社会問題・民間伝承・人間の普遍的問題の相克──兵庫県立ピッコロ劇団『かさぶた式部考』──瀬戸 宏
もう十年以上前だが、2003年に三池闘争と三年後の三池炭塵爆発を扱った三池関西写真展に関わったことがある。その年は三池炭塵爆発事故40年でもありシンポジウムが開かれた。この事故は、会社の保安サボで炭鉱内に積もった炭塵が爆発し、458名の死者と839名の一酸化炭素(CO)中毒患者を出した大労働災害である。CO中毒患者は脳神経を破壊され、重傷者は記憶や運動能力を失う。シンポの席上、医師の故・原田正純氏が「三池だから今日まで事故とCO患者が記憶されている。小さな炭鉱事故では被害者がどうなったかわからなくなっている」という発言をされたことが印象に残った。
兵庫県立ピッコロ劇団が今回上演した秋元松代作『かさぶた式部考』は、この新聞にも載らないような小炭鉱事故での忘れられたCO患者が重要な役割を果たす作品である。1969年に戯曲が発表され、同年演劇座で初演され、毎日芸術賞を受賞するなど高い評価を受けた。1973年には劇団民藝で上演されている。作品に対する高評価はその後も続き、戯曲は何回か公刊されている。しかし、上演はなぜか途絶えた。全編方言で書かれ複雑な内容を持つ戯曲の難しさが、演出家や俳優たちをたじろがせるのか。
ピッコロ劇団は創立20周年、第50回となる今回の公演にこの作品をとりあげた。演出は文学座・ピッコロ劇団客員の藤原新平。新しい出発となる公演にあたって高難度の作品に挑戦するその姿勢に、率直に敬意を表したい。私は、戯曲発表時まだ高校生だったが一読して強い感銘を受けた記憶があるものの、上演された『かさぶた式部考』は観たことがないので、期待してピッコロシアターに向かった。
『かさぶた式部考』は炭鉱事故と同時に、和泉式部伝説をも背景にしている。男性遍歴を重ね子に先立たれた和泉式部は、晩年各地を流浪したという。さらに、式部は漂泊先で病の子や親の苦しみを引き受けかさぶたに覆われた姿となり、薬師如来の力で元の体に戻ると、再び俗世に出てかさぶたと元の体への変化を繰り返したとも伝えられる。
高度経済成長の続く1967年、九州・玉島村の青年農民・大友豊市は出稼ぎ先の無名の炭坑で事故にあい、CO中毒で幼児のような状態になっている。母・伊佐と妻・てるえは彼を献身的に支えるが、豊市の病状は回復しない。そんな彼らのところに、巡礼団の和泉協会がやってくる。和泉式部68代という尼僧・智修尼に率いられ、参加者は式部伝説を信じ、社会でのつらい思い出を引きずっている。智修尼の美しさに豊市は心を奪われ共に巡礼することになる。豊市を捨てておけない伊佐も、巡礼団に加わる。
劇中では、炭鉱事故という社会問題、民間伝承の和泉式部伝説、教団とその内情、絶世の美女の教主とその性愛、CO中毒患者の一時的回復とぶり返し、嫁姑の葛藤、夫が障碍者の妻の生き方など、さまざまな要素が散りばめられている。事物の表層がはがされ、どろどろした内情が露わになる。マジック・リアリズムにも通じる内容である。
戯曲は三幕だが、今回の舞台では玉島村部分の一、二幕を続けて上演し、そこで休憩を置いて日向・朝狩山の第三幕につなげ、実質的に二幕構成としている。玉島村の場面は炭鉱事故の回想を除いて効果音などを抑え、基本的に台詞のみで劇を進めている。反対に後半では効果音や特殊照明が多用され、非日常に通じる雰囲気を醸し出している。
ピッコロ劇団の俳優たちはよくこの内容のぶ厚い戯曲に取り組み、かなり見応えのある舞台を創り出している。不満もいくつかあるが、文字で書かれた戯曲を俳優の肉体によって舞台で再構成して観客に提供する、という上演の基本面では、ぎりぎり成功であったと思う。伊佐を演じた平井久美子、豊一の原竹志は好演であった。
しかし、和泉式部伝説に代表される土俗性の表現は不十分である。私は長崎に五年ほど住んだことがあるが、俳優たちの九州方言にもまだぎこちなさが感じられた。宗教にすがらざるをえない庶民の哀しさ切なさも、より濃厚さがほしい。智修尼の複雑な人間像も、もっと深い掘りさげが必要ではなかろうか。
今公演のプログラムなどを読むと、この劇は「社会的・倫理的な題材も扱っていますが、その本質を読み解けば……誰しもが共感しうる人間の普遍的な問題です」とある。社会的題材は、「人間の普遍的な問題」の枠組みに過ぎないのだろうか。作品が発表された高度成長期時代の社会問題は、21世紀の今日ではもはや過去のものになってしまったのだろうか。考えてみるに値する問題である。
観客の入りは、私の観た日は六割程度でやや残念であった。全体としては良い舞台であるから、今後もっと練りあげてぜひ再演していただきたいと思う。(10月7日所見)