戦後民主主義 の終わりに――TRASHMASTERS『そぞろの民』/新野守広
2015年9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で可決され、成立した。集団的自衛権の行使を認める内容には憲法学者から憲法違反との指摘が相次いだこともあり、一連の法案に反対する抗議運動が全国各地で起こった。国会前の狭い歩道は反対する人々の集まる象徴的な場となり、日によっては数万人もの人々が車道にあふれて抗議の声を挙げ、法案可決直前には夜を徹しての集会も開かれた。
東アジアにおける日本という視点を持たない演劇人はいない。自民党は基本的人権よりも国益優先の改憲案を掲げる政党である。総裁である安倍首相は、戦前の日本軍の中国大陸への侵攻を侵略と認めてこなかった。8月に出された安倍談話でも日本が侵略をしたという文言は一般的な見解の紹介にとどまり、侵略戦争を行ったと断定してはいない。リベラル派の人脈が絶えつつある自民党が政権をとり、侵略を認めない政治家が再び首相となった今、日中韓の政治関係の悪化は目を覆うばかりだ。安保関連法への反対の声がこれだけ大きくなったのは、安倍政権への不満が高まったからである。
政権への不満の高まりは、私たちの舞台表現に直に反映している。たとえば、ほぼ百年も前に書かれた近代劇『人民の敵』(作・イプセン)は、今もっとも旬の舞台になった。町政の不正を追及したために町民から非国民とののしられた医師一家を描くこの戯曲は、7月には雷ストレンジャーズ(演出・小山ゆうな)が、8月にオフィス・コットーネ(演出・森新太郎)が制作した。いずれの舞台でも討論の場に力点が置かれており、百年前の人々が直面していた民主主義社会の生みの苦しみを、今の観客は現在も地続きの事態として体験することが意図されていた。『人民の敵』を通して観客は、民主主義に完成はなく、少数者を排斥する危険を慎重に避けながら、議論と調整を積み重ねる必要があることを再確認した。
安全保障関連法案で揺れる今夏、中津留章仁作・演出『そぞろの民』(トラッシュマスターズ公演)は、私が観劇した舞台のなかでとりわけ強い印象を残した。この舞台は、戦後の日本社会の矛盾を父の通夜に集まった家族の対話を通してあぶりだす果敢な試みだった。『大辞泉』によれば、「そぞろ」とは「これといった理由もなしにそうなったり、そうしたりするさま」「心落ち着かないさま」を指す。舞台を観た印象から言えば、民主主義の実践に必要な他者との対決や徹底した議論を避け、協調的に振る舞う人々が「そぞろ」と呼ばれていた。このような協調的な人々を生み出した「戦後民主主義」は民主主義ではない。しばしば右派知識人から聞こえてくるこのような批判を登場人物たちに語らせ、国会前デモで揺れる世相にぶつけたのが『そぞろの民』と思えた。
「戦後民主主義」という言葉は、いわばカッコつきで使われてきた。第二次世界大戦の敗戦を受けて、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄などの近代社会の諸価値を掲げて導入された民主主義体制は、欧米流の民主主義を日本に根付かせようとする人々の情熱を鼓舞してきた。しかし他方では、私たちの生活が戦前の文化・社会から引き継がれた慣習の中で営まれてきたこともあり、民主主義は日本社会に根付くのかという疑念は人々の脳裏から消えなかった。今、戦前を知る世代が少なくなる中、社会慣習の浮遊化に直面して、「戦前」的な共同体の再興を願う気持ちが多くの人々の心をとらえている。
『そぞろの民』は、自殺した父の通夜に集まった息子三人の会話を主とする家庭劇である。近代劇批判の要素は少なく、対話を基本とするオーソドックスな舞台だ。作家・演出家の中津留章仁は、戦前への回帰を強める時代を家庭劇で描くという選択をしているが、これは演劇をアートとしてとらえる観客層には物足りないと思えるだろう。一方、たとえオーソドックスな近代劇であっても、時代や世相と対抗する姿勢を評価する観客層には、作り手の挑戦的な姿勢が直に伝わる。私が『そぞろの民』をすぐれた舞台であると思ったのは、後者の立場からである。
