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『終夜』 撮影=沖美帆

風姿花伝プロデュース公演『終夜』
作=ラーシュ・ノレーン
翻訳=岩切正一郎、ヘレンハルメ美穂
演出=上村聡史
2019年9月29日~10月27日@シアター風姿花伝

出席者=嶋田直哉(司会)/小田幸子(=国際演劇評論家協会日本センター事務局長)/鳩羽風子 (発言順)

嶋田(司会):風姿花伝プロデュース公演『終夜』です。上質な作品を作り続ける風姿花伝プロデュースの第6弾に当たります。この作品は、お母さんの葬式の後、その骨壺を持って息子のヨン(岡本健一)とその妻シャーロット(栗田桃子)の夫婦が自宅に帰ってきます。そこにヨンの弟アラン(斉藤直樹)とその妻モニカ(那須佐代子)が合流し、そのまま一晩を過ごすというお話です。この二組の夫婦の、壮絶でリアルな会話劇が展開します。また非常に長い作品で全3幕、上演時間は2回の休憩込みで3時間50分です。それでは、小田さんからお願いします。

小田:これは作者が39歳、1983年に発表をした作品だということで、一時代前の男女や夫婦や兄弟や家族の関わりを扱っている、ある種の古さを持っている作品だと思います。ほぼ絶え間なく会話を続けていて、原作をノーカットで上演すると実際に一晩かかる、7時間近いリアルタイムの上演時間が想定されているようです。今回は3時間50分ぐらいの短縮版にしたのですが、それでも長いわけです。逃げ場のない追い詰められた状態で会話が続き、しかも、ののしり合ったり叫んだりするのです。観客は彼らの感情の奔流に巻き込まれるのですが、辟易もせず、退屈もせず、面白く見ることが出来ました。
 スウェーデンの作者というと個人的に思い出すのはベルイマン監督『秋のソナタ』(1978)です。母親と娘が延々と会話を続けるだけという映画作品でした。むき出しの感情をぶつけ合うのが息苦しくて、体も心もへとへとになった覚えがあります。一般的に日本人は、これほど面と向かって、とことん突き詰めて話す経験が少ないからキツイのかなあと感じたのですが、同じく感情をさらけ出しているようなのに、この芝居では、むしろ元気づけられさえした。その理由は何だろうと考えていて、作劇術の巧みさに思い至りました。第一に、隠されていたことが会話を通して徐々に明らかになっていく過程に引きつけられる。4人の間におこった過去の出来事、ヨンは離婚をしており、かつての妻との間に娘がいる。シャーロットとの間にも娘がいる。二人の娘はどちらも問題を抱えているようです。兄のヨンは弟の妻にかつてプロポーズをしたことがあるとか、亡くなった母をめぐって兄弟間に確執があるなど、家族の歴史や4人の関係が、徐々に明らかになっていき、最後に一番奥に隠されていた、アランの妻のモニカに年下の愛人がいたことがわかる。閉ざされた空間と時間だからこそ、スリリングに立ち上がってくるんですね。それらのどこかしらは、わたし自身の人生と共通していた。観客は、彼らのどこかに共感できるのではないでしょうか。
 そして、いろいろなことが明らかになっていくのとは逆に、一方で謎が深まっていき、実はそれが怖いのだと気が付きました。シャワー室にいる娘にシャーロットはしばしば声をかけるのですが、本当にいるかどうか、わからなくなる。ヨンと前妻との間の娘は、拒食症か何か精神を病んでいて、芝居の間中ヨンは受話器をあげっぱなしで、思い出したように時々娘に話しかけるのですが、その子の存在もどんどん謎めいてきて、落ち着きません。極めつけに、モニカの年下の愛人が実は普通の状態ではコミュニケーションができずに病院におり、彼とモニカは、精神の深いところというか、不思議な交流を交わしていることがわかる。ここまでくると、もうこれは普通の劇ではない。亡くなった母親も含めて、この場に存在しない不在の人々が4人を取り巻き、翻弄しているのではないかと感じる。このような劇的な仕掛けが、まず面白かったです。

嶋田:謎が効果的に仕掛けられた作品でしたね。ありがとうございました。次に、鳩羽さん、お願いします。

鳩羽:まず、上演時間が非常に長いと感じました。実際に私もその場に居合わせたかのように、劇中時間ではなくリアルタイムで進行しているかのような錯覚を抱きました。一言でいうと「存在の耐えられない重さ」という感じでしょうか。観客自身も百数十席のシアター風姿花伝の小さな密室に閉じ込められて、人間のあらゆる感情表現をせきららに見せられているというか・・・・・・。
 先ほど小田さんがおっしゃったように、長くて重くて心身ともに結構つらかったのですが、全く飽きなかったんです。必殺技のない感情のプロレスを目の前で見ているようで、非常に興奮しました。細胞が活性化した気がしましたね(笑)。特にスゴかったのは、ヨンの妻シャーロットを演じた栗田桃子さんの演技です。例えば、「もう別れる」「家を出る」と叫んだ矢先、「ねえ、セックスしよう」と甘えてみせる。プロレス技のラリアットみたいに、感情のロープがぐわんぐわんと揺れていて、固唾をのんで見守っていました。

