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●はじめに

 フェスティバル/トーキョー14が終わってからすでに久しいが、このフェスティヴァルの印象を書きとめておこうと思う。とはいえ、わたしはすべての作品を見たわけではないので断片的な印象を語ることしかできない。とりわけ、評判になった作品『From the Sea』を見逃したので、全体の構成についてのコメントはできないが、私が見ることが出来た作品のなかで興味が持てたものを中心に批評していきたい。(ほかに私が見逃したのは、『フェスティバルFUKUSHIMA!@池袋西口公園』、『動物紳士』、『彼は言った/彼女は言った』の三本である。)
 そのような留保をつけたうえで、最初に結論を言ってしまうと、今回上演された作品は、政治的な意味でいまの現実に直接的にかかわろうとするものと、意図的にそこから離脱しようとするもの、もしくは離脱するかのように見せかけるものに分かれていたように思える。
 ちなみに私はオープニングを飾ったピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ作・演出の『驚愕の谷』にまったく驚きを感じることができず、パレスチナの劇団アルカサバ・シアターと日本人アーティストたちとのコラボレーション作品『羅生門|藪の中』には落胆したので、期待を裏切られたという印象からこのフェスティヴァルに入っていった。しかし、終盤の幾つかの作品には手ごたえのようなものを感じた。そのことの意味について今回は考えてみたいと思う。最初に、結論を言ってしまうと、われわれのいる現実に直接つながっている作品、あるいはそれと具体的に格闘している作品が魅力的であり、そうではないところでの作品制作はうまくいっていなかったのではないのではないかということである。
 とはいえ、前言を直ちに翻すようではあるが、『驚愕の谷』も『羅生門|藪の中』も見方によっては極めて現実批判的な作品と見えると私は思っているのだ。そのように見た人が果たしてどれほどいるのかは定かではないが、この二つの作品がもしある種の政治性を帯びていたとしたら、今回のフェスティヴァルの意味は大きく変わってくると思われるので、まずはこれらの作品に関してのありうるかもしれない解釈を綴ることからフェスティヴァル批評を始めようと思う。

