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3.未来への希望

 最後に、やや長くなるが、大事な点を記したい。

 この舞台評の冒頭に日本で翻訳上演された3作品のタイトルと上演年を挙げておいたが、これらは「約束の血(Le Sang des promesses)」という4部作シリーズの第1部から第3部にあたっており、1990年代後半から2000年代にかけてカナダとフランスで初演された。第4作『空(Ciels)』は2009年にアヴィニョン演劇祭で初演されている。この年の同演劇祭では第1作から第3作がアヴィニョン旧法王庁中庭で三夜にわたって上演された。

 一方、『みんな鳥になって(Tous des oiseaux)』は、「約束の血」4部作とは別枠の作品で、2016年にムワワドが国立コリーヌ劇場の芸術監督に就任したのを機に制作され、2017年にやはりムワワド自身の演出で初演された。作品の質が前3作とは異なる印象があるのはそのためだろう。

 『みんな鳥になって』の翻訳を担当した藤井慎太郎は、本作はBDS運動(イスラエルによるパレスチナ占領に抗議する運動。ボイコット(Boycott)、投資撤収(Divestment)、制裁(Sanctions)の略)のターゲットとなったり、ユダヤ人学生団体の抗議で2022年にミュンヘン公演が中止になったりしたこともあったと公演プログラムの解説で指摘している。敵と味方の対立を乗り越えるメッセージが込められた作品がこうした抗議の標的になった理由の一つは、制作過程で在仏イスラエル大使館の協力を得たからだという。実際、2024年にレバノンで計画されていたムワワドの初期作品『クロマニョン人の婚礼の日』世界初演は、「イスラエルとの関係正常化を奨励」したとの理由で、レバノンの「イスラエルに対するボイコットに関する法律」により中止になった。2017年の『みんな鳥になって』初演時に複数のイスラエル人俳優が起用され、在仏イスラエル大使館が航空券提供の支援を行ったこと、2018年にテルアビブのカメリ劇場で招聘公演がおこなわれたことなどが中止の理由だという。

 私たちは敵対する勢力間に橋を架けようとするムワワドの芸術的挑戦に感銘を受けるが、それは私たちが日本にいるからである。イスラエルの軍事侵攻の脅威に晒されている国々の人々はそうではない。レバノンでの公演中止は、この事実を私たちに突き付ける。ジャーナリストで活動家のマリーナ・ダ・シルヴァは「ムワッドがフランス、あるいはそれ以前のケベックの頃から、古代悲劇に見られるような敵対者同士の和解を描いた文学的ユートピアを創作したのは、作家としての彼の自由意志によるものである。しかし、目下の激動の状況下で現実を無視し続ける彼の頑固さは、実に驚くべきものだ」と書き、パリでは聞こえるムワワドのメッセージは、レバノンでは聞こえないと結論づけている1)Marina Da Silva: Liban. Wajdi Mouawad et le boycott d’Israël, un cas d’école. (Orient XXI, July 12. 2024) https://orientxxi.info/lu-vu-entendu/liban-wajdi-mouawad-et-le-boycott-d-israel-un-cas-d-ecole,7481 (accessed July 11. 2025)

 日本でムワワドの芸術を享受できるのも、日本が芸術を享受できる側に属しているからにほかならない。この事実を踏まえた上で、私は、翻訳上演の公演プログラムに掲載されている白井晃との対談で演出の上村聡史が語る次の箇所に興味を持つ―「今作はパリで上演された際、フランス語を使わずにドイツ語、英語、アラビア語、ヘブライ語で上演されました」。フランスの国立コリーヌ劇場で初演された『みんな鳥になって』は、大胆にもフランス語以外の言語による多国籍俳優の公演だったというのだ。

撮影=細野晋司

 初演に出演したイスラエル人俳優レオラ・リヴリンによると、ムワワドはまず台本の前半を書き上げた後、俳優たちをパリに集めてワークショップを開いた。俳優たちは自身の個人的なストーリーを話し合ったり、ムワワドが求める出来事の文化的解釈などを議論したりした。リヴリンはワークショップの最後の2日間にはじめて台本の前半を興奮して読んだ。そして後半の第3, 4章はリハーサル中に、参加者のミーティングの一環として書かれたという。『みんな鳥になって』がイスラエル社会の現実に切り込むことができたのも、アラブとユダヤ双方を文化的背景にもつ参加者たちが協力して台本作りに参加したからであろう。

 本作で重要な役割を担う歴史上の人物ハサン・イブン・モハメド・アル=ワザーンに関する著作があり、コリーヌ劇場での初演にアドバイザーとして参加したユダヤ系アメリカ人の歴史家ナタリー・ゼモン・デイヴィスによれば、公演にはイスラエル人を含むユダヤ人とアラブ人の俳優が出演したが、反ユダヤ的だと感じる者はいなかったという。リヴリンやディヴィスの振り返りはイスラエル・ハアレツ紙web版に掲載されているため2)Ido David Cohen: Debate Surrounding Canceled ‘Antisemitic’ Play Goes On: ‘Protesters Helped the BDS’. (HAARETZ. Dec. 20. 2022). https://www.haaretz.com/israel-news/2022-12-20/ty-article-magazine/.premium/israeli-translator-defends-play-canceled-over-antisemitism-row-whos-the-racist-here/00000185-2f56-db29-a1cd-2f7711020000 (accessed July 9. 2025)、イスラエル寄りと考えられなくもないが、ここでは事実に着目したい。ムワワドにとっていわゆる「敵」にあたるイスラエルを描く演劇プロジェクトに彼の姿勢に共鳴するイスラエル人やユダヤ人が参加したことは、確認しておくべき大事な点ではないだろうか。

 本作のオリジナルはフランスの国立劇場という特権的な場で実現したアラブとユダヤの共同制作であるが、その特権性を括弧に括っても、父の遺体を埋葬するために石を拾う息子エイタンの最後の姿には、対立を越えた未来への和解の希望が切実に感じられる。翻訳劇を通して客席に届く希望を無視すべきではないと思う。

 世田谷パブリックシアターの舞台では、俳優たちはときおりアラビア語を交えながら、日本語で演技を行った。本作が描くパレスチナ/イスラエル/ドイツ/アメリカの複雑に絡み合った状況は、日本文化圏に生きる私たち一人ひとりの個人史や家族・共同体の歴史の肌感覚を越えたところにあるのも確かだ。俳優たちの誠実な演技とそれを支えた丁寧な上村演出、翻訳、舞台制作スタッフは、こうした閾を越えて踏み出す勇気を与えてくれた。

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1. Marina Da Silva: Liban. Wajdi Mouawad et le boycott d’Israël, un cas d’école. (Orient XXI, July 12. 2024) https://orientxxi.info/lu-vu-entendu/liban-wajdi-mouawad-et-le-boycott-d-israel-un-cas-d-ecole,7481 (accessed July 11. 2025)
2. Ido David Cohen: Debate Surrounding Canceled ‘Antisemitic’ Play Goes On: ‘Protesters Helped the BDS’. (HAARETZ. Dec. 20. 2022). https://www.haaretz.com/israel-news/2022-12-20/ty-article-magazine/.premium/israeli-translator-defends-play-canceled-over-antisemitism-row-whos-the-racist-here/00000185-2f56-db29-a1cd-2f7711020000 (accessed July 9. 2025)