死者への鎮魂と慰撫と ── タニノクロウ作・演出『水の檻』/日比野啓
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クレーフェルト=メンヒェングラートバッハ公立劇場が委嘱した、タニノクロウ作・演出『水の檻』(Käfig aus Wasser)は二〇一五年三月二十六日、クレーフェルトにある約百席の小劇場、ファブリック・へーダーで初演を迎えた。私は原案者・通訳として八週間にわたる稽古期間のうち四十日間立ち会い、作品の立ち上がりからゲネプロに至るまでの経過を見てきた。この記事はその報告をかねて、『水の檻』の作品紹介をするものだ。
クレーフェルトとメンヒェングラートバッハは、ドイツ・デュッセルドルフ近郊にある小都市で、それぞれ人口は二十二万人・二十六万人。この二都市が合同でオペラ・バレエ・演劇作品を上演する公立劇場を持っている。予算は年間約三十億円で、オペラ団・バレエ団・劇団に所属する約二百人の俳優たちのほか、劇場づきの大道具・小道具・衣裳・メイクなどの人々、大小あわせて二つの都市に五つある劇場の固定費などが含まれる。この公立劇場の近年の企画の一つに「ヨーロッパ以外と出会う」というものがあり、毎年ヨーロッパ以外の国々から劇作家・演出家を招聘している。二〇一五年は日本からの劇作家・演出家ということで、庭劇団ペニノの主宰者タニノクロウが委嘱された。庭劇団ペニノは近年ヨーロッパ・アメリカの劇場での公演が多いが、とりわけドイツ語圏での招聘公演が相次いでおり、その知名度の高さからタニノが選ばれたと思われる。
ただし、今回は劇団としてではなく、劇作家・演出家としてのタニノクロウ個人への委嘱であり、クレーフェルト=メンヒェングラートバッハ公立劇場の俳優やスタッフとともにレパートリーになる作品を作り上げる、というものだった。助成金の整備もあって、海外公演を経験する小劇場系の集団は最近ますます増えてきているが、その多くは国際フェスティバルへ招聘されての短期間の公演だ。また、アーティスト・イン・レジデンスとして長期にわたって海外に滞在し、ワークショップなどを通じて現地のアーティストと共同制作をする、というかたちの国際交流は、近年演劇・パフォーマンスの分野においても盛んになりつつあるが、完成品として作品を観客の前で上演し、かつそれを劇場のレパートリーとして年間を通して上演する、といった形態の委嘱は余り見られない。この二つの意味で、今回のようなケースは比較的珍しいものといえよう。
計画自体は一年以上前から進行し、作品内容や俳優の選定・舞台美術についての話し合いなどが行われていたが、稽古期間も八週間とり、三月二十六日の初日にあわせ二月一日から稽古がはじまった。ドイツでは新作を上演するのに六週間から八週間稽古するのが普通だが、それでも八週間とる劇場は多くないという。ファブリック・へーダーは三階建ての建物で、一階が劇場、二階は照明・音響などの操作スペースや楽屋、三階が稽古場になっている。稽古期間中は稽古場をほぼ独占して使用し、十日前になると劇場に大道具を立て込んで本番さながらの稽古をした(それまでは同じ劇場で他のレパートリー作品が上演されていた)。『水の檻』に出演する俳優クリストファー・ヴィントゲンスは、レパートリーとして上演されている他の二つの作品にも出演しており、週に一、二度の上演日は稽古を早めに切り上げる必要があった。しかし本番二週間前からはそれらの作品の上演がなくなり、ヴィトゲンスは『水の檻』の稽古に集中できるようになっていた。稽古場にはタニノの事細かな指示を書き留める演出助手がおり、プロンプターも常時待機するという、日本の小劇場では考えられないような贅沢な環境で芝居作りをすることができた。
