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流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』  作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史
流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』 
作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史

 山元清多によって執筆され、1970年に演劇センター68/71(現黒テント)で初演された『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』。これを鄭義信が構成・演出し、創立30周年を迎える流山児★事務所の記念公演第2弾として上演した。記念公演であると同時に、山元と俳優・斎藤晴彦のメモリアル公演でもある。斎藤は本作の出演を予定していたものの、急逝したからだ。

 市井に生きる民衆に、現実に差し迫った問題への気付きを促すこと。本作はそのことを描いた。と同時に、その喚起が失敗せざるを得ないことも描く。 流山児祥の巧みなプロデュース力により、流山寺★事務所、黒テント、オペラシアターこんにゃく座、結城座など多彩な出自の俳優が出演し、津軽三味線とドルサイナの演奏が楽劇らしく舞台を盛り上げる。本作のキーワードであるニセモノ性を逆手に取った、お時と勢力富五郎を共に演じる塩野谷正幸の早変わりは、いささか冗長に感じられる舞台に笑いを生み出すアクセントとなっていた。役柄の非固定化は、演じる俳優の役と心理を一体にする近代演劇の制度を突き崩すものであるだけに、当時の小劇場運動の一端をうかがわせる。また、猿の伝次と洲の崎の政吉が互いが互いを追うシーンでは、俳優がたっぷり疲労するまで舞台を上へ下へと駆け回る。身体の疲弊は、ゼロ年代以降の演劇シーンにおいて、演劇の一回性を担保する芸術的特性の側面から論じられてきた。ここにはそのような理屈を度外視した、ただ単純に観客を楽しませるための思い切りの良さがある。このように、舞台には芸能と娯楽要素がふんだんに盛り込まれている。にもかかわらず、その底には暗くて重いトーンが流れているのだ。

 時代は天保。場所は下総の飯岡および笹川。笹川には、江戸へ物資を運ぶ利根川沿いの輸送ルートを取り仕切る笹川繁三(蔵)がいた。飯岡には九十九里浜の漁業の元締めであり、関東取締出役より出役の道案内を任されて十手を預かる飯岡助五郎がいた。共に渡世家業の親分として一家を率い、それぞれの縄張りを治める人物だ。両者の間に生じた小さな争いごとがしだいに激しくなり、天保15年の大利根河原の決闘で笹川側が敗北する。飯岡と笹川の対立と趨勢を基にした講談が『天保水滸伝』である。本作は、大利根河原の決闘後がモチーフとなっている。笹川に勝利した飯岡は、関東取締出役より治水工事を請け負った。下総での勢力がますます拡大しつつある飯岡側は、その威信を披露するための花会を開こうとしている。このような状況の中、決闘に敗れ放浪の旅に出た笹川繁三が再び笹川に戻ってくる…。舞台は果たすことができなかった笹川による飯岡への勝利を、史実-戻った繁三が飯岡側に召し捕られ命を落とす。その敵討ちに乗り出した笹川一の子分、勢力富五郎らの行動も失敗し、金比羅山中で自害-を織り込みつつフィクショナルに描く。幻想を伴って繰り返される挑戦と失敗が、とりあえずの作品の骨子となる。

流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』  作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史
流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』 
作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史

 とはいえ、肝心の笹川繁三と飯岡助五郎は直接には関わらない。繁三は後述するようにニセモノであるし、飯岡助五郎は櫓の上で悠然と陣取っているらしいとは語られるが、一度も姿を見せないのだ。となると、対決は頭の意志を継いだ子分達の代理戦争とならざるを得ない。それを背負うのは、笹川側は繁三の用心棒である元浪士の平手酒造であり、飯岡側は史実で笹川繁三を殺害した成田甚三である。この2人の攻防を中心にして、櫓の上に笹川、飯岡どちらの吹き流しを翩翻とさせるのか、つまり地域を締めるのはどちらの勢力なのかが展開される。大利根河原の決闘で殺害されたはずの平手造酒は、本作ではカビ臭い押入れに幽閉された精神疾患者である。白襦袢という平手のイメージを拡大し、単衣はおろか頭からつま先まで真っ白の白子である。