●『驚愕の谷』における「驚愕」の所在:『ザ・スーツ』との関連から

『驚愕の谷』 撮影=松本和幸
『驚愕の谷』 撮影=松本和幸

 ところで、驚異的な記憶を持つ人間を演ずることは容易いことだ。数字のつながりを言われて一瞬のうちにそのすべてを記憶し、それを直ちに繰り返すことが出来る人間にあったら私も驚愕するであろう。ところがこれは芝居なのだ。舞台の上で俳優がそのような演技をしたとしても私は何の驚きも感じない。そらぞらしい虚しさを感じるだけだ。『驚愕の谷』に退屈したのはそのためである。だが、この作品が『ザ・スーツ』(翻案・演出=ピーター・ブルック、二〇一二年)のあとに作られた作品であるということを考慮すると、ピーター・ブルックの意図は別のところにあるのではないかと思えてくるのである。「赦してあげろ、そして忘れるんだ!(Forgive, and forget!)」、これが『ザ・スーツ』の幕切れ近くで語られる言葉であった。そもそも不倫をした妻を赦すことが出来ず、相手の男が逃げるときに残していったスーツを常に食卓のそばに置き、そのスーツの前にそこにいない間男の食事の皿を並べ、毎日その前で妻と食事をすることで、不倫した妻を追い詰めていき、ついには妻が自殺する、その直前、友人に「赦してあげろ、そして忘れるんだ!」と言われたとき、思い直し、家に急いで帰ったときはすでに遅かった。妻は自殺して死んでいたのであった。これは南アフリカでの話である。
 この話は、アパルトヘイト終焉後の南アフリカに起こったことをどう考えるかという問題と関連づけられなければならない。アパルトヘイトが廃止されたとき何が起こったか。黒人たちが解放されたこの悦ばしい出来事とともに起こったこと、それは、隔離され、強制労働をさせられていた先住民たちの復讐である。そして、復讐のターゲットは貧しい白人たち(Poor White)であった(豊かな白人は、祖国に帰るか、特別区を作りそのなかで暮らすことが出来たので、襲撃の対象にならなかった)。新たな悲劇が始まったとき、赦しについて考える人たちが出てきたのである。復讐の連鎖を断ち切ること、それはどのようにして可能なのか、これがギリシア悲劇の『オレステイア三部作』(アイスキュロス作)以来の演劇の最重要課題のひとつであった。もちろん、赦された側は、自分の犯した過ちを生涯記憶していなければならない。(1)
 このような作品の続編ともいえる『驚愕の谷』で、キャサリン・ハンター演じる異常な記憶力を持つ主人公サミーが、悲痛な面持ちで、忘れることができないことの苦痛を絶叫しながら訴えるとき、抑圧され、弾圧され、あるいは虐殺されていった人間にとって、どのようにしたらその悲惨な過去を忘れることが出来るのかという悲痛な叫びが聞こえてきているのだと読み取ることも可能ではないのか。つまり、個々人の記憶はたいしたものではないが、忘れられないものもある。そして、歴史は常に回帰してくるのだ。(2) それが当事者たちに苦痛を与えるのは言うまでもないが、しかし、赦し、忘れることも人間にとって重要なことなのだ、そして忘れることの出来ない人間、その不幸を痛切に語った作品が『驚愕の谷』だとすると、それを正解とするわけにはいかないが、人類の歴史における記憶と赦し、あるいは謝罪の問題がこの作品には秘められていたのだといえよう。過去の犯罪的な歴史を忘却し、赦されていると思っている日本国家と日本人はこの作品を見て、アジア侵略をしたときの自らの犯罪性を改めて思い浮かべるべきであろう。

●『羅生門|藪の中』において隠された政治性:『炎 アンサンディ』との関連から

 さて、次は、アルカサバ・シアターと日本のコラボレーション作品である『羅生門|藪の中』であるが、この作品が成立したのは、この劇団の演出家ジョージ・イブラヒムが黒沢明監督の映画作品『羅生門』に触発されたブロードウェイ作品『Rashomon』に興味を抱いたからだという。だが、芥川龍之介の作品のどこに興味を持ったのだろうか。もちろんこれも推測でしかないが(と言うのは、証拠がないからである)、イブラヒムは、ここに描かれていることは、いまのパレスチナで起こっていることだと思ったのではないだろうか。悲惨な状況にある室町時代の京都の町での忌まわしい出来事を描いた『羅生門』、そして、ある種の理解できない状況が浮かび上がってくる『藪の中』、そしてそのなかで起こる殺害事件、いったいどのような状況で人は殺されていくのか、普段からこのようなことを考えることなしに作品を作ることができないイブラヒムという演出家がいたのではないだろうか。空爆でものすごい数のパレスチナ人が殺されているたとえばガザ地区、それは羅生門の周辺で起こっていたことだ。そして、いったい誰がどのような状況で殺されていったのかも分からない状況にある。こうした悲劇はパレスチナのいまである。そのことを考えてイブラヒムは舞台を作りたかったのではないだろうか。
 そのように考えるとき、この作品は、二〇一四年度の話題作、ワジディ・ムワワド作『炎 アンサンディ』とつながってくる。戦火の中でどのような悲劇が起こりうるのか、それを描いたのが『炎』であった。『羅生門|藪の中』もまた、虐殺の形態についての舞台なのである。取り返しがつかないほど悲惨な状況に置かれた人間はどのような証言をするのか、そして、それらの証言によって何も真実が分からないような状況を生きるということそのことの困難性をイブラヒムは感じながら、芥川龍之介の作品に引きつけられていったのではないだろうか。
 こうした意味で、この二つの作品『驚愕の谷』と『羅生門|藪の中』は、政治性を隠し持った作品だというような視点で見直す必要があるのではないだろうか。だが、それはほとんど陰に隠れて見えない。例えば、このようなことを顕在化させること、そのことがこうした作品を組織するフェスティヴァル側の問題ではないのかと私は思う。