唯一恵まれなかったのは予算だ。劇団や裏方を抱える公立劇場の委嘱作だから、人件費は一切かからない。とはいえ材料費はかかるわけで、舞台を作るのに日本円換算で約七十万円というのはちょっと信じられない。舞台美術・衣裳を担当したカスパー・ピヒナーと助手のアナ・ワンドリーが色々工夫してなんとかその予算を少しオーバーした程度で収めた。ピヒナーはベルリンを拠点とするアーティストで、タニノと同様、クレーフェルト=メンヒェングラートバッハ公立劇場から委嘱を受けて『水の檻』に参加している。つまり彼もまたアウトサイダーなわけで、今回の制作はドイツ語話者であり、この手の公立劇場での経験も豊富なピヒナーが様々な形で支えてくれなかったら、実現は難しかっただろう。公立劇場特有の官僚的な融通のきかなさにも私たちは何度か遭遇したが、そのたびに彼はあの手この手で解決していった。タニノもピヒナーを全面的に信頼し、これまでずっともっぱら自分が手がけてきた舞台美術や衣裳をピヒナーの手に委ねた。シュールさ・キッチュさへの偏愛という点では両者は共通するが、マニエリスムを思わせるタニノの舞台に較べ、ピヒナーの舞台がシンプルであることは写真を見れば一目瞭然だろう。驚くほど低予算ながら、いかにもドイツの最先端のスタイリッシュな舞台、という印象が得られたとすれば、それはひとえにピヒナーのおかげだ。
『水の檻』は、東日本大震災後の福島から、フェイスブックらしきSNSを通じて、「嘘つき隠蔽国家日本の『真実』」を世界中に発信し続ける、定年退職したドイツ文学の教授・樹神(こだま)林太郎が主人公の一人芝居としてはじまる。「我々は大量の放射線を浴び、高濃度に汚染された食物を食べさせられました。しかし、政府は『安全だ』『人体に影響する程度ではない』とウソばかり並べ立てました」。林太郎の主張は当時世界中が信じた日本政府や東京電力の隠蔽工作を現地からドイツ語で告発するもので、コンピュータの向こうのドイツ語読者たちは貴重な証言者だと考える。だが林太郎の主張にはにわかには信じがたいものも含まれる。日本人の平均的身長は一五〇センチで自分もその位なのだが、原発事故で漏れた放射能によって一八〇センチ超まで巨大化した、とか、留学中に知り合い日本まで彼を追ってやってきたドイツ人の妻は、今は寝たきりで、やはり原発事故後、足が徐々に巨大化している、など。
やがてドイツの公共放送ZDFが彼の記事をとりあげて報道したことから林太郎は日本でもその存在を知られるようになり、陰謀論者の彼が出鱈目を書き連ねていることが日本人たちによって暴露され、ネット上で「炎上」が起きる。さらにその特徴的な文体から別れた夫の仕業だと確信した元妻エリザベスが電話をかけ、返事がないのに業を煮やして彼のアパートに訪ねてきて全てが明るみになる。日本人老教授・樹神林太郎とは、日本文学専攻のドイツ人中年男性ヘルマンだった。彼は元妻の言葉に耳を塞ぎ、これまでも面倒を見てきた「妻」——実際には震災後海岸に流れ着いた流木——とタンゴを踊り、その「妻」と巨大化した盆栽とをロープで緊縛し、やがて森鴎外「妄想」の一節を絶叫しながら、同じロープで自殺を図る。林太郎は結局、変わることを拒否したのか? 内なる妄想に殉じて自らの命を絶つことにしたのか? 最後の場面で彼の選択が明らかになる。
日本人のふりをして東日本震災と原発事故の「真相」をSNSで発信し続け、やがてその記事がインターネットで「炎上」する、気の狂ったドイツ人を主人公にすること。彼は「放射能で生物が巨大化する」という妄想を抱いていること。森鴎外の研究者で、鴎外の本名と同じ林太郎を名乗ること。鴎外の掌篇「妄想」が引用され、「舞姫」の設定を借りること。『蝶々夫人』のアリア「ある晴れた日に」をクライマックスの場面で流すこと。私が提案したのはおよそ以上のようなことだった。実際、基本的な設定が示される第一場の台詞はほぼ私が書いたとおりになっている。だが私があくまでも原案者にとどまったのは、一つには、こうした設定はタニノとの話し合いのなかで思いついたからであるし、もっと重要なことは、タニノがそこに彼独自の世界観をつけ加えて完全に自分の作品にしたからだ。この二つのことについて詳しく説明しよう。
タニノクロウも私も天邪鬼だ。二〇一五年にドイツと共同制作をすることになった日本のアーティストが考えそうな戦略を予想して、その裏をかこう。二人で話し合って、「ありがち」な三つの題材を考えた。一つは東日本大震災と原発事故、もう一つは森鴎外、三つ目はオリエンタリズム批判だ。大事故・大災害がアーティストの想像力を刺激することは九・一一同時多発テロでも明らかだったので、東日本大震災と原発事故のことを「売り物」にして海外に作品を売り込むアーティストが出てくるだろうと私は予想していたし、事実その通りになった。けれどそういう「目端の利く」人々に反撥して、東日本大震災と原発事故とは無関係の作品を作る、というのではつまらない。