四畳半の亡霊――『傾城反魂香』における非リアリズム的身体/本橋哲也
山の手事情社の『傾城反魂香』は、1999年に『平成・近松・反魂香』として初演され、2007年に現在の題名で上演、その後もルーマニアのシビウ国際演劇祭で公演を行うなど、山の手事情社が繰りかえし舞台に乗せてきた代表作の一つである。それが「代表作」である理由は、この作品が《四畳半》演劇という手法をほぼ完璧なかたちで具現しているからだ。そのことを確認する意味でも、今回の公演(2017年10月13日~15日、大田区民プラザ大ホール、評者の観劇日は13日)は詳細な検討に値すると思われる。この小稿ではこの公演の批評を通して、《四畳半》演劇の特質と、それが「リアリズム演劇」に対するどのようなオルタナティブを提供しうるのかを論じたい。
様式と身体
《四畳半》とは、「リアリズム演劇では[ヨーロッパの演劇に対して]到底勝ち目がないぞ」と考えた安田雅弘が山の手事情社とともに鍛えてきた、特殊であるがゆえに普遍的な演劇の様式である。日本でも世界でも他の演劇集団には類を見ないがゆえにきわめて「特殊」でありながら、同時に演劇という芸術が何を遂行しうるのかという意味で「普遍的」な様式だからだ。今回の公演時に配布された「《四畳半》への道のり」と題された文章で、安田は次のように述べている――
私見に過ぎないが、リアリズムというのは一つの様式である。私の言う意味は、歌舞伎や能楽の演技スタイルと形が違うだけで、その様式が孕んでいる緻密さに変わりはない、ということである。歌舞伎や能楽の演者たちが、それぞれの様式を習得するのに匹敵する刻苦勉励を、リアリズムが俳優に求めていないはずがないではないか。(中略)わが国の多くの現場ではリアリズムとナチュラリズムが混同されている。日常のごとく、いつもと同じように動くのはナチュラリズムに過ぎない。それは一見似かよっているけれどもリアリズムとは根本的にまったく異質なものだ。
ここで明白に述べられているように、西洋演劇の一つの様式として確立されてきたリアリズムには長い実践と教育の歴史がある。およそ演劇が自己表現と他者認識を基本とする公共性に開かれた営みである以上、どんな演劇も様式を持っていなければ十分に説得力を持つものとならない。にもかかわらず、「誰でも日常と同じく動けばリアルだ」という安易な前提が、日本における近代演劇の宿痾であり、その前提を共有している点では、「新劇」も「アングラ演劇」も「小劇場」も「静かな演劇」も変わらない。とすれば、現在活動しているどんな演劇集団でも、「歌舞伎や能楽」あるいは「リアリズム演劇」に拮抗しうるだけの様式を舞台上で実現することによってしか、「特殊」であらざるを得ない「日本語演劇」を「普遍」に通じさせる道はない。それを確認するために、山の手事情社による『傾城反魂香』の舞台において、どんな演技が行われ、それがどのような身体を観客にさらしているのかを検討してみよう。
上に引用した文章のなかで、安田は「《四畳半》というスタイル」について、次のように言う――
[始めた当初は、]たとえ広い舞台であっても、わざと狭い通路を通るような動きをゆっくりする、相手のおでこに自分のせりふを届ける、というような基礎的なルールだった気がする。さまざまな作品への対応が可能で、なおかつ一目見た時に変な感じがする、というのが私には面白かった。
このような「基礎的なルール」を踏まえて、あらためて今回の舞台を見てみると、次のような身体が存在していることがわかる。まず、人間にとって二つの主要な表現手段である言語と肉体が根源的に分断しているという認識のもとに、「ナチュラル」な身体を拒絶し、俳優が台詞をしゃべる時には、ストップモーション、というよりも撓(たわ)んだゴムが伸びるのを待つように静止して、からだも顔の表情も動かさない。四畳半ほどの狭い空間のなかに複数の俳優が集合し、彼ら彼女らが同時に、押しては引き、引いては押す、といった形で気合を授受するかのように、身体エネルギーのグルーブ感を生み出していく。
