10月の歌舞伎は、東京だけでも歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場の3座が開いている。その上、名古屋御園座、大阪松竹座でも歌舞伎興行があり、三井ホール他で市川海老蔵が単発公演を行っており、ひとつの劇場ごとの座組が薄くなるのは必然である。

 歌舞伎座での十七代目中村勘三郎27回忌・十八代目中村勘三郎3回忌追善興行は、坂田藤十郎と中村梅玉の助演はあるものの、実質的には片岡仁左衛門と坂東玉三郎だけが、遺児中村勘九郎・七之助を支える形で執り行われた。本来ならば坂東三津五郎と、中村福助が襲名をすませて中村歌右衛門として参加していたであろうから、病でこの2人を欠く巡り合わせもまた、近年の歌舞伎界を襲う不運を象徴すると言わざるを得ない。

 数あるゆかりの狂言から、「野崎村」「伊勢音頭」「寺子屋」「鰯売恋曳網」で、勘九郎・七之助が重要な役どころをつとめる。この兄弟は、このところ兄弟単位での行動が多く、それはよろしいが、歌舞伎に出演する機会が必ずしも多くない。今月の海老蔵もそうだが、若手が小一座の舞踊公演などで地方を回る興行は、一面では観客層の開拓につながるかもしれないが、他方、先輩と共演して、多様な芸を学ぶ機会を失わせる危険があり、若い自分たちだけの視野に閉じこもる恐れがある。

 「野崎村」は、丁稚の久松を間に、田舎娘のお光と、大坂の商家の娘お染とが、対照をなさなければならない。十八代目勘三郎はどこまでもお光の役者だった(ワーナー・パイオニアから1979年1月国立劇場での若き名演がCD化されている)。七代目尾上梅幸もお光。逆に六代目中村歌右衛門はお染。いまの玉三郎もお染だろう。七之助は、父も母方の祖父芝翫も演じた因みからいえばお光を演じるのに不思議はないが、たとえば「お染の七役」で七之助は奥女中竹川を好演して、父とは違う資質を見せている。「加賀見山」の尾上・岩藤・お初の三役でいえば、父はまずお初(芝翫の当たり役)、いずれ岩藤(十七代目の当たり役)、という役どころだったのに対して、七之助はひょっとすると尾上(芝翫は嫌い、父も祖父も演じていない)ができるかもしれない、そうした可能性を芽生えさせている。従って、追善興行でお光を演じるのは一面では妥当だとしても、将来ともにお光を磨き続けることになるかどうかはわからない、という役回りである。実は、今月の勘九郎の役々にもそれはあてはまり、勘九郎は父とも祖父とも違う、たとえば「関の扉」の関兵衛で健闘するなど、より骨太い役柄への可能性を見せている。その点、「寺子屋」の武部源蔵は好配役であるが、「伊勢音頭」の貢や「鰯売」の鰯売が、将来の役どころの中心になるとは思いにくい。たとえば勘九郎が、必ずやライフワークになるであろう「髪結新三」に初挑戦するという手もあっただろうが、それでは玉三郎に振る役がない、といった事情もあるのだろう。

 というような前提をひとまず措いてみると、七之助の「野崎村」のお光は、お染との対照が際立たないところはあるが、清純な哀れさを過不足なく出した好演ではある。六代目尾上菊五郎系の演出で、浄瑠璃の原作通りお光の母親が出る。哀れはこの方がいや増す。幕切れに父久作にしがみついて「ととさん」と泣くところ、父が堪えに堪えた激情を迸らせたのとは違い、よわよわと泣いたところに、やはり父とは違う資質を見た。「野崎村」では、現在では父久作が難役で、坂東弥十郞は精一杯につとめるが、いかんせん義太夫の味がない。久作は、昭和末の十三代目片岡仁左衛門、辛うじてその後の二代目中村又五郎までで、ゆくゆくは十八代目勘三郎が、十七代目の傑作を継ぐべきはずだったのである。

 「寺子屋」の源蔵は、十七代目勘三郎が1986年12月京都南座で演じたそれが忘れがたい。主君の身替りとはいえ、今日初めて出会った幼児の首を切り落とすには、忠義に凝り固まった狂熱がなくてはならない。十七代目ほどその狂熱の地獄を、眼と台詞の呼吸で示した源蔵はいなかった。勘九郎は、その域をめざしてか、時に重く、苦しく、見ている側も苦しくなる熱演。十七代目はその狂熱地獄を演じながらも、十三代目仁左衛門の松王・七代目梅幸の千代と共に芝居の足取りは極めて速く、導入部の「寺入り」(今月はカット)からの完全版を90分そこそこで演じ終えた。むろん、勘九郎が今からその域に達するはずもなく、七之助ともども、手本をなぞっている感も拭えないが、同世代の中では抜群の出来、最上のなぞり方というべきだろう。仁左衛門の松王は、いつもの黒に雪持松の衣裳ではなく、銀鼠に雪持松の、菊五郎・勘三郎系統の衣裳を着る。1989年4月の十七代目の一周忌追善でも仁左衛門はこれを着たことがあり、勘三郎追善の心なのであろう。である以上、言うべきでもないが、仁左衛門には輪郭のはっきりした黒が似合う。銀鼠はあわあわとした世話味が加わり、そのためか今回は特にリアルな表現が目につく。草履の数、机の数、などを細々と目配りして、息子の小太郎が来ていること、その死が目前に迫っていることを、事細かに分からせる。役の量感よりも、その研ぎ澄まされた感覚が、今回の特徴だろう。この仁左衛門に、勘九郎・七之助がよく肉迫し、幕切れではキッパリときまった仁左衛門に息を合わせるように、上手の勘九郎・七之助が形をきめてゆく中で、ただ一人、いちばん下手で泣き紙を目にあてて散文的に動くのが玉三郎の千代である。玉三郎は「伊勢音頭」の万野でも、定式を破った、メリもハリもないつぶやき調の台詞廻しで異彩を放った。このところの傍若無人の破格続きの心意は、まことにはかりがたい。これを褒めそやす人の基準もまた、はかりがたい。

 三島由紀夫作「鰯売恋曳網」は十七代目が初演し、十八代目が「勘九郎の会」で掘り起こした作品。勘九郎は、隅から隅まで十八代目にそっくりだが、いずれもっと硬質の喜劇に変わってゆくだろう。今は驚いた時にあげる「アーッ」という叫び声まで生き写しで、それが「伊勢音頭」の貢に伝染しているのに苦笑する。七之助は、他の傾城たちを寄せ付けもしないような、まさに群鶏の一鶴という玉三郎の風格には、もちろん及ばない。だが、初演者歌右衛門を考えれば、これは時代物のお姫様役者のもので、玉三郎とは違う一面を伸ばしうる期待のもてる好演ではある。勘九郎は、いずれ父そっくりの芸域から抜け出して、独自の境涯を模索する時が来なくてはならない。だが今は、まだ、花道を入ってゆく二人のもたらす幸福感に、せめても十八代目の追福を祈ればよいのだとも思う。客席もこの演目で、ようやくほどけたように舞台に融和している。(のが良いのかどうかはひとまず措いて)これは大正解の演目立てであったと、見終わって納得した次第である。