嶋田:今、お二方のお話を聞いていて、重厚で迫力のある会話劇のプロレスが密室で展開される点にこの作品の魅力の一つがあると思いました。その点において、上村聡史さんの演出は絶妙です。閉塞感漂う空間構成、黒一色の舞台装置などは確かに圧迫感を感じさせます。しかし、そこに外部の光が一筋差し込んでくるだけで、どことなく救いがあるような開放感もありました。無駄な装置がほとんどなく、自由度も高い舞台空間の作り方だったので、4人の会話そのものを見せるという点においては非常によく考えられていると思いました。
 今、お話に挙がった、栗田桃子のシャーロットは強烈でした。私の印象では、栗田桃子は井上ひさし『父と暮せば』の娘美津江役(栗田桃子の出演は2008年から)の印象がとても強かったので、今回は本当に新鮮でした。……やはり「新鮮」という言葉じゃなくて、「強烈」のほうがしっくりきますね。先ほど鳩羽さんがおっしゃっていた栗田桃子の感情の振り幅の表現が、この作品の肝になっていて、最後に骨壺を壁に叩きつける場面は、「栗田桃子、ここまでやるか!」という感じの強烈さです。
 また、多くの観客は、この作品の序盤においては何も問題を抱えていないモニカを中心に見ていくと思います。しかし、次第にそのモニカも様々な問題を抱えていることがわかってきます。観客は誰を中心にこの作品を見ていけばいいのかわからなくなる。知らないうちに登場人物がそれこそプロレスのバトルロイヤルのように迫力満点に動き出してくるのも魅力ですね。

小田:確かに登場人物が動いて、物語が回っていきますね。

嶋田:そうです。特に第二幕以降の後半の構成が素晴らしいですね。舞台に暗転がほとんどなく、幕間で途切れたとしても、あえてのりしろ部分のように、時間軸を少し前に戻して、同じ場面を繰り返すようにしながら、物語をつなげていました。

鳩羽:少し巻き戻している感じですね。

嶋田:そうですね。少し巻き戻す感じです。だから作品全体を通じて、幕間で途切れたとしても、構造的にはほぼワン・シチュエーションで構成されています。一箇所だけ時間軸が飛ぶところがありますが、この長時間の持続をほぼワン・シチュエーションで演じきってしまう4人の役者もすごいですが、戯曲の完成度も高いですね。

小田:栗田桃子は圧巻でした。

鳩羽:本当に素晴らしかったです。

小田:ここ数年の彼女は、激しい感情を抱く狂気じみた役など演技の幅が広がってきた印象がありましたが、今回は針が振り切れた感じです。先ほど鳩羽さんが、細胞が活性化するといわれましたが、愛を求め合う、むさぼり合うことが、傷付け合うこととイコールであるような愛の在り方って、先ほど言ったように一時代前の感性かとも思うのです。でも、傷つけるのを表面では避けている現代だからこそ、本音のぶつかり合いには、見る側にとっても演じる側にとっても、生命の根底に届く実感が生まれるのかもしれませんね。

