爽やかでバランスの取れたスピード感のある『ハムレットQ1』――PARCOプロデュース2024『ハムレットQ1』/松山響子
埼玉で同時期に上演されている、彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』とは違う、短い『ハムレットQ1』を使用した上演である。シェイクスピアの『ハムレット』の3つある原本のうち、1603年に印刷された『Q1(第一四つ折り本)』という非常に短い脚本を使用しているため、上演時間が休憩20分ほどを挟んでも3時間となっている。通常3時間を超えることがほとんどのシェイクスピア作品に慣れていると、そのスピード感に驚く。翻訳は松岡和子による新訳であり、非常に聴きやすいものとなっている。
吉田羊による異性装のハムレットであるが、爽やかなあるいはドライな青年ハムレットである。発声は意識して低くしているということはなく、いつもの吉田羊の声であるため、男性の演じるハムレットや女性の演じるハムレットではなく「吉田羊のハムレット」という印象が強くなる。『ハムレット』というと母親との関係で論じられることも多いが、今回の場合は前述したようにドライなハムレットであるため、母親とのやりとりに独特の濃密さや濃い情愛の危うさを感じることはない。父王の亡霊とのやりとりはパンフレットのインタビュー等によると「父王への思慕が強く出ている」と吉田羊自身が語っているが、それはあくまで役者の中の意識の違いであるように感じた。
また異性装とは少し違うが、シェイクスピア劇というと近年は登場人物のジェンダーの偏りが指摘されることがある。今回の森新太郎の演出は、劇中劇を演じる役者4人全てと、さほど重要ではない廷臣ヴォルティマンドとコーネリアス役を女性に割り振ることで、その目配りが行われているように見える。特に廷臣は劇序盤で登場するため、女性が廷臣として外交官として活躍していることが示されるが違和感は生じない。
衣装に関してはハムレットは全体を通して黒一色の衣装である。これは劇中で言及されている通り喪服を一貫して身に纏っていると取ることができる。ガートルード(広岡由里子)とオフィーリア(飯豊まりえ)は裾の長いドレスで、クローディアス(吉田栄作)は三揃、ポローニアス(佐藤誓)がダブル、レイアーティーズ(大鶴佐助)は紺と全員現代的なスーツを身につけている。しかしローゼンクランツ(駒木根隆介)とギルデンスターン(永島敬三)は19世紀半ばごろのイギリスで身に付けられていたような、裾の長いフロックコート、ホレイショー(牧島輝)は膝までの長さの赤茶色の司祭服に首からロザリオを下げている。男性登場人物は、上着の裾の長さが宮廷内での地位の高さと反比例していると、衣装を通して示している可能性がある。これは、ローゼンクランツとギルデンスターンがホレイショーと対峙する時の無言のやり取りから見て取ることもできる。
悲劇ゆえに極めてシリアスになりがちな『ハムレット』の演出において、『ハムレットQ1』はそこここで、きちんとコミックリリーフが挟み込まれている。緊迫感のある芝居を観客が緊張感に飽きず観るには、緊張からの解放が適宜必要であることを実感させてもらった。森新太郎の演出は、あえて面白く演出しているわけではなく、誠実に脚本を読み込んで笑いを演出しており、好感が持てる。一つ例を挙げるとしたら、3幕2場でハムレットがホレイショーを「ホレイショー、これまでいろんな人間と付き合ってきたが、君ほど出来た人物はいない」と褒めると、ホレイショーは「殿下、何をまた。」と返す場面がある。ここで、ホレイショーを演じた牧島輝はハムレットに褒められると手に持っていた祈祷書で恥ずかしそうに顔を隠す。その仕草は「キャっ」という擬音をつけたくなるほどチャーミングであるとともにハムレットとホレイショーの関係を笑いとともに明示している。ホレイショーが突然褒められ驚き照れている様を丁寧に演じているだけだが、十二分に直前にあったポローニアスやローゼンクランツとギルデンスターンとの短いが緊迫する場面からの解放がある。森新太郎の『ハムレットQ 1』は緊迫とそれからの解放が、明確に演出されているが故に、全体を通してはゆっくりと緊張感を積み上げてクライマックスへと導いている。もちろん、これは 『ハムレットQ1』の持つスピード感に助けられている部分もあるが、改めてコミックリリーフと悲劇の重要性を実感できる。
キャスト全体が実にバランスが取れており、力量のバランスも適切である。マイクを使用しているせいか、台詞を話す声が絶叫気味の一本調子にもなっておらず、観客にとって、劇中劇の役者にハムレットが行う指導が反映されているかのように見える。
ハムレットのプロットに関しては、一般的に使用されている二つ折本やハイブリッド版に慣れている観客にとって『Q1』は馴染みのあるハムレットの台詞がそこここで脱落しており、登場人物たち特に終盤でのガートルードの造形が変更されている。そのため事前に日本語で手に入れられる翻訳のどれかを読んで劇場に行くと、お気に入りのセリフが省かれていたりして、少しがっかりするかもしれない。筆者は分かっていても、終幕でホレイショーがハムレットに語りかける「Now cracks a noble heart. Goodnight sweet prince: / And flights of angels sing thee to thy rest!(ちくま文庫松岡訳:ああ、気高い心が砕けてしまった。おやすみなさい、ハムレット様。/ 天使の歌に包まれて、安らかな眠りに就かれますよう。)」という台詞がないのが哀しかった。しかし、それらの欠落は音楽で十二分に補われている。特に終幕は森新太郎がプログラムで『ハムレット』作品のイメージとして上げているG・フォーレの『レクイエム』が使われており、ハムレットを抱きしめたホレイショーが表情で『ハムレットQ1』に存在しない台詞を語っていると見るのは、贔屓目かもしれない。
『ハムレット』を始めとするシェイクスピア作品を、その台詞回しの長さや筋の複雑さ、難解な長台詞で苦手としている観客や、初めてシェイクスピア作品の上演を見るという観客にとって『ハムレットQ1』は実に適切な上演であると言えよう。特に、前半後半ともに90分程度というそのスピード感は重要であると言える。
しかし、同時になぜあえて『ハムレットQ1』を上演台本に選んだのか演出家の意図を詳しく確認してみたい気持ちもある。