その身体グルーブが発声のグルーブと連動することで、身体の活力と声の活力が相互に交替しながら緩やかな動きを作っていくことが、見る者聞く者にとって独特の魅惑を俳優たちの存在に付与する。動作と台詞とが時間的には前後しながら、しかし空間的には有機的に結合していることによって、言葉による論理の伝達と肉体による感情の交通が舞台と客席との間の絶えざるバトンタッチとなり、山の手事情社の演劇に共通の文法を作り出す。そのような共通の文法があるがゆえに、ジェンダーや言語、民族性に拘束されない身体が生み出される。これが、様式において特殊であるがゆえの、演劇表現としての普遍性を育むのだ。ふつう西洋リアリズム演劇における優れた演技とは、体を動かしながら台詞をしゃべっていく自在さ、つまりことばとからだとの「自然な」連動と見なされることが多い。動きながらも自由にしゃべり、息継ぎさえも感じさせない演技こそが「リアリスティック」であると考えられているのである。山の手事情社の演技は、こうした事情を逆手にとって、台詞の途中で大きく長く間を取り、そのたびに集合している複数の身体が一つの統一されたタブローを形作る。いわば「リアリズム」がことばとからだを並列でつなぐとすれば、《四畳半》は直列でつなぐことによって、言葉の真の意味でのアンサンブルを可能にしているのである。
第二に、《四畳半》はどのような空間を作るのか、という問題がある。絵師である『傾城反魂香』の舞台には、下手、中央、上手と三つ背後に置かれた幕のような簾のほかには、何の舞台装置もない。その簾はたしかに四畳半ぐらいの大きさなのだが、俳優たちの演技を空間的に規制する枠組みというよりは、私たち観客が複数の俳優たちの身体をタブローとして把握する際のキャンバスの役目を果たしている。俳優たちは重心をからだの中心からずらして立ち、肉体をことさら重く見せる(不自然な、しかし鈍重ではなく素早い)動作で統一されていることで、独自の集団性を獲得する。彼ら彼女らがときに一人で、ときにグループで登場し退場することによって、背後の簾が作る画布の外から内へ、内から外へと移動して、いわば暗転なしの舞台転換が果たされるのだ。
ここで重要なことは、《四畳半》を作るのが、背後のキャンバスによって規定された空間造型ではなく、あくまでも俳優たちの不自然に捻じ曲げられた身体であり、その身体同士が接触することなく形作る距離感だ、ということである。つまり山の手事情社の俳優たちを見る観客の視線は、キャンバス上で今まさに絵が描かれていくように、畳の表面をなぞり舐めるようにして下から上へとせり上がるように誘導される。それは単に地面に接近した下半身に注意が向けられるということではなく、からだ全体がまるで人工的に曲げられた盆栽の木を見るように、下向きのベクトルと上向きのベクトルとが拮抗して闘っているのである。
一例を挙げれば、劇の冒頭で、土佐将監の娘である遠山みや(倉品淳子)が狩野元信(山本芳郎)に父親伝来の松の木の形象を教えるために、元信の弟子である雅楽之介(谷洋介)に松の木の格好をさせる。そのとき雅楽之介の身体は、下半身を曲げて下向きのベクトルを維持しながら、片手を上に垂直に伸ばして、いかにも「不自然な」格好を取るのだが、それを見ているみやと元信が同様の身体の乗り(グルーブ)によってアンサンブルを形成するので、それが無理に見えることなく、結果として稀代の「武隈の松」の絵を観客の脳裏に、まるでズームアップされたレコードの溝(グルーブ)のように刻みこむのだ。