 お時をはじめとする遊女たちにザラメを要求し、すぐに姿をくらませてしまう酒造が人斬りへと覚醒する点が本作のハイライトだろう。ひ弱さから力強さへ、一気に針を振りきる演技が要求されるこの役。初演では清水紘治が演じたが、今回はこんにゃく座の井村タカオが演じた。お時が流す血が白子の体に生気を駆け巡らせることになり、造酒は打倒甚三のために動くことになる。史実においてはついぞ達成することが叶わなかった、笹川勝利の夢。劇中、狂言回しの役割を担う三人の厄払いの手助けを借りながら、歴史をひっくり返そうとする闘いが繰り広げられるのだが、結局は関東取締出役の銃弾に倒れる。まぼろしに終わった笹川勝利の夢をいつまでも抱え、老齢になっても笹川側が一家の吹き流しを幻視する。これが山元の手による戯曲である。鄭義信は、そこにヤクザの権力闘争では終わらない現代の闘いを強く込めた。それが、勢力富五郎が自害する際に挿入された、三里塚闘争の映像であり、人形を使った劇の大枠であり、ラストシーンの不穏な気配なのである。

 ヘルメットを被ってツルハシを持った勢力富五郎は、飯岡側による治水工事を阻止するべく動く。治水工事=成田国際空港の建設を推し進める飯岡助五郎が関東取締出役の道案内を務めることから、笹岡と飯岡の対立は民衆と官憲のそれに見立てられていることが分かる。そして三里塚闘争の挿入は、現在の沖縄の基地闘争に見られるように、過去から現在まで続く官憲と民衆との闘争が存在することを示唆している。成田甚三に向かう平手造酒が白子だったように、人種的マイノリティの問題も含んでもいよう。しかし、1960年代から70年代半ばに渡った三里塚闘争で住民が挫折したように、そして後に述べる劇の帰結が描く通り、民衆側の闘いはいつも挫折に終わることを予感させられるのだ。

流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』  作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史
流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』 
作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史

 造酒の闘いがマボロシに終わったことは、先に記した繁三のニセモノ性とも関わってくる。史実通り、劇の前半で繁三は故郷に帰ってくるが、天保13年に花会を開いた「十一屋」を訪れると、そこには既に繁三の面を被った三人もの繁三がいることになっている。またその後、甚三によって飯岡側の矢切の庄太に「おめぇは繁三だ」と名指し、繁三に仕立てるシーンがある。元に戻ろうとする庄太の願いは聞き入れられず、繁三の末路通りに甚三らによって殺害されてしまうのだ。姿を見せない助五郎とニセモノの繁三。対立のための対立という内向きのベクトルは、もはや内ゲバの様相を呈している。物語の夢まぼろし性は劇の構造的なものなのだ。だからこそ、鄭義信が取り入れた現代性にも、その末路の悲劇性を予感させられてしまう。

 では、劇の要所要所で差し挟まれる、結城孫三郎と岡泉名による人形劇はどうか。ここでは現代を思わせる母子風景が描かれる。母子はオトキとミキオと呼ばれることからも明らかなように、お時と酒造に対応している。ミキオは典型的な引きこもりであり、母に暴力を振るうドラ息子である。そんなミキオに手を焼く母は、包丁で刺して殺してしまう。ここで重要なのは、霊媒師に息子の相談を持ちかける点である。霊媒師はミキオの素行の悪さの原因に、水子の霊が憑いていることを告げる。水子には果たせなかった企図の意味もある。これはすなわち、笹川の想いがミキオに憑いたということではないか。すると、厄払いの三人が天宝の時代で造酒を援助するのは、ミキオの更正、すなわち除霊の意味につながってゆく。つまり、オトキとミキオの世界が天保の時代で起こることの大枠となっていることが了解される。しかし、ミキオのあがきと疼きが突き動かす家庭内暴力を、ほかならぬ母親が殺人によって抑えてしまうのだ。ここでも、いつの世になっても飯岡側を倒して官権力に勝利することは不可能であるということを強く印象付けることになる。甚三が矢切の庄太を繁三に仕立て上げ、身内の中で事を終わらせたように、子供を育てる立場である母親が、自ら子殺しをしてしまうこともまた、飯岡の内ゲバにも似た回収行為に過ぎないからだ。そもそも、笹川と飯岡は同じヤクザではあるが、助五郎は関東取締出役という官憲側の人間でもあるという「二足のわらじ」の存在である。そんな彼が姿を見せず、超越的な視点を有してる以上、始めから本丸を攻めることはできない。劇はどこまでいっても、内から外部へと向かう契機を欠いているのだ。三里塚闘争の映像を挿入したり、現代の親子関係を描いて劇を二重化したところで、すべては官憲の手のひらの上で踊ることに過ぎない。子の運命を母親が握っているという劇の大枠がそのことを示している。 