むしろそれを取り上げるけれど、海外の観客が予想しないような形にしたい、と私たちは考えた。幸いなことに、そのモデルは国内で見つかった。原発事故にことよせて自らの陰謀論的妄想を撒き散らす人々で、こういう人々が識者然として「海外発信」をしたらどうなるか。政府と東京電力を一方的に「悪者」に見立てて批判する、多くの外国メディアの姿勢を揶揄する気持ちも半ばあって、「フクシマの嘘」(とは、実際にZDFが放映した特番の題名でもある。『水の檻』でも一部流した)を告発し続ける「正義の人」が実はもっとも嘘つきだった、というストーリーを考えた。その段階で、『タルチュフ』から『貴婦人故郷に帰る』までの「偽善をコテンパンにやっつける」というヨーロッパ演劇の主題の一つも意識した。日本のアーティストならば自国政府と電力会社を批判した作品を作るはずだ、という相手の期待を裏切ることになるが、偽善者がその正体を曝かれる、という物語にすれば、相手の理解の枠組みから完全に外れることにはならないだろう、と計算したわけだ。はたして初演後、芸術監督ゲールは『水の檻』を「勇敢な(brave)作品」と評してくれた。母語であるドイツ語だったらどんな表現になったかわからないが、日本語であれば「大胆な」というような意味だったろう。ゲールの言葉は私たちの意図が伝わったことを表していると思う。
次に、日独文化交流の象徴といえば自らのドイツ留学の体験にもとづいて「舞姫」を書いた森鴎外であり、こうした機会に「舞姫」を取り上げるのもほぼ定番である。ここでも私たちは「舞姫」の枠組みを借りつつ、その権威を貶めることにした。「『舞姫』が日本文学の名作となったのは、西洋コンプレックスに取り憑かれた日本人にとって、ドイツ人の若い女性エリスを妊娠させ日本に追ってくるまで執着させた主人公は一種のヒーローだったからだ」という「俗説」を樹神林太郎に口にさせたのだ。その一方で、鴎外が五十歳のときに発表した、小説ともエッセイともつかぬ掌篇「妄想」を引用することにした。鴎外その人を思わせる「翁」のひとり語りで綴られ、エリスのモデルとなった実在の女性エリーゼへのさり気ない言及もある(「自分の願望の秤も、一方の皿に便利な国[ドイツ]を載せて、一方の皿に夢の故郷[日本]を載せたとき、便利の皿を弔つた緒をそつと引く、白い、優しい手があつた」)この作品全体が林太郎=ヘルマンがキーボードを叩いて作り出す妄想のようでもあるのだが、なによりも『水の檻』で引用される以下の一節が、狂気を経てある種の達観を抱くようになる(けれどそれは決して「平衡に達した」わけではない)林太郎=ヘルマンの心境をよく表しているように思われたからだ。「かくして最早幾ばくも無くなっている生涯の残余を見果てぬ夢の心持で死をおそれず、死にあこがれずに、主人の翁は送っている。その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のように、刹那の間に何十年かの跡を見渡せることがある。そういう時は翁の炯々たる目が大きく見はられて、遠い、遠い海と空とに注がれている」。
最後に、アメリカ海軍士官ピンカートンの甘言を信じて破滅する士族の娘チョウチョウさんの造形に現れているような、西洋が東洋に抱くいびつで歪んだイメージとしてのオリエンタリズムをどう扱うか。『蝶々夫人』の物語を下敷きにし、女性のふりをしてフランス人外交官をベッドの上でも騙して情報を得ていた中国人男性の現実のスパイ事件を重ね合わせた、デイヴィッド・ヘンリー・ホワンの傑作『M.バタフライ』はその模範解答の一つと言える。オリエンタリズムの構図が現代にも見られることを指摘しつつ、その「幻想」がいかに根深いもので、簡単には除去できないものであることを示すという冷静な態度。けれど主人公のフランス外交官ガリマールを自殺させることで、ホワンがオリエンタリズムゆえの誤解を悲劇として終わらせたことに私は不満を持っていた。オリエンタリズムは他のあらゆる幻想と同様、滑稽なものである。セックスをしても相手の中国人が男だと見破れないフランス人は十分格好悪いはずだが、ガリマールは自らの幻想のなかに留まろうと死を選び取るので、その行為は崇高さを帯びることになる。私たちはもっとバカバカしい話にしたかった。林太郎が鋏を使って盆栽の手入れをしながら出鱈目な盆栽哲学を語るところや、彼が何かにつけて拝む仏像(ドイツでの「仏陀」のイメージは布袋だというので、でっぷり太り下腹の突き出た仏像になった)と妻と自分のためにお茶を点てる際に、儀式めいているが全くでっち上げの仕草をするのはそのためだ。そしてこれは打合せをしたわけではなかったが、タニノが考え出した物語の結末もまた、オリエンタリズムの滑稽さを強調したものになっていると思う。全国放送のラジオ局ADRでのシュテファン・カイムによるコメントや『西ドイツ新聞』の初演評は、どちらもこのエセ茶道について言及しており、この点についてもある程度伝わったはずだ。
