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上・アヤ(石村みか) 下・宮沢賢治(山田百次) 撮影=沖美帆

「無名の人間 賢治」像

 宮沢賢治と言えば「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・」という、自己犠牲精神あふれる聖人というイメージがある。しかし、最近の研究動向と同様、てがみ座公演『風紋--青のはて2017』(作=長田育恵、演出=田中圭介)はむしろ、このような聖人像を覆すような矛盾に満ちた賢治のあり方に焦点を当てている。
 長田育恵が賢治を取り上げるのは二回目だ。初回の『青のはて――銀河鉄道前奏曲――』(2012年)は、26歳の賢治が亡くなった妹トシの幻影を追って樺太を訪れ、それが銀河鉄道執筆の契機となる話。しかし、そこでは「まだ書き切れていない」ものがあると長田は感じたという:

「作家 宮沢賢治」ではなく、多くの矛盾を抱えながら生きる「無名の人間 賢治」を描きたい(公演プログラム文)。

かくして、死を二ヶ月後に控えた36歳の賢治がフィーチャーされたのが今回の『風紋・・・』である。時は1933年の7月くらい、ということだ。
 場所は仙人峠の駅舎兼宿泊所。花巻発の岩手軽便鉄道の終点だ。釜石鉱山鉄道に乗るためには、そこから大橋まで峠の一本道をゆかねばならないのだが、そこが折からの豪雨で崩れた土砂に塞がれてしまう。かくして駅舎にたどり着いた幾人かの客は足止めを食うことになる。そこに最後に担ぎ込まれてきたのが、車中で肺病の発作に見舞われた賢治(山田百次)だ。
 病床にあって、元看護婦だった駅長・巳喜雄(佐藤誓)の義理の娘アヤ(石村みか)や、東京を目指す途中の娘ミキ(神保有輝美)に看護されながら、譫妄状態の賢治は幻視する。そこに現れる主要人物は、つらい別離を賢治が経験した二人――若くしてなくなった妹宮沢トシ(瀬戸さおり)と、かつて熱い理想を共にしながら、その後別の道を歩むことになる盛岡高等農林時代の親友・保阪嘉内である。

(左から)宮澤トシ(瀬戸さおり)、宮澤賢治(山田百次)、穂坂嘉内(箱田暁史) 撮影=沖美帆

 幻視の中の「無名の人間 賢治」は、二人に対する罪悪感と孤独にひたすら苛まれる一人の人間だ。彼が傾倒した、純粋日蓮主義を掲げる国粋主義的宗教団体国柱会の理想を自分が押しつけようとしたことが、辛い別離につながったのではないかという思いがそこにはある。性的禁忌の匂いまで漂わせることで、作家の長田は賢治の慚愧の念に奥行きを与えている。

「あいまいな喪失」

 しかし、今回長田の筆が冴えたのは、彼女が得意とする評伝の部分にとどまらない。作家は、駅舎において賢治の周りに虚構の人物たちを配置するのだが、その人間模様の中で描かれる当時の世情と、「あいまいな喪失」(ポーリン・ボス)によってもたらされたトラウマが、賢治の思いと創作に対する作家の視点を提供する。むしろここにこそ、今回の作品の白眉がある。
 舞台である1933年は、中国大陸での戦線が拡大していった時期だ。31年の満州事変、32年の満州国建国、33年1月のヒトラー政権誕生、同年2月の小林多喜二の虐殺。大戦への緒についたこの時期の世情に対する長田の筆致は、決して偏ることがない。一方で労働運動弾圧を描いたかと思えば、他方では「赤化」運動員の独善と横暴をも指摘する。しかし、このような剣呑な世相の中で、長田が特に際立たせたのが、33年3月に起きた三陸大津波である。アヤはこの津波によって、夫を失っていたのだ。
 アヤが経験するこの別離には、「あいまいな喪失」という呼称がポーリーン・ボスによって与えられている。災害等で近親者の遺体があがらない場合や、痴呆症等でもはや近親者に自分を認識してもらえなくなる場合などに生じる喪失感のことである。そこには、明確な喪失の指標がない、だから「あいまい」なのだ。当然この喪失感はトラウマを引き起こすことになる。東日本大震災後、いまだに多くが様々な形で抱えているトラウマでもある。「行方不明」のままの近親者という場合だけではない、「目に見えるのに、もはや《存在しない》故郷」もそこに含めてよいだろう。

左・あや(石村みか)、右・宮沢賢治(山田百次) 撮影=沖美帆

 この「あいまいな喪失」により、賢治の経験した別離と罪悪感は、相対化されることになる。それと並行して、アヤのトラウマも、賢治の創作に触れることにより、新たな次元を与えられる。『グスコーブドリの伝記』の原稿を彼女が読むことで、グスコーブドリの自己犠牲の精神にも、アヤの夫の「喪失」に対する姿勢にも、新たな視点が与えられるのである。それは、創作が、他人の目に触れることではじめてもたらしうる治癒の側面だといってもよいかもしれない。

前・巳喜雄(佐藤誓)、奥・アヤ(石村みか) 撮影=沖美帆

 田中圭介の演出は、現実と幻視の間を軽やかにつないでいく。簡素ながらも、リアリズム一辺倒ではない杉山至の美術も、その軽やかさに一役買っている。訥弁のなかに、感情の爆発を織り交ぜる賢治役の山田百次、トラウマをけなげさの中に閉じ込めようとするアヤ役の石村みか、現実的な装いに悲しみをひめる駅長役の佐藤誓など、演技人はおしなべて好演である。2017年11月9~19日、赤坂レッドシアター。