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この劇評は、以下の紀要で発表した研究ノートを改稿したものである。寺尾格「福島原発ヒナンのポストドラマ‐『From 2011』の上演について」専修大学国際コミュニケーション学部編『国際コミュニケーション研究』第3号、2023年3月18日発行、62~71頁。なお研究ノートには参考資料として、上演テクストが掲載されている。


1 はじめに

 2011年の東京電力福島原発の炉心融解事故から13年が経過し、事故直後の大きな不安の中での16.5万人以上の福島県からの避難者数は、10年後には3.6万人にまで減少した。1)あれから10年、2021年の福島の「今」」:経済産業省資源エネルギー庁HP福島原発の抱える諸問題は、さらに2020年から続くコロナ禍、ウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻、さらに能登半島地震など、次々に上書されるニュースの影に隠れて、表面的には何事もなかったかのような日々で、幾つもの原発がすでに再稼働している。しかし復興と避難、放射線除去(?)、高濃度処理(?)水、そもそも放射性物質の廃棄(?)という最重要課題は残ったままで、何よりも40年と想定されていた原発の廃炉作業も遅々として進まない。福島第一原発第1~第3号機に残された880トンもの溶解した燃料デブリの取り出しは、「事故から10年以内」を開始の目標にしていたはずであるのに、計画はすでに三回も延期されて、まだ1グラムも回収されていない。2)「「デブリ」取り出し暗礁」:毎日新聞2023年11月16日朝刊。 

 東日本大震災と原発事故についての日本の演劇人の直接的な反応を、震災直後、一年後、五年後との三部構成で一冊にまとめたのが、『「轟音の残響」から――震災・原発と演劇』(晩成書房、2016年)である。東日本大震災と福島原発問題に対する演劇人の真摯な問いかけと活動について、演劇誌『シアターアーツ』に掲載された幾つもの論考やシンポジウムのドキュメントをまとめて、実に読みごたえのある内容なのだが、書評などでの反応がほとんど見つからないという事実自体が、今の日本の原発に対する言説と、演劇理解の文化状況を反映しているだろう。

 しかしながら2024年5月19日(日)、第45回大阪春の演劇まつりが開催中の難波サザンシアターで、地味ながら息の長い演劇的な努力を感じさせる舞台を見ることができた。作=小池美重、構成・演出=仲田恭子によるアートひかり『From 2011.』である。当日のちらしから引用する。

311の東日本大震災を機に、福島から松本(長野県)に移住した作者・小池美重の実体験をベースにしたパーソナル・ドキュメンタリー演劇。2015年7月~17年5月の間に、作者小池本人が演者として、名古屋初演の後、長野県各地、山梨、東京などで上演を重ねてきた。その後2020年から再演プロジェクトを始動。加藤久美子(東京)、なりかわちほ(三重)が演じ、作品の灯火をつないできた。そして今回、関西を中心に活躍する実力派俳優・得田晃子が演者となり、瑞々しい感性とともに本作をお届けする。

 この30分ほどのささやかな、しかし各地での小さな上演を重ねた一人芝居の上演は、東京での加藤久美子が繊細、大阪での得田晃子がエネルギッシュで、東西の対比も興味深く、どちらも捨てがたいのは演戯者の力だろう。この上演について、少しばかり考えてみたい。3)この上演は、ペーター・トゥリーニ作『ねずみ狩り』とのコラボであった。現代におけるゴミ問題を、すでに50年も前に寓意的に取り上げた『ねずみ狩り』については、以下の劇評を参照。「リアルという虚構の説得力―――ペーター・トゥリーニ『ねずみ狩り』令和ヴァージョン」/寺尾格 – Webマガジン「シアターアーツ」 (aict-iatc.jp) 2023年10月11日。

 

2 『From 2011.』の内容と語りのスタイル

 最初に俳優が一人、「小池ミエ 52歳 セラピスト」と自己紹介をする。「これから、これまでの私の身に起こったいくつか」、つまり作者本人が福島からの避難を行った際に見聞きした「体験を語る」というスタイルなので、「パーソナル・ドキュメンタリー演劇」という但し書きがついている。作者に確認したところ、自分の日記として書いたメモを素材に、テクスト構成については演出家の仲田恭子と相談したとのことである。2015年当初は作者の小池美恵自身が演じていたが、震災直後から時間を経た現在、作者本人の「体験談」から、俳優の「演戯」へと対象化を一段進めたことになる。各場面の語りは、おおむね見出しを半紙に書き、後ろの壁に貼ることで始まる。9つの場面の見出しと簡単な内容が以下である。

1場面 「タロットカード」:避難所でのタロットカード占い遊び。

2場面 「郡山駅前中継」:地方テレビの街頭インタビュー中継。

3場面 「国会包囲網」:国会包囲デモに参加。

4場面 「疲労による」:避難した老女の連れ合いが疲労で亡くなったこと。

5場面 「発症」:本人に頭痛、めまい、脱力感で受診し、血液異常値が出たこと。

6場面 「<  >による」:良性腫瘍との診断結果。

7場面 「投薬」:骨髄増殖腫瘍/本態性血小板症(ET)。

8場面 「父」:父親の通夜と納棺。

9場面 「炊飯器」:新潟の避難先での小さなエピソード。

 それぞれの場面を一貫する筋は無く、作者の個人的な体験のエピソードを淡々と語り続ける。対話的なやりとりも出てくるが、一人語りのスタイルなので、出来事の説明が内面のモノローグと重なる。いわば間接的な引用となるので、ゆるい統一感がおのずと醸成される。それぞれの場面は並列的なのだが、第1~第3場面が「他者との関係」、第4~7場面が「避難生活と放射能の影響による身体不調と発症」、第8~9場面が「自己省察と終わらない結末」と、大雑把に三つに分けた擬似ドラマ的な展開と見なすこともできる。

   [ + ]

1. あれから10年、2021年の福島の「今」」:経済産業省資源エネルギー庁HP
2. 「「デブリ」取り出し暗礁」:毎日新聞2023年11月16日朝刊。
3. この上演は、ペーター・トゥリーニ作『ねずみ狩り』とのコラボであった。現代におけるゴミ問題を、すでに50年も前に寓意的に取り上げた『ねずみ狩り』については、以下の劇評を参照。「リアルという虚構の説得力―――ペーター・トゥリーニ『ねずみ狩り』令和ヴァージョン」/寺尾格 – Webマガジン「シアターアーツ」 (aict-iatc.jp) 2023年10月11日。