さて、ここまで私は『大鴉』の自作解説であるE・A・ポー『構成の原理』よろしく、『水の檻』がいかに綿密に効果を狙って組み立てられた戯曲であるかを語ってきたわけだが、こんなふうに理屈が先に立つ作品は大抵、実際はそれほど面白くないものだ。自分が提案した筋立てや設定が採用されることになって、私がもっとも危惧したのはその点だった。しかし完成した脚本を読み、今回の初演を見て、心配は杞憂だったことを私は確信した。もちろん、ここまで関わってきた作品だから客観的に見られるはずはないのだが、それでもそう思えるのは、この作品にタニノが個人的な思いを吹き込み、結果として死者への鎮魂と慰撫がこの作品のもっとも大きな主題になったからだ。
タニノお得意のシュルレアリストばりの奇妙なイメージがつづれ織りに重なり、主人公の台詞や仕草のそこかしこから強迫観念や被害妄想がにじみ出るこの作品にあって、死者に対する真摯な思いを読み取ることはたしかに難しい。それほど多くない批評はどれも好意的に、かつ驚きをもって『水の檻』を受け入れてくれたが、この作品のもっとも深遠で、もっとも深刻な主題を的確に捉えたものは皆無だった。とはいえヒントはあった。一つは、林太郎が受け取るメッセージだ。「私の家は中国政府によって常に監視されています」「先日私はついに、この国の原子力発電所に潜入することが出来ました。……そこで働いていたのは夥しい数のホームレスたち……彼らは皆身長が私よりも遥かに大きい。大きいもので体長三メートルもある」というような妄想ばかり書き込んでいる林太郎のもとには、「日本から出て行け」「朝鮮のスパイ」というような暴力的で怒気を孕んだメッセージが数多く寄せられ、SNSは「炎上」する。
だがその中にいくつか「マジレス」もある。林太郎を文字通り打ちのめしたのは、福島に住む七十九歳の精神科医からの以下のようなメッセージである。「私の病院には今もなお多くの患者さんが来院されます。皆肉親や友人を津波で亡くし、仮設住宅で暮らす方たちです。そして今、原発の恐怖にさらされているのです。ここの住民は誰からも真実を知らされずに、この地で生きなくてはなりません。自らの命を絶つ人も沢山います。この偽りだらけの世の中で、死ぬことだけがたった一つの本当のことなのです。だから私には死者が羨ましいとすら思えてくるのです」。「三月十一日以降、私は同じ夢を見るのです。裸の患者たちが水の柱で出来た檻の中から必死に手を伸ばし、助けてくれと訴えている。私はただそれをなす術無く見つめ、立ち尽くしている。力つきたものは顔が溶けていき、やがてその水の檻と同化する。この夢を毎夜見るのだ。私ももう限界が近いのかもしれない。樹神先生、それでは、さようなら。あなたには我々のことが理解出来ないだろう」。
林太郎=ヘルマンを演じたクリストファー・ヴィントゲンスは、幕切れ近くのこの場面で林太郎が覚える絶望を迫真の演技で示した。陰謀論に取り憑かれ、世界を悪意のかたまりとしてしか見ない狂人・樹神林太郎も、真実の重みに打ちひしがれることがあるということを全身で表現した。老いた元大学教授を狂気の闇から救い出す手立てはないとわかっている観客に、彼が一瞬「覚醒」した——未知だが同じく高齢の精神科医が吐露する、自らが抱え込んでいると同じ位深い諦念を共有することによって——かのような錯覚を起こさせた。その時に観客はわかってもよかったのだ。『水の檻』とは、震災と原発事故ゆえに悪夢の日々を過ごすはめになった人々を直接描くかわりに、それとよく似た悪夢を自らの想像の中で生きる男を代補的に提示することで、現実の悪夢をなんとか無効化しようとするタニノの空しい試みであることを。心的外傷を抱えることになった人間が、一種の代償行為として、その原因となった出来事を劣化したかたちで意図せず再現してしまうことがあるのはよく知られている。