●励ます魂:『もしイタ 〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』

渡辺源四郎商店『さらば!原子力ロボむつ 〜愛・戦士編〜』 撮影:松本和幸
渡辺源四郎商店『さらば!原子力ロボむつ 〜愛・戦士編〜』 撮影:松本和幸

 ところで、現実への直接的な介入を行っていて、現実へと確かに応答している作品が、フェスティヴァル後半になって幾つか出てきた。その最たるものが高校演劇であったということは、それこそ驚愕であった。もし、このフェスティヴァルの最優秀賞を選ぶコンペがあったならば、私は間違いなくこの作品を推すであろう。
 それは、畑澤聖悟作・演出の『もしイタ 〜もし高校野球の女子マネージャーが青森の「イタコ」を呼んだら』である。東日本大震災で被災し、家族や友人たちを亡くしたある高校生の話しである。避難先での彼の世界が描かれたこの作品は、被災地などをめぐり多くの感動を生み出したという。この作品に加わった人たちは、こうした作品を持って被災地をめぐることそれ自体にも躊躇したのだという。しかし、思い切って、被災者たちの中に飛び込んでいったというのだ。そのとき、彼ら/彼女たちがどのようなことを考えていたのかのかが、当日パンフレットの渡辺源四郎商店ドラマターグ工藤千夏の「青森中央高校演劇部と顧問・畑澤聖悟」という文章の中に引用されていて、私たちはこれらの文章によって現場での思いを読むことが出来るのだが、この言葉自体がひとつのドラマである。そして、彼ら、彼女たちの思いが被災者の人たちの心と共振したということが、この文章から伺えるが、私は、作品それ自体が、被災者ではない私にとってこのことはもちろん想像でしかないのだが、被災者の人たちの心を揺るがしたのではないのかと思った。それは避難先での高校生たちと一緒にスポーツに励みながら、必ずしもスポーツ自体での成績は振るわず、悪戦苦闘していって挫けそうになった主人公のもとに、改めて登場し、彼を励まし、そして、改めてがんばれよと言った、彼の仲間たちは実は地震で破壊され、津波に呑み込まれ、そうしたなかで死んでいった自分の友人たちであったということが明かされるという場面だ。われわれが死者たちを悼むのではなく、死者たちがわれわれを励ますということもあるのだということ、そのことはたとえば、チェーホフの『三人姉妹』であれ、『桜の園』であれ、これまでも演劇の大きな特徴のひとつであったのだが、もし、生き残っているのであれば、どのように悲惨な状況であれ、われわれは生きていかなくてはならないという強いメッセージとして、これらのシーンはわれわれの前に出現しているのである。

●『さらば!原子力ロボむつ 〜愛・戦士編〜』

 しかし、同時に、われわれは責任についても考えなければならない。それが、畑澤聖悟作・演出のもう一つの作品『さらば!原子力ロボむつ 〜愛・戦士編〜』である。これは青森、もしくは東北の反逆宣言の舞台である。誰もが知っているように、青森県の下北半島、六ケ所村には核燃料再処理工場が建設されている。技術的難点からいまだその工場は稼働しておらず、実験的な試みが進められているに過ぎないとはいえ、あの広大な敷地に、核燃料廃棄物が保管され、ほとんど放置されたままだと言っていい状態なのだ。それが中間貯蔵庫という言葉の意味である。もちろん、そうした核燃料廃棄物の多くは東京などに電力を送らせるために出来てきたものだ。ちょうど原発を東京にではなく福島に作ったように、核廃棄物再処理工場は青森に作ったのである。そのことを告発するために青森が東京と闘うための原子力ロボむつがどのように振る舞ったのかを描いたのがこの作品『さらば!原子力ロボむつ 〜愛・戦士編』なのだ。その意味で、この作品は直接的に政治的なメッセージを帯びており、しかもこの作品で、フェスティバル/トーキョー14が幕を下ろしたということの意味は大きいのではないだろうか。