大学教授を退官して久しい父が自殺した。急遽集まった三人の息子たちは、父を自殺に追い込んだ責任をめぐり口論となり、つかみ合いの喧嘩をする。彼らの議論を通して、「戦後民主主義」に込められていた憧れや情熱、希望や絶望が露呈するという筋立てである。
登場人物の設定や会話の内容がやや強引であることは否めないが、私が観劇した9月13日は衆議院特別委員会における安保関連法案審議に反対する人々が連日万単位で国会前に集まっていた。そのため、舞台の上で「戦後民主主義」をめぐる議論が展開されるのを見るのはリアル、かつ臨場感があり、同時進行的な現実感に圧倒される感覚すらあった。というのも舞台上の設定は、安保関連法案が衆議院を通過した7月16日とその翌日なのだ。『そぞろの民』の初日は9月11日であるから、執筆期間も入れて、この間は二か月もない。おそらく本番直前まで推敲を重ねながら完成したに違いない台本を、演出家、俳優、スタッフは短期間で集中的に稽古したのだろう。しかし稽古期間の短さは、舞台の完成度の高さにつながっていた。膨大なセリフの量にもかかわらず、私が演技に違和感を覚えた俳優は一人もいなかった。
7月16日に一家の父が縊首自殺する場面から舞台は始まる。彼の名前は豊島恭三といい、1945年の沖縄戦を体験した沖縄生まれの老学者である。戦後は本土の大学の教授となり、日本に民主主義を根付かせるべく、多くの後進を育てた。そして80歳に近い今、介護施設に入っていた恭三は、テレビを見ることを禁じられため施設を無断で抜け出して自宅に戻り、安保関連法案が衆議院で可決された場面を見て縊死したのである。舞台セットは、今では珍しくなった二階建ての木造住宅であり、観客の目の前に彼の死体がつり下がったのは、一階の縁側に面した狭い中庭だった。この冒頭の場面以後、2時間を超える会話劇は、8畳ほどの広さの畳敷きの和室と、それに続く狭いキッチンで行われる。古い木造住宅を模したこの舞台セットには、一つの時代の終わりが象徴されていた。
豊島恭三が自殺した理由は、残された親戚と知人にとって、あまりにも明白だった。安保関連法案が衆議院本会議で可決されたため、一生を通じて実現に力を尽くした「戦後民主主義」の夢が破れたからだと、誰もが信じて疑わない。親族や知人には政治意識の高い人々が多く、翌日の通夜は、故人の死を「戦後民主主義」の死と重ね合わせて悼む場となるのだ。
たとえば、通夜を切り盛りする次男夫婦は二人ともジャーナリストで、夫の豊島慶吾(星野卓誠)が大手新聞記者、妻の香織(川崎初夏)が系列の週刊誌編集者という組み合わせである。通夜の席に現れた知人の甲斐宣久(吹上タツヒロ)は、記者クラブの腐敗を告発する記事をボツにされ、フリーになる決意をした週刊誌記者だ。やはり通夜に駆けつけた沖縄生まれの宮里銀次(カゴシマジロー)は慶吾の従兄弟で、NHKと思しき放送局に勤務するドキュメンタリー制作者である。首相と懇意の会長や衆院特別委員会での強行的採決を中継しなかった話などが批判的に言及される彼らの会話には、時事的な話題を駆使する劇作家中津留章仁の特徴が良く出ている。
国会前デモに参加した三男の豊島勇樹(倉貫匡弘)の存在も興味深い。彼は7月16日、恋人の智美(飯野遠)と国会前に出かけたため、介護施設を抜け出して一人自宅に残った父が自殺するきっかけを作ってしまった。勇樹は自らが開発に関わったレーダーが武器に転用されたことに抗議して会社でのキャリアを棒に振った若いエンジニアである。会社から厳しい追い出しを受けた勇樹は、法律の無料相談所で智美と知り合った。彼は自分が父を殺してしまったという意識にさいなまれている。父と子をつなぐ同じ志のために、父の命が失われたという、作家の作為が透けて見える皮肉な構図である。世代を超える希望も、世代交代の期待もない。リベラル左派の行き詰まりが、出口のない家庭劇を通して見えてくる仕掛けだろう。
