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5.第三のドラマトゥルギー解釈:「また会いましょう」

 しかし、第三のドラマトゥルギー解釈がさらに可能であるように思われる。パリで1回、東京で2回、京都でさらに1回と繰り返し作品を見ているうちに、筆者が実感として得ることができた解釈であり、熱(狂)、幻想、錯乱のドラマトゥルギー、さらに民主主義のユートピアのドラマトゥルギーよりもさらに密やかで、より深く、より一貫したものでもある。すなわち、この作品は演出家ムヌーシュキンが観客に向けた別れの挨拶であったのだと、ここでは主張できないだろうか。

 そもそも『金夢島』には、一種の太陽劇団の総集編とも言える側面があるのではないか。車輪で動く舞台装置は『最後のキャラバンサライ』や『はかなきものたち』にも見られるし、舞台床面の全体を覆い、水面を表す布は『堤防の上の鼓手』や『最後のキャラバンサライ』でも用いられていた。橋がかりのような通路は、能舞台のみならず、『1789』(1789, 1970)において、カルトゥーシュリの空間にバラバラに置かれた舞台を結んでいた通路を思わせもする。アフガニスタンの劇団の場面は、『最後のキャラバンサライ』、さらにそのカブール公演を受けて2005年に結成されたアフターブ劇団(Théâtre Aftaab)を直接に想起させ、ブラジルの船上で展開する場面は『フォル・エスポワール号の遭難者たち』(Les Naufragés du Fol Espoir, 2010)と結びつく。コーネリアという登場人物は前作『インドの寝室』(La Chambre en Inde, 2016)から直接にとられている。古い作品の要素がモチーフとして回帰している、単に使い回されているのではなく、こうした自己言及性は意図的なものであったとは考えられないか。

 そのことを検討するために作品の最後の場面を見てみよう。まず能の『羽衣』からのテクストと舞踊による引用がなされる。聞こえてくるのは男性のようにも聞こえる大島衣恵の声であるが、やがてヴェラ・リンの「また会いましょう」(Vera Lynn, We’ll Meet Again, 1939、劇中に流れるのは二度目である)に置き換わる。竹馬に乗った俳優が扮する鶴の帰還に導かれて(鶴は、直接的には能の『八島』(ただし、原曲では「鷗」)に言及するものであるが、ヴェラ・リンさらにはムヌーシュキン自身、演劇という芸術の長寿も象徴・祈念しているように思われる)、そこに集合した全俳優が「また会いましょう」に乗せてユニゾンで仕舞を披露し、やがて舞台は暗転し、幕となる。反復の効果を除けば、この曲の使用にもまた物語上の必然性は薄いが、ここではきわめて効果的に作用している。リアリズム的論理、因果律とは無縁の、まさに夢の論理に基づいて展開され、同時に耳馴染みのある楽曲が強い情動を喚起し、ピナ・バウシュ流ともいえる美しい舞踊の場面となっているからだ。

© 後藤敦司 ATSUSHI GOTO

We’ll meet again また会うことになる

Don’t know where どこかは分からない

Don’t know when いつかは分からない

But I know we’ll meet again some sunny day でも分かる、ある晴れた日にまた会うことになる

Keep smiling through 最後まで微笑み続けて

Just like you always do いつもそうしているように

’Til the blue skies drive the dark clouds far away 青空が暗い雲を追い払うまで

(日本語訳は引用者)

 これは初演の前年、2020年6月28日に103歳という長寿を全うして亡くなった、この英国人女優・歌手に対するオマージュなのだろうか。コロナ禍や戦争のような、考えられる限り最悪の状況にあっても、「青空が暗い雲を追い払うまで」は希望を捨ててはならないという呼びかけなのか。この1939年の曲は、1943年の同名のミュージカル映画にも使用され、第二次世界大戦の最中の英国文化の象徴ともなった(さらに、英国がEUを最終的に脱退する2020年1月31日を前に、残留派の人々のテーマ・ソングのようにさえなった1)東京大学名誉教授パトリック・ドゥ・ヴォス氏から得た情報である。記して感謝申し上げる。)。

 キャリアの最終盤に差しかかった演出家による作品の締めくくりの場面であることを考え合わせれば、これは単なる偶然ではなく、考え抜かれた末の選択であったと考えるのが妥当だろう。というのも、この曲が発表された1939年はムヌーシュキンの生まれた年でもあるからだ。« We will meet again » という歌詞は « Nous nous retrouverons » とフランス語字幕には訳されるが、直訳すれば « Nous nous reverrons » であり、フランス語の別れの挨拶 « Au revoir » を直接に想起させる。

 また会いましょう。だが、私が初めそうしたように、それを日本/人とフランス/人の間の再会として、あるいは錯乱して混乱した作品としてのみ捉えれば、作品全体を捉え損ねることになるようにも思う。だが、複数回見ないと理解されないドラマトゥルギーは成功しているともいえず、これを太陽劇団の最良の作品と呼ぶことはできまい。だが、きわめて特別な作品であることはまちがいない。本作がムヌーシュキンの最後の演出作品となるかどうかは分からないものの、『カナタ』の演出をロベール・ルパージュ、最新作『芸術における我らが人生』(Notre vie dans l’art, 2023)の演出をリチャード・ネルソン(Richard Nelson)と外部の演出家に依頼し、ムヌーシュキンによる演出作品が減ってきているのは間違いない。まだ1本か2本は見ることは可能かもしれないし、みんながそれを望んでいる。また会いましょう。また会えましたね。別れの挨拶は再会の約束なのだから。


本文中の写真はすべて東京芸術劇場から提供を受けたものである。

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1. 東京大学名誉教授パトリック・ドゥ・ヴォス氏から得た情報である。記して感謝申し上げる。