●「中国よ、お前もか」:『ゴースト 2.0 〜イプセン「幽霊」より』におけるフェスティバルの隠れたテーマ

薪伝実験劇団『ゴースト2.0 〜イプセン「幽霊」より』 撮影=青木 司
薪伝実験劇団『ゴースト2.0 〜イプセン「幽霊」より』 撮影=青木 司

 このように見てくると、このフェスティヴァルには隠れたテーマがあったということであり、そのような文脈の中で、たとえば中国の集団薪伝実験劇団の『ゴースト2.0 〜イプセン「幽霊」より』(演出:ワン・チョン)はさらなる輝きを放つのである。そもそも一八八一年に発表されたイプセンの『幽霊』は、西洋ブルジョアジーがその当時抱えていた問題を顕在化するために書かれたものであり(ルカーチ『近代演劇の社会学に寄せて』、『ルカーチ初期著作集』第一巻所収、参照)、それが百年以上後に生きるわれわれにとってどのような意味を持つのかは当然問われるであろう。それをワン・チョンは現代の中国の問題として提示したのである。ビデオを多用した作りはアメリカの演出家ジョン・ジェスランの方法の援用とも思われるが、メディアに汚染された中国と言ったイメージを伝えていて、中国よ、お前もか、と私は思ったが、そうした映像を見ながらも、『幽霊』というこのイプセンの作品をアメリカから帰ってきた中国人の息子の悲惨として描き直すことによって、ワン・チョンは今起こっているのであろう中国の現実をわれわれに伝えることに成功しているのである。梅毒を抱えてノルウェーの故郷に戻ってきた息子のオスヴァルが、放蕩な父と同じような振る舞いをする(女中に手を出す)ことを知らされ絶望する母のアルヴィング夫人、これがいま中国の上流社会に出現した悲劇だということをこの劇は伝えているらしい。グローバル金融資本主義の跳梁の中で、中国で何が起こっているのかをこの作品は伝えてくるのである。つまり、アメリカ帰りの息子がやはり女中に手をだし、彼女との恋に陥る、だが、彼女は実は妹でもあるのだ。そして、この上流社会の未亡人のもとを頻繁に訪れる牧師はワン・チョンの作品では中国の高級官僚(書記というらしい)になっている。そして、そのような現実の中で新たな倫理の確立が問われているという意味で、イプセンの問題は中国で反復されるのである。
 この作品を持ってきたワン・チョンが昨年の公募プログラムの最優秀賞を獲得したため、この公演が実現したということを思うと、今年度から、公募プログラムとそのコンペがなくなったことは残念でならない。あのコンペがなかったならば、われわれはこの作品を見ることができなかったのだ。

●『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』における反逆と恒例

さいたまゴールド・シアター『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』 撮影:青木 司
さいたまゴールド・シアター『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』 撮影:青木 司