そして、ようやく、長男の豊島孝太郎(高橋洋介)が登場する。彼は父に反発して武器メーカーに就職しており、通夜当日に武器の商談があったため、遅れて来ざるを得なかった。彼は父の生前、世界に戦争は起こらないという誤った前提で進められたのが「戦後民主主義」だと正面から批判したことがある。現実主義者の孝太郎が父恭三の死の責任は誰にあるのかと兄弟に問い、白熱の議論が始まる。
父は自殺した、これは誰のせいだ?――。兄弟三人と妻、婚約者だけになった内輪の席で、孝太郎は問いかける。本音で語る五人の感情が高ぶり、ついには掴み合いの喧嘩をする中、彼/彼女らが追及するのは、実際には次の問いであると感じられた――「戦後民主主義」は死んだ、これは誰のせいだ? 実際、台所で立ち働き、通夜を切り盛りしているのは香織や智美ら女性たちであり、「戦後民主主義」を実践した恭三の家の中といえども、戦前からの慣習が多く残っている。舞台では香織の存在が際立っていたが、それは通夜を仕切る彼女の姿に表されている慣習の力と無縁ではない。
激論を重ねる孝太郎、慶吾、勇樹は、それぞれ父の死に責任があることを認めるが、とくに私には、最大の責任の所在が慶吾にあるとされる点が印象に残った。離婚した孝太郎に代わって恭三を引き取った慶吾は、恭三が入所している施設へも顔をまめに出すなど、父の介護に尽くしてきた。ところが父にとっては、慶吾の心づくしの配慮が心理的に負担を感じさせる元凶だったという。慶吾自身も自分の特質だと誇る「協調性」こそが、父には戦後社会の最大の欠陥だと感じられていたというのである。作家は「戦後民主主義」批判を、長兄の口を通して語らせている。「戦後民主主義」は、「協調性」には長けているが、自ら考える主体性と勇気を欠いた大衆を生み出したにすぎないというのである。
ここで最後に言及すべきは、最後の場面の衝撃だろう。もし『そぞろの民』が、父の介護を引き受けた次男への批判を「戦後民主主義」批判と重ね合わせる登場人物を示すだけに終わっていたら、たとえ世相を反映した家庭劇として優れた舞台であったとしても、忘れえない印象を得ることはなかったに違いない。最後の場面で、このように父から見られていたことを知った慶吾は、驚くべき行動に出る。観客の中には、この結末を見て、孤独に突き放される絶望を感じた者がいたかもしれない。「協調性」と言えば聞こえは良いが、実際の「戦後民主主義」は、空気を読むことに長けた、腐りきった日和見主義者を大量に生み出したに過ぎないことを、この最後の場面は告発するからである。
この長い家庭劇を見終わって、私はニーチェを思った。近代に入って大衆社会批判の口火を切ったニーチェは、孤独な人間の崇高さと強さを呼びかけ、群れる人々を断罪したが、中津留章仁が描き出した私たちの「戦後民主主義」は、まさにニーチェが断罪した群れる人々そのものである。私自身もその中で生まれ育った「戦後民主主義」が、その罪を告発され、断罪された。保守主義者による大衆批判の伝統はニーチェ以来久しいが、これを2015年夏の安保関連法案と重ね合わせ、沖縄出身の学者の自殺をめぐる同時代の家庭劇を作り上げた作家の手腕は見事と思った。
中津留章仁の劇作には、日常を超える出来事を体験した人々がそれまでの生活の「欺瞞」に目覚め、新しい人生へ向けて再出発の自覚を得るという、死と再生のモチーフが現れることがある。たとえば、豪雨による災害を経験した村の青年団の若者たちが真実の人生に目覚める姿を描いた『黄色い叫び』は、その代表作だろう。『そぞろの民』を観劇して、「戦後民主主義」から「戦後」もカッコもはずし、民主主義の実践に力を尽くべきであると実感した観客は多かったのではないか。