劇評講座報告 社会派作家/演出家までの道のり──シライケイタ氏を迎えて── / 山本健一
劇評講座報告
2019年5月19日(日)18時~@座・高円寺けいこ場2
社会派作家/演出家までの道のり
──シライケイタ氏を迎えて──
山本健一
シライケイタさん(温泉ドラゴン)を劇評講座に迎えた。私は司会をするにあたって、シライさんが上演台本と演出を担当した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2017年3月、東京・新宿 SPACE雑遊)に絞ってお話を聞こうと思った。舞台の母体である若松孝二監督の同題映画は2007年に完成し、国内外の映画賞を受賞していた。封切り直後に見て圧倒された記憶がある。以来、若者たちが天国(ユートピア)を目指しながら地獄のリンチ殺人を重ねたのはなぜか、という思いを引きずっていた。この舞台には素材、主題、方法ともに「社会派」(あらゆる演劇は形を変えてもいつも社会派だが)シライケイタの特徴が詰まっているはずだ、という思い込みもあった。舞台映像の一部鑑賞とインタビューの2時間半を了えて、その先入観は一部当たり、ある意味一部はずれた。
連合赤軍事件とは、共産主義者同盟赤軍派と日本共産党革命左派(京浜安保共闘)が合同した連合赤軍が,1971年から72年にかけて起こした山岳ベースでの集団リンチ殺人事件とあさま山荘事件をいう。北関東の山中に自分たちがアジトとして建設した山岳ベースの山小屋で、リーダーの森恒夫と永田洋子のファッショのもと、「総括」などと称して12人の同志を粛清した。映画と舞台は、この山岳ベース事件と、警察の捜索を逃れて山岳ベースから山中行した連合赤軍メンバーが、軽井沢に建つ企業保養所に管理人の妻を人質にして立て籠もり、警察と銃撃戦を展開して警察官を含む3名が死亡したあさま山荘事件の二つを山場にしている。
まず舞台の映像記録を45分ほど見てから質問に入った。舞台化は、若松監督の生誕80年祭を1年かけてする締めくくりの企画にと、若松プロからシライさんに依頼があったのがきっかけという。
「僕は事件の2年後に生まれたので、遠い所からこの事件を気にしていた。あさま山荘事件当時、朝日新聞前橋支局員として取材していた父から話は聞いており、興味があった。映画は見ていた。父は事件を起こした若者たちに批判的だったが、私は事件を捉えなおそうと思い、是非やらせてほしいと即答した。しかし、調べれば調べるほど森恒夫と永田洋子に対する嫌悪、憎悪感が増してくる。でも二人を断罪する芝居を作ってもしかたない。何を考えて、どうして12人を殺したのか。そこに至るまでに何があったのか。まず彼らを理解しようと思った。暴力のない理想郷を目指したのに、なぜかくもおぞましい暴力をふるったのか。彼等はその自己矛盾に気づかなかったのだろうか。若松プロの人にそう話すと、当時は暴力革命が肯定されていた。気付けといっても無理な話、と言われた。しかし私はその矛盾、心の暗闇にこそ興味があった」
――リンチで殺され、犠牲者が増えるたびに、暗い舞台に瞬くローソクの灯が増えていく。死者の視点に立った演劇でしたね。
「映画は、なぜ彼らはそういうことに至ったかのドキュメント。舞台は亡くなった人の魂をどうするかを眼目にした。温泉ドラゴンではこれまでも死者を劇中に出してきた。死者は映画では半透明の存在だが、舞台では肉体を持ちながら、死者だからそこにはいない。今までやってきたことをやればいいのだと思った」「人は誰でも墓や仏壇の前で、死者と会話している。死者の視点を生者が持ち得るから、倫理観を持ち間違えたことはできない。いるかいないか全く分からないが、死者を全く信じなくなったら、世の中はもっとひどいことになる。殺された12人から見て、彼らが託した夢から見て、今の世の中はどう見えるのだろう。我々は今どうなっているのか、死者の目を通して相対化できる。我々はあるいは殺す側、殺される側になりえるかもしれない、という思いがありました」
若松監督は映画完成後のインタビューでこう語っている。「(映画で彼らを)肯定とか、正しいとか間違っているということではなく、彼らの生きざまとは何だったのかっていうことですよ。今彼らを愚かだ、と批判する人たちはたくさんいるけれど、楽な生き方を捨てて、自分のすべてを捨てて闘おうとした若者を、単純に『愚かだ』と批判する人間こそ、僕は愚かだと思っている」(『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、朝日新聞出版、2008年2月)