 ここですべての作品に触れるわけにはいかないが、最後にもうひとつだけ取り上げることにしよう。それはさいたまゴールド・シアターの『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(清水邦夫作、蜷川幸雄演出)である。これは連合赤軍事件を予告したような作品であり、社会への反逆と言うものと演劇とがリンクした一九七〇年前後の傑作と言われてきた。そして、いま改めてこの作品を見たとき、直接行動に介入していく老婆たちの姿を見ながら、私はこのようなことが現実に起こればさぞかし面白いだろうとは思ったが、しかし、反乱した老婆たちの主張がまったく論理的でないのに驚かざるをえなかった。だが、そのことこそが、当時の学生運動の問題性であったのではないかということを改めて考えさせてくれたということで、私にはこの舞台は極めて興味深いものであった。
 上演当日配られたパンフレットには、「二人の青年が、チャリティショーに爆弾を投げ込んだ罪で裁判にかけられている。彼らを助けるため、爆弾、ホーキ、コーモリ等々の武器を持った老婆たちが押し掛ける。看守を爆殺したのち、老婆たちは法廷を占拠、自分たちの手で検事らを裁判にかける。警察による強行突入の警告が流れる中、検事や助けに来たはずの青年たちにまで、次々と死刑宣告をする老婆たちだが────」と、この舞台のストーリーが書かれている。そして、われわれはそのような展開を実際の舞台で見るのだが、しかし、この舞台の魅力は、そうした事件を演じているのが、平均年齢七十五歳という実際の老人、老婆たちだということだ。奇妙なタイムスリップが起きる。演じているのは本物の老人、本物の老婆たちだ。ところが、この事件によって想起される、たとえば、浅間山荘事件を引き起こしたのは、その当時の若者たちである。浅間山荘事件の直前に初演されたこの舞台で演じていたのは、緑魔子、蟹江敬三ら、老人、老婆を偽装したそのときの若手俳優たちであった。それがいま、ここでは、実際の老人、老婆たちによって演じられているのだ。しかし、彼ら、彼女たちは、一九七一年には、蟹江敬三らと同じように、二十代、三十代の若者だったのだ。つまり、この老婆、老人たちは、初演のときの俳優たちとともに、テレビで実況中継されていた浅間山荘事件を見入っていたに違いない人たちなのである。この舞台を演じながら、記憶が蘇ってくる。このような事件にのめりこんでいった人たちがいる、それが亡霊のようにいま私たちの体を通してこの舞台に蘇ってきているのだ、それがあなた方観客にも伝わるだろうか、そのようなオーラが私にはこの舞台からは伝わってくるのである。
 一九七二年二月、私は浅間山荘からほど遠くないところにある研修寮にいた。
 活動家たちに投降を呼びかける声が聞こえる。浅間山荘の上空を旋回していたヘリコプターの爆音が響いている。この舞台ではその爆音が劇場を包み、われわれ観客に臨場感を募らせている。そして、あの当時の学生たちの、過激派たちのなれの果てのような老人、老婆たちが、裁判所を襲い、そこに立てこもり、意味不明のことを、まったく論理性を欠いた形で叫びつづけている。蜷川幸雄はまさに、この不条理こそが現代社会の起源であると言わんがばかりに、一九七〇年代初頭の情念を、新たに展開させようとしているのであろうか。