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 笹岡側と飯岡側の闘争とそれを内包する母子関係は鏡像関係をなしており、その意味で両者は決して内と外ではない。それ故の出口のなさは、舞台ラストにおいても同様だ。現代を思わせるシーン。白いシーツの洗濯物を掛ける妊婦姿の女優たち。そこに、白いジャージ姿の男優たちがぞろぞろと這い出てくる。純粋無垢な白いイメージは何者にも汚されないものの象徴だ。そこに、上空に飛び交う飛行機の音と爆撃音が響く中、俳優たちはしだいに倒れてゆく。白が鮮血で染まるイメージは、造酒の身体に血気盛んな正気を取り戻させたこととつながる。そのことを思う時、我々は純粋無垢に平和を謳歌していられない今という時を自覚させられはする。だが、造酒が笹川勝利の実を手にできなかったように、そして舞台上の人物が銃撃で倒れたように、その立ち上がった思いは果たすことなく挫折するのではないか。最後まで、そのような過酷な思いを抱かされてしまう。

 民衆への蜂起を促すことは60年代演劇の重要な理念であった。それは、近代というイデオロギー制度との対峙とあいまったものである。冒頭でも記したように役柄が固定されていないことや楽劇であることは、近代的な演劇制度から逸脱しようとした山元の想いの顕著な例であろう。それを維持しながら、鄭義信は現代に通じる問題へと仕立て上げようとした。が、これまで論じてきたように楽劇の根底には暗いトーンが流れている。ここを何とか打破する契機はないのか。そう考えた時に、私は造酒が甚三と対峙するシーンに注目した。造酒が発した「アングラ」という言葉に、甚三がビビッドに反応する。「アングラ?軽々しく口にすんじゃねぇ、若僧が。アングラのなんたるかがわかってるのか、おまえ?」。アングラの定義を問う甚三に向かって、雄たけびを上げながら造酒が斬りかかる。甚三を演じるのは黒テントの前進である演劇センター68/71の頃から所属する服部吉次である。彼に若手俳優が叫びながら切り込むことに、仮想的を設定するのではなく、真正面から立ち向かう世代を離れた人間の対峙を見た。物語上、造酒の蜂起は失敗するのだが、少なくとも繁三を捏造して殺害するような空しい内ゲバの論理とは別の、外へ回路が一瞬でも開いたような気がしたのだ。アングラ第二世代である流山児祥と、状況劇場(現唐組)を受け継ぐ直系の劇団・新宿梁山泊の座付き作家だった鄭義信。世代は違えどもアングラの当事者である彼らがアングラを殺そうとするシーンは、現代の問題を考えるアングラ・小劇場運動それ自体を、今一度吟味しようとしたのではないか。そこに、現状に風開けようとするために成せる彼らのギリギリの態度を私は見たのである。

流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』  作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史
流山児★事務所創立30周年記念公演第2弾『チャンバラ ~楽劇天保水滸伝~』 
作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥 2015年1月、下北沢ザ・スズナリ 撮影=横田敦史

 アングラ演劇によって本格的に始まる現代演劇であるが、その理念は今日いかに息づいているのだろうか。アングラは確かに下半身、肉体、情念というタームによって語られてはいるが、それは言葉に対する肉体の優位という固定された二分法で語られがちになっている。言葉か肉体かではなく、我々民衆をあらゆる方策で懐柔し取り込む近代化されたイデオロギーへの対峙が、アングラの方法論だったはずだ。そのイデオロギーの象徴が、合理と規制の権化としての「言葉」だった。そういう意味では、アングラ演劇の革命性は「言葉」そのものの革新でもあった。そのことは現代演劇の基点を考える上で忘れてはならないことだろう。小劇場運動の開始点をどこに据えるかは議論があるだろうが、1967年に状況劇場が花園神社に『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』で紅テントを張ってから、もうすぐ半世紀を迎える。今こそ、伝説や神話としてのアングラの精神イメージではないところで、現実問題と切り込んだ文化運動としての小劇場の見直しが要請されている。アングラと新劇の区別が溶解しつつある今、あらためて60年代演劇が成そうとしたことを検証し、演劇の社会的な役割を思索する必要性を、造酒が甚三に立ち向かったシーンから感得させられた。本作は、早稲田大学による「国際研究集会 60年代演劇再考」(2008年)に代表される、現代演劇の基点を学術的に検証する動きに対応する、実践的な側面からの試みだったと位置づけられよう。(作=山元清多、演出=鄭義信、企画=流山児祥、2015年1月23日マチネ、下北沢ザ・スズナリ)