シディ・ラルビ・シェルカウイ、インタビュー
聞き手:坂口勝彦、西田留美可
今年2018年の始めに、シディ・ラルビ・シェルカウイは『プルートゥ PLUTO』と『DUNAS』の2作品の上演を行った。『プルートゥ』は2015年に上演された作品の細部をより精緻に仕上げた再演。その『プルートゥ』が最初に制作された3年前、忙しいさなかのシェルカウイに話を聞くことができた。短い時間だったが、彼が師と仰ぐ手塚治虫のこと、『プルートゥ』や『sutra』など日本で上演された作品のこと、そして彼自身にとってのダンスとは何か、ていねいに話してくれた。シェルカウイの基本的な哲学を伺い知ることができる貴重な対話になっていると思う。
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1.手塚治虫
──シェルカウイさんは、日本人以上に手塚治虫を読まれているのではないでしょうか。シェルカウイさんにとって手塚治虫とはどういう存在でしょうか?
手塚治虫は天才だと思います。彼の作品を読むことは、私にとって長い旅のようなものです。そこにはすべてがあります。彼は誰よりも世界と人間を深く理解していたと思います。彼の作品は知的で深い意味を持っているだけでなく、とても美しいのです。たとえ辛くて暗い作品であってもとても力強さが感じられます。辛い時には普通は後ろ向きになるものですが、彼はむしろ前に進んでいきます。どのような状況においても、彼は誠実なのです。それが力強さを生んでいるのでしょう。そういうところがすばらしいと思います。手塚治虫のプロジェクトは、私にとって勉強であり研究でもあるんです。その機会をずっと待っていました。私は一生かけて手塚治虫を語っていきたいと思っています。
──今、手塚治虫の作品を元に作品を作ることの意味や意義はどこにあると思われますか?
それは、手塚治虫の作品が予言的だからです。彼には未来が予測できたのではないでしょうか。将来起こるであろうことや、私たちが抱えるだろう問題点を既に提示しています。未来のこととして描かれていますが、まさに今の私たちの世界を描いているように見えます。
彼がしばしば描いた人間とロボットの関係は、私にとっても大きな問題です。例えば、『鉄腕アトム』や『プルートゥ』の天馬博士とアトムの関係がそうです。天馬博士はアトムを作りましたが、アトムは息子の飛雄の代わりでした。アトムは完璧ですが、天馬博士が望む飛雄ではなかったのです。『プルートゥ』で天馬博士が「アトムは完全じゃないんだ、あれは飛雄じゃない」と言いますね。もちろん、アトムは飛雄には決してなれません。アトムは飛雄ではないことを受け入れなければならないのに、アトムに飛雄のようであってほしいと望んだので、天馬博士は絶望したのです。これがアトムというキャラクターの鍵だと思います。アトムは父によって作られましたが、父によって拒否されました。でも、それがアトムがあのように美しい理由でしょう。自分が父によって拒否されたことがアトムの実存を決定するからです。ですからアトムはもう誰も拒否しません、父に拒絶された時の気持ちを知っているからです。私は、アトムこそが私たちすべてが関わるべきほんとうに力強い元型だと思うのです。
天馬博士とアトムの関係は、父と私との関係でもありますし、私の父のイメージとも結びつきます。『プルートゥ』のサハドとアブラーの関係も複雑な父と子の関係ですが、やはり私と父との関係と重なります。『エヴァンゲリオン』も、父親が息子に望んでいることと、息子自身が望んでいることとの関係に関わるものですね。とても個人的な関係ですが、特定の文化に固有の問題ではなくて、もっと普遍的な関係でもあって、誰もが直面しうる問題でしょう。私自身がそういう問題と格闘しなければならなかったので、自然に私が作る作品のテーマになっているのです。
2.アラブ的なもの
──原作の浦沢直樹の『プルートゥ』には、イラク戦争への日本の関わりの責任問題を示唆する話も出てきます。今、西洋では、アラブ系の移民・難民問題に揺れていますし、イスラム教に対する風当たりも厳しくなっている面があります。シェルカウイさんは作品の中でアラブの文化やイスラムの音楽などに触れることが多いですね。
ええ、それはいつも意識しています。最近では、ニュースでアラブ世界が取りあげられるのはたいていネガティヴなものが多いですね、誰かが殺されたとか、誰かを殺したとか。でも実際はアメリカの方がもっとひどいことをしてきたのではないですか。異なる文化について語る時は、否定的な側面ばかり見がちです。もちろん、そういう事実もあるのですが、良い面もたくさんあります。そういうところを見ることが大切だと思います。
私の名前はアラブの名前なのですが、それはとても良かったと思います。そのおかげで、私はヨーロッパにいながらにして何か異質なものになれるからです。私はヨーロッパのアイデンティティを完全には持てませんし、モロッコのアイデンティティも持てません。私は私自身でしかないなのです。
