人気劇団ががっぷり四つで取り組んだ〝祭り〟は壮大な〝神話〟へ ……大人の新感線『ラストフラワーズ』──今村修
大人計画と劇団☆新感線。今をときめく両人気劇団が、本気でコラボレートする。名づけて、大人の新感線『ラストフラワーズ』(作=松尾スズキ、演出=いのうえひでのり)。合同公演といえば、関西の小劇場が一堂に会した内藤裕敬演出の『日本三文オペラ疾風馬鹿力篇』(1986、91、2004年)や、俳優座啓の5劇団が集った『座・新劇』(1994年)など、いくつかの例を思い出すが、今回のように二つの劇団ががっぷり四つで取り組んだ試みは、寡聞にしてあまり記憶にない。その意味では、これは演劇界の事件であり、祭りだった。
秩序を混乱させるグロテスクな笑いが持ち味の松尾と、痛快娯楽アクションのいのうえが選んだ題材は、独裁国家を舞台にした国際スパイドラマ。一歩間違えば、賑やかしのお祭り騒ぎで終わりかねない、ギャグ満載の戯曲だが、そこは剛腕の2人。ゲストを交えた双方の曲者役者陣のつばぜり合いの熱演も得て、後味ずっしりのエンターテインメントに仕立て上げた。
世界の嫌われ者国家オンドルスタンと、かつて日本政府によって密かに設置されいまや事業仕分けの標的となっている国際未解決事件捜査班(通称ミッシング)。両者の、息が詰まり過ぎてため息が出るような闘いに、日本国内でのヤクザの抗争、果ては怪しい大富豪やらマッドサイエンティストやら、宇宙人やら、ラブ&ピースの元フォークシンガーやら、殺し屋やらSM嬢やら、ややこしい登場人物たちがこれでもかと絡んで、視界ゼロの謀略劇が繰り広げられる。知的ミュータントが密かに進める人類ネアンデルタール人化計画、独裁者とヤクザの恐るべき血の絆、そして謎のキーワード「ラストフラワーズ」といった、いかにもな筋立てが絡み合う。全体が、サイケデリック、フラワームーブメント、B級活劇といった1970年代的イメージにあふれているのが何だか懐かしい。
25分の休憩を挟んで3時間35分の大作。登場人物が多く話も相当入り組んでいるので、第一幕はぶちまけられた物語の断片が果たしてどうつながるのか不安にもなるが、第二幕に入るとドラマは加速度的にドライブがかかってうねり始める。バラバラに見えていた個々のストーリーが、ジグソーパズルのパーツのようにピタリピタリと嵌まり、の全体像が見えてくる。いのうえが遊び心に富んだ腕力で、舞台を思いがけない高みへと押し上げていく。祭りが一気に壮大な世界観をたたえた〝神話〟へと昇華する。
世界を征服する野望とそれを阻止しようとする企ての果てに、世界は滅亡の危機を迎える。アナーキーな笑いの向こうから、不気味に姿を現してくるのは、過ちを繰り返し続ける人類への絶望にも似た怒りだ。憎しみの連鎖を断ち切ることもできず、生命の尊厳をもてあそび、神の領域にまで土足で踏み込もうとする愚かな人間たちの懲りない日常。そんな世界をリセットしようとする意志がドラマを強烈に支配する。世界に対する作家の悪意は健在だ。それは、松尾自身の言葉を借りれば「世界をまぜこぜにしたい」という思い。常識を疑い、秩序を解体し、価値付けをご破算にし、その果てに現れてくるものに目をこらす。だが気がつけば今、そんな松尾の思いに世界の方が近寄ってきた。この国の戦後を支えてきた価値があっという間に崩れ、格差が広がり、人々は分断されつつある。姿の見えない悪意がそこら中に蔓延している。
『ふくすけ』(1991年初演)や『愛の罰』(1994年初演)などでは、自身の悪意を放りっぱなしにすることもあった松尾だが、今回はクライマックスの大混乱の後に一つの答えを用意した。破局の危機を歌が救う。こう書いてしまうと身も蓋もなく陳腐に見えるが、そこに至るまでの筋立てがしっかりしているので心を揺さぶられる。そして、再び始まる日常。かすかな希望の光が射す幕切れは、松尾の劇作家としての成熟であると同時に、こんな時代に生きる表現者としての、未来に対する落とし前でもあるのだろう。
オールスターキャストの公演だけに、一人一人に見せ場が用意されている。特徴的なのは一人二役の多用だ。ヤクザの組長と対立するオンドルスタン系組織の若い頭(橋本じゅん)、言葉をしゃべるミュータント豚と独裁者(皆川猿時)、独裁者の元妻と貧乏大家族のおかみさん(高田聖子)。古田新太は二役ではないが、貧乏大家族のダディを隠れ蓑にしたスパイというややこしい役どころだ。二役の性格のズレが、物語の絡み具合を複雑にし、笑いを膨らます。硬軟自在の古田や高田、小者感炸裂の橋本、ショッキングピンクのこまわりくんを夢に見そうな皆川。物語の核を担うミュータントを演じて突破力抜群の阿部サダヲ、影で事件の糸を引く大富豪を松尾が怪演し、女スパイの小池栄子は色気とボケの二刀流を鮮やかに使いこなす。そしてクライマックス。大殺戮が続くさなかで、星野源が歌う愛の歌の切ない響き。そしてそれに合わせて狂ったようにタンバリンを打ち鳴らす平岩紙の神々しさ胸が詰まった。
(2014年8月9日、赤坂ACTシアター)