Print Friendly, PDF & Email
NODA・MAP第23回公演 『Q:A Night At The Kabuki』 撮影=篠山紀信 禁転載

 

NODA・MAP 第23回公演『Q:A Night at the Kabuki』

作・演出=野田秀樹、音楽=QUEEN
東京公演:2019年10月8日(火)~10月15日(火)@東京芸術劇場プレイハウス
大阪公演:2019年10月19日(土)~10月27日(日)@新歌舞伎座
北九州公演:2019年10月31日(木)~11月4日(月・休)@北九州芸術劇場 大ホール
東京公演:2019年11月9日(土)~12月11日(水)@東京芸術劇場プレイハウス

出席者=嶋田直哉(司会)/野田学/鳩羽風子(すべてシアターアーツ編集部、発言順)

嶋田:NODA・MAP 第23回公演『Q:A Night at the Kabuki』についての劇評を始めます。この作品は、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』を下敷きにし、時代と場所を12世紀の源平合戦に移しています。「平の瑯壬生(ろうみお)」(志尊淳)と「源の愁里愛(じゅりえ)」(広瀬すず)という対立するべき立場にある二人の恋愛を、その30年後の「それからの瑯壬生」(上川隆也)と「それからの愁里愛」(松たか子)が物語に介入しつつ、見守りつつというように時間をまたいで展開していきます。第2幕になると、この関係が逆転して、「それからの瑯壬生」と「それからの愁里愛」の展開を、「面影の瑯壬生」(志尊淳)と「面影の愁里愛」(広瀬すず)が見守っていくようになります。時間と場所の操作が大胆で、お互いに過去や未来の自分たちの物語に入っていく様子が非常に刺激的に描かれていました。開幕前より話題になっていたクイーンの音楽も効果的でした。

野田:クイーンだし、歌舞伎だし、シェイクスピアだし、野田秀樹だしと、盛りだくさんの内容でした。物語の主筋はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にのっとっているのですが、ひとり取り残される「平の瑯壬生」の話は歌舞伎の『俊寛(しゅんかん)』を思い起こさせます。そしてもちろん、本作の題名は、クイーンの大ヒット・アルバム「オペラ座の夜  (A Night at the Opera)」をもじっています。
 本作は2部構成。本当は死んでいるはずのロミオとジュリエットが時空を飛び越えて、昔の『ロミオとジュリエット」の話をどうにかして悲劇に終わらせまいと暗躍します。でも、結局は同じことになってしまう。果たしてその後は……という展開です。
 前半は、源平の戦いに乗せながら『ロミオとジュリエット』の話が続きます。ところが後半では、「それからの瑯壬生」は本名を偽って戦に一兵卒として加わり、敗戦兵としてシベリアで抑留されてしまう。いざ皆が故郷に戻される段になっても、彼の名前は帰還者名簿にないから、帰れなくなってしまう。前半冒頭の『俊寛』の別れの場面がここで活きてきます。
 『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニー・シーンの中で「ロミオ、あなたの名前を捨てて」というせりふがありますが、『Q』の後半では、名前を捨てた「それからの瑯壬生」が永遠の別離を経験する。このように、この作品は、ロミオとジュリエットという有名なカップルの離別を、無名匿名の人々の悲劇に展開するという野心的な構成になっているんです。一緒になりたいけれど一緒になれない男女の話が前半と後半で反復され、そこには終わりが見えない。「それからの瑯壬生」がシベリアから送る手紙は、検閲されて「それからの愁里愛」に一通も届かない。ある意味、反復にあたる後半部の方が、『ロミオとジュリエット』をなぞる前半よりも、状況はさらに悪化している。ベケット的二幕構成と言っても良いでしょう。そのせいで、別離は、ひとつの区切りとしての終わりを迎えていない歴史のページになってしまうんです。
 観劇後に、少しだけ野田秀樹さんにお話をうかがう機会がありました。今年(2019年)7月末に、シベリア抑留者のものとされてきた遺骨がDNA鑑定により日本人のものとは考えがたいという検査結果を厚生省が隠していたという事件が発覚しましたが、野田氏は今回の創作過程において、この報道とは関係なく戯曲を書きはじめたそうです。シベリア抑留には、写真集や文献を通して、前々から非常に興味を持っていたということでした。
 アルバム「オペラ座の夜」の中でも一番フィーチャーされている曲が「Love of My Life」です。別れた女性に戻ってきてくれと懇願する失恋の歌--と言ってしまうと単純化しすぎなのですが、『Q』ではこの曲をテーマ・ソングとして、歌詞の内容を見事に踏まえながら使っていました。特に感銘したのは、この曲のライブ・バージョンも後半の舞台で使われていたことです。使われていたのが映画『ボヘミアン・ラプソディ』のサウンド・トラック所収のものだとすれば、後半の「Love of My Life」は1985年のリオ・デ・ジャネイロでのコンサートでのバージョンの筈。アルバム「ライブ・キラーズ」所収のアコースティック・ギター版「Love of My Life」(1979年)はアルゼンチンでチャート一位を記録したのみならず、一年間チャート入りしつづけたとか。この曲は、コンサートで観客全員が合唱するというのが習わしだったようで、アリーナを埋め尽くしたリオの何万人もの無名コンサート客が、異国の言語で「Love of My Life」を一斉に歌うんです。この音を舞台で流すことによって、男女の別離の話が、特権的な二人の関係性から多くの不特定の男女の関係性へと開かれていくんですね。無名の恋人たちが発する別離の叫び、ここにありでした。