嶋田:確かに、性とか狂気とか暴力というのは、見ていて理解しやすい演劇的表現であり、ストーリーではあるのですが、しかしこれだけ本気の会話劇を長時間見せられていて、だんだんとこちらもごく自然に興奮してきてしまうというのがこの作品の魅力でしょうね。役者で言えば栗田桃子はもちろんなのですが、この壮絶な会話劇に巻き込まれてしまうアランを自然体で演じた斎藤直樹、最初は控えめながらも徐々に自身の心の闇を明らかにしていく那須佐代子の演技は素晴らしかったですね。そしてヨン役の岡本健一は昨年(2018年)の出演作を羅列していくと、世田谷パブリックシアター主催公演『岸 リトラル』(作=ワジディ・ムワワド、翻訳=藤井慎太郎、演出=上村聡史、シアタートラム他、2018)のイスマイル 役、新国立劇場主催公演『ヘンリー五世』(作=ウィリアム・シェイクスピア、翻訳=小田島雄志、演出=鵜山仁、新国立劇場、2018)のピストル役、劇団新感線☆RS公演『メタルマクベス』disc2(作=宮藤官九郎、演出=いのうえひでのり、IHIステージアラウンド東京、2018)のエクスプローラー役、劇団民藝公演『グレイクリスマス』(作=斎藤憐、演出=丹野郁弓、三越劇場、2018)の権堂役がありました。今年(2019年)に入ってからでもホリプロ公演『海辺のカフカ』(原作=村上春樹、脚本=フランク・ギャラティ、演出=蜷川幸雄、赤坂ACTシアター他、2019)の大島役、ホリプロ公演『ピカソとアインシュタイン~星降る夜の奇跡~』(作=スティーヴ・マーティン、演出=ランダル・アーニー、よみうり大手町ホール、2019)のピカソ役、があり、さらに『終夜』のあと、11月から12月にかけては『正しいオトナたち』(作=ヤスミナ・レザ、翻訳=岩切正一郎、演出=上村聡史、IMAホール他、2019)の出演が決まっています。リストにして確認すると上村聡史の演出が多いですね。また360度回転する劇場として話題になった座席数約1,300のIHIステージアラウンド東京から、百数十席のアター風姿花伝まで、出演する劇場に関してはどこにでも対応できる力を持っています。

小田:特に昨年(2018年)の岡本健一は鬼気迫るものがありました。

鳩羽:本当にそう思います。

嶋田:そして今年(2019年)も岡本健一は『海辺のカフカ』から好演が続き、『終夜』のあとにはすぐにヤスミナ・レザ『正しいオトナたち』の出演が続きます。ジャニーズ事務所と現代演劇の関係については蜷川幸雄を起点に語られることも多かったですが、今後は岡本健一を軸に語ることができるように思います。ともあれ、シアター風姿花伝の濃密な空間で、岡本健一を堪能できたのは幸せな体験でした。

小田:そうですね。このように魅力的な岡本健一と栗田桃子、斉藤直樹、那須佐代子が繰り出す場面は時に暴力性はあるけれども、次に話題となる『暴力の歴史』の暴力とは全く質が違う、人間性のある暴力なのです。決して騒々しくないのは、内面と関わらせた照明の抑制的な使い方にもよるでしょうか。

鳩羽:そうですね。

小田:音楽はレコードでジャズを少しだけ入れていました。

嶋田:あとは、喫煙の場面が多かったですね。実は初日近くでこの作品を見た方と話をしたら、「タバコがすごいから、劇場でマスクを配布しているのでもらった方がいい」とアドバイスされました。私は楽日に近い公演だったのですが、そこまでタバコはすごくなかったですね。

小田:私もマスクをもらって着けました。

鳩羽:確かにマスクを観客に配っていました。

嶋田:最近は受動喫煙について敏感になってきたので、舞台上で喫煙シーンがあるときは事前にアナウンスしたり、薬用のタバコで煙は無害である旨を伝えていますね。今回私は舞台最前列上手から舞台を見たのですが、角度的に照明が斜めに入って煙と交叉する場面は幻想的で印象深かったですね。またタバコに火をつけることでちょうどよい間(ま)ができて、会話などのテンポが取りやすいようにも思いました。タバコでこれだけの劇空間が作れたのだ、ということを再発見しました。

鳩羽:喫煙の場面は時代を感じますね。劇空間という意味で言えば、舞台装置の三方の壁が実に効果的でした。思いが通じないもどかしさや焦り、苛立ちが、壁を叩いたり、殴ったりすることでうまく表現されていました。

小田:スリガラスの壁のようなシャワー室も不気味でした。

鳩羽:ペンキで書き殴っていました。

嶋田:シャーロットが壁に青いペンキでハーケンクロイツを描いて、その下に「KILLER MAN」と書いていました。

小田:時間についてひとこと言いたいのですが、普通に時間が進んでいくと同時に、過去に深まる、あるいは内面的に深まるというのか、時間の横軸と縦軸が幾重にも交錯していく構造が目をひきました。今年の5月から10月にかけて、コルテスの『森の直前の夜』というひとり芝居を笛田宇一郎さんが連続上演したのですが、この舞台では、実際には極めて短い時間、ある瞬間が切り取られ、その中に物語が深まっていくような不思議な魅力があり、『終夜』にも、同じく伸び縮みするような「時の流れ」を感じたのです。

嶋田:『終夜』をめぐって、たくさんのお話が出てきました。このようなたいへん上質な作品を風姿花伝は2014年以降、年に1回のペースで発表しています。濃密な空間で上質な作品を鑑賞できるのは観客にとってまさに至福です。来年の公演も大いに期待したいと思います。

(2019年11月10日@明治大学和泉キャンパス研究棟共同研究室1)