の方から作品に追いついてしまった観があります。それは不幸な符合なのですが、同時に野田作品のテーマの多くが現代においても切迫したものであることを示してもいるんです。
嶋田 この作品は初演は4人で上演したことからもわかるように、キャストが少なくても上演することができます。また今回の公演のように大人数でも上演することが可能です。舞台装置の抽象的なものにもなれば、具体的に作り込むことも可能で、様々に上演することが可能な作品だと思います。それゆえにいくつものバージョンがこれまでに誕生したのだと思います。
さきほど鳩羽さんが指摘してくれたように、学生演劇でもたびたび上演されています。学生などに聞くと、「高校生のときに文化祭で『赤鬼』をやりました」というような体験を語ってくれることもあります。今回の公演は16年ぶりの上演なので、若い人たちにとってはそれなりに伝説的であるけれども、同時になじみもあるような作品ではないかと私は感じています。あくまで推測ですが、今回出演している東京演劇道場のメンバーのなかでも、同様の体験をしてきている人がいると思いますね。
『赤鬼』初演の1996年当時、それ以前より言われていたグローバリズムという言葉や思想が、日常生活にも実感を持って入り込んできた頃かと思います。このようななかで、様々な文化が世界中を行き来するようになる。われわれは異文化をどのように受入れればいいのか、異文化を理解するとはどのようなことなのか、初演当時はこのように理解されていた作品だと思いますし、このテーマは現在でも大いに考える必要があります。しかし、現在このテーマを考えてみたときに、異文化理解の問題であることはもちろん、新型コロナウイルスを中心に作品を解釈し直してしまうのは当然のことかと思います。
今回の上演に寄せて、野田秀樹はいつものNODA・MAP公演同様に、直筆のメッセージを公開しています。「見えないもの」を怖がりだし、自粛し始めた精神が、やがて我慢しきれなくなって、他者へ向けて爆発していく――現在のコロナウイルスをめぐる同調圧力、暴力のありようが非常に的確に指摘されています。今回のコロナ禍で、潜在化していた軋轢が、「自粛」という名によって、排除、暴力という形で表面化してきました。「民度」という言葉で全てを推し量って、身内のみで安心したり、またそれとは逆に「夜の街」という言葉に全ての責任を押し付けて、攻撃したりするのは、明らかに赤鬼に対する浜の人間たちの態度そのものだと思うのです。
このような暴力にどのように立ち向かっていくのか。このことを考えるとき、『赤鬼』の寓話性は、かなりの強度を持って、われわれの前に存在することになります。野田秀樹の作品は寓話が多いので、いつの時代にも、そして特に非常時に読み返すと、絶えず何らかの問いかけを投げかけてくるように思います。今回の公演では『赤鬼』の持つ寓話の強度を実感しました。
同様のことは燐光群公演『天神さまのほそみち』(作=別役実、演出=坂手洋二、ザ・スズナリ@2020年7月)にも感じました。今年(2020年)3月に亡くなった別役さんの作品が、いろいろな意味で胸に突き刺さりました。別役さんの寓話に潜む恐ろしいまでの強度を感じましたね。
今回私はAチームの公演を見ました(2020年7月24日夜公演観劇)。チームによってかなり演出も変わっているようなので、そのあたりも皆さんでお話して下さい。
野田 おっしゃるとおりだと思います。寓話は基本的に価値観が共有されているから成立するものですから、寓話が強度を持ちうるということは、それだけその土台となる価値観の再確認が必要だということなんでしょうね。
今回の『赤鬼』はBチームのものしか見ていませんが、今までの『赤鬼』バージョンを振り返ると、赤鬼をどう表象するかによって作品の色合い・意味合いがかなり変わってくるようです。アンガス・バーネットの赤鬼は、いわゆるひげを生やした白人の巨人という感じ。イギリス・バージョンの赤鬼は、野田秀樹本人がアノラックを着ただけの表象でした。チームの中でいろいろ話し合って、こうしようと決まったと聞いています。今回、私が見たBチームでは、衣装はメイクは異形の者でしたが、それだけではなく赤鬼がおそらく中国語と英語を話していました。赤いライクラに包まれて、途中で首だけがそこから出てくるような、基本言語は中国語だったと思います。日本における中国人への視線を反映したかったということ反映したいと、Bチームは決めたということなのかもしれません。ほかのチームでは、どうでしたか?