嶋田:クイーンの「Love of My Life」は本当に効果的に使われていましたよね。ライブ・バージョンを使用するあたりは野田さんのこだわりが感じられました。野田さんは昔から劇中の音楽にこだわっていらっしゃると思います。劇団夢の遊眠社公演『贋作・桜の森の満開の下』(1989)ではプッチーニ『ジャンニ・スキッキ』より「お父さまにお願い」、NODA・MAP 公演『パンドラの鐘』(1999)では同じくプッチーニ『蝶々夫人』より「ある晴れた日に」、NODA・MAP 番外公演『The Bee』日本語&英語ヴァージョン(2012)でも同じくプッチーニ『蝶々夫人』より「ハミング・コーラス」、歌舞伎『愛陀姫』(2008)ではマーラーの交響曲第五番のアダージェットなどなど名曲を上手に使う印象があります。プッチーニが多いですね。

鳩羽:先ほどお話が出たように、10代と40代の二組の瑯壬生と愁里愛が共演しているシーンが多く出てきます。例えば、若い二人の出会いを、上川隆也と松たか子演じる大人の二人が回想を交えて見守るように。その二重性によって、生き延びてなお、引き裂かれたままで終わる悲恋を、より浮き彫りにしていました。
 キャストの中で注目したのは、何と言っても10代の愁里愛を演じた広瀬すずです。NHKの朝ドラ『なつぞら』で主演を務め、今回が初舞台。本当にもう出てくるだけで光り輝いていました。旬の若さが弾けていて、まぶしいくらいで、もう圧倒されましたね。演技としても精いっぱいというか一生懸命。初めて知った恋に向かって疾走する役柄とぴったりでした。
 美術(堀尾幸男)で言うと、白が一つのキーワードだと感じました。まず、文字の書かれていない真っ白い手紙。第一幕の瑯壬生と愁里愛のラブシーンでは、上から降りてきた巨大な白い布の下へ二人が隠れる。くるまることで初めて一夜を共にしたことを暗示させます。広瀬すず演じる愁里愛は、白い布を純白のウエディングドレスのように裾を引いて出てきます。幸福感に輝く白です。
 ところが、第二幕になると、シベリアならぬ「滑谷(スベリヤ)」の雪の平原につながっていく。果てしなく続く白。極寒で、飢えに苦しみ、追い込まれていく絶望的な白。鮮烈的な白の使い方でした。

