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 『仮名手本忠臣蔵』六段目はまるで不条理劇である。勘平は手に負えない現実に巻き込まれて死んでいく。しかし歌舞伎座2017年11月の顔見世興行で仁左衛門が演じたのは、わずかの希望すら見出せない現実から逃げようとしない、稀に見る見事な勘平である。そのとき勘平の死は個人の出来事を超えて、『仮名手本忠臣蔵』全十一段のイコンになった。

東西の型の違い

 この芝居は今では上方の型は稀で、東京の音羽屋型で上演されることが多い。仁左衛門も細部では上方の型を使いつつ、全体として東京の型を採用している。東京の型は美的センスに優れている。武士は美しいというのが、江戸=東京の感覚である。しかし勘平の武士としての形容を強調することは、しばしばそこに潜む虚偽性を露呈することになりかねない。一方、上方の型は表面を飾らず、一人の人間の抜き差しならぬ内面を描こうとする。
 運命が彼を追い詰めて行く。そのための巧妙な筋が初めから仕組まれていた。今回は五、六段目だけの上演なので、出幕にならないが、三段目で勘平は足利館へ主君塩冶判官の供をする。大切なご用を蒙りながら、主君が殿中で刃傷に及んだ時、腰元おかると忍び逢って、館の外へ出ていた。館の門はすぐ閉ざされ、藩邸にも戻れず、武士の面目を失って、女の親里、山崎の百姓与市兵衛方へ二人で落ちて行く。山崎では猟師をして、悔恨の日々を送っている。そこに名誉回復のための千載一遇の機会が訪れた。それが五段目と六段目である。しかし勘平の行為はまた裏目に出て、ついに腹を切る破目になる。
 東京型では、勘平が美しい浅葱の紋服を着て死んでいく姿が、ひとしお悲しみを誘う。理詰めの上方型からいわせれば、この衣装はどこから出てきたのか? 山崎へ立ち退いた時は黒羽二重の紋付きを着ていた。上方の勘平は在所住まいの猟師にふさわしく木綿の縞物を着て、切腹する。
 仁左衛門は東京の型によって、表面は武士の容儀を整えつつ(またそれがこれほど似合う人はいない)、精神は上方の型の示す人間の深い心を描いていた。

武士の容儀に潜む虚偽性

 五段目で勘平は、月のない6月29日の夜、雨の山崎街道で偶然古朋輩の千崎弥五郎(彦三郎)に出会い、亡君仇討ちのご用金を集めているのを知る。勘平も金を調達すれば、仇討ちの一味徒党に加わる道が開ける。彼は千崎と別れた後、猪を撃ち止めた。闇の中で獲物を探って見ると、猪ではなく人である。抱き起こして金財布が手に触ったので、これを押し頂き、千崎の後を飛ぶがごとくに追って行く。
 勘平は知らず、観客は知っている。勘平と千崎が別れた後、斧定九郎(染五郎)が勘平の舅与市兵衛(山左衛門)を斬殺して金を奪ったことを。勘平の放った鉄砲弾に当たったのは定九郎で、金財布はその懐にあった。
 夜明けになって勘平が、与市兵衛の住まいに戻ってみると、見知らぬ客がいて、おかる(孝太郎)を駕籠に乗せて連れ去ろうとしている。この客のことも観客は既に承知している。祇園の茶屋一文字屋の女房お才(秀太郎)と判人源六(松之助)で、おかるは夫を元の武士に戻すために、夫には知らせずに百両の金で我が身を売ろうとしている。
 父与市兵衛が夜前祇園に出かけて話をまとめ、半金五十両を受け取り、帰り道で命と金を奪われた。勘平は駕籠の棒鼻を突き戻して家に入り、濡れた衣服を着替える。東京の型ではこういう台詞になる。

「これおかる。着物を持ってくるなら、ご紋付きを持って来てくりゃれ」
「あい」
「ああこれ。ついでに大小も持って来てくりゃれ」
「あの。大小を」
「はて。何であろうと持って来いというに」

 勘平はすっかり武士の姿になる。なぜそうするのか。来客は胡散臭く、ことに源六は態度が悪い。これから展開する事態が読めない。そこで身を守るために武士の行儀で対応した。十七代目勘三郎の勘平はそのように見えた。事情が分かると、小刀を腰から抜いて大刀と共に背後に回して、尋常に挨拶する。その時も、勘三郎は左に置いてあった大刀を左手で取り、右手に持ち直して大きく背後に回す仕種が芝居気たっぷりで、勘平の左の腰近く座っている源六は風に煽られるように仰け反った(実際の距離は何メートルも離れていて、源六がそういうリアクションをした)。町人の源六は武士を恐れている。武士という者の虚偽性が端無くも露呈するのはこういう瞬間である。
 仁左衛門の勘平も浅葱の紋服を着る。大小は持ち出さない。その性根はどこにあるのか。六代目菊五郎はこう述べている。

勘平が紋服と大小を用ひるのは一文字屋源六に対する仕科のやうに誤り伝へられてゐるが、これは前夜計らず出会ひし千崎が尋ねて来るのを心待ちに、せめて武士の姿で逢はうと云ふ用意である。(『芸』)

また衣装については「浅黄羽二重。丸に鷹の羽五つ紋」と記していて、「丸に鷹の羽」は塩冶家の紋であるから、これは亡君からの拝領品になる(勘平がいつ拝領したのかという疑問は受け付けない)。仁左衛門の性根は確かにそこにあるように見えた。
 千崎は昨夜勘平の切なる願いを聞いた時、大星由良之助、原郷右衛門に願い出て、明後日にはきっと返事をすると請け合ってくれた。勘平はその直後に金を手に入れて、千崎に届けたのだから、彼の訪問も早く、おそらく今日中になると考えられる(事実そうなる)。それは吉報に違いない。勘平は晴れの場のために拝領の紋服に改めた。