アヴィニョン演劇祭の再誕生と復活——新ディレクター、ティアゴ・ロドリゲスのもとでの最初の演劇祭/藤井慎太郎
第77回アヴィニョン演劇祭が2023年7月5日から25日まで開催された。今年は新ディレクターであるポルトガル人劇作家・演出家・俳優ティアゴ・ロドリゲス(Tiago Rodrigues)のもとでの最初の演劇祭であった。ロドリゲスの言葉によれば「市民的祝祭」(fête civique)となるべく4月に発表されたプログラムは関係者から注目を集め、事前の期待はかつてなく高まっていた。しかし、演劇祭には直接の責任がない複数の問題が直前に生じて、順風満帆とは言いがたい、波乱に富んだスタートとなった。
1943年生まれでヨーロッパ最後の巨匠とも目されるクリスティアン・ルパ『移住者たち』(Krystian Lupa, Les Émigrants)が、フランス語圏(スイス、フランス)の俳優とともに上演されることも話題であった。しかし、コメディ・ドゥ・ジュネーヴ(Comédie de Genève)での初日を目前に控えて、同劇場が演出家と主に技術スタッフとの対立を背景に、稽古と公演の中止を発表し、翌週にはアヴィニョン公演もキャンセルを余儀なくされた(その代わりに急遽プログラムされたティアゴ・ロドリゲス『不可能の限りにおいて』(Dans la mesure de l’impossible)については、別稿で取り上げている)。これは全能の演出家の時代の終焉を告げるものとしても、さらに大きな話題を呼んだ。
さらに、開幕直前の6月27日には、パリ郊外のナンテール市で、まだ17才のアルジェリア系フランス人少年ナエル(Nahel)が警官に射殺されたことをきっかけとして、フランス全土で暴動、破壊・略奪行為が起こり、社会全体を揺るがす事態になった。幸いにして、開幕時には沈静化へと向かい、演劇祭の開催には問題は生じなかったとはいえ(『ウェルフェア(福祉)』(Welfare)の初日開演時には、1分間の黙祷が彼に捧げられた)、緊急事態が宣言されるような事態になっていれば、演劇祭への影響もただでは済まなかったはずだ。この一連の出来事によって、フランスのうちには二つのフランスが、ロドリゲスの戯曲の言葉を借りれば、「可能」のフランスと「不可能」のフランスが存在することが、改めてあらわになった。今年の演劇祭はそうした社会の分断の問題、ガラスの天井や壁の存在を先取りしたかのように、鋭く問題を提起し、社会とその鏡でもある演劇のありようを根本から問い直す作品が多く含まれていた。
筆者は7月14日から25日の滞在期間中に、中盤以降の「イン」(In)24作品を見ることができた(今年は東京から持ち込んだ仕事が想定以上に多くて、フリンジである「オフ」(Off)の作品は見ることがかなわなかったが、「オフ」もまた、のべ200万枚のチケットを売り上げ、全体の客席稼働率が60%に達して、成功を収めたようである)。数多くの名作に恵まれたばかりか、落胆させる作品がほとんどなかった点でも、稀有な年であった。熱烈な歓声と拍手とスタンディング・オヴェーションに包まれる幸福なカーテン・コールに何度立ち会ったことだろうか。
今年のプログラムの大きな特徴は、主催者によれば75%がはじめて演劇祭に招聘されたアーティストである一方で、オルタンス・アルシャンボー(Hortense Archambault)とヴァンサン・ボードリエ(Vincent Baudriller)の2人が共同でディレクターを務めていた時代の常連であった大物アーティストたちが、アヴィニョンに待望の再来を果たしたことである。さらに、プログラムのクォリティが全体に大きく高まったことで、オリヴィエ・ピィ(Olivier Py)の時代には——ミロ・ラウや宮城聰らの記憶すべき上演もあったとはいえ——アヴィニョンから足が遠のいていたフランス国外のプレゼンターやジャーナリストの来場も再び大きく増えたという(それを先取りしたかのように、プログラムや字幕などにおける英語対応も、以前よりさらに充実した)。
これも主催者によれば、全体の企画の半数以上が女性アーティストによる(あるいは少なくとも女性が企画の中核に関わる)ものであった。中でも、マティルド・モニエ(Mathilde Monnier)作品やレベッカ・シャイヨン作品(後述)に代表されるように——前半の話題をさらったカロリナ・ビアンキ作品(Carolina Bianchi、未見)1)2023年の世界演劇祭で上演されており、内野儀による劇評によって、その内容を知ることができる。まで含めて——、MeToo運動を受けて、より根源的な女性の解放を強く求める作品群が多かったことが印象に残る。
エミリー・モネ(Émilie Monnet、未見)とミロ・ラウ(後述)はそれぞれカナダとブラジルの先住民・農民の解放、シャイヨンは(とりわけ黒人の)女性の解放を問題化したように、そして複数の作品が自然・環境と人間の関係を再考することを促したように、それはフランス社会、ひいては現代社会全体が直面する深刻な問題に応答しようとする演劇祭の姿勢、演劇祭全体を貫くドラマトゥルギーの表れである。振り返ってみると、大がかりな舞台装置やスター俳優の起用など、多額の予算ありきの作品がほとんど見られなかったことも、今年の演劇祭の大きな特徴であった(ロドリゲス演出の2作品にとりわけ顕著である)。これが演劇の原点へ回帰しようという意思の表明だと考えると、これは歓迎すべき傾向である。
2016年以来、久々にブルボン石切場を会場とした『快楽の園』に加えて、アヴィニョンという都市を離れ、自然の中を移動しながら経験する2作品が企画された。後者の2作品はいずれも上演時間が6〜7時間を要するものであったこと、1作品の開演時間は午前6時に設定されたことも、フェスティヴァルならではの「驚き」を生み出すのに一役買った。23時や23時59分という遅い時間に開演する作品が復活したのも喜ばしい(アルシャンボー=ボードリエ時代、25時に開演し、深夜にこそふさわしいような作品も紹介された枠《<25e heure》も思い出させる)。日中の猛暑対策、消費電力の節約の側面もあるそうだが、こうした創造的・芸術的でよろこびに満ちた「狂気」は、多くの関係者が演劇祭に待ち望むものである。
今年のプログラムは、急激なインフレにもかかわらず1718万€(1€=160円として約27.5億円)の予算は据え置かれた上に、ディレクター交代から充分な時間的猶予もなく急ごしらえでつくられたというが、そんな苦労を微塵も感じさせないものであった。主催者によれば総販売座席数12万枚強に対して客席稼働率は94%に達したというように、今年の演劇祭は観客にも批評家にも好意的に迎えられ、芸術的にも興行的にも大きな成功を収め、アヴィニョンの再誕生と復活を印象づけた。
註
1. | ↑ | 2023年の世界演劇祭で上演されており、内野儀による劇評によって、その内容を知ることができる。 |