『「轟音の残響」から──震災・原発と演劇──』 刊行のおしらせ
「轟音の残響」から──震災・原発と演劇──
国際演劇評論家協会日本センター 新野守広・西堂行人・高橋豊・藤原央登/編
ISBN 978-4-89380-462-4
晩成書房 2,800円+税
初版 2016年3月13日
本書は、震災と原発事故後の演劇人の活動を国際演劇評論家協会(AICT)日本センターの会員の活動をもとに振り返り、絶たれた日常をつなぎ、演劇の意義を再確認するために公刊された。
第1部「2011年 震災直後から」には、東北の演劇人を招いて同年に開催された公開フォーラムやシンポジウムを中心に、当時の切迫した雰囲気を感じさせるインタビューや取材記事を集めた。その冒頭に置かれたAICT日本センターのメッセージ(起草 西堂行人)は、震災と原発事故に揺れる日本社会に向けて演劇の可能性をいち早く表明した文章である。
第2部「2012年 1年後」には、12年に行われた座談会や論考を集めた。地域やジャンルを超えて、表現の現場で模索が続く様子を振り返ることができる。
第3部「2016年 5年が過ぎて」では、各地に在住する著者に、5年の年月を振り返りながら、現在の立ち位置を再確認する文章を書き下ろしていただいた。
巻末には、仙台を拠点に活動する Theatre Group “OCT/PASS”(オクトパス)を主宰してきた石川裕人の戯曲『方丈の海』を掲載した。( 新野守広「刊行にあたって」より)
もくじより
- 刊行にあたって=新野守広
- 第I部 震災直後から
震災による惨事へのAICT 日本センターからのメッセージ=西堂行人
[公開フォーラム]震災後の演劇を語る
=石川裕人・永井愛・内田洋一・西堂行人
被災地のニーズと演劇人のモチベーションをつないだ一年=鈴木拓 聞き手=柾木博行
大震災に揺れた劇場=柾木博行
東日本大震災と関西演劇=正木喜勝
[シンポジウム]演劇に出来ること
=一宮均・くらもちひろゆき・鈴木拓・大信ペリカン・大西一郎・柾木博行・西堂行人 - 第II部 一年後
[年間総括座談会]ここから演劇をどう始められるか
=高橋豊・嶋田直哉・柾木博行・藤原央登・西堂行人
[シンポジウム]震災と演劇─新しい演劇パラダイムをもとめて
=坂手洋二・大信ペリカン・高橋豊・内田洋一・西堂行人・新野守広
被災の現実に向き合う=新野守広
震災に向き合った創造の現場─せんだい演劇工房10 -BOX=八巻寿文
時代と関わる覚悟──ポスト3・11 ダンスからの応答=立木あき子 - 第III部 五年が過ぎて
震災のあとに考えた、いくつかのこと=赤坂憲雄
震災を映し出す鏡を求めて=和合亮一
大災害に抗する演劇─被災三県の状況=星野共
絶望しながらも、牛歩で進む=渡部ギュウ
当事者でないということ─『もしイタ』の五年間=畑澤聖悟
閖上の海におもう=笠井友仁
価値観は変わったか?─フェニックス・プロジェクトの報告=和田喜夫
3・11 を当時の演劇はどう捉えたか─舞台時評より=高橋豊
演劇の有効性を探し発見させられた五年間=藤原央登
忘却の危機と物語の効用─野田秀樹と三月十一日の《あと》=野田学
自然の暴力とダンスの希望=坂口勝彦
喜びと悲しみと憤りと─断たれた日常をつなぐ=新野守広 - 『方丈の海』 Theatre Group “OCT/PASS”上演台本
Theatre Group “OCT/PASS”について=絵永けい
石川裕人さんの惜しまれる死=西堂行人 - 初出一覧
- 執筆者一覧
- 編集後記
編者紹介
- 新野守広(にいの・もりひろ) 1958年神奈川県生まれ。ドイツ演劇翻訳・研究。著書に『演劇都市ベルリン』、訳書に『ポストドラマ演劇』『崩れたバランス』(いずれも共訳)『火の顔』『最後の炎』など。立教大学教授。
- 西堂行人(にしどう・こうじん) 1954年東京都生まれ。演劇評論家。3月に18年間在職した近畿大学を退職。著書に『劇的クロニクル』『韓国演劇への旅』『ハイナー・ミュラーと世界演劇』『[証言]日本のアングラ』など。
- 高橋豊(たかはし・ゆたか) 1945年山形県生まれ。演劇評論・報道。著書に『幻を追って--仲代達矢の役者半世紀』『蜷川幸雄伝説』など。毎日新聞社客員編集委員。
- 藤原央登(ふじわら・ひさと) 1983年大阪府生まれ。劇評家。劇評ブログ『現在形の批評』主宰。『シアターアーツ』誌をはじめ、『TV Bros.』などに小劇場演劇の劇評を掲載。
助成 アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
国 際演劇評論家協会日本センターは、東京都歴史文化財団の助成を得て、『シアターアーツ』誌に掲載された東日本大震災関連の記事に新たな寄稿を加えて『「轟 音の残 響」から--震災・原発と演劇』を公刊しました。「轟音の残響」は、仙台在住の劇作家石川裕人さんの遺作『方丈の海』の台詞にある言葉です。