空の青から、海の青へ ―― 世田谷パブリックシアター『みんな鳥になって』/新野守広
2.両棲の鳥の物語
休憩を1回はさんで3時間半の長丁場だったが、飽きることはなかった。とくに、アラブ人への偏見を隠そうともせず、ヘイトクライムそのままにワヒダを罵倒するダヴィッド(岡本健一)や、必死で家族を守るノラ(那須佐代子)の演技は、二人が固執したアイデンティティと家族が跡形もなく消える結末を迎えるため、心に残った。
空から海に飛び込んでも生き続けた両棲の鳥の物語が、この舞台のメッセージであろう。昏睡状態のダヴィッドの心の中でワザーンが語るこの物語は、公演プログラムに掲載されている。作者ムワワドは、小さい頃このペルシアの伝説を聞いて、胸をふくらませたという。すこし長いが引用しよう:
一羽の鳥が生まれ、初めて飛んだとき、 鳥は海の上を舞った。水面の輝きの先、銀の鱗をした魚の群れが見えた。初めて知るその美しさに心を動かされて、鳥は魚と出会いたいと思い、海に向かって身を投げた。波に体が触れようとしたそのとき、仲間の鳥に捕まってしまった。仲間の鳥は言う「だめだ、あの生き物たちのところに行こうなんて思うな。お前とはあらゆる点でちがっていて、あいつらと一緒になればお前は死ぬ、私たちとあいつらは、互いに出会うようにも、ともに暮らすようにもできていない」。鳥は仲間に従って、定めの人生を送る、でも海を見るとつねに心は痛むのだった。気持ちが暗くなって、鳥は歌うのをやめた。ある日、背負うにも重くなりすぎた悲しみによって、鳥は、不幸で長い一生を送るよりも、一瞬の恍惚を選び、翼を閉じることを決意した! そして空の青から、海の青へと、水面が放つ光る海へと飛び込んでいった、鳥は残されたわずかな時間の間に、目を開けた! 色とりどりの無数の魚たち! 深い海底に広がるサテンの布! 言葉にもできない異国の美しさ! 鳥の心は燃え立った! 最期のときが近づく、けれど鳥は気にもかけない。 自分とはちがうものを求める欲望のまま、この欲望はあまりにも絶対で、かけがえのないものに感じた。だが終わりは近づく。
死は鳥にそっと近づき、その体を捕らえようとした。まさにその瞬間、鳥の首にエラが生えた! 息をしてる!息をしてる!鳥は息をしていた! そして息をしながら、泳ぎ飛び、 黄金色、翡翠色、薔薇色の鱗をした魚たちのなかを進んでいった、鳥が魚を従えていたのか、魚が鳥を従えていたのか、魚たちに挨拶の言葉をかけながら、鳥は魔法の言葉を口にした。 「ここにいる! 自分はここにいる! 僕は君たちのなかにやってきた両棲の鳥だ、空でも海でも生きる鳥、僕は二つの世界を生きることができるんだ! だから君たちの仲間、君たちの仲間だ!」
この鳥は、「あいつらと一緒になればお前は死ぬ、私たちとあいつらは、互いに出会うようにも、ともに暮らすようにもできていない」と諫める仲間の忠告を振り切って、「あいつら」の棲む海のなかへ飛び込む。すると不思議なことに、海のなかでも死なない。エラが生え、呼吸が可能になる。決然と海に飛び込んだ鳥は、両棲の鳥に変身する。二つの世界の閾を越えることに成功するのだ。
一方舞台上では、この物語を聞いたダヴィッドは死ぬ。「二つの世界を生きる」可能性を垣間見ただけで、彼の命は尽きてしまう。すべては息子のエイタンに委ねられて終わる。自らのアイデンティティに亀裂が入ったエイタンだが、自分を慰めない決意を繰り返し、先行する世代が生み出した対立と憎悪を引き受ける。困難だがけっして不可能ではない未来の和解への希望が客席に伝わった。