――山を下りた森と永田が都会のラブホテルで体を重ねる。最期に死ぬ永田は磔にされたように見え、ミサ曲が流れる。この二つの場面をリンチで殺された死者たちが見ている構図でした。
「複雑なスタンスでした。ラブホ場面ではどうしても同情心がわいてこない。若松プロのメンバーが、あれだと永田を断罪しているみたいと言う。彼女の中の人間の揺らぎを表現できないか、と。自分なりに理解しようとした。つまり彼女を許せないが、絶望の淵で、取り返しのつかないことをした後悔に思い至らないはずがない、という。そこで死者12人の目に囲まれる設定にした。彼女が揺れているのです。死者の目が無ければ人間は何でもしてしまう怖れを抱いていた。聖ロシア教会のミサ曲を流して死者に寄り添うことで複雑なスタンスを表現した」
――死者と生者が夢幻能のように対面する場面もありました。
「最初、若松組から舞台にできるはずがないだろうと言われた。ではやってやろう。演劇にしかできないことで埋め尽くしてやろう。その一つが肉体の実在感をもって死者と生者が対話する方法でした」
――演劇にしかできない方法ですか。
「山岳アジトからあさま山荘へ猛吹雪の中を向かう峠越えの場面がそうです。実写の圧倒的なリアリティーで雪山を縦一列で越える若者たちをロングに引いて表現する。しかし舞台はアップ。若松監督は「魂を撮っている」と言っていた。よし舞台でも魂を描けばいいのだ。役者たちに立ったまま台詞を膨大に言わせよう。これだけの独白そのものと格闘する横一列に立つ俳優の姿を、連合赤軍の姿と二重写しに見せたい。人は言葉の意味で物を見るのではない。肉体、せりふの熱量にかけた」「映画は記録フイルムを使い当時の激動する世界内外の時代背景を押さえた。でも記録映像を見せてもわからないものはわからない。映像による歴史性の押さえは諦めた」
――密室劇の雰囲気でした。一つしかない出入り口は劇中、俳優の出はけに使われる。私達観客は狭い劇場に閉じ込められた感覚を持ちました。間近でリンチ殺人を目撃する裁判員、はたまた秘教のミサに立ち会う信徒のような感覚に包まれた。
「山岳アジトとあさま山荘の二つの密室を挟んで、峠越えの長い独白シーンを置く構成にした。観客を舞台内側の逃げ場のない所に閉じ込めた。密室で人はどう変わっていくかをリアルに見て欲しかった」
――若松監督は実写や記録映像を使いながらも、再現ドラマではない、魂を映すのだと発言していますね。
「私も魂、人間の矛盾を表現しないとだめだと思いました。生きるために人は何でもする。しかし演劇は、人はどう生きてきたか、どう生きるべきかの矛盾を表現するもの。僕は地獄のかなたに一筋の光明を見たい、見せたい。だからシライはくさいと言われた時もあった。今はベタに光明を見せたいとは思わない。複雑なことを複雑のまま表現できたらいいなと思っています。この芝居ではストーリーに希望や光明を求めるのではなく、あの時代を知らない僕たちスタッフ、キャストが、なんとかあの時代を理解し表現しようと格闘する姿に希望や光明があると思いたい。肉体で、俳優のエネルギーでひとつの奇跡を起こしたかった」
――全員オーディションで配役を決めたそうですね。
「そうです。200人ぐらいの応募者の中から選びました。選考基準はシンプル。絶対に出演したい、絶対にあの役をやりたいという人の中から選んだ。映画出演者の中から加藤三兄弟の末弟を演じた、当時最年少のタモト清嵐だけが応募してきた。同じ役を演じてもらい、舞台と唯一繋げる回路にしました。」
参加者の会員から俳優と役の距離の取り方について質問があった。シライが上演台本を書き演出した、流山児★事務所公演「満州戦線」で、五族協和を信じて旧満州で日本人として生きた朝鮮の人びとを日本人が演じた。今度の舞台では今の若者が連合赤軍兵士を演じた。どうやって役との距離をとるのか、という内容だった。シライさんは「自分が生きてきた経験の貯金では描けない。自分に引き付けることは出来ない。ひたすら他者の目を持つしかない。理解しようという観念性より、役の彼等の目を持って世の中を見ようという具体性しか拠りどころはありません」と答えていた。
あっという間の2時間半。世界はこのままでいいのかという視点で過去の歴史を今に問い返すのが社会派の意味だろう。連合赤軍事件を俎上にのせるのは社会派たる真骨頂だ。しかし主題の捉え方や表現方法を聞いてみると、純粋演劇の正統派だった。