もう一つの例は、名古屋山三春平(浦弘毅)が太夫の葛城(菅原有紗)を身請けする金を作るために、「七歳の時から」手放したことのない自分の刀を質屋に持っていく茶屋舞鶴屋の亭主お辰(大久保美智子)に、「ついに刀の運に見放されたか」と言いながら手渡す場面。安田の《四畳半》演出は小道具を使わないことが多いので、この場合も刀が目に見える形で出てくるわけではない。その代わりに、山三が自らの伸ばした左腕を刀に見立て、それをお辰の右腕と接しさせると、まるで刀が移動したかのように、今度はお辰の右腕が刀のようにまっすぐに伸びて、山三の左腕は曲がって素手に戻るように見える。《四畳半》はこのように小道具の(非)使用による〈道具的身体〉とも言うべきものの実現を通して、余計な舞台装置や「リアリズム」を形式的になぞる所作に邪魔されることなく、つねに身体内面のエネルギーを振動させ、俳優相互間で受け渡していくことだけで、舞台上から客席にまでそのグルーブ感を伝達させていくのである。
山の手事情社の舞台はけっして、観客に安楽椅子に座って上から俯瞰するような視線を与えてはくれない。同時にそれは観客に極度の緊張を強いるのではなく、流れるような身体造形(台詞も肉体も)を見せることによって、まるで身体が韻を踏んでいくように、切断されながらも流麗であるような複数の身体アンサンブルによる空間を作り出す。その複数性は和洋折衷的でパッチワークのような衣装にも助けられて、劇の文脈を一元的でなく複合的に広げていく。このとき四畳半は、数量的に区切られた空間ではなく、狭いがゆえに自在であり、複層的であるがゆえに求心力のあるトポスとなる。かくしてそれは、小道具や装置やナチュラリスティックな動きに邪魔されることなく、登場人物の感情がストレートに伝わってくるような明晰な台詞術と身体技法によって、どんな劇場でも四畳半に改変してしまうような「普遍性」を獲得するのである。
このような《四畳半》空間と拮抗するのが、これも山の手事情社独特の表現手法である俳優たち全員が舞台上に登場して踊る《ルパム》だ。《ルパム》は、リズム、アップ、プレイ、アクト、ムーブの頭文字を取った造語というが、西洋風のダンスでも東洋風の踊りでも、ましてや「舞踏」でもない、ひとつの演技様式である。《ルパム》は劇中で物語の転換点やクライマックスに使われるだけでなく、観客の意識を《四畳半》から解放するために挿入される。『傾城反魂香』では、冒頭でみやと元信の出会いが「武隈の松」の絵として実り、仲介する雅楽之介が「やがては連理の松となられるに違いない」と言うように、二人の婚姻の約束となって果たされた後。次に又平と伴左衛門が率いる軍平たちの戦闘の場面での「大津絵」の《ルパム》。そしてみやと元信の絵画の中での熊野詣を寿ぐ《ルパム》。最後に終幕を彩る《ルパム》と、いずれもリズム(R)とプレイ(P)とアクト(A)とムーブ(M)の転換点、つまり主題的にも時間的にも大事な場面で使われる。それまで物語を牽引してきた主要登場人物が閉じ込められていた《四畳半》の凝縮された四畳半空間が内破して、一気に時空間が解き放たれる快感を観客に与えるのだ。と言っても《ルパム》は自由でばらばらの動きというわけではなく、混乱の中の統制、不自由な自由、集団性のある個性とも形容できるように、いくつかの定型的な動作が間歇的に繰り返されるインプロージョンとしてのインプロヴィゼーションとも言える。その意味で、《ルパム》は《四畳半》で捻じ曲げられた俳優の身体と観客の意識の抑圧を解き放つ、休息なき焦燥と感傷なき情緒なのだ。
《ルパム》は限られた俳優だけによる場合も全員参加の場合もあるが、その特性は舞台上の各所で同時多発的に喚起される集団性にある。 つまり、《四畳半》という個的な特殊な身体空間が、《ルパム》という集団的で一般的な身体空間とつねにすでに鬩(せめ)ぎあっていることが、山の手事情社による演劇の普遍性を支えている。主役から端役にいたるまで、これほどまでに様式としての身体性を表明している劇団は少ないのではないか。おそらくそのアンサンブルの完成度は、往年のアリエンヌ・ムヌーシュキンの太陽劇団や、ペーター・シュタインのベルリン・シャウビューネ、ピーター・ブルックのブッフ・デュ・ノールにおける統合性にけっして引けを取らないのではないだろうか。山の手事情社の俳優たちによる《四畳半》と《ルパム》が交錯する、このような身体と空間の造形の力に観客の身体性も吸引されていくのである。