同様にタニノは、現実とは比較にならない安っぽく馬鹿げた悪夢を観客に見せることで、私たちの土地を見舞った悪夢のような出来事を何とか否定しようとしているのだ。もちろん、それは所詮代償行為であり、そうすることで私たちはトラウマから真の意味で逃れられるわけではない。劇中の精神科医のメッセージは、劇作家自らが、自分の企てが陳腐で、現実の重みに較べれば吹っ飛ぶような軽いものであることを示す仕掛けである。けれども「パロディとして再現された悪夢」は無意味ではあるが、生き延びていくためには必要なものなのだ。どんなに下らなかろうと、どんなにバカらしかろうと、そこには何とか悪夢から逃れ、「現実」を生きていきたい、という強い思いがある。
そしてもっと重要なのは、それはタニノがたんに、予想だにしなかった災害に見舞われた現地の人々、そこに地縁や血縁でつながる日本の多くの人々一般の思いを代弁しているだけではない、ということだ。そのことを示唆するヒントはプログラムに掲載された劇作家インタビューにある。その中でタニノは精神科医の知人が震災後の激務の中で自殺したことがこの作品を作る一つのきっかけとなったと語っている。ドイツ語原文にはない情報を補えば、七十九歳の精神科医であるタニノの知人は、妻と娘とともに一家心中した。震災・原発事故のショックと、仮設住宅での生活水準の低下により、もともと精神疾患のある人たちの症状は悪化し、それまで何もなかった人も発病し、地元で有数の大きな彼の病院は来院する人々で溢れた。献身的に治療にあたった彼はおそらくは絶望し、追い込まれ、悲劇の道をたどった。
だからこの作品は、タニノによる樹神某への鎮魂歌(レクイエム)なのだ。地方の名士だった一家の最期はある週刊誌に一度短く報じられただけで、インターネットにもその情報は殆ど残っていない。それが御遺族の意志であるのは容易に想像できるので、私もこれ以上詳細に語ることはしない。だがこれを敢えて書いたのは、『水の檻』というこの作品が、自分の親しかった一人の死者を弔いたい、というタニノの極私的な動機に根ざし、鎮魂や慰撫という強い情動によって貫かれていることを理解してほしいからだ。稽古を通じてそのことが明らかになっていく過程で私は自らの軽薄さ・賢しらさを恥じるようになった。「日独文化交流の美しい見本」にだけはなるまいと生来のへそ曲がりで思っていただけの私の原案を、タニノは全く別の「美しい」作品に仕上げた。そして象徴性が高く、現実に起きた悲劇が背景になっているとはわかりにくいタニノの台詞から、深み凄みをすくい取り、それを舞台上で自分の身体で表現したクリストファー・ヴィントゲンスという俳優の能力に私は心底感嘆した。私はその現場に立ち会えたことを幸福に思う。と同時に、この作品の魅力を本当の意味で理解するには、今のままでは少々難しいことを残念に思う。
冒頭で述べたように、この作品はクレーフェルト=メンヒェングラートバッハ公立劇場のレパートリーとして来年二〇一六年まで定期的に上演されることになっている。完成度という点では『誰も知らない貴方の部屋』『大きなトランクの中の箱』のような近年の傑作に劣るかもしれないが、作品の深みという点ではこれまでのタニノ作品のなかでも屈指の出来である『水の檻』を、ドイツに行く機会があればぜひ立ち寄って見てほしい。再演を重ねることによって、この作品の隠れていた「エッジ」の部分はより鮮明に見えてくるのではないかと期待するが、そのためにはこの作品がクレーフェルトやメンヒェングラートバッハだけではなく、ヨーロッパの各都市やその他の世界の都市でも上演されることが望ましい。そしてもちろん、東京をはじめとする日本の諸都市でも。震災と原発事故という「ネガティブな」内容を、決して前向きに扱っているわけではない点が忌避されて——そして、とりわけ二〇二〇年東京オリンピックを迎えての「雰囲気作り」に邁進する日本の政治状況を鑑みて——各地の公立劇場は『水の檻』の招聘に及び腰だという話もちらほら聞く。しかし——手前味噌に聞こえないとよいが——演劇という最古のメディアを通じての鎮魂や慰撫が未曾有の危機に見舞われた私たちの土地に必要ならば、この『水の檻』こそその作品だ、と私は何度でも言いたい。それが四十日間の稽古と初演に立ち会っての私の偽らざる感情である。