──『バベル BABEL(words)』の終盤では、スーフィズムの音楽が使われて、ダンサーたちはトランス状態のようになりますね。
ええ、『バベル』はダミアン・ジャレと作った作品で、スピリチュアルな要素を取り入れたいと2人で話して、ズィクル(唱念)の儀式を元にした振付を作りました。スーフィズムの呼吸法による儀式です。呼吸法が元になっていますから、イスラムとは別の文化に属する人が見ても力強いものになったのではないでしょうか。
日本のお寺で般若心経を唱えるのを聞いた時も、同じような力を感じました。幾度も反復されるうちに、何かが伝わって来ます。言葉よりも深いところにあるものがコミュニケートされる力を感じました。
ダンスにもそういう儀式と同じ力があると思います。練習を繰り返すうちに、その反復は、儀式と同じような身体の使い方になるでしょう。そうすれば、それを目撃している人にも強い力が伝わります。でも実は、誰も見ていなくてもその力は生じているはずです。その力は、観客というよりは命そのものに向けられたものなのでしょう。そういうふうに、ダンスがそれ自身の必然性を持つほどに力強くなれば、それだけで自律するようになって、もう観客は必要なくなるかもしれません。そのような作品に出会えた時はとても感動します。私も、ダンサー自身がそれぞれのパートをほんとうに楽しむことができて、観客の必要がなくなるほどの力を持った作品になるようにいつも努力しています。もちろんそこに観客がいたら、伝わるものが大きくなって、もっと素晴らしいものになるわけですが、作品それ自体で存在することができるようなものに、私は本当に感動します。
──それは瞑想のようなものと言えるでしょうか?
ええ、確かにそうですね。以前、アシュタンガヨガや呼吸法などいろいろとやりました。私はものすごく体が柔らかいんです。最近はあまりしていませんが、また時間を取ってヨガはしたいですね。でも、ヨガや瞑想のエクササイズを始めると仕事になかなか戻れなくなってしまいます。仕事が軌道に乗って、気持ちを抑える環境がしっかり整っている時にしようと思ってます。
3 政治的なもの
──シェルカウイさんの作品は多文化的であるだけでなく、その多文化性が必然的に招く政治的、社会的な要素を多く含んでいます。ダンスでそのようなテーマに触れることの意義についてどうお考えですか?
今私たちの世界が抱えている問題は、話し合いでしか解決しないと思います。なんとしても議論する機会を作らなくてはなりません。オペラの『シェル・ショック(戦争後遺症)』(2014年)に取り組んでいる時に、特にそう感じました。作品のリサーチで、第1次世界大戦の開戦の理由、兵士の様子、どういう犠牲者を生んだのか、等を調べました。過去の話だと思っていたのですが、第一次大戦が今の世界を作ったのだと、はっきりとわかりました。私たちが今直面している問題の原因がそこにあるのです。イラクの問題も、パレスチナとイスラエルの問題も、その要因は第一次大戦から始まっています。過去を調べると、今私たちが直面している問題の源泉に行き着くのです。
『シェル・ショック』は、父親を亡くした子供が歌うシーンで終わりますが、私には、それはパレスチナの子供にも見えて、とても意味深いものに思えました。このオペラは植民地兵たちの歌で始まり、カラフルな衣装の人たちがたくさん出て来て、昔の話から次第に現代に連れて行かれて、最後のシーンになります。作品は過去の話として始まるのですが、最後にはいきなり現在の問題に直面させられた思いがしたのです。最初はそう考えて台本を書いたわけではないのですけど、3ヶ月くらい作業をしているうちに、このシーンこそが最後のシーンであるべきだとわかったのです。
『Foi(信仰)』や『ゼロ度』の時もそうでした。最初はほんの一歩があるだけだったのに、作っていくうちにどんどんポリティカルな要素が増えていって、最後にはすっかり変わりました。そういう作業がとてもおもしろいですね。
『プルートゥ PLUTO』では、アラブの名前を持つアブラー博士は悪者です。でも、アブラーは正しい面もあるのではないかと、アブラー役の松重豊さんとも話しました。アブラー自身と彼の家族に起きたことを考えれば、彼には復讐をする正当な理由があるのです。それを理解するべきです。それと同時に、彼が救いを求めていたことも理解しないとなりません。復讐をしようとまでする人を救い、復讐のエネルギーを復讐ではなくて良い方向へと導く必要があると思います。
そういうふうに、どの作品にも政治性はあります。でも、人間の本性が政治的なものなのですから、それは当然のことでしょう。
4.『sutra(スートラ)』
──シェルカウイさんの作品は、宗教的な要素に触れることも多いですね。とりわけ、『sutra(スートラ)』で、中国の少林寺の僧たちが出演するのには驚きました。どういうきっかけで実現したのでしょうか?