嶋田:今、お二方のお話を伺っていますと、キャスティングが絶妙であったと改めて感じます。特に今回が初舞台の広瀬すずと、NODA・MAP 公演に数多く出演している松たか子の2人が持つ透明感が重なり合う印象があるので、まさしく「面影」であり、「それから」であったと思います。
 第2幕になると、「それからの愁里愛」である松たか子と「それからの瑯壬生」である上川隆也の2人からやや距離を取って、段差がある舞台装置の上から「面影の愁里愛」である広瀬すずと「面影の瑯壬生」である志尊淳が立っていて、2人を見下ろしている。動きも第2幕最初は重なっている。ここは物語が二重化していくことを印象づけるための重要な場面で、見ていてとても納得がいきました。この二重化する物語が、舞台進行のなかで時間と場所が錯綜してスリリングな感覚を覚えるのですが、それが混乱する印象を与えないのは、この2対2の「瑯壬生と愁里愛」が重なり合うことがビジュアル的に納得できるからです。特に広瀬すずと松たか子は素晴らしいコンビネーションだと思いました。
 また、先ほど歌舞伎の引用について指摘があったと思うのですが、『熊谷陣屋』や『寺子屋』の首実検もあったかと思います。戦地の救護施設で「それからの瑯壬生」を探すときに、ベッドに体を転がして、首を検分していく場面は非常にリズミカルでした。この場面に限らず、舞台全体を通して井出茂太の振付はテンポがよくて効果的です。
 その他気がついた点としては、野田秀樹特有の言葉遊びですね。マザー・テレサならぬ「マザーッテルサ」が登場し、戦場の救護施設で負傷兵を手当てしている場面はまさに無名性が混ざり合っていることを言葉遊びとして表現したと思いました。また先ほど指摘があったように時空が源平の合戦から第二次世界大戦後のシベリアならぬ「滑谷(スベリヤ)」へいきなり飛んだのには驚きました。
 あとはなにより、よくできた恋愛の物語だったと思いました。時空を超えてもなお結ばれない恋愛が展開する最後の場面は、クイーンの「Love of My Life」が流れて、そのあまりの美しさに泣いてしまいました。

野田:私もそうです。

嶋田:野田秀樹の作品は、テーマが戦争や神話や美輪明宏であっても、いつも高水準で、毎公演期待して見るのですが、今回の公演は全く違う角度から打ち込まれた感覚を覚えました。まさか自分が恋愛物語で泣いてしまうとは思ってもみませんでした。

野田:良い意味で、素直に泣ける作品でしたね。広瀬すずの熱演、たしかに光ってました。あとは松たか子。シベリアから「それからの瑯壬生」が送っていた手紙は、検閲のため、一通も「それからの愁里愛」に届かない。その事実を知っている、竹中直人演じる「平の凡太郎」は、帰国の際、一人取り残される「それからの瑯壬生」に対し、彼の手紙を「それからの愁里愛」に届けることを約束するんです。それも検閲をくぐり抜けるために、全文記憶して、口述で伝えると。しかし帰国してからも長年「平の凡太郎」は、その手紙の内容を「それからの愁里愛」に伝えていいものかどうか逡巡するんですね。というのも、長期の別離と精神的・肉体的苦痛の中で、自分はそれでも愁里愛を愛し続けられるだろうかという「それからの瑯壬生」の自問が、そこには綴られていたからなんです。その内容がやっと伝えられた時の松たか子の演技は、紙飛行機が飛んでいく絵と相まって、感動的でした。紙飛行機の飛ぶ絵は冒頭から何度も使われるのですが、それが届かない手紙をあらわしていることがここで明らかになる。泣けました。

鳩羽:恋は愛になれるのかを問う作品でもあったのでは。『ロミオとジュリエット』は結局5日間の刹那的な恋です。死によって途絶されたけれど、もし、二人が引き裂かれたまま生き延びたとしたら、時の試練に打ち勝って、永遠の愛へと深化できるのか。

嶋田:カウンターでデジタル表示されていましたね。432,000秒。この5日間の物語を12世紀の源平合戦から第二次世界大戦後のスベリヤにまで時空を広げて、さらにクイーンをはじめとして全く違うジャンルの作品を引用し、そもそもの『ロミオとジュリエット』からかけ離れた全く異なる世界を描き出していく。そして、こんなに壮大な物語世界を描きながらも、最後は恋愛で泣かせてしまうというのは誰にもできない技だと思います。本当に素晴らしい作品だと思いました。