●ビオス・ポリティコスとシュリンゲンジーフ

 このように、今年度のフェスティバル/トーキョーの作品を幾つか配置してみるとき、われわれはいかにして演劇をビオス・ポリティコスへと接続すべきかという課題に答えなければならないという問題系に投げ込まれているのだということが了解できるのである。
 ビオス・ポリティコス(ポリス的な生のあり方、ポリティカル・ライフ)へ向けての闘いの中に演劇的な活動の根拠を見出すこと、それをわれわれは思考しなければならない。そして、そのような活動を続けながらも、具体的な演劇的な活動を現実へと接続していくことを考えなければならない。そして、そのようなことを現実に実践している演劇人がいるのだ。そのような演劇人を中心に据えてフェスティヴァル全体を改めて俯瞰するとき、このフェスティヴァルの姿が別の形で見えてくるのではないのか。そして、そうした演劇人のドキュメントを今回のフェスティバル/トーキョー14はフィーチャーしたのであった。それがシュリンゲンジーフの活動のドキュメント映像を流したプロジェクト、「痛いところを突く──クリストフ・シュリンゲンジーフの社会的総合芸術」であった。このプロジェクトが、今回のフェスティヴァルの核になるところに位置していたことの意味がここにあるのではなかったかと、このフェスティヴァルが終わったときに私は思ったのであった。
 劇場の外で、つまり、街中で、一種の市街劇として行われたシュリンゲンジーフの四つの活動の映像記録、『時のひび割れ』、『友よ! 友よ! 友よ!』、『失敗をチャンスに』、『外国人よ、出ていけ!』を見ながら、シュリンゲンジーフがどのように自分の演劇活動を現実へと接続していこうとしているのかがよくわかるのである。たとえば、『友よ!友よ!友よ!』はハンブルグのシャウスピールハウス(ハンブルグ劇場)に委嘱された作品であった。そのとき、シュリンゲンジーフは劇場の中で作品を上演するのではなく、広場を挟んで向かい側にあるハンブルグ中央駅(ハウプトバンホフ)舞台にしたいと提案したのであった。そこにはホームレスやジャンキーたちが蠢いている。彼らは行き場を失っている。そのことを問題化するために、彼ら・彼女たちを救済する場所を作る、それを演劇にしようと提案したのである。人々は集まってきた。そしてそこで社会的な議論もなされた。やがて彼ら・彼女たちは隊列をなしてハンブルグの目抜き通りを行進し、ラトハウス(市議会場のある建物)へと向かうのである。ラトハウスの前の広場で集会が行われ、市長との会見が申し込まれる。市長との会見はそのときは実現しないけれども、やがてハンブルグ市長は集会所を訪れるのである。ホームレスやジャンキーたちと市長が新たな生活について話し合う、そのような場が、演出家シュリンゲンジーフによって組織される。それを演劇と考える多くの人間がドイツにはいるのだということをこのプロジェクトはわれわれに伝えている。『外国人よ、出ていけ!』もウイーン芸術週間の企画としてオペラハウス前の広場で展開されたものであった。フェスティヴァルはそのようなプロジェクトを法的に支えるものとして機能しているのである。今回の『痛いところを突く』はそうした映像記録の上映であったが、当然のことながら、これはそうしたプロジェクトの実際の遂行へとつなげる序奏として企画されたのではないだろうか。そして、そのような企画を改めて考えながらフェスティバル/トーキョーの作品を見ていくと、三・一一以降の日本の現実にどのように応答していくべきかということを考えつつ苦渋に満ちた作品を作っている人たちが日本にもいるのだということが感じられるのである。
 だが、それを今後どう展開していくのか、それらの企画をどう支え、どう意図的なものとして明示するのか、それはこれからのフェスティヴァルに期待されるところではないかと私は思う。

(おおとり ひでなが 演劇批評、2015年2月3日)

(1) 私はここでジャック・デリダの「正義と赦し」というインタビュー記事(ジャック・デリダ『言葉にのって』所収、林好雄、森本和夫、本間邦雄訳、ちくま学芸文庫)を念頭に置いて書いている。デリダはここで、南アフリカの〈真実と和解〉委員会の活動に触れつつ、赦すことの出来ないものがあるということと赦すという行為が密接につながっているのだということを語り、そして赦しは、赦されたものたちにとって忘却に繋がってはならないのだということを語っていた。
(2) このような事態が現出するのが演劇と言う現象であると言ったのは、カントールについての著書『カディッシュ』を書いたヤン・コットである。ヤン・コットはカントールの『今日は私の誕生日』のニューヨーク公演のあとで、ラ・ママ実験劇場の隣にあるカフェ・バーで何人かの若い友人たちとくつろいでいた。そのとき若い女性が、「どうしてカントールは私たちにこんなつらい思いをさせるのと悲痛な面持ちで叫んだ時に、ヤン・コットは「悪夢の本質は帰ってくることにあるのだ。」「創造者の中でももっとも偉大な人々は自らの悪夢の囚われ人なのだ」と答えたのだった。(『カディッシュ』(坂倉千鶴訳、未知谷、69頁)