『sutra』を作ったのは2008年です。その頃すっかり疲れてしまっていて、作品を作るのをやめたくなっていたんです。何か別のことをしたほうがいいのかもしれないと考えていた時、友人でプロデューサーの伊藤寿さんが、「少林寺に行ってみないか? 彼らは素晴らしいアーティストだから、会ってみるといい。休養にもなるだろう」と言ってくれたので、初めて少林寺に行きました。
少林寺の僧たちは、武術を実践しているだけではなくて、書道も音楽もこなす素晴らしいアーティストでした。シンプルな振付の踊りもしていました。僧たちの長から、「あなたは振付家ですね、新しい振付を考えてみませんか」と言われたので、振付を少し変えて一緒に踊ってみました。すると、いっそう美しくなって、とても喜んでもらえました。そうして長から、「一緒に作品を作りましょう」と言われてできたのが『sutra』です。僧たちと皆で一緒に作りました。
──僧という宗教的な人たちを舞台に載せるのにはいろいろと困難があったのではないでしょうか。
彼らが実践しているカンフーは修練のためであり、仏教の信仰を広めるためのものでもあるのですが、彼らの信仰と私の信じるものとが対立することはありません。お互いにわかりあえることがたくさんありました。だから一緒にやれると思ったんです。彼らと一緒に仕事をしたら面白くなるだろうという期待もありました。少林寺に滞在した3ヶ月の間には、僧たちと一緒に瞑想も体験しました。少林寺は、中国の中でも特に美しい場所だと思います。
──素晴らしい体験だったのですね。日本では、ダンスとスピリチュアルなものを結びつけようとすることは多いのですが、ダンス作品で宗教や政治の問題に触れることはあまり多くありません。
確かに宗教と政治の話題は注意しないとならない話題です。でも、私の両親は、毎日のように茶の間で宗教の話をしていました。私の父はモロッコ人で母はベルギー人です。父が信じるものと、母が信じるものと、学校で信じられているものとが、いつも対立してました。その対立は私自身でなんとか解決しなければならない問題でした。私がずっと考えている問題ですから、私の作品に宗教や政治の問題が入ってくるのは当然なんです。
5.コミュニケーションとしてのダンス
──ちょうど少林寺に発たれる前日でしたか、シェルカウイさんにお会いしたときに、「ダンスはコミュニケーションだ」と話されていましたね。
ええ、今でもそう思っていますし、そう信じています。私たちの身体は何らかの情報を運んでいます。ダンスはそういう情報を伝える重要な手段で、大切な何かや大切な気持ちを伝えることができます。その意味でダンスはコミュニケーションだと思います。
しかも、ダンスはとても不思議な仕方でそれを伝えます。何かが伝わったことははっきりとわかるのですが、それが何かを言うことはなかなかできません。言葉で伝える時にも、理解したつもりで違っていることはいくらでもありますね、でもそれとは違います。ダンスは何か特別なもの、とても不思議なものです。確実に情報を伝えて、伝えられた人を確実に変えます。
──異なる文化的背景を持っていたとしても、伝わるものでしょうか?
ええ、確かに私たちは異なる背景や物語を持っています。特定の共同体に固有な文化的経験もあります。でも、それと同時に、同じような共通の経験を誰しも持っていると思います。たとえば私たちは、いつでも誰かが何かをしているのを見ていますね。歩いている人をただ見ている時でも、そこから何らかの情報を得ていて、情報を得る限り何らかの変化が自分の中で生まれます。それは誰にでもある共通の体験でしょう。
ダンサーは、そういう情報を拾い集める能力に非常に長けていると思います。しかも情報を拾い集めて、それを伝えようとします。そういう意味で、ダンサーはスタジオで練習してる時だけではなくて、いつでも常に様々な情報を受け止める訓練を積んでいるのだと思います。
そのようなことができるのは、私たち誰もが、自分の身体としっかりと結ばれているからでしょう。身体を通して他者と共感できる能力です。その能力がパフォーミングアーツを成立させている鍵でしょう。共感の力で拾い集めた情報を、同じ共感の力で伝えることができるのです。
固有の文化や習慣というものは、そこに属する人たちの選択肢を制限するものではなくて、選択肢のひとつに過ぎません。ですから、選択肢を増やすためにも、他の文化を理解することが必要です。時間がかかりますし、何かを断念しなければならないこともありますが、複数の文化を横断することはできると思います。ダンスはそういう扉を開けて情報を伝えてくれる確実な手段だと思います。
(2014年12月29日、渋谷にて)
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(後書き)
このインタビューの際にシェルカウイは、「東京はいちばんリラックスできる街です」と語った。ロンドンやニューヨークやパリよりも東京の方が落ち着くらしい。リップサービスもあるかもしれないが、西洋でもアラブでもない街に居心地の良さを感じるのかもしれないし、手塚治虫への心酔も東京を特別な街にしているだろう。手塚治虫の作品はほぼ全部読破したという彼は、鉄腕アトム以外の作品についてもよく知っていて、漫画談義ができるほどだった。