動物の心、都市の体──ピチェ・クランチェン 『Toky Toki Saru (トキトキサル)』/坂口勝彦
今年のフェスティバル/トーキョー17 (F/T)は、家族連れや恋人たちが憩う南池袋公園でにぎやかに始まった。タイの仮面舞踊劇コーンの踊り手であり、日本でも数々のダンス作品を上演しているピチェ・クランチェンに委嘱した新作『Toky Toki Saru(トキトキサル)』(9月30日夕、10月1日昼)。F/Tを知らない多くの人たちを巻き込んでしまおうという、楽しいイベントだった。
かつては木々に溢れホームレスも憩っていた南池袋公園は、昨年の春に広々とした芝生の匂いがさわやかな広場に生まれ変わっていた。その芝生の中央から四方に伸びるように、子供でも簡単に上れる高さの舞台が設えられ、そのまわりにはいつもの週末と変わらずピクニック気分の子供連れや恋人たちがシートを敷いてびっしり。芝生のあちらこちらに、カラフルで怪しい姿の者たちが歩き回り、食事をしている人たちにときどきちょっかいを出している。縁日を飾る色とりどりの小物をちりばめたようなきらびやかな装い。着ぐるみのような厚手の衣装には尻尾もついている。サルたちだ。クランチェンのカンパニーメンバーらしい女性が、会場をゆっくりと歩きながら白い風船を人々に手渡して行く。ほとんどの人たちは、何かのイベントかアトラクションだと思っていたと思う。
カラフルなサルたちは、16人の日本人ダンサーに、クランチェンが選んだタイ、インドネシア、香港、カンボジアの4人の振付家・ダンサー。DJが次々に繰り出す軽快な音楽に合わせて、サルたちが数人ずつ集まってはダンスを披露していく。子供が一緒に踊り出す楽しそうな振付、ストリート風のダンス、いかにもサルの動きのダンスなど。後にラウンジトーク(10月1日)を聞いてわかったことだが、サルのダンスの振付は4人の振付家にクランチェンが依頼したのだという。カンボジアのニエット・ラディーは仮面舞踊の踊り手で、サルの動きを様式化したダンスを踊る。タイのパドゥン・チュムパンは、クランチェンのカンパニーのメンバーで仮面舞踊劇のサルの踊り手でもあり、サルそのものになりきるダンスを踊る。インドネシアのアリサ・スライマンは、ジェコ・シオンポが生み出した超高速なアニマルポップの踊り手。香港のジャネット・ウーはヒップホップの軽快なダンス。4人のダンスはこの順番で、猿になりきるダンスから、人間としてサルっぽく踊っているダンスへと進化しているとも言える。クランチェンはそこに着目して4人に依頼したという。
サルのダンスが次々と披露されて40分くらいが過ぎた頃、サルたちは、芝生にいる人をそれぞれひとりずつ舞台に上げて踊りに誘う。和服の人、スーツの人、車イスに乗った人、ポリス、モデルっぽい人、義足の女性、子供など。かれらは公募等で選ばれた20人の普通の人、つまり舞台の経験がない人らしい。クランチェンはラウンジトークでかれらをアクターと呼んでいた。ペアで踊っているダンサーとアクターの姿形は似通っていて、アクターがサル化したのがダンサーのように見える。後半は、そのダンサーとアクターの間の対話ないしは交歓が繰り広げられる。ダンサーが被っていた被り物を被せたり被せられたり、白い風船を手渡したり、対立したり取っ組み合いもする。最後はダンサーとアクターが一緒に楽しく踊って終わる。
当日パンフレットでは、ダンサーはMind、アクターはBodyという役割になっている。ひとりの人の心をダンサーが、体をアクターが、担っているということなのだろう。身体を駆使して動き回るダンサーが、体ではなく心を体現しているという想定がおもしろい。サルのように自由に気ままに動物的に跳びまわるのが心のあるべき姿だと、クランチェンは考えているのだろう。アクターたちはさながら自由な心を失った抜け殻のような体ということか。でも、心としてのサルたちは、ときには荒々しくむちゃくちゃなこともするようだ。だからこそ、心と体の親密な関係を懸命に取り戻そうとして、被り物や白い風船がダンサーとアクターで受け渡されるのだろう。
ピチェ・クランチェンは、F/Tディレクターの市村氏から、東京をリサーチして作品を作るように依頼された。街を数週間見続けた彼がつかんだものは、東京は動物的な勘を狂わせる、というものだったという(ラウンジトークでの発言より)。身体と環境との交感に敏感であるはずのクランチェンにとって、東京はあまりにも観念的な都市すぎるのだろう。標識や矢印に導かれなければ移動ができない都市であり、動物的な勘に頼って生きて行くことができない都市なのだ。それは私たちにもよくわかる。とはいえ、南池袋公演で見ていてそうしたメッセージがはっきりとうかびあがるわけではなかった。
できうるならば、4人の振付家が作ったサルのダンスを、ダンサーの身体を間近に見ながら見てみたかった。厚い着ぐるみのような衣装に阻まれて微妙な動きが見えなかったし、目を凝らしてダンスを見つめることのできる場でもなかった。精緻に作りあげられたサルのダンスの力強さをもっとしっかりと見つめることができれば、それを通して東京の人たちに動物的な心の力を伝えたいというピチェ・クランチェンの思いももっとはっきりと伝わっただろう。それでも、F/Tという少々ハイアート気味なフェスティバルのオープニングを、F/Tをまったく知らない人たちの目の前で始めるという果敢な挑戦が素晴らしい。あのサルたちはいったいなんだったんだろう? という不思議な思いがみんなの心に残ることは確かだろう。そうした種を植え付けたことを一歩として、ピチェ・クランチェンの次の一歩を